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れーしch【歴史】
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当チャンネルでは「ゆっくり」を使った歴史解説を行っております。
日本史・世界史の両方を扱っており、様々な事柄を分かりやすく解説します。
有名な事柄からマイナーな人物まで幅広く歴史を網羅するチャンネルを目指しております。
【ゆっくり解説】古代吉備
21:17
2 месяца назад
【ゆっくり解説】古墳時代の終焉
19:19
3 месяца назад
Комментарии
@masahi9441
@masahi9441 20 минут назад
黒鳥では無く焼き鳥きたぁー!このエンペラージョーク大好きです!
@多田野和仁
@多田野和仁 4 часа назад
この三人もなぜか架空認定されやすいけど 何でもかんでも架空認定するなよ って怒りたくなるわ
@show_kazitani
@show_kazitani 5 часов назад
高師直でぐっすり❤❤
@星崎斉の古代史チャンネ-s9x
お疲れ様です。ちょうど、景行天皇、成務天皇、仲哀天皇、神功皇后を題材にしてアマゾンで電子書籍『台与を〇した神功皇后』を出版したところです。参考にしたれーしchさんは、参考チャンネルに挙げてありますので。
@SanemaroTube
@SanemaroTube 11 часов назад
ポットン便所でも厠のことじゃね、 初代皇后ホトタタライスズ媛~意味は膣を鉄マラで突かれて吃驚して生まれた媛。 実家の子孫の三輪氏がたたら製鉄を営むとしてもイワレヒコの時代は青銅器主流。 綏靖帝即位に伴う後継者争いは、要するに本国日向から独立したということだろ。
@大和葛城-j5k
@大和葛城-j5k 14 часов назад
楠木正成、足利尊氏、北畠顕家たちを横一線で論じることは可能なんでしょうか?彼らは近代の軍人ではなく国から国軍を預かって戦いに赴くわけではないですよね?常に指揮しているのは自分の一族郎党であり、そういった小集団の集まりが戦いの軍勢を構成していたわけではないでしょうか?正成は大軍を率いようにももとからそんな数の手勢は持ってませんし、ほかの大将も身代が小さく、源氏の血筋などの権威も持っていない者の言うことは聞かないでしょう。結局局地戦や大合戦の一部隊として戦うしかなかったのだと思います。私には楠木正成は戦国時代の真田昌幸と似たタイプの人物に思えます。あくまでもタイプということで両者の人間的なイメージは大きく違いますけど。でも一度くらい真田昌幸のような描かれ方をした楠木正成も見てみたい気がします。素人考えですみません。
@SanSeverin
@SanSeverin 18 часов назад
内史騰の氏は寧だよ。寧騰
@mecom3450
@mecom3450 День назад
辰砂産出が確認されている四国徳島だろう。この遺跡を他国が支配していたとは思えない。加工場も見つかっている。四国なら大和王権との連続性が説明可能。
@ku8687
@ku8687 День назад
目の前の人を助けたい周りを人を助けたい、武家の棟梁と言って周りが助けてほしがってるだから助けた。だからみんな尊氏を慕って守ってくれる。そんな行き当たりばったり行ったら将軍になっちゃった。
@ぼんくら-l7g
@ぼんくら-l7g День назад
狡兎死して走狗烹らる
@les_athéniens
@les_athéniens День назад
"軍師官兵衛"で守護代の浦上氏に暗殺された赤松義村(お爺ちゃん)がいい役してたのが今でも印象的
@ノリスケ-m5z
@ノリスケ-m5z День назад
実績見る限り本人の能力に疑いは無かったけど元々の出自が低かったから当時の武士は楠木の下には集まらなかったと 当時の価値観だと仕方ないんだろうね
@akb2301
@akb2301 2 дня назад
日本は日本書紀が編纂された時代でも神代の時代に氏族の正当性を求める。それくらい氏族意識もある中、邪馬台国がどこにあったのか、卑弥呼は何氏かも分からないは卑弥呼の血をひく後裔氏族だと言う氏族もいない。結局胡散臭くなる。 唯一、おさまりよく主張が合致するのが箸墓古墳が卑弥呼の墓で卑弥呼が倭迹迹日百襲姫命があるのみで、 それ以外は何氏かも、何者かも分からん。居たかどうかも分からんって事や。
@matsurinui
@matsurinui 2 дня назад
