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「質問会」戸田先生ご指導1957年5月25日総本山客殿 

Ren
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御書講義の後の質問会の模様です。
コメント欄に
質問の回答の内容を纏めて記しております
読みながら音声を聞くと
より分かりやすいかと思いますので
学習の時にお役立て下さい。
#戸田城聖
#創価学会
#指導

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15 сен 2024

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@Nichiren-0216
@Nichiren-0216 Месяц назад
質問会の内容要約 1.戸田先生の自叙伝を書いてください。 2.方便品と寿量品とは、どういう意味の経文ですか。 3.信心をしていちばん救いがたいのは貧乏だと聞きましたが、なぜですか。 4.二年前に入信したが、一度退転した。今年四月に再びめざめたが、五月に交通事故で相手に大けがをさせてしまった。御本尊様にお詫びしても、今後、罰が出ますか。 2. 方便品と寿量品と自我偈は、どういう意味のお経ですか。 方便品と寿量品の相違を申し上げますれば、方便品は、迹門を代表したものでありまして、「諸法実相(しょほうじっそう)、所謂諸法、如是相・如是性・如是体・・・」とありますが、あれは御本尊の姿をあらわしたものであります。  それから寿量品は、同じく御本尊をあらわしておりますが、あの「御義口伝書」をお読みくださればわかりますように、あれは南無妙法蓮華経如来寿量品となっています。南無妙法蓮華経如来寿量品というように、南無妙法蓮華経と御義口伝にあるのは、寿量品だけであります。それで、南無妙法蓮華経如来というのは、如来秘密神通力とあります。その南無妙法蓮華経の如来の秘密なれば、それは南無妙法蓮華経になってしまうのです。それで、迹門の経文では、方便品を読みます。これには秘妙方便が説かれています。  方便には、嘘も方便といいますが、これは嘘です。方便というのは法用(ほうゆう)方便、能通(のうつう)方便、秘妙方便と、仏法では三種しかないのです。それで、法華経の方便は、秘妙方便に入るのです。  秘妙方便というのは、凡夫も仏も同体であって、しかも、それが凡夫の姿でいるのが方便だということです。十如是はすなわち御本尊の姿をいっているのです。それに、如来秘密神通之力は、南無妙法蓮華経の如来の秘密神通之力なのです。それだから、寿量品を読むのです。 3.信心をしていちばん救いがたいのは貧乏であると聞きましたが、その理由を教えてください。 貧乏というのは、すぐなおらないのです。時間がかかるということだけなのです。信仰してすぐ金ができてしまったら、誰でも信心します。時間がかかる間、待てというだけなのです。早く言えば、下種というでしょう。種を植えて、植えたらすぐに稲でも何でも次の日すぐできたら、これはおかしなものではないですか。そういうことは世の中にないでしょう。柿の木は8年、桃は3年、リンゴの木も8年です。米だって半年かかります。野菜だって三か月ぐらいかかるのです。そういうものではありませんか。  種を植えたのです。種を植えたのに次の日、すぐに金持ちになるなどとはぜいたくです。そのようなことは、ありえません。ただ病気は本人が苦しむでしょう。だから本人を苦しめないために、なおりが早いのです。金欠病は、これは時間がかかります。種を植えたのだから、8年も待ったら大丈夫です。  よく私は「あなたは信心して何年になる」と聞くのです。3年とか2年とかいいます。それで「まだ病気で困っている」と聞くと、私はそんな馬鹿なことあるかという。それは信心していないと私は言うのです。断じてそんなことはありません。そんな馬鹿なことあるものですか。病気などというものは、簡単に治るのです。ただ金欠病というのは、前世から背負ってきたものだから、これは時間がかかるのです。  