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【ゆっくり解説】北伐に関する一考察(蜀漢その後編) 

浸透襲撃
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最終回は諸葛孔明没後の魏延と楊儀の抗争についてです。
俺たちの戦いはこれからだ!!
解説  :パチュリー
曹叡  :橙
魏延  :華扇
趙直  :さとり
楊儀  :はたて
費禕  :影狼
姜維  :妹紅
蔣琬  :わかさぎ姫
司馬懿 :永琳
諸葛亮 :映姫
満寵  :一輪
孫権  :レミリア
陸遜  :布都
魏延  :華扇
郭淮  :ミスティア
公孫淵 :鈴仙
蜀軍兵士:現場猫の皆さん
コメントは承認制です。
■前回
第五次北伐秋風五丈原編
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29 сен 2024

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Комментарии : 225   
@aaa-zh4wt
@aaa-zh4wt 2 года назад
魏延は単純で慎みが足りない嫌われ者だけど、魏延が嫌ってた人物達は陰険非道でもっとひどい奴ばっかりという… そんな事もあって魏延の事は嫌いになれず同情してしまいます やっぱり劉備さんみたいな親分が全体を統率するのは大切ですね
@so8661
@so8661 Год назад
魏延はやはり、一世代昔の「任侠者」だったのでしょう。 同じく任侠者で重用した恩のある劉備には、熱烈な忠誠を示して奉公しますが、時代がよりシステマチックに移ると、枠にはまらないヤクザ者は排除される。 むしろ配下になる前、赤壁以前にこそ、彼の生きる劉備軍があったのでしょう。 三国志前半は、呂布や張飛、趙雲すら個人の力量で戦場を縦横、無双していました。その辺りで輝ける知勇兼備の《武将》であり、 その後は、趙雲や王平の様な、任務に忠実な《軍人》と、立案・指揮を採る者のバランスの時代へと移っていきました。
@MisakiAyana
@MisakiAyana 2 года назад
待ってました!
@バイロゲイザー
@バイロゲイザー 2 года назад
司馬懿が諸葛亮死の直後に攻撃しなかったのは、内部分裂をやりきって欲しかったのではないかと。 袁譚と袁尚を例に取るといいでしょうか。 内部抗争中に攻撃をしても、外敵を相手にするとまとまられてしまう可能性が高い。だから終わってからのやつを倒せば良い。 司馬懿はそう考えたのではないでしょうか? 最終的には諸葛亮とおまけに魏延まで死んでくれた。これだけで満足したのかもしれません
@peppertaro2224
@peppertaro2224 2 года назад
三国志専門チャンネルw 「ではありません」 あっはい。
@佐々木公彦-e5p
@佐々木公彦-e5p 2 года назад
そう言えば宮殿造営って大体死亡フラグなのに劉邦が関与しないまま簫何が大宮殿建ててるよね。 何が違うんだろうか? 勿論計画したのが簫何だからきちんと計画されていたってのはあるのだろうけど。
@golgol4120
@golgol4120 2 года назад
完走お疲れ様です 韓非子に曰く~の件は私にはなかった視点で 考察に大変感心いたしました
@japanquest7781
@japanquest7781 2 года назад
ナイスラン! 高評価押しました! 自分は三国志ビギナーですが、このシリーズで理解が深まりました。 ……まったく関係ないですが、今期のアニメに「パリピ孔明」という作品があり、意外と面白くて驚きました(笑)
@muramasa9582
@muramasa9582 2 года назад
