Тёмный

【ゆっくり解説】 秦王朝と殉死 秦にこびりついた忌まわしき因習 【秦 春秋戦国】 

鳥人間 中国史三昧
Подписаться 119 тыс.
Просмотров 42 тыс.
50% 1

秦とかかわりの深い殉死文化について語ります。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
関連動画
始皇帝は滅ぼした六国の王をどのように処分したのか
• 【ゆっくり解説】 始皇帝は滅ぼした六国の王を...
秦王朝の恐るべき伝染病対策
• 【ゆっくり解説】 秦王朝の恐るべき伝染病対策...
胡亥 秦王朝を滅亡に導いたラストエンペラー
• 【ゆっくり解説】 胡亥 秦王朝を滅亡に導いた...
秦王朝を滅ぼしたとされる趙高は本当に悪逆の宦官だったのか
• 【ゆっくり解説】 趙高 大秦帝国を滅ぼした宦...
李信ら始皇帝とともに天下を統一した秦の将軍たちをまとめて解説
• 【ゆっくり解説】 李信 始皇帝に愛された勇将...
咸陽 中華最初の帝都 始皇帝の都
• 【ゆっくり解説】 咸陽 中華最初の帝都 始皇...
始皇帝の曽祖父 昭襄王 六国を震撼させた大王(前)
• 【ゆっくり解説】 昭襄王 六国を震撼させた悪...
始皇帝の曽祖父 昭襄王 六国を震撼させた大王(後)
• 【ゆっくり解説】 昭襄王 中華蹂躙 秦の恐る...
中国の歴史上でも最高峰の名将 秦の白起
• 【ゆっくり解説】 白起 戦えば必ず勝つ秦最強...
項羽①覇王項羽が反秦諸侯軍の盟主となるまで
• 【ゆっくり解説】 項羽 秦王朝討滅の英傑 〈...
英布と彭越 楚漢戦争を戦い抜いた群雄の非業の死
• 【ゆっくり解説】 英布 彭越 楚漢戦争を戦い...
肉刑の中国史 人体を損壊する世にも恐ろしい刑罰たち
• 【黥面 割鼻 刖足】 肉刑の中国史 人体を損...
張良 劉邦に天下を取らせた天才軍師
• 【ゆっくり解説】 張良 劉邦に天下を取らせた...
最近の動画
吐蕃 唐王朝を脅かした古代チベットの軍事大国
• 【ゆっくり解説】 吐蕃 唐王朝を脅かした古代...
秦良玉 傾く明朝を支えた誠忠無比の巾幗の武将
• 【ゆっくり解説】 秦良玉 傾く明朝を支えた誠...
朱元璋最後の大粛清で抹殺された明の大将軍 藍玉
• 【ゆっくり解説】 なぜ粛清されたのか 朱元璋...
鍾離の戦い 南北朝時代最大の会戦 名将猛将大集結
• 【ゆっくり解説】 鍾離の戦い 南北朝時代最大...
突厥[前編] 大遊牧帝国を築いた鉄の民
• 【ゆっくり解説】 突厥 大遊牧帝国を築いた鉄...
突厥[後編] 草原の帝国の繰り返す興亡
• 【ゆっくり解説】 突厥 草原の帝国の繰り返す...
中国史上最大級の敗戦 淝水の戦い
• 【ゆっくり解説】 中国史上最大級の敗戦 淝水...
開発と破壊の古代中国環境史
• 【ゆっくり解説】 開発と破壊の古代中国環境史...
秦王朝の恐るべき伝染病対策
• 【ゆっくり解説】 秦王朝の恐るべき伝染病対策...
渤海の勃興 海東の盛国の誕生
• 【ゆっくり解説】 渤海の勃興 海東の盛国の誕...
渤海の滅亡 古代日本の友好国の崩壊
• 【ゆっくり解説】 渤海の滅亡 古代日本の友好...
なぜ洪秀全への毀誉褒貶が激し過ぎるのか 反逆者から民族英雄まで
• 【ゆっくり解説】 なぜ洪秀全への毀誉褒貶が激...
永楽帝の大粛清 大帝の陰惨極まりない戦後処理
• 【ゆっくり解説】 永楽帝の大粛清 大帝の陰惨...
通信と郵便の中国史
• 【ゆっくり解説】 通信と郵便の中国史  情報...
「よそ者」「東洋のユダヤ人」「漢族の精鋭」などと呼ばれた集団、客家について語ります
• 【ゆっくり解説】 客家とは何者か 彼らはどこ...
200年にわたって栄えた契丹の王朝「遼」の滅亡について
• 【ゆっくり解説】 遼の滅亡 東方ユーラシアの...
契丹の王朝「遼」の全盛期について
• 【ゆっくり解説】 遼王朝の黄金期 大契丹の繁...
石勒十八騎 奴隷から成り上がった英雄を支えた18人の戦士たち
• 【ゆっくり解説】 石勒十八騎 奴隷から成り上...
漢字はいつ、どこで生まれたのか 漢字前史
• 【ゆっくり解説】 漢字はいつ、どこで生まれた...