あるおばあさんがいつも話すことだけれども、「先生、何年くらいやったら大丈夫ですか」「7年やりなさい」「そんなに待っていられません」それは、その気持ちはよくわかります。その気持ちはよくわかりますけれども、これは待ってもらわなければなりません。木が育たなくてはなりません。育ったらもう大丈夫です。もうお金などは降るように入ってきます。本当に気の毒な人には金をやりたいと思うけれども、僕なんかは、金をやった人で成功した人はありません。やはり自分で育てなくてはならないのです。  よくこういう手紙がくる。今月の末に30万円なければ破産するから、先生貸してください。そんなの返事なんか出すなという。そんなものに20万や30万の金をやっても成功しません。30万なり20万は損するに決まった運命をもっているのです。ですから、自分で打開していく以外にないでしょう。そうではないでしょうか。それならやってもしようがありません。  ある男が蒲田支部におりました。夜逃げしたのです。それまで、いつも私のところへ来ていたのです。いろいろなことを言って聞きにきていました。ところが、いつの間にかいなくなってしまいました。あいつどうしたと聞いたら、4年くらい前の話です。「先生、もう電話をひいて、新しい家を建ててやっている」というのです。冗談ではないよと言ったのです、夜逃げした人が。そういうものです。そういう人はたくさんいます。  ですから、それは信心をまっとうしていきなさい。金ができないということがあるものですか。そんなもの、世の中に六千何百億という金が、ごうごうと流れているのです。ちょっとここに千円札の入る穴さえあれば、すーっと入ってくるのです。その穴をあけるのに時間がかかるのです。だから金は必ずできます。真面目な信心をきちんとしていなさい。金は必ずできます。できないわけがあるものですか。  そうは言っても、小判がほしいといってもそれは無理です。ないのですから。お札だもの、紙で印刷したものだもの、それに流れているのだもの、入ってこないわけがありません。それが入ってこないなら、大御本尊様に文句を言いなさい。7年間も真面目に信心して、戸田は7年と言ったと、まだ入ってこないと、けしからんと、あんた嘘つきかと、御本尊様に談判しなさい。次の日から入ってくるから。それは嘘ではありません。  私などは貧乏のしどおしだったのだから、質屋の軒をくぐったのは、何遍かわからないのです。私は金時計を昔持っていました。それを質屋へ持っていくと、いつも裏をあけて、そして本当の金かどうか番頭が削ってみるのです。筋が何本もついてしまったのです。恥ずかしくて人の前に出せないのです。とうとう戦争で供出ということになって、それで皮だけは質屋へやりました。その時、とても嬉しかったのです。みな金時計を持っていないのだから、持っていなくてもいいのだから。  それほどの貧乏をしてきて、今そう金には困らないのです。たくさんは持っていないけれども、二百円や三百円は持っています。だが、二百円、三百円で困らなくなれば、これで金持ちです。どうです、何万円なくても僕はいいのだもの。二百円あれば大丈夫なのです。あとは困らないのです。こうなれば金持ちのうちでしょう。嘘だと思ったら、いっぺん千円札一枚見せてやろうか。千円か二千円持っていたら、僕は大金持ちでいるつもりなのです。だって使わないもの、金なんか。だから金持ちです。本当です。あなた方も早くそういうふうになりなさい。
@Nichiren-0216
@Nichiren-0216 Месяц назад
4.二年前入信して、その後、御本尊様を返却したところ、相当な罰を受けました。再び今年4月22日に入信しましたが、またあれやこれやの罰が出て、5月1日には、相手が人事不省になるほどの交通事故を起こしたので、班長に指導を受けてお詫びに登山しましたが、今後も罰が出てきますか。家族の考えとしたら、もしも罰が出てきたら、とても恐ろしくて御本尊様を持っていられない「さわらぬ神にたたりなし」だから、また返したほうがいいのではないか、というのですが。 罰という問題ですが、これは、仏様が罰を与えるというふうにとるのは大間違いです。罰というものは自分の持っている運命が出るものなのです。罰を与えるとかなんとかということをよく言っておりますが、そんなものではないのです。  罰というのは、宿業のことなのです。