北伐シリーズ完走お疲れさまでした。大長編でしたね…。 正史視点で見ると、本当に色々考える点がありますねぇ。 司馬懿のこの判断は、むしろ「下手に手を出すと逆に纏まる可能性があったから」ではないかと思います。 元々「魏は許さねぇ」で纏まっていた蜀ですから、攻撃を受けたら抵抗する可能性は高かったでしょう。 それに、仮にそのまま蜀軍を壊滅させられたとしても、蜀本国に攻め込むには絶対的に準備が足りていません。それこそ兵站面だけで痛い目を見る行軍になるでしょうから。 司馬懿は実質的な西側の総司令ですから、魏としての実利を取るならこれらの判断は恐ろしいほどに合理的ではないかと。
@わんだ-y9p
@わんだ-y9p 2 года назад
古今東西、諸葛亮が極めて優秀な人物だってことは皆知ってるけど、司馬懿だけが諸葛亮の傑出度を一番クリアな解像度で理解しているのホンマ好きやなあ。某くっそ長いドラマで司馬懿が蜀陣地の諸葛亮像の前で一人泣いてたの好きなシーンだし、この後司馬懿がたいした壁もいないまま権謀術数で(魏国内で)無双していくの見ると虚しさみたいなのもやっぱり感じて好きやなあ
@金魚ちゃん-x1c
@金魚ちゃん-x1c 2 года назад
孔明死後仲達が蜀軍をあえて追撃しなかったとこ 若い頃曹操の幕僚として漢中攻略した後曹操に「この勢いで蜀まで進軍しちゃいましょう!」って提言して曹操にたしなめられた場面と対比になってて好きですね   「誰がため敵屠り、誰がため蜀を得る?」 仲達(名士のぶっちぎりトップ故必ずしも曹家建国の魏に対する忠誠は高くない。しいて言うと親友曹丕とその忘れ形見曹叡に対する人間的情けと義理がこの時の彼の消極的ながらの行動規範になってたのか)はこのまま蜀を得ればあるいは天下をそのまま取りに行く絵を描ける位置にいたのかもしれません(鍾会のように蜀に居座ってやるか、凱旋して魏の朝廷内で政治的影響力を行使するかは別にして) が、歴史上の彼は『(魏の臣に)踏みとどまる』を決断しています   彼の国盗りの決断はもう少し後、遼東公孫淵討伐後、凱旋の余韻に浸る間もなく親友の忘れ形見にして彼が忠義を誓った最後の主曹叡を失った時に始まるのかもしれません
@市古真一-l7y
@市古真一-l7y 5 месяцев назад
内ゲバ期待してたから特に動かなくても良いと判断した。 ↑ 多分コレ
@らすぼす-d5i
@らすぼす-d5i 7 месяцев назад
司馬懿なにやってんだろー?て横山三国志見ながらも思ってたわ
@黒猫の一輝
@黒猫の一輝 2 года назад
個人的には史実での魏延はちょっと気の毒に思います。張飛を差し置いて対魏方面軍総司令官とも云うべき漢中太守を任される程に劉備に評価されながら、その劉備が逝去した後には今まで後方勤務が主でろくに前線に出てこなかった諸葛孔明が軍権を握り、自分の長安強襲案は却下される一方で街亭のような重要な局面では馬謖の様な劉備からの評価が低かった者が用いられた挙げ句、案の定失態をさらし北伐そのものが失敗に終わる。「自分の長安強襲案を採用してくれていたら」「いやせめて街亭に自分を行かせてくれていたら」そう思いながらも亡き先帝の悲願たる漢王朝復興の為にと戦い続けて(たまに楊儀を脅してストレス発散しながら)きた魏延にとって、孔明の死後も北伐の続行を主張したのは絶対者であった諸葛孔明に対する彼なりのささやかな反抗だったのではないでしょうか。彼が楊儀達を追い抜く事が出来たのも実は孔明の体調の悪化から近々の撤退を予測してある程度の準備をしていたからではないのかとも思います。 長文にて失礼いたしました。かの横綱・・じゃない曹真さんもそうですが魏延も演義では活躍の割に扱いの悪い 人物ですのでささやかながら弁護してみました。
@吉猫-v2f
@吉猫-v2f 2 года назад
返信失礼します。 魏延を初めて知ったのは〈天地を喰らう2〉
@吉猫-v2f
@吉猫-v2f 2 года назад
失礼。その後、正史と演義でそれなりに。魏延は不器用で、生粋の軍人で、何より蜀を大切に思っていたからこその人物です。斬った方にも理由が有り、その理由(混乱と式系統)も正しいのが歴史です(*`・ω・)ゞね