日本国王ら、明王朝の転覆を謀る 林賢事件と明初の日明関係
• 【ゆっくり解説】 日本国王ら、明王朝の転覆を...
王朝を崩壊に導いた佞臣 朱异
• 【ゆっくり解説】 王朝を崩壊に導いた佞臣 朱...
中華VS夷狄 華夷思想・中華思想とは何か
• 【ゆっくり解説】 中華VS夷狄 華夷思想・中...
開封 黄河の流れに沈んだ 人口百万の大経済都市
• 【ゆっくり解説】 開封 黄河の流れに沈んだ ...
鉄の中国古代史 時代を変えたテクノロジーの誕生と発展
• 【ゆっくり解説】 鉄の中国古代史 時代を変え...
纏足の滅亡 千年にわたる奇習の終焉
• 【ゆっくり解説】 纏足の滅亡 千年にわたる奇...
纏足 奇習は何故、栄えたのか
• 【ゆっくり解説】 纏足 奇習は何故、栄えたの...
山海経 古代中国 奇奇怪怪の神話世界
• 【ゆっくり解説】 山海経 古代中国 奇奇怪怪...
まさに怪力乱神の書、怪異と神話に溢れた『捜神記』について
• 【ゆっくり解説】 捜神記 怪異譚の中に潜む神...

Опубликовано:

 

28 июн 2024

Поделиться:

Ссылка:

Скачать:

Готовим ссылку...

Добавить в:

Мой плейлист
Посмотреть позже
Комментарии : 140   
@MrNozza1919
@MrNozza1919 Месяц назад
たしかに王が世を去ったとき「長男と三男は父に殉じました あと大臣も何人か」という感じに発表すると次男が即位するとき政敵がなぜか誰もいないとかあり得るね、なんて合理的な制度なんだぁ
@user-jd8kf1yc9z
@user-jd8kf1yc9z Месяц назад
「殉死させてあげよう。光栄だろ」ということか
@cowcow47238
@cowcow47238 Месяц назад
衰退してて草
@EBIFRY20hey
@EBIFRY20hey Месяц назад
殉タヒは主人を無くした周辺の人間を引き取って面倒見れないから56してしまう、なんて言うのも何かで読んだが さて何だったか....
@pontarou01
@pontarou01 24 дня назад
@@MrNozza1919 ダビデ王も死ぬ時に重臣達を粛清した。
@ka00014
@ka00014 Месяц назад
日本では江戸期に保科正之が殉死を禁じてたね、武士は主君ではなく主家に仕えるべしとして。 将軍が死ぬ度有能な臣下が殉死してたら、組織がガタガタになると懸念したんだろうね。
@narutoshiokamura9002
@narutoshiokamura9002 Месяц назад
つくづく過ぎた“弟”でしたよね。
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l Месяц назад
禁止しても主君への忠を尽くす名臣として近代でも殉死の風習が絶えなかった…
@ANHana-gh5lb
@ANHana-gh5lb Месяц назад
家光の遺志でもあったかと😅。家光は何度も何度も殉死止めようとしてますからね。 元々、戦国時代に合戦で討◎した君主へ供腹、追腹で切腹する家臣がいるにはいたが、病死の君主への殉◎は家光政権下の一部の武家(特に伊達家)界隈で流行って一瞬で流行は終わった(1665年に武家諸法度で『不義無益』として御法度に。  伊達政宗と仲良かった家光本人は、伊達政宗が亡くなると速攻で仙台藩の江戸藩邸に使者を送り、殉◎はしないように命じるも、仙台藩側の強い希望で許可する事に…。結果20人殉◎(うち5人は又殉◎)。二代藩主の時は16人。三代藩主の時は既に武家諸法度で禁止されてたから、14人出家。 真田信之は万治元年(1568)に93歳で病没。この時の将軍・家光は伊達政宗の時がそうであったように、殉死を禁じようとしていました。その風潮に対して、鈴木忠重は信之と生前の約定があるからと書簡で幕府へと許可を願い出ます。幕府からの許可が下りた後、忠重は殉死。 慶安4年(1651)4月20日に家光本人が死去した時は堀田正盛、阿部重次、内田正信、三枝守恵とその家臣らが殉◎。元から賛否両論で、堀田正盛等の殉死を契機に、殉死は「不義無益」であるとして正式に禁止。 3年後の1668年宇都宮藩主の奥平昌能の死去に際して殉死者が出ると、家禄を削った上で転封という厳しい処分がなされます。これ以降、殉死は影を潜めることとに😅。 史料編纂所教授の山本博文氏の研究によると、殉死者に共通する特徴としては、武家社会における忠義から発生したという見方から、主君との男色関係、わずかな恩寵を受けた下級武士が主君との一体感を得るために殉死するケースなどが挙げられるとされます。 山本氏は「殉死は忠義の心から出るのではなく、体制化しつつあった社会制度や上下秩序を、自らの死によって打ち破る行動であった」と位置付けています。 下級武士にとって、藩というものは明確な階層秩序の中で出来あがった組織であり、殉死によって、階層を飛び越えて日常は遠い存在である主君と直接つながることのできる手段であったといえた。 これは、戦国の遺風でもあった「かぶき者」的な武士像にもつながり、主君への忠義というよりも、自己主張を根底に持った、衝動的な行動として殉◎があると見られています。