自分の身に持っているものが出るのです。それを罰とも宿命ともいうのです。どんな仏様でも罰なんか与えるわけはありません。ただ出るだけのことです。御本尊をたもっていると軽くでるのです。山に登った者は必ず降りなければならぬと日蓮大聖人様はおっしゃっています。過去世から持ってきた宿業は必ず出さねばならぬとおっしゃっています。ですから、罰というものは我が身にあるものが出るのです。それが軽く出るのが、この仏法の極理なのです。  ですから、恐らく今苦しいかもしれませんが、軽いものだと思っております。もしそれが、この御本尊を受けなかったら、重く出るのではなかったかと私は思うのです。この御本尊をいただいておりますれば、出るのが軽く出るのです。この片腕を取るという宿命の場合、小指一本取られたとします。片腕の代わりに、小指を取られるということを知らない場合には、御本尊様を拝んで小指を取られたではないか、そんなばかな話はないではないかと思うのです。しかし、片腕を取られることがわかっていて、小指がとられたのなら「ああ、助かった」と思うのです。  そこです。これを転重軽受法門というのです。そういう法門の理でありまして、私は今のご質問の方は、それでも軽く受けているのではないかと思うのです。ここで、また、御本尊を捨てたら、その運命はまた重くくるのです。軽く受けさせてやったのに、まだ文句言っている。そんなばかな話はないではないですか。それは、罪というものはそれで消えているはずなのです。二度続くはずはないわけなのです。軽く受けているのです。私はそう断じます。ですから、それを変毒為薬と申しまして、毒を変じて薬となす。そのことがあなたの信心とあなたの誠意とによって、必ず軽くそしてまたそのことがあなたの一生の生活に得になってくるはずです。変わってこなければならないはずです。  まだ、これは本当の信心ではありません。今、あなたは苦しいでしょう、嘆くでしょう、辛いでしょう。そのことが幸せに変わらなかったら、本当の信心ではありません。御本尊様は本当であるというわけにはいきません。悩み、苦しみ、そのことが幸せに変わってこなければいけない、それが御本尊様の功徳なのです。  ですから、総本山に登った以上は、大御本尊様にたいしてあなたの心からのことをお願いしなさい。必ず通ります。通らなかったら御本尊様ではありません。必ず、あなたの願い通りになります。おわかりですか。御本尊を返すなどとは根性がよくありません。そんなことをするから、ろくなことが起こらないのです。ただ宿業のままに出てくるのです。御本尊様を拝んでいれば、宿業のままに出ても、軽く出ます。同じ形で出るけれども、軽く出るのです。それでそれがご利益に変ずるのです。そこが大事なことなのです。この御本尊のありがたさはそこなのです。  持っている宿業のままに出て、それが罰として現れるのですが、宿業のままに出て、そのままで終わったのでは、たまったものではありません。前の何をやったか知らないことが出てくるのですから、こちらが悪いことをした気持ちはないのですから、前の世でやったからといって、出られたのではたまったものではありません。どうですか、諸君、それは軽く出してもらって、それがこっちのもうけに変わらなければなりません。それを変毒為薬というのです。毒を変じて薬となす、そこが大事なことなのです。  中風で困っている、それは前の世で中風になるようなことをしたから中風になっているのです。それが釈尊の説法です。そんなことを聞いて「ああ、そうでございますか」と言って、中風で「うんうん」いっていても、たまったものではありません。その中風が治って、そして前より丈夫になったら、毒変じて薬となったのでしょう。それでいいではありませんか。「お前は貧乏している、前の世で泥棒したからです」「それで、よくわかりました」と、わかって貧乏したってしょうがないではありませんか。  貧乏変じて金持ちになった。結構なことではありませんか。それが御本尊の功徳なのです。悪い宿業変じて、いい宿業に変わる、それが変毒為薬ということです。いま、あなたの苦しみは、そのまま変じて、必ず薬にならなければならないはずです。  私の言うことを信じて、御本尊様に向かって、御開扉(ごかいひ)願った後であったならば、こちらの、これは御開山日興上人様の御本尊ですから、この御本尊様にきちんと、お願いして帰りなさい。必ず願どおりになるはずです。ならなかったら私のところへ文句を言ってきなさい。断じて引き受けます。