数か月前に描かれた逃げ若の石津の戦い、神をも畏れぬ師直が石清水八幡宮を放火する前に詠んだ「神に感謝する歌」の神とは何者なのか、騎馬武者象は尊氏なのか師直なのか、の考察と、「史実」が「漫画の展開」を修正しに来る表現も含めて、必見の話となっているので、南北朝に興味がある人には是非とも目を通してほしい。
@kenichinakagawa3289
@kenichinakagawa3289 2 дня назад
美濃源氏土岐氏は唯一色付き家紋「水色桔梗」を賜った源氏の名門ですからね。幕府としても一族滅は避けたのでしょう
@田中太郎-l7j7p
@田中太郎-l7j7p 2 дня назад
いつの世もとにかく俺はこいつ嫌いなんだよは利も理も上回るからな
@鈴木孝也-c1k
@鈴木孝也-c1k 2 дня назад
なんか素行に問題があるとかなんとか言われていて、江戸時代にはわざわざ歌舞伎で悪役の名前に使われていたけど……… 実は徒然草の作者兼好法師の後ろ盾となり生活の保護をしていたりする 文化的な事に手を出すと【惰弱】と見做される背景があったのに😅
@Yukkui-tei
@Yukkui-tei 2 дня назад
高師直て忠臣蔵で浪士に討ち取られた人じゃん。
@正木茂雄
@正木茂雄 2 дня назад
吉良上野介の前世ですね。
@ku8687
@ku8687 2 дня назад
この説を取るなら、限りある土地を1回の戦いの功績で気前よくあげたら恩賞がなくなるその構造欠陥を美女など新たな価値基準を設けようとしたのかな 信長は茶器や官位でブランド力を使ったけど師直はそこまでいく時間も立場もたらなかった。
@les_athéniens
@les_athéniens 2 дня назад
江戸時代になると細川氏が治めていた豊前の大名になってますね
@iolite-T
@iolite-T 2 дня назад
神をも畏れぬ男だった割には主君の尊氏には最後まで忠誠を尽くしていた様ですし、賤しい身分の出では無いにも関わらず強欲が過ぎたりと複雑な人間性を感じます。
@qzp01467
@qzp01467 2 дня назад
高氏は紫式部の娘である大弐三位の夫の高階成章の異母兄弟である高階成作の家系です。 途中で源義家の4男が養子に入っていたりして、家系も血統も貴種なんですよね。
@三六式アルベリッヒ
@三六式アルベリッヒ 2 дня назад
13:54 益体もない古陶磁に莫大な「価値」を認定したうえで「御茶之湯御政道」を盛んにした織田信長・豊臣秀吉は、やはり人心収攬の天才だったんですね……🍵✨
@HD5970CFXnoYuusya
@HD5970CFXnoYuusya 2 дня назад
後醍醐天皇は三国志資治通鑑を読んでおくべきだった。 特に夷陵の戦いで大勝したのにも 拘らず劉備に和平交渉した 孫権の項を、、、
@sojutanaka75
@sojutanaka75 2 дня назад
貴族の娘を攫って子供産ませるとか太平記の悪人っぷりやばすぎて笑った
@toratora824
@toratora824 2 дня назад
ここで豆知識 福建省からやってきた漢民族(新天地を求めた若者男性)と、原住民族の交流で生まれたミックスが多く、それが今の台湾人の主なルーツよ ちなみに大日本帝国に公民化があったように、漢による漢化があったから血筋や人種・民族だけで見たら原住民族だけの人も多いぞーー
@南部遠江守師行
@南部遠江守師行 2 дня назад
後の南部晴政とか信直とかの有名所は師行、政長の子孫では無いんだよな。師行、政長公らの家は八戸南部氏。晴政、信直とかは三戸南部氏。
@一也-v5c
@一也-v5c 2 дня назад
大河ドラマの太平記での柄本明さんやね。 最後がもう「ええ…」な終わり方だったんで、30年以上経っても師直ってカワイソス…。ってなるわ。
@user-jd3pu6br4t
@user-jd3pu6br4t 2 дня назад
高師冬 高師夏かぁ、逃げ若事実の人から名前取ってたんですね。
@分からない分かんねぇ
高師直、石田三成 身内でないデキるNo.2は辛いよ
@ta-lf2qv
@ta-lf2qv 2 дня назад
ここのへなんてねぇよ。
@yahootaroo
@yahootaroo 3 дня назад
室町幕府内における足利直義の肩書きってなんだったんだろう?幕府創設の実務のリーダーとして指揮を執るには、それなりの肩書きが必要だったはずだと思うんだけど、調べた限りでは、はっきりしないんだよね。わかる人おる?
@山崎洋一-j8c
@山崎洋一-j8c 3 дня назад
尊氏は「将軍」、高師直は「執事」、直義は……「三条殿」?