@ANHana-gh5lb
@ANHana-gh5lb Месяц назад
家光の遺志でもあったかと😅。家光は何度も何度も殉◎止めようとしてますからね。 元々、戦国時代に合戦で討◎した君主へ供腹、追腹で切腹する家臣がいるにはいたが、病◎の君主へは、家光政権下の一部の武家(特に伊達家など)界隈というか戦国時代とか、若い頃にカブキモノカルチャーの薫陶受けて育っちゃってる層や世代で一瞬流行って一瞬で流行は終わった(1665年に武家諸法度で『不義無益』として御法度になった)。  家光本人は、伊達政宗が◎ぬと速攻で仙台藩の江戸藩邸に使者を送り、殉◎はしないように命じるも、仙台藩側の強い希望で許可する事に…。結果20人殉◎(うち5人は又殉◎)。二代藩主の時は16人。三代藩主の時は既に武家諸法度で禁止されてたから、14人出家。  (因みに細川忠利の時(1641年)は19人)。 真田信之は万治元年(1658)に93歳で病没。この時の将軍も伊達政宗の時がそうであったように、禁じようとしていました。その風潮に対して、鈴木忠重は信之と生前の約定があるからと書簡で幕府へと許可を願い出ます。幕府からの許可が下りた後、忠重は殉◎。 慶安4年(1651)4月20日に家光本人が◎去した時は堀田正盛、阿部重次、内田正信、三枝守恵とその家臣らが殉◎。元から賛否両論で、堀田正盛等の殉◎を契機に、殉死は「不義無益」であるとして正式に禁止。 禁止から3年後の宇都宮藩主の奥平昌能の死去に際して殉◎者が出ると、家禄を削った上で転封という厳しい処分がなされます。これ以降、影を潜めることとに😅。 史料編纂所教授の山本博文氏の研究によると、殉◎者に共通する特徴としては、武家社会における忠義から発生したという見方から、主君との男色関係、わずかな恩寵を受けた下級武士が主君との一体感を得るために殉◎するケースなどが挙げられるとされます。 山本氏は「殉◎は忠義の心から出るのではなく、体制化しつつあった社会制度や上下秩序を、自らの◎によって打ち破る行動であった」と位置付けています。 下級武士にとって、藩というものは明確な階層秩序の中で出来あがった組織であり、殉◎によって、階層を飛び越えて日常は遠い存在である主君と直接つながることのできる手段であったといえた。 これは、戦国の遺風でもあった「かぶき者」的な武士像にもつながり、主君への忠義というよりも、自己主張を根底に持った、衝動的な行動として殉◎があると見られています。
@ANHana-gh5lb
@ANHana-gh5lb Месяц назад
@@user-ii3xb1lc1l 武家諸法度で1665年に禁止され、その後は主君の家が厳罰に処される事になったので、少なくとも江戸時代では、速攻でやらなくなりましたけどね😅。 武家諸法度で1665年に殉◎は御法度となった。禁止から3年後の宇都宮藩主の奥平昌能(家康の玄孫/人徳無さ過ぎて、彼の横暴かつ不公平な仕置きに、生前に彼を見限って離れた家臣が40人以上いた)の死去に際して殉◎者が出ると(しかも家臣側は武家諸法度での禁止を認識してたけど、それでも人徳なさすぎの君主側が生前に命じており実際は強要)、家禄を大幅に削った上で、宇都宮(関東)から寒く貧しい出羽国山形(東北)の転封という厳しい処分がなされます。これ以降、江戸時代では影を潜めることとになりました😅。 嫌だな。君主側からの強要😅。
@Taka18782
@Taka18782 Месяц назад
もしもこの世がファンタジー世界で死後の世界が実在するなら、誰だって殉死に対する見方が変わると思う。当時の人々の価値観がまさにそれだったんだろう。
@shou-sho
@shou-sho Месяц назад
結局殉死って死生観の問題だから、今生より死後の世界の方が素晴らしいと考えてしまう時代・地域だと自然に出てくる発想なんよね 名君が亡くなったときに大量の殉死が出るのも、これからは「向こう」の方がマシだと考えたということ
@user-sd3hm8lj5f
@user-sd3hm8lj5f Месяц назад
一見美学的だが穆公の場合は富国強兵を図っていた秦国のブレーンたちが揃っていなくなりせっかくの国づくりが元の木阿弥になってしまう。横山光輝の史記にも同じようなことを描いてあったし…。殉死は国家枢要の地位に就いている者は禁止にした方が国家的損失を防げる。
@Dangomochi1
@Dangomochi1 Месяц назад
いやいや前提がおかしいだろお前
@midorikokko2076
@midorikokko2076 Месяц назад