@Nichiren-0216
@Nichiren-0216 Месяц назад
1.大聖人様は御在世中に、国家諌暁を三回なされたと聞いていますが、広宣流布のときにも国家諌暁が行なわれますか。 2.御本尊様中央の南無妙法蓮華経のお文字は、上から次第に下の方へ広がっていますが、どういう意味があるのですか。 3.御本尊様を破いた不良の弟が、裏うちして拝んでいる。どう指導したらよいでしょうか。 4.御本尊様をお返ししたら、どのように不幸になりますか。 5.法報応の三身のうち、応身は、どういう姿において永遠の姿をもっているのですか。 6.どうしたら家内が信心するようになるでしょうか。 7.観念文の四座に「その他」とありますが、一貫したお願いの方がよいか、それとも、たくさんお願いしてもよいでしょうか。 8.わたくしは教養も学問もない。教学がなければ、大聖人様のお弟子には、なれないものでしょうか。 2.御本尊の南無妙法蓮華経のお文字は下にくるほど大きくなっています。また、お文字がはねているのはなぜですか。 恐れ多いことではありますが、御法主上人にお聞きするところによれば、南無妙法蓮華経のお文字が末広がりになっていることは、仏法がひろまることを意味し、お文字が脇へ力強くはねていることは、広宣流布が必ず叶うということを意味します。日蓮大聖人様が広宣流布のお心を写されたものと拝します。 3.兄たちが、不良の弟をなおそうと思って信心しました。ところが、弟が御本尊様をさいてしまいましたが、その弟がまたそのさいた御本尊様を裏打ちして自分で拝んでおります。今後どのように指導したらよいでしょうか。 それは面倒だから捨てておきなさい。捨てておけば自然になおります。人間の心などというものは、すぐなおせるものではないのです。なおせると思うのは大間違いです。例えば、あなた方の中に子供を持っている人がいると思うけれども、子供などというものは親の言うことをきくものではありません。どうですか。自分たちがきかないできたのですから、子供がきくわけがないのです。捨てておきなさい。そのうちになおります。そうでしょう、あなた方、昔、お父さんやお母さんの言うことを真面目に聞いて、親孝行をしてきましたか。親孝行などをしてきた人なんか、日本にはいません。それは、子供が言うことをきかない、ましてや、弟が言うことをきかないのは当たり前です。それをなおそうなどという根性が悪い。捨てておけば自然になおるのです。焦らないでよろしい。御本尊様を拝んでいればなおります。御本尊様を拝ませることだけはさせなさい。それでなおります。 4.御本尊をお返しした人が、どのような不幸な状態になるのか、教えてください。 これは怖いことです。それは私の友人に牢の中へ放り込まれた連中が二十何人といるのです。これは戦争時代(昭和18年)のことでありますけれども、その時、放り込まれた連中が、みんなおっかながって、御本尊を返したのです。それが今、一人として、ろくなものがいません。生活ができないのです。中にはその事件に恐れて、そうして牢にも入れられないのに御本尊を粗末にした人間もいます。その頃は立派な家にいたが、今、四畳半にもいられないのです。だから御本尊様を粗末にして満足に生活ができたらおめにかかりたいものです。  私は、名前を言うわけにはいかないけれども、今ときおり、顔を出す人間もあります。御本尊を本当に持っている者は、どうにかなります。御本尊様を粗末にした者は一人も満足な者はいません。昔は創価学会の幹部です。それが、今食うや食わずの生活です。怖いものです。  私は、いかなる難にあっても、御本尊様だけはお守りしきってきました。おかげさまで私だけは何とかして、生かしていただいています。御本尊様を粗末にして、そして食える者があるわけがありません。見ていてごらんなさい。それは1年や2年はわからないけれども、7年と区切ったらきちんとでてきます。それはでてきます。お返しするなら、させたらいいではありませんか。本人の自由です。信仰は自由、強制してはいけませんし、返すのなら返させなさい。やめるのならやめさせなさい。