@realfordf1865
@realfordf1865 2 года назад
有能な軍人程官僚からはコントロールするのに苦労するから疎まれるものよ。戦に強くて敵陣深くまで攻め込んで戦の畳み方をややこしくする力のある猛将タイプはね。
@haitoku87
@haitoku87 2 года назад
若い頃より傭兵隊長を務めついには群雄から皇帝となり大陸中の酸いも甘いも噛み分けた劉備と、人生の半分までを流浪と勉学に費やし人脈は荊州での友人と仕官後の知り合いくらいしかいない諸葛亮 人使いの上手さを比較するのは酷ってものでしょう
@猫のダヤン
@猫のダヤン 2 года назад
本当に法正を早くに失ったのがでかすぎる。、
@ゆうき-o3d1g
@ゆうき-o3d1g 2 года назад
結果だけで考えると、司馬懿が追撃しなかったから団結せずに内ゲバが進んだようにも思えるよね。 魏からしたら、大きな被害もなく防衛出来て、蜀の主要人物が消えたのだから。 司馬懿がどんな思考を巡らせていたかは分らないけど。 農民からの情報で慌てて出陣って、何か腑に落ちないんだよ。
@らーぬんあわー
@らーぬんあわー 2 года назад
諸葛亮が居なくなった途端に組織としてやってはいけない事をやりまくるのは本当に草。費イはよくお人好しと評価されますが、実際こうしてみると八方美人のチクり魔ですよね正直。 司馬懿が追撃しなかったのは、ナポレオンの『敵の誤りは止めずに助長せよ』にあると思います。魏延も(この段階の)楊義も蜀の忠臣なので、下手に突いて団結させるより、空中分解させる方が良いと判断したのでしょう。実際楊義と魏延は共倒れ、蒋援は器量はあるが大義がなく守りしか出来ない、残った費イは刺客で倒して蜀漢の柱石は消えました。姜維も所詮は一将軍に過ぎず、魏延の二の舞になりました。改めてこの展開を読んでいたであろう司馬懿は政治家な訳です
@hirosat5269
@hirosat5269 2 года назад
刀を下に用いるじゃなくて刀の下に用いるじゃねえかなあ・・・? と言うかこのネタのためにピンク鬼が魏延なん・・・?
@七草葉
@七草葉 2 года назад
魏延の扱いをどうすれば良かったのか。部隊の指揮官としては有能だけれども、政治的な能力はさほど高くなく戦略的な視点はあまりない。それでいて、政治的な判断に逆らい言うこと聞かない感じもある。これはやっぱりもう首にするしかないんじゃない…?上に立つ者がよほど優秀じゃないと使いこなせないのだから。
@くみた-z5m
@くみた-z5m 2 года назад
正史紹介時のドガーンって効果音好きです。
@mssgkjmr2719
@mssgkjmr2719 2 года назад
北伐シリーズ完走お疲れ様でした! 18:13 「韓非子に曰く」って珍しいところから引用するなぁと思ったらwww
@田中太郎-n2h1z
@田中太郎-n2h1z 2 года назад
書かれてもいるけど総合力合計ステータスで見るなら蕭何とほぼ同じレベルなんだと思うわ 要は化物
@鈴木-i5g
@鈴木-i5g 2 года назад
>引継ぎの難しさ 石田三成「だからあそこで馬謖さんが敵を打ち破って武功を立てる必要があったんですよ!そうしないと後継者としてナメられますから!!」
@一羊-m8i
@一羊-m8i 2 года назад
徳川秀忠「だからあそこで三成さんが忍城を落として武功を立てる必要があったんですよ!そうしないと後継者としてナメられますから!!」
@HK-rs2xn
@HK-rs2xn 2 года назад
@@一羊-m8i まぁ貴方は第二次上田合戦が事実上の初陣だったのも「まぁ仕方ないよね」と擁護されるのもラッキーw
@戸田賢司
@戸田賢司 2 года назад
@@HK-rs2xn 家康「秀忠だけでは不安だから、大坂では百戦錬磨の立花を付けといたぞ」。ある意味屈辱。
@星のクズ竜閃
@星のクズ竜閃 8 дней назад