以前中国ドラマ「ミーユエ」で子供たちが詩経の黄鳥をうたっているシーンがあり、興味が湧いてどんな詩か調べてみたらヒエーッとなったことがあります。ミーユエ自身も一度威后に殉死を命じられていました。 あと黄鳥は日本にいるウグイスではなくコウライウグイスを指すらしいですね。基本日本には生息していない鳥なので、いつか見てみたいなぁと思っています。
@user-qo8bp1hh9v
@user-qo8bp1hh9v Месяц назад
後継君主を補佐する次世代の人材がちゃんと揃っていて、先代の重臣たちがいつまでも幅を利かせているとやりづらい状態なら、殉死にかこつけて老臣をまとめてバッサリするのもアリかもしれんが、穆公の後追いはやりすぎなんよ。
@user-uk3kb6bw7l
@user-uk3kb6bw7l Месяц назад
日本の古墳の埴輪が作られ始めた理由が「殉葬を止めさせるため」だったという。秦の遺民の子孫が渡来人として日本までやってきていたというから、中国での殉葬の弊害の逸話も伝わっていたんだろうね。
@user-rc3sg4xj9z
@user-rc3sg4xj9z Месяц назад
昭和帝崩御時の殉死を覚えている方が多いようですが、高官(少なくとも一度は謁見なり、直答は許されずとも勅語を直接聞いた立場)経験者がいなかった(最高位は尉官)時点で殉死には違いないのでしょうが、どちらかというとアイドルが亡くなった時のファンによる後追い自殺に近い気がします。明治帝の時の乃木夫妻とはなにかが違うように個人的には感じます。 そして大正天皇崩御時にも殉死者はいたのに、そちらは何故か影が薄いという・・・(男爵家跡取、近衛隊経験者佐官、位階持ちという高官なのに)
@まんまるあやちゃん
@まんまるあやちゃん Месяц назад
大正天皇崩御時の件に付いては、大正天皇御本人の政治的歴史的評価が関わっていると思いますな。 大正天皇はご自身すら明治以降歴代天皇で最も印象が薄いと思われますし。 いずれその辺の歴史の評価が変わると、この殉死の評価も変わるのではないかと思います。
@hideshitaniyama8432
@hideshitaniyama8432 Месяц назад
日本の武士の殉死は、豊臣秀次(諸説あり)から徳川家綱まで(禁止はさらにその前)だから、実はかなり短い。
@user-yz1yg7yh8g
@user-yz1yg7yh8g Месяц назад
漢やん…俺もやろ!ぐらいのノリ
@user-br1lo8lh8g
@user-br1lo8lh8g 28 дней назад
伊達輝宗の死後遠藤基信・須田伯耆・内田某なんか殉死してる 日本の戦国時代では君臣関係も流動的で殉死も一般的ではないのが確かだが江戸期は殉死→「加増あるかも」がある また徳のある君主は死ぬと殉死するものが出るもも事実 殉死は「制度的・宗教、慣習的な殉死」「自発的な殉死」と大別できるのではと思う
@hideshitaniyama8432
@hideshitaniyama8432 27 дней назад
@@user-br1lo8lh8g 山本博文「殉死の構造」によると、まず、「子孫の栄達のため」に殉死した例はほぼないそうです。 そして、下級武士が一方的に殉死した例が意外なほど多い。戦場がなくなった「あぶれ者のパフォーマンス」的な側面が強かった、と。 このような狂的な側面を嫌い、家綱は殉死は「不忠」であると言明し、殉死者の遺族を厳しく罰しました。このようにして、殉死は途絶えることになりました。
@user-cu5qq5cv4m
@user-cu5qq5cv4m 25 дней назад
丹下盛賢…は主君と同時期に亡くなっただけで殉死とは限らないのか
@user-ti3hm5yz8s
@user-ti3hm5yz8s Месяц назад
一応重臣などを殉死させることで後継の息子の権力を脅かされる可能性を減らすことはできるから王家としてのメリットはあるっちゃある。 結果として後世無能な風習とされるのは残当。
@user-gp4uy4ng7l
@user-gp4uy4ng7l Месяц назад
手塚治虫の火の鳥で殉死反対を謳って埴輪が作られた、と言うエピソードがあった覚えがあります。
@golpie
@golpie Месяц назад
面白かったです、ありがとうございました
@c-history
@c-history 25 дней назад
ご支援感謝感激ッ!! ありがたきことこの上ありません!!
@juchi0617
@juchi0617 Месяц назад
松岡美術館で唐代の馬やラクダの俑がたくさん展示されているところを見ると、唐代には動物の殉死はなくっていたようです。
@user-ie9jn5cr8s
@user-ie9jn5cr8s Месяц назад
徳川家綱「ちょうど禁止しようと思ってたので助かる」
@mgnt16
@mgnt16 Месяц назад
便乗会はいくらあってもよいとされる 基礎知識をある程度共有している前提で話が進められるので、そのぶん深い話までしてもらえるからね!