そのかわりひどい目にあうのです。私が現にこの目で見ているのですから、それが、私が牢へ行く前の、みな幹部なのです。私が受けたあの大難で、恐れをなして逃げていきました。その逃げた連中が、今どこで生活しているか知っていますが、ひどいものです。 6.大石寺の建設工事現場で働いておりますが、家内が信心しないので送金をしないでいるのですが、今後どうしたらよいでしょうか。 金をもって帰ればいいのです。女房を喜ばせてあげなさい。それは、いつでも話す話だけれども、私が、今から5年前だったか、仙台に行ったときに、ある男が私に言いました。女房を離縁してしまおうと思うけれども、それでどうでしょうか、と聞いてきました。大問題ではないか、それでいったい女房は、何をやっているのか、子供は何人かと言ったら、三人とか四人とか言っていました。そうして商売はと言ったら、ラーメン屋だっていうのです。  それで、私は離縁してもいいけれども、それにかわる女房ではなくて、家政婦を雇ったら一万円でもやれるのかと聞いたのです。そんな三人の子供を育てて、夜、ラーメン屋をやって、それで一万円では家政婦雇えるかね。一万円ではきませんよ。もったいない。女房と思うから不足は出るけれども、家政婦だと思ったら不足はでません。もったいない家政婦ではありませんか。一銭も払わないで、いや、本当にです。そうして、私がうんと文句を言ってやったのです。  そうしたら、去年、仙台へ行った時に思い出して、仙台の支部長がいたから、あの人はどうしたと言ったら、先生、さっきの開会の辞をやった男ですと、そしてそば屋で売り上げが仙台一番だというのです。そして洋服なんか、さっそうと着て、開会の辞かなんかやって、こちらが驚いてしまいました。ここにいるかいないか知りませんけれども、そのようなものです。  女房にも文句言われるのは、こちらが悪いから言われるのです。こちらがきちんとしていれば、言われるわけがないのです。私なんか言われません。これで妙なことやってごらんなさい。私などはめちゃくちゃにやられてしまう。そのようなもので、あなたなどはまだです。  女房に文句を言ううちは、まだまだ信心ができていません。女房を仏様みたいに、ありがたいと、このようになると、女房が文句言うわけがありません。それは本当ではありませんか。女房に不足を言う理由がないのです。みんな、女房になんか月給を払ったことがないのですから。払ったものありますか、着物などを買ってやったことないではないですか。だから、あまり、そのようにぐずぐず言わず、女房を大事にしなさい。それが信心のはじまりです。女房が信仰しないとか、自分がろくなこともやらないで、女房を責めてばかりいるのはきらいです。
@Nichiren-0216
@Nichiren-0216 Месяц назад
7. 御本尊様にお願いするとき、どのようにお願いしたらよいでしょうか。一貫したお願いをした方がよいのでしょうか。 お願いごとはみな変わるものですから、変わっても変わらなくても、御本尊様にお願いするのですから、何でも順にお願いしなさい。一向差し支えありません。ただ、人を恨んだり、人を殺そうとしたり、そういうことはいけません。ただ、自分勝手なお願いごとは変わろうと変わるまいと、それは一向差し支えありません。いくら変わってもいいのです。人を恨んではいけません。それから人を憎んではなりません。それから、人を殺そうとしたらなりません。それ以外ならば、一向差し支えありませんから、何べんでも変えてやりなさい。
@user-zn7zn3dr9m
@user-zn7zn3dr9m 27 дней назад
連さんありがとうございます 信人 頑張ります
@user-tl5gd5tp2t
@user-tl5gd5tp2t Месяц назад
ありがとうございます🙏🙇☺️
@user-tb3dc1us6v
@user-tb3dc1us6v 17 дней назад
初めて戸田先生のお話初めてお聴きしました‼️ 台風の中思わず笑ってしまいました‼️
@森田カウ
@森田カウ 4 дня назад
2:02
Далее
【解説動画】公明党の子育て支援
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