@shou-sho
@shou-sho 2 дня назад
正慶二年(1333)に左馬頭、同年中に相模守に任命されてますね。どちらも鎌倉幕府では北条得宗家、歴代執権が任命されていた官職。 なお師直は尊氏が征夷大将軍になる時に、尊氏から武蔵守を引き継いでいます。
@buluemoon2008
@buluemoon2008 3 дня назад
「自郡至女王國、萬二千餘里。」読んで字の如し。 「狗邪韓國」まで7000里、「末盧國」までで1万里。あと2000里しかない。 2000里は「狗邪韓國」から「一大國」の距離。 小学生でも間違わない。なんで謎になるのか不思議。
@満足唯
@満足唯 3 дня назад
「あなたの尊氏が一番史実に近い」と言われた「逃げ上手の若君」の作者松井優征先生が「それはそれで史実がどうかしている💦」とおっしゃってましたが確かにそうですね。この時代の本を読むとイメージをつかみにくい人だなぁと思います。
@harigane4773
@harigane4773 3 дня назад
レッツ☆La☆ゴー
@じつどうだいすけ
@じつどうだいすけ 3 дня назад
高師直は、戦術家ではあるが戦略家ではない。足利家の執事として、軍事的才能はあっても、政治的才能は皆無だった。だから、足利直義の政治戦略に求心力を失って敗れ去ったのである。 古今東西、どんな戦上手でも、将兵の信望を失ってしまったら、勝てるものも勝てなくなるのだ。致命的だったのは、天王寺を害してしまった事。畿内での求心力を失った高師直は出頭人である故、将兵はその権勢に従っていたに過ぎず、情勢不利になれば離れていくのは自明の理だった。 高師直と振る舞いが似てる人物は、松永久秀。だから、戦術に優れた楠木正成や武勇に秀でた北畠顕家とは違い、生理に嫌われている。
@栄田祥吾
@栄田祥吾 3 дня назад
30:14 生き残りたくて鎧をせがんだら、 何故か身代わりに名乗りを上げたことになっており、 引くに引けずそのまま討ち死にしたように見えるw
@les_athéniens
@les_athéniens 3 дня назад
少弐氏といえば松浦氏と同様、元寇のときに一族郎党奮戦したけど、損害もかなり多かったような 教科書にも載ってる元寇の絵巻物にも載っていますしね
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu 3 дня назад
例えるなら、少々上手く行き過ぎた北条時政ですかね(晩年謀反に失敗し失脚)
@うそねこ-e4f
@うそねこ-e4f 3 дня назад
まあ、家が残ってればこんな何もかも擦り付けられるようなことはなかったと思います
@KisekI369
@KisekI369 3 дня назад
司馬懿になれなかった男
@shou-sho
@shou-sho 3 дня назад
太平記にはそもそも素行のいい人間なんかいない!!というのは置いといて(笑) (楠木正成だって平等院燃やしてるしね) 高師直のイメージが一番変わったのは肖像画でしょうね 0:38 昔この絵は足利尊氏でしたね
@佐藤泰正-y1o
@佐藤泰正-y1o 3 дня назад
明らかに違います。卑弥呼は紀元後の人、天照大神は紀元前のさらに神代の時代の神の時代。 比べる事自体おかしい。
@KeCN
@KeCN 4 дня назад
邪馬台国畿内説の考古学者は、箸墓古墳が卑弥呼の墓では無いとされたら予算が取れなくなるので箸墓古墳の年代を繰り上げたりして必死に3世紀の築造にしているんだ。 しかし、箸墓古墳から埴輪が出土した時点で卑弥呼の墓では無いでしょう。周囲に殉葬墓があれば間違いないと思います。
@明日語郎
@明日語郎 4 дня назад
倭国大乱は「後漢書」に書かれています。「魏志倭人伝」には、倭国大乱の80年後の、都万国と宇佐国の連合国である’邪馬壹国’の東鯷国への東侵が書かれています。倭国大乱は「魏志倭人伝」には記載されていません!!大きな間違いをされています??
@夢野-e3q
@夢野-e3q 5 дней назад
例のアニメの「人知を越えたカリスマを持つ怪物」って言うイメージからは遠いな
@たさくたろ
@たさくたろ 5 дней назад
弟大好き
@高杉謙介
@高杉謙介 5 дней назад
北条時行がメジャーになったの、あの漫画のおかげだろうね なんなら後北条の北条氏康よりメジャーになってるんじゃなかろうか…
@brawnyrooster7607
@brawnyrooster7607 5 дней назад
土地に無知な人が伊都国はどことか松浦国はどことか浅い特定してるのはどうかと思う。グーグルマップでもいいから千時間くらい地域を探索してみて欲しい。
@SanemaroTube
@SanemaroTube 6 дней назад
ヤマトの発音は九州地方の古語で故郷という意味だろう。神武帝は近畿に入植してここを故郷「ヤマト」にすると宣言。魏の帯方郡に入朝したナシメらが帯方郡の役人に国名を尋ねられてまだ部族社会で国名の概念がわからず、青い海、空、山がわが故郷「ヤマト」ですたぃと答えて~どうやらヤマドゥ?が主語らしいと邪馬台国と当て字にされた魏志倭人伝著者の陳寿はその辺が曖昧と気づき文字の簡略化もあるが大半を女王国と記した。