@user-wb4gn6ys7x
@user-wb4gn6ys7x Месяц назад
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 25 дней назад
いつもご支援いただき、本当にもう感謝の念に堪えませぬ……! 大変励みになりまくりでございます……!!
@user-hs1td5ul4v
@user-hs1td5ul4v Месяц назад
ミーユエで政敵をいかに殉死させるかみたいな殉死合戦みたいになってたもんなぁ
@user-cj6ts3pq3u
@user-cj6ts3pq3u Месяц назад
ありがとうございます! 穆公 何気に捕虜にした恵公を「生贄、な」とかいう鬼畜ムーブをしていたり(普は腐っても大国、姫姓は名族な訳で 気になるのは 蛮国とされる秦国が商の文化を誰よりも引き継いでいる(?)という事実 私は 秦国の起源を東方由来説を推しています!
@c-history
@c-history 25 дней назад
ご支援いただきまことにありがとうございます〜!! 東方由来説、まこと興味深いですねェ
@MrDeha6450
@MrDeha6450 Месяц назад
秦の闇・殉死。日本でも夏目漱石の「こころ」が明治時代に著されるなど、全く影響を受けていないことがうかがわれます。始皇帝でさえ兵馬俑を作って代替とした(だがそれでも儒者にはぶったたかれた)のにこれを復活させた胡亥の代であっさり滅んでしまうのもむべなるかなです。
@MrDeha6450
@MrDeha6450 Месяц назад
訂正します。×「全く影響を受けていない」→〇「全く影響を受けていないわけではない」。お恥ずかしいところをお見せしました。
@mukutinausagi
@mukutinausagi Месяц назад
人材喪失ということを考えると、殉死は廃止していかないといけない風習ですね
@user-nb4vy2xt5r
@user-nb4vy2xt5r Месяц назад
穆公程の君主なら殉死したくなるのもわかるが、漢の文帝の際に大熊猫が「殉死」したのはあかんでしょ!パンダ座りをしながら呑気に笹を食べていた所急に殺害された熊猫の気持ちを考えると落涙せずにはいられない。丘ちゃんの意見には賛成するぜ!
@user-kr7nm3gh2l
@user-kr7nm3gh2l Месяц назад
Thanks!
@c-history
@c-history 25 дней назад
いつもご支援いただき!感謝!感謝!雨霰!! ありがたや……ありがたや……!
@a378685085
@a378685085 Месяц назад
不穏なBGMに対して😆みたいな表情で動画紹介する流れすき それにしても結局のところ永くこの風習が残ってしまうのが…
@FREEDOM-vv3wu
@FREEDOM-vv3wu Месяц назад
贅沢とすら言える殉葬を頑なに続けた秦…
@user-ii3xb1lc1l
@user-ii3xb1lc1l Месяц назад
何故か胴体しか無い人骨がザクザク出たり 1箇所に頭がいっぱい出土する泰の陵墓 建設に携わった人間を無理矢理殉葬した始皇帝陵とかどうなっているんだろうね…
@GUMi-mq8bz
@GUMi-mq8bz 22 дня назад
@@user-ii3xb1lc1l そこらへんは漢の時代に歴史書作らせたからなぁ。 ホントかどうかも怪しいぞ。漢も実態は革命(反乱)の末の政府で失敗してればテロリストだからな。
@user-iy6sh7wh1w
@user-iy6sh7wh1w Месяц назад
明代にまで記録に残ってるからなあ。怖すぎる
@user-oi5dt9tt8d
@user-oi5dt9tt8d Месяц назад
殉死は主君個人に対しては「孝」であったとしても、同時に国家には仕えないということであり、国家への「忠」はなかったと見るのは見当違いだろうか。もっともそれ以前に優秀な人材を失うという点で非合理的であり、殉死は廃れる運命にあっただろう。
@fuzukimaru2
@fuzukimaru2 Месяц назад
西周より前に帝辛(紂王)が殉葬を廃止したんじゃなかったっけ?
