Тёмный

【ゆっくり歴史解説】大和型戦艦の悲劇とは【四番艦・紀伊】 

Japanese World War II ch
Подписаться 9 тыс.
Просмотров 7 тыс.
50% 1

今回は世界最大の戦艦・大和型戦艦についてです。大和型戦艦は大和、武蔵の他に三番艦、四番艦が計画されていました。
このチャンネルでは第二次世界大戦にまつわるエピソードを解説しています。 戦争が身近に感じる今だからこそ「人は極限状態でどんな判断を下すのか?」「何故、人は戦争を起こしてしまうのか?」 「一体、当時、何があったのか? 」を真摯に出来うる限り正確にお伝えし、悲惨な戦争が二度と起こらないことを目的に制作しております。
▼動画内の資料や台本について 映像・画像・資料を引用することがありますが、著作権や肖像権を侵害・冒涜する意図は一切ございません。
VOICEVOX:四国めたん
映像/BGM
・envato elements
・shutterstock
#ゆっくり解説  #ゆっくり歴史 #第二次世界大戦  #戦艦 #戦艦大和  #旗艦  #開戦 #武蔵 #艦隊これくしょん #戦艦武蔵 #魚雷 #沈没 #ゆっくり歴史解説 #大和沈没 #戦艦紀伊 #三番艦 #四番艦 #大和型戦艦 #信濃

Опубликовано:

 

12 сен 2024

Поделиться:

Ссылка:

Скачать:

Готовим ссылку...

Добавить в:

Мой плейлист
Посмотреть позже
Комментарии : 21   
@菅野裕之
@菅野裕之 4 месяца назад
信濃を呉へ移動させる時、その航路で揉めたそうです。もはや制空権も制海権も無い、沖合いに出た方が早く着けるが潜水艦の攻撃を受ける可能性が高い。時間はかかるが沿岸沿いに進んだ方が潜水艦の攻撃を受けにくい…(岸に近ければ、潜水艦も座礁する可能性が高いので接近し難い)しかし、沖合いに出る航路を選び撃沈されてしまいました。
@不動明-s1l
@不動明-s1l 4 месяца назад
阿部艦長のゴリ押しですからね。 護衛する歴代駆逐艦艦長は反対したけど。 結局は武蔵の最後の艦長と同じ運命に。
@user-rh7nb5dq4d
@user-rh7nb5dq4d Месяц назад
信濃の艦底色が何色だったかは諸説あるようですね。 緑だったと証言する人もいれば赤だったという人も居て謎らしい。
@user-ep1il9jn6g
@user-ep1il9jn6g 4 месяца назад
めちゃくちゃ面白かったです‼ ありがとうございます😊 皆様のコメントも読んでいて楽しいです。 早く次回が見たくてしょうがないです😍 楽しみに待ってます💖
@和田逸幸
@和田逸幸 4 месяца назад
信濃は桜花(爆装前)を多数輸送していたので沈没の時に乗組員は浮いている桜花に摑まって助けを待った
@user-ts1kp3tb5o
@user-ts1kp3tb5o 4 месяца назад
せめて米国に禁輸措置をされた1941年の(多分)6月辺りで信濃の空母改装が始まってれば、マリアナは分からないがレイテは間に合ったのでは? あれだけ船体が大きいから初級パイロットでも離着陸出来ただろうし、例の紫電三十一型改も十数機くらい➕多数の零戦を搭載して防空空母として活躍したかも。 それに、建造が史実より進んで無い段階で改造すれば、その分だけ搭載機の数を増やせたかもしれないし😊
@user-rh7nb5dq4d
@user-rh7nb5dq4d Месяц назад
どっちにしろ熟練パイロットが足りないし航空機の性能、電探等の技術力の差があるので耐久度の高い的にしかならないでしょうね。
@user-jb2gf4ux1i
@user-jb2gf4ux1i 4 месяца назад
4番艦の資材を使って、空母化されたのがドイツの客船シャルンホルストで、輸送空母・神鷹となりました。
@tomoyukiikeda4984
@tomoyukiikeda4984 4 месяца назад
伊勢型二隻の航空戦艦への改装資材にもなったんでしたっけ??
@中村健一-o6v
@中村健一-o6v 3 месяца назад
三番艦の信濃は作らなくてよかったと思います。大和、武蔵よりかなり遅れて作られたし途中で空母に作り変えられたり完成してすぐに沈んだり何の意味も役にも立たなかった。それより信濃の材料を戦闘機に変えた方が良かったと思います。或いは信濃をそのまま戦艦として作って大和を中心とした最強の連合艦隊を作って欲しかったですね。四番艦は予算や材料の事で現実的には無理だったと思いますね。もし材料が有るんだったら信濃と四番艦の材料を戦闘機の材料にした方が時代的にも現実的にも良かったと思いますね。ただでさえ戦闘機の数が少ない日本なのでそっちの方に回した方が良かったと思います。気持ち的には戦艦信濃も見たかった気もしますが現実的には飛行機の材料にした方が戦略的に良かったと思います。信濃が完成した年が終戦の年なので作るのが遅すぎたと思いますね。武蔵が完成してその半年後に完成させて昭和18年から大和、武蔵、信濃の三隻を中心とした連合艦隊が大活躍して欲しかったですね。
@user-rh7nb5dq4d
@user-rh7nb5dq4d Месяц назад
軍艦と航空機じゃ全く材料が違うので無理です。
@hide-wq3oz
@hide-wq3oz 4 месяца назад
基本的に軍艦は2隻単位で運用される。 同型艦でないと運用実績を反映出来ないから。 ゆえに大和型が4隻建造される計画だったのは戦時でもあり不思議ではない。 それに続く超大和型が4隻計画されたのは八八艦隊計画があったからだ。 大東亜戦争開戦により海戦の様相が様変わりして戦艦は無用の長物と化したわけだが、戦争が無ければ4隻の大和型と4隻の超大和型が揃い踏みしたかも知れない。 尤もそんな建造計画を継続すれば日本は財政破綻に追い込まれて戦争どころの話では無くなっていただろうけどw あと余談だけど八八艦隊計画に呼応して人材育成計画は早くから始まっていたが、結果的に長期戦を戦い抜く原動力となった。
@person7215
@person7215 4 месяца назад
四番艦の二重底は解体しないままその上で他の艦艇を建造していた。
@siroutodaiku
@siroutodaiku 4 месяца назад
大和型戦艦の4番館は「紀伊」ではないね。 帝国海軍の命名はかなり規則性が有り、戦艦は旧国名で、同型艦には関連性を持たせる慣習があった。 大和型は旧首都の「大和」と現首都の「武蔵」長門型は本州の西端の「長門」と北端の「陸奥」 伊勢型は神話繋がりで伊勢神宮のある「伊勢」と天孫降臨の地である「日向」となる。 では大和型3番艦の「信濃」のペアになる国名は何か?少なくとも「信濃」と「紀伊」には関連性は見いだせない。 個人的には「甲信」とセットで呼ばれることが多いので「甲斐」かなと思っている。 改大和型なら御三家繋がりで「紀伊」と「尾張」が有るかなと思います。
@tmotchy93
@tmotchy93 4 месяца назад
加賀と土佐の関係は?さらに八八艦隊の計画では加賀型の次が紀伊型だったので、もう規則性無いですよね。一度命名されて建造される計画が軍縮で白紙になったため世には出なかったが、再度命名は有ったのでは?
@siroutodaiku
@siroutodaiku 4 месяца назад
@@tmotchy93 たぶんこんな反論をする人がいると思っていた。 命名規則の整合性が取られるようになったのは昭和になってからで、それ以前はほとんど規則性がない。 同型艦のペア運用というセオリーが定着した以降の話。1艦ごとに格段に性能が進歩したドレットノート時代の艦に当てはまるものではないですね。 金剛級以前のように外国に発注したり、材料をノックダウンで建造していた大正時代は混沌としていますね。
@tmotchy93
@tmotchy93 4 месяца назад
@@siroutodaiku たしかに、扶桑、山城と来るとそう思いたくなりますよね。日向、伊勢(神が降りた地と天照大御神の祭られてる地出す)、とくるとそう思いたくなるけど、武の地と言えば、上総、上野、この辺がくるのに、上下禁止、前後禁止 で選ばれず。かずさとか、信長さまも名乗ってた(上総介)平氏の棟梁のような名なので、良いんじゃないの?って思います。
@不動明-s1l
@不動明-s1l 4 месяца назад
尾張、紀伊は設計でおしまい。山本五十六が設計者に失業するよって言ったらしい。 尾張、紀伊は10万トンクラス。20インチ砲塔予定だった
@user-ze1zf8lj4w
@user-ze1zf8lj4w 4 месяца назад
阿保な海軍の象徴
Далее
Recreating All 25 Japanese Aircraft Carriers
31:17
Просмотров 1,4 млн
A Complete Recreation of 18 Japanese Heavy Cruisers
18:14
Re-creating All 12 Japanese Battleships
14:52
Просмотров 4,1 млн