@@一羊-m8i そこで榊原康政が自分の責任にしてかばってくれたのが良かった。井伊直政も本多忠勝も認めてる。
@李膺りようゆっくり歴史解説
このシリーズ見てから曹叡や曹真、張郃に司馬懿が無性に好きになった
@ハタナカ-g2p
@ハタナカ-g2p 2 года назад
相変わらず黄昏メロディのセレクトが絶妙ですね。今、秋空の昼に聴いているので倍増でこみ上げるものが有りますね。
@s.t.160
@s.t.160 2 года назад
司馬懿はおそらくある程度蜀が混乱するだろうから様子見、もう一度攻めてきても孔明亡き蜀は怖くない、という腹のくくり方だったんだろうなーと思います。 ここまでの内ゲバが起こることまでは想定してなかったかもですが。
@話ズ
@話ズ 2 года назад
22:13この時代に地元住民からの情報ってメチャクチャ重要だけどね。現地を味方にできるかどうかで勝敗が分かれたり城が落ちたりなんて腐るほどあるし日本の戦国時代でも常にある。
@星のクズ竜閃
@星のクズ竜閃 8 дней назад
実際に司馬懿ほどの人物が予測はしていても確証のない判断で動くとも 皇帝の命令に背いて以前伏兵で痛い目あったのに追撃を決断するとも考えられない。
@霧島さん-i6l
@霧島さん-i6l 2 года назад
蒲生氏郷が死んだ後の蒲生家みたいだなぁ……
@一羊-m8i
@一羊-m8i 2 года назад
蒲生氏郷もチートですよね。最前線好きの猛将で利休七哲筆頭って。
@おだこれもと
@おだこれもと 2 года назад
蜀軍の内紛が本当に深刻だったからこそ逆に司馬懿は手を出さなかったのかもですね。 蜀軍撤退をもって戦いは勝利なのだし、魏が共通の敵役を買って出て蜀軍を団結させてやったり、内紛の火種をわざわざ減らしたりしてやる必要はない。 蜀がそれこそ大乱にでも突入したら易々と蜀呉と平らげて中華統一と。
@イヌタロウ-y4e
@イヌタロウ-y4e 2 года назад
司馬懿が追撃にやる気がなかったのは自分がどさくさに紛れて魏側に暗殺されることを恐れていたと考えれば辻褄が合いますね。動かなければ安全ですもんね。出世間違いなしの司馬懿、これからの立ち回りの描き方に期待しています。
@まさお-m6h
@まさお-m6h 2 года назад
諸葛亮って愛されてたのかな 確かに優秀ではあったんだろうけど むちゃくちゃな行軍させてるし 実際独裁だったわけだし 愛される独裁者ってちょっと想像できないな しかも 魏延みたいに険悪なのをそばにいたわけだし 丞相のためにってのもいただろうけど その逆もいたと思う
@菅原のしゅん
@菅原のしゅん 2 года назад
死後に廟を建てて、国民が祀っているから、嫌われては居ないと思いますよ。 少なくとも像が壊される劉禅に比べたら
@星のクズ竜閃
@星のクズ竜閃 8 дней назад
諸葛亮孔明が死んだ後脱走兵が多発したから少なくともこの人について行くしかない。劉備様の意志を継ぐ一番弟子みたいな尊敬のされ方はしてた。 そもそも劉備を差し置いて自分をカリスマにしないから諸葛亮孔明は偉い。 当時は民主制なんてないし。
@春介-s3v
@春介-s3v 2 года назад
その後見たら費禕の方が魏延よりよっぽど後ろ暗い人物だわ
@pecopico
@pecopico 2 года назад
パリピ孔明に関する一考察お願いします。
@yrenaled3856
@yrenaled3856 2 года назад
つまり演義のアレは、 司馬懿「なんてことだー。こうめいはじつはいきておったのかー。  これはうっかりついげきなんてできないなー(棒読み)」 みたいなノリだったのね、実際のところ。
@ユーショー-p3j
@ユーショー-p3j 2 года назад
諸葛亮は人員育てられた第一次北伐で期待していた馬謖が山登りしたあとに敵前逃亡しちゃったから
@もりた
@もりた 2 года назад
このシリーズの曹叡が曹丕に対して当たりがきついのは三國志内でそういったエピソードがあるのですか?