@pokipokipon
@pokipokipon Месяц назад
明治天皇が御隠れになったあとの乃木大将の殉タヒは有名ですよね。
@natsukiy.7195
@natsukiy.7195 28 дней назад
息子二人は旅順で討ち死に、夫妻ともに殉死って乃木一家は忠義のために生まれてきた一族だね😢
@MON_MOSO_MON
@MON_MOSO_MON 27 дней назад
​@@natsukiy.7195😅
@user-sr8mt5qj6s
@user-sr8mt5qj6s Месяц назад
居酒屋やってんだけど孔子の20何代目の子孫が名刺くれて飲んでいったわ
@user-mh8bf7md5i
@user-mh8bf7md5i Месяц назад
猛悪無道の謀将「『一日一力一心』と刻んだ石を埋める。これで大丈夫でしょ。」
@user-sl8fs5fp1k
@user-sl8fs5fp1k Месяц назад
0:33 荀子「…………」(読みは同じ)
@butsuyokumaster1721
@butsuyokumaster1721 29 дней назад
この内容が限定動画ではないのがさすが。
@user-ie9jn5cr8s
@user-ie9jn5cr8s Месяц назад
次は「憤死」でいってみよう
@user-sd7wl4zg4z
@user-sd7wl4zg4z Месяц назад
殉死の代わりに俑を埋葬するのでさえ儒家はめっちゃ非難したが、地味に漢代になっても俑の埋葬はあったりする。ただし、手のひらサイズの人形に小さくなったが。
@MUSASI40
@MUSASI40 Месяц назад
儒者達が秦を虎狼の国と評したのは殉死の習慣にも一因があったのか
@seattleslew2332
@seattleslew2332 Месяц назад
穆公が野人に酒を振る舞うエピソードは「東周英雄伝」を思い出しました 霊夢が言うなら殉死はやめようと思います
@GUMi-mq8bz
@GUMi-mq8bz Месяц назад
待ってました!殉死文化はどこに資料が埋葬されていたのか。どこから発掘したのかは謎ですが。
@user-kn4pq8ib2c
@user-kn4pq8ib2c Месяц назад
殉死をしたら先代の知恵袋や、功臣が失う事になるよね。跡継ぎは好きな家臣を作れるけど、国会的に損失では?
@user-py6ck9np5k
@user-py6ck9np5k 29 дней назад
ご記載のとおりと私も思います。 殉死もそうですし、先の大戦の桜花や回天などによる特攻作戦も、技術や経験が全く受け継がれない方策なんですよね。 実際に殉死や特攻した人ではなく、それを容認したり命じたりした人にとっては、その当時なりの何らかの理屈や正義があったんだろうか? と思いますし、また、今後もいつの日か似たようなことが起こってしまうんだろうな😔と思います。
@user-ol5kw5nz5x
@user-ol5kw5nz5x Месяц назад
春秋戦国時代の動画がでたところで ひとつリクエストです このチャンネルの動画をひと通り見ましたが 春秋晋目線の動画が文公と城濮戦くらいで やや少ないように感じます 晋の有名人や有名事件を もしできれば晋の封建から分裂までの通史をやっていただけると とてもうれしいです 余裕のある時にでもお願いします
@t-direct7
@t-direct7 Месяц назад
ネウス鳥ア人間は久しぶりにツボw
@fei3533
@fei3533 Месяц назад
名君が去った後に衰退する国家…(察し)
@user-dw6qm2oh4p
@user-dw6qm2oh4p Месяц назад
史書の字だけで「殉死」「殉葬」と書かれても、そうかあ、で終わるけど、婦好墓でずらりと囲むように並べられた遺骨や、明らかに首があり得ない位置に揃えられた骨たちの写真を見ると、生理的に嫌悪感が沸いてくるわあ……
@ntatanohu1214
@ntatanohu1214 12 дней назад
今度は、憤死列伝をお願い!
@user-lr3io3yq2x
@user-lr3io3yq2x Месяц назад
キングダムの山の民が穆公の馬を食べたって話は実話が元になってるのか。
@user-yg5yv4zw2l
@user-yg5yv4zw2l Месяц назад
昭和天皇の時も殉死やった人いたよな
@user-rz1um8cd3p
@user-rz1um8cd3p Месяц назад
敗戦の時に死にたくても死ねなかった軍人もおりましたので
@user-np2qk4mu1p
@user-np2qk4mu1p Месяц назад
殉死する側の動機ってどうだったんでしょう⁉️ 子孫の地位を約束または個人の忠義や名誉のためなのかなぁ。
@esp934
@esp934 Месяц назад
兵馬俑って劉邦もやってるよね? 日本で殉死と聞くと乃木希典と森鴎外著「阿部一族」だな。
@user-ik9xn3dy6w
@user-ik9xn3dy6w Месяц назад
ワ-イ荀子だ荀子大好き! え、殉死・・・ちょっと殉死してきます
@UOTSURI
@UOTSURI Месяц назад
私が没した時は、殉死は不要なるも俑はたくさん埋めて欲しいです。
@user-nh4lr6er5e
@user-nh4lr6er5e Месяц назад
応援(殉死)
@user-ji9yo9bm2q
@user-ji9yo9bm2q Месяц назад
そりゃ派遣社員みたいな当時の百家からしたらせっかく士官しても王が死んだら一緒に殉死なんて絶対御免だろうな
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t Месяц назад
ーコメです
@user-ur7hl5ek6z
@user-ur7hl5ek6z 29 дней назад
日本でも卑弥呼のシにおいて百名の殉シ者が殉葬されたとあり、後に殉シ者の代わりとして相撲の神様こと 野見宿禰が埴輪を考案したとありますね。
@pontarou01
@pontarou01 25 дней назад
穆公が助けた山の民は、ある時穆公が敵に囲まれて絶体絶命になった時に、凄まじい戦闘力で突撃して穆公を救った。
@narutoshiokamura9002
@narutoshiokamura9002 Месяц назад
お疲れ様です、形はちょっと違いますが、「水滸伝」の最後、宋江を追うように死んだ呉用・花栄も殉死になるでしょうし、李逵も実質殺害されたとはいえほぼ殉死でしょうね。つまり殉死ってやはりここらでも美徳とされている風に見えます。金聖嘆せんせはこういう部分も気に入らなかったのかもしれませんね。 本邦の殉死と言えば天下の副将軍水戸光圀の父にして水戸徳川の祖の頼房が殉死禁止を遺言したのが有名だったりしますね。なんだかんだで殉死を名誉に思う風習って古今東西あったのでしょう。
@user-xc2ne5wl8x
@user-xc2ne5wl8x Месяц назад
儒教が殉死に批判的なのは少し不思議ですよね。 親が死んだら子供が悲しんで餓死することを孝行として賛美してるのにね。
@2yan-ko
@2yan-ko 26 дней назад
>親が死んだら子供が悲しんで餓死することを孝行として賛美してるのにね。 身体髪膚、之を父母に受く。敢へて毀傷せざるは、孝の始めなり。(孝経 開宗明義章) 三日にして食するは、民に死を以て生を傷ること無く、毀つも性を滅せざることを教ふ。此れ聖人の政なり。喪、三年に過ぎざるは、民に終り有るを示すなり。(孝経 喪親章) 喜怒哀楽の未だ発せざる、之を中と謂ふ。発して皆節に中る、之を和と謂う。(中庸章句) 君子は中庸し、小人は中庸に反す。(中庸章句)
@user-qz3go1ft3p
@user-qz3go1ft3p Месяц назад
悪習だけど 殷墟のは実に面白いすよね 馬車にイッヌにと
@user-hirotaka0123
@user-hirotaka0123 Месяц назад
森鴎外の阿部一族を読むとより殉死の悲惨さがわかる
@user-fh4wh7gx7s
@user-fh4wh7gx7s Месяц назад
日本の埴輪も殉死を止めるための俑なんだっけ?
@user-cc9ql7fu1c
@user-cc9ql7fu1c Месяц назад
荀子「呼んだ?」
@user-vo2vm4gf8q
@user-vo2vm4gf8q 29 дней назад
野人に酒を振る舞ったのくだり、眠らせて埋めたかと思った
@user-ct1zg6bh8n
@user-ct1zg6bh8n Месяц назад
あの世を信じているなら「慣れ親しんだ主君とどこまでも共に」と考えるのはある意味自然な考えではあるが、身分役職の高い人物が後追いすると穆公みたいな事態になる。為の殉タヒ禁止令なのだが、そのせいで我が国では森鴎外の小説で知られる肥後熊本細川家の阿部一族全滅のような凄惨な事件も起きている。 平成最初期に至っても起きた事件、令和にはどうか起きませんように🙏🏻
@MrMoongekko
@MrMoongekko 29 дней назад
人形を埋めるのさえダメ、という考え方って いわゆる「巫蠱」にも通じる何かがあるのだろうか。
@user-mv5ex7wr7t
@user-mv5ex7wr7t 27 дней назад
劇場版のキングダム最初のだけ観たんだけど、 戦ってる途中にみんな止まって将軍同士の話し合いを静かに聞いてるシーンがシュール過ぎて観る気が無くなってしまった・・・。
@user-em7lw6yw2b
@user-em7lw6yw2b 27 дней назад
殉死と言えば私が崇敬する乃木大将。
@chip1259
@chip1259 Месяц назад
穆公の駄目な部分だよねえ
@heiho_ita
@heiho_ita Месяц назад
キングダム応援会?🤔
@user-tv5eu5bf9b
@user-tv5eu5bf9b 29 дней назад
そうか、蒙恬と李斯は殉死だったんだね(違う)。
@karashi88
@karashi88 Месяц назад
儒家さん途中までまともと思ったら俑を埋めるのまで批判するのは違くないかな。
@user-ti8my2le3j
@user-ti8my2le3j 28 дней назад
殉死はシュメール文明にもあったらしい
@user-ti8my2le3j
@user-ti8my2le3j 23 дня назад
イサクの殉死を止めたのがアブラハム!?
@user-se3rc8fw8m
@user-se3rc8fw8m Месяц назад
メリット 元勲による組織の硬直化の防止 デメリット 有能な人材の喪失と空白化による国力低下
@aaa-zh4wt
@aaa-zh4wt 29 дней назад
殉死はダメだから代わりにお饅頭(マントウ)を2匹埋めよう
@user-sb8jp8km7r
@user-sb8jp8km7r Месяц назад
1:02おっとろしいってまさか鳥人間さんって関西の人なんですか?