@tokusimaxx4325
@tokusimaxx4325 2 года назад
曹叡の母甄氏が父曹丕から死を賜った、(確かこの出来事は史実)それを理由に曹叡は父を恨んでいる、とゆうのは創作で多く見かけますね
@もりた
@もりた 2 года назад
そのような話があるのですね、お答えありがとうございます。
@tokusimaxx4325
@tokusimaxx4325 2 года назад
後は曹丕は袁紹の次男、袁煕の妻だった甄氏を拉致して自分の妻にしたのですが、その時に曹叡は既に母の中にいた、とゆう逸話も有りましたね(つまり曹叡の本当の父方の血筋は曹氏ではなく袁氏)、こちらはかなり眉唾物ですが
@もりた
@もりた 2 года назад
なるほど、信憑性は低そうですがそういう話に心躍る方もいらっしゃいますね
@匿名希望-u8m
@匿名希望-u8m 2 года назад
諸葛孔明が記憶を持ったまま劉備に出会う前からやり直したとしたらどう動くだろうか
@黒猫の一輝
@黒猫の一輝 2 года назад
一時期そういう仮想戦記小説が結構有りましたね。懐かしいなぁ。
@yucarin
@yucarin 2 года назад
魏延が厄介者であれば、諸葛亮は死ぬ前に彼を処刑すべきでした。諸葛亮はそうしませんでした。 魏延が撤退の命令に従わないと諸葛亮が心配するのであれば、最高権力者の諸葛亮はナンバー2の魏延を呼び寄せて撤退の実行を彼に命令すべきでした。従わなければその場で処刑すればよかったのです。しかし諸葛亮はそうしませんでした。 なぜ諸葛亮はそうしなかったのか。魏延が「命令を従わない可能性の高い人間」と知りながら、なぜこの爆弾の処理を他人に任せたのか、これがどうしても理解できませんでした。 合理的な解釈としては、「魏延が命令を従わない場合はこうする」という遺命自体が疑わしいのではないか。この密会の内容自体は勝利者である楊儀、費禕などの勝った側のでっち上げであり、諸葛亮は遺命を言い渡す前に倒れてなくなったのではないか、と私は考えています。
@hiromiku5903
@hiromiku5903 2 года назад
孔明は官僚だったけど 司馬懿は政治家やったんやなぁ・・・
@dam5158
@dam5158 2 года назад
蜀がこれだけやれたのは孔明が司馬懿の言う「天下の奇才」でなければあり得ない話だっただろう でも結局、ここでの内乱は本来の後継者候補である登山家の街亭での失態が北伐の最初から最後まで蜀軍に響いてる、って話じゃないか(呆れ)
@nagoling1
@nagoling1 2 года назад
それを言い出すと夷陵での大敗北がなければ人材ももっと良くなってただろうし その元となった関羽が呉とうまくやれてれば夷陵の戦い自体なかっただろうし 呉の名士と中の良い龐統が生きて関羽を補佐していたら荊州あり状態の万全で北伐できただろうし(無常)
@berserkassassin1127
@berserkassassin1127 2 года назад
樊城以前も扱ってくれるのすごく嬉しい
@ノリけん
@ノリけん 2 года назад
カンゲンを君主として、 将軍のあるべき行動を取って 後に蜀軍になった黄忠と、 最初から掌返ししたギエンでは、 やっぱ印象違いますよね。 功績はともかく。 あの時のバタイは、凄かった。 晩成型の典型だなと思います。 ヨウギは益州の人。 ケイ州系の人とは全然考え方が違ったみたいですね。 この頃の阿斗は結構まともだったはず。 人材的には致命的な失いではないのかなと推察してます。 国の維持に必要なって意味では。 それに蜀はやっぱり山岳だし、 攻めるのも骨が折れる作業でしょうしね。 トウガイまで待つのが最良でしょうね。 仲達さんが追撃しなかったのは… ソウエイさん? あなたもしかして劉邦の時のアボ宮作りと同じ事を… いやいやまさかね。
@布団が吹っ飛んだ-q3w
@布団が吹っ飛んだ-q3w 2 года назад
北伐シリーズの完走お疲れ様です。 曹叡が司馬懿に弱みでも握られてるのかぐらいに肩を持ちすぎて笑えるなw
@shinasuka100
@shinasuka100 2 года назад
拙速兄さんの晋が統一するとこまで見たいなぁ・・
@KayKitabayashi
@KayKitabayashi 2 года назад
司馬懿が追撃しなかった理由でおかしくないものがあるとすれば、追撃して諸将に結束されるより内ゲバで消耗しあってくれた方が得と考えたからとかでしょうか? 丞相死亡からの追撃を受け魏国憎しで弔い合戦という空気と、撤退には成功したが内輪揉めでガタガタという状況では士気がだいぶ違う気がします。 第二チャンネルで解説している孫子で言うところの勢を読み切り司馬懿が操れたのだとしたら不可解な行動も納得できるますね
@t_ask9407
@t_ask9407 2 года назад
ある意味三国志専門チャンネルより濃い(特に兵站)説明をされてるので非常に勉強になりました。 蜀の北伐シリーズ完走おつかれさまでした。
@maccha-p6v
@maccha-p6v 2 года назад
「分かれば分かるほど、分からないことが増えていく」至言ですな
@某J
@某J 2 года назад
国ごとリフォームしてくれるとか有能な業者だなぁ
@ジンアスカ-r4n
@ジンアスカ-r4n 2 года назад
馬謖を後継者にしたかったんかなあやっぱり
@cwacaligarinoc
@cwacaligarinoc 2 года назад
専門チャンネルじゃなかったんですか・・・
@前原勇介
@前原勇介 2 года назад
たった一つの判断ミスでその後の運命が決定してしまう。夷陵の戦いに舵をきった劉備。青二才の馬謖を抜擢してしまった孔明。ホント詰めが甘い・・。それに引き換え、司馬懿はそういう判断ミスを生涯していない。彼がある程度やられた相手は孔明だけ。劉備と孔明の最大の不幸は、ライバルが曹操と司馬懿(曹真が長命だったら曹真になっていたでしょうが)だった事だと思わざるを得ない。
@garuna01
@garuna01 2 года назад
まあ、その後の司馬一族はやらかしてるけど…。
@ih314
@ih314 2 года назад
人材いるし制度も整ってる上 守りゃええだけだもん。
@kaji1493
@kaji1493 2 года назад
また司馬懿さんの株があがってしまったな シせる孔明生ける仲達を走らすというが、「げーっ 孔明(棒)」だったということか それにしても独裁体制は脆い。奇跡的に得た有能を失えば、国家に甚大なダメージ 暗君を戴いても、問題なく動くシステムの構築が大事ということかな 完走お疲れ様でございました 子供の頃から慣れ親しんでる三国志。新鮮な目で捉え直すことができました
@津多英明
@津多英明 2 года назад
司馬懿にしたら追撃戦で変に戦功を挙げられたり蜀軍の反撃で将官が戦死して自分の評価にケチをつけられるわけにはいかないですからね。 「やっぱ諸葛亮ってスゲー!!それと対峙して撤退に追い込んだ司馬懿もスゲー!!」って事で自分への評価を上げて魏国内での自分たち名士層の立場を強固にしようとしたのでは?
@hurennski4093
@hurennski4093 Год назад
これは、自分の考察ですが劉備が死ぬ時に孔明に阿斗が無能で有れば孔明に蜀オ継いでくれと言ってたのは人材育成期間オ設けたかったんじゃないかと思います。(孔明の嫁が劉表の親戚)
@えびふらい-o2y
@えびふらい-o2y 2 года назад
蜀には能力があっても人間的におかしいやつが大量にいますよね 関羽・張飛に始まり孟達・法正・劉巴・廖立・来敏そして魏延・楊儀 全員が協力すれば・・・てな風に思わずにいられません
@kausugusu
@kausugusu 2 года назад
司馬懿が追撃しなかったのは 内ゲバを促進したかったからでは?
@douzujonn9402
@douzujonn9402 2 года назад
魏延は、張飛感がありました。楊儀は有能だけど、人間的には、ですね。個人に焦点を当てずに俯瞰しているのは、斬新でした。北伐は、孔明もさることながら、蜀の人々も従ってくれたのは、凄いですね。ありきたりな感想ですいません。
@Milanista224
@Milanista224 2 года назад
とても勉強になりました。 もっと自分でも調べてみようと思います。 このシリーズで曹真好きになりましたw
@もりた
@もりた 2 года назад
以前の動画で動画内で諸葛亮にセリフがないのには理由があるとおっしゃっていたと思うのですが、その理由は解説していただけるのでしょうか?
@Selerdia_AC
@Selerdia_AC 2 года назад
いきなり来た馬の骨(韓信)ってのが居ましたねぇ・・・ ということで、楚漢戦争っていかがです?
@mebiusu1000
@mebiusu1000 2 года назад
司馬懿に関してですが、英雄は英雄を知るってチョウコウが横山三國志で言ってました、内ゲバで滅びてくれれば漁夫の利出来てラッキーって気持ちは有ったと思います
@黒官
@黒官 2 года назад
「コイツいつも通報しとんな」で吹いた
@らんらんるー子
@らんらんるー子 2 года назад
孔明のアニメの声はトレーズ閣下でしたが、主さんは孔明の声優といえばどなたですか?
@菅原のしゅん
@菅原のしゅん 2 года назад
あれ?置鮎さん演じてた? 俺は、速水奨さんや堀内賢雄さんだな
@松平竹千代-z2p
@松平竹千代-z2p 2 года назад
拙速しております 魏延は諸葛亮とはうまくやれなかったなぁ 劉備は魏延を信じてたし、魏延も劉備の下なら不満もなく働いて、もしかしたら忠義どころか心酔してたかもしれない そういう意味では魏延は能はあれども性格に難アリ というか蜀の人材の層の薄さよ… 司馬懿は守れと言われたから守ったんやろなぁ 追撃は現段階では不要、五丈原にて守りきった、それでよし としてうごかなかったのではないだろうか?
@belsuzukius5794
@belsuzukius5794 10 месяцев назад
上手くやりすぎた劉備が秀吉、そのせいで上手くいかなかった孔明が三成みたいに見えてきますね。 人望ないNo.2の哀しさを感じます。
@猫とペンギン-p6u
@猫とペンギン-p6u 2 года назад
年代的には孔明が死んでやっと折り返し地点過ぎたばかりっていう
@hiroakiokamura3285
@hiroakiokamura3285 2 года назад
北伐シリーズ、長らくお疲れ様でした。次回シリーズも楽しみにしております。
@佐倉ハル
@佐倉ハル 2 года назад
北伐シリーズ完走お疲れ様でした。 毎回丁寧な解説で大好きな三国志に対する解像度がさらに上がりました。 諸葛亮没後の三国時代は一般的な知名度も低く、地味な印象もありますが、個人的に大黒柱を失ってもなお北伐への道を模索し奮闘する蜀の面々が好きなので解説期待しております!
@須藤直也-q8f
@須藤直也-q8f 2 года назад
孔明という大黒柱が倒れた直後に魏延、楊儀という大きな柱が欠けて結構なダメージが入ったけど、その上でも30年近く続いていたあたり、なんやかんや蜀も言うほど人材不足でもなかったのかと思う。
@脂塗肉太郎のにくちゃんねる
魏延さんと馬岱さんといえば、横山版三国志の「ここにいるぞ!」(ジャーンジャーン)が浮かんできてしまいます(笑)
@どらやき-z1w
@どらやき-z1w 2 года назад
武田信玄「総司令官が死んだぐらいで撤退するわけないだろ」
@あしがる-x9f
@あしがる-x9f 2 года назад
司馬懿の行動は興味ありますね 敵がいなくなると自分も失脚するわけですしおすし
@anic0806
@anic0806 2 года назад
病氏って誰かの奥さんみたい
@jodasow
@jodasow 2 года назад
近代軍のように、指揮官が死んだときに自動的に引き継ぐ先任順が決まってる軍はこの点強いですね。
@kappanouen
@kappanouen 2 года назад
実は魏延の不満も(彼のセリフとそれぞれの職位から推測するに)そこにあったと思うんですよね 孔明の(遺言になってしまいましたが)撤退命令は結果として蜀軍次席の自身(魏延)は聞いてないわけで 魏延からすれば「あ、じゃあそれは『丞相府』の内部命令ですよね?わかりましたッ、丞相府の方はどうぞお帰りください」 というのは(魏延は皇帝と孔明という自身の上位者から命令を受けてない故)すごく正当な意見なんですよね(ただし空気は読めていない(^_^;)
@トワスト総研
@トワスト総研 2 года назад
アメリカ大統領のもしもの時の継承順位も ①副大統領 ②下院議長 ③国務長官 などと閣僚の継承順位が10数番まで決まってたと思いますが 決めたときの国務長官と大統領が反りが合わなくて本来②に来るべき国務長官が③になっているのが今まで慣習で続いている様です
@user-konroso
@user-konroso 2 года назад
@@トワスト総研 その継承順位のおかげで日系人のダニエル・イノウエさんは継承順位3位になれたのか…