@bwjbb475
@bwjbb475 Месяц назад
こんばんは。通なもの出して来ますね。フランク王国が大きかったんでそれぞれの地方を区切ったものですがネウストリアは北西側部分でしたね。 今日は殉死ですかあ。確かに秦は殉死の風習のせいで代が変わるたびに国力落としてきたんでしたね。力を付けて来たのは殉死禁止にした後でしたっけ。 献公よくやった!って儒家はいちいちうるせいなあ。「それあなたの感想ですよねえ」ってwwで、復活?ま・た胡亥かよ。ホント暗君だな。 最後まで思いっきりキングダムに乗っかってるのワロタ
@heiho_ita
@heiho_ita Месяц назад
政敵は消せるよな🤔
@nm9539
@nm9539 Месяц назад
優れた君主だからこそ大勢の優秀な部下が連れ立って死にたがるギャグ、切腹文化の祖先が見えます
@user-py6ck9np5k
@user-py6ck9np5k 29 дней назад
秦がどことなく薄暗さを感じるのは、こういうとこなんですかねー
@user-op8pe4jg2l
@user-op8pe4jg2l 29 дней назад
「孝」って親に子が尽くす事では無いのかな? 儒教では無くとも、子孫残さず家が絶えるなんて、「孝」とは正反対と思うけどな。家守るのが絶対の時代に。 親の死に殉じるなんで「不孝」
@gg-bv5el
@gg-bv5el Месяц назад
この後も蜀滅とかやってるのに、現代で人口爆発してるの怖過ぎるよ😢 人がイナゴの様だ
@Taka18782
@Taka18782 29 дней назад
……と、イナゴの一匹が言っているわけだね。滑稽、滑稽。
@user-em7lw6yw2b
@user-em7lw6yw2b 27 дней назад
日本って明治時代までけっこう軍人や政治家の殉死文化が顕著だったよね。こう言っちゃなんだけど終戦までの日本の古風な言い回しが大好きだ。鎮台とか大都督とか、兵部大輔とかさ。陸軍奉行とか。
@tyourea
@tyourea 21 день назад
ここの風習として鳥人間が崩御したらここの視聴者全員殉死するんやで。
@nix-oh1tv
@nix-oh1tv Месяц назад
殉死と殉葬の文化は東アジアでは本邦が一番長く残った感じですかね。 海軍中将大西瀧次郎が太平洋戦争後に特攻隊の責任をとって殉死(切腹)したのが最後? 殉死に入れていいかはわかりませんが… 次点でメソアメリカ文明が16世紀までやってますね。
@jodasow
@jodasow Месяц назад
日本で殉葬が禁止されたのは大化改新の時であり、中国における殉葬禁止より遅かったですけど、明朝で殉葬が復活してるんですよね(英宗の代に禁止)。 他の方が書いておられるように、殉死は昭和天皇のときもありましたが。 大西瀧治郎の場合は昭和天皇も存命でしたし、死んだ主君の供をする殉死とは逆ですね。
@nix-oh1tv
@nix-oh1tv Месяц назад
@@jodasow 丁寧な返信ありがとうございます。おかげさまで自分の根本的な勘違いに気付けました。恥ずかし。主君、主人の後追いの自殺、もしくは他殺が殉死でした。部下を思って死のうが殉死ではありませんね。
@user-wb3qi2ew6l
@user-wb3qi2ew6l Месяц назад
代替わり毎に家来が、100何十人もあの世にお供していては、そりゃ国も富まないだろうねぇ 戦国期になってやっと「気づいた」のかもな。
@user-ch6kg1xe2u
@user-ch6kg1xe2u Месяц назад
秦って本音と建前履き違えてること多いよね いや秦に限った話でもないか
@huihui1842
@huihui1842 28 дней назад
殉死?? 自分が死んでからて生きてる人に迷惑かけたくないよな😩
@potecabocha
@potecabocha Месяц назад
「朕が馬皇后と妃嬪や宮女たちの殉死者BOXと共に眠っている南京の孝陵は世界遺産だから是非来てくれよな。」(永楽帝〜大明天下の輝き〜に便乗)藤原道長「わしを鳥辺野で火葬後はこの越州窯の青磁水注と共に宇治の木幡に埋めてくれ。」「茶畑から出土して今は国宝だ。」(〜光る君へ〜に便乗)
@user-zg4cz5im2t
@user-zg4cz5im2t 28 дней назад
殉死というのは極端な忠義の形、孟子から見たら「異端」の忠義なのでしょうか。 江戸時代には、保科正之とか徳川光圀とか殉死を止めさせたわけですが、孟子からの批判は、殉死では実際に主君のためにというか、国のために役に立たないわけだから、匹夫の勇ということなのでしょう。 革命思想の孟子の殉死観、さらには忠義観は興味深いですね。
@user-zg4cz5im2t
@user-zg4cz5im2t 28 дней назад
個人的には、くだらない学芸会よりも、此方の方が楽しい。
@user-sh8we3rz2v
@user-sh8we3rz2v Месяц назад
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 24 дня назад
いつもご支援いただき!まことにありがとうございます!! 大変励みになります~!!!
@user-kk5dz7bu3y
@user-kk5dz7bu3y Месяц назад
ありがとうございます!
@c-history
@c-history 24 дня назад
ご厚意、いつも本当に励みになっております~!! 大変感謝しております!!!
Далее
Как вам наш дуэт?❤️
00:37
Просмотров 1,2 млн
Воскресный утренний стрим!
1:00:16
Как вам наш дуэт?❤️
00:37
Просмотров 1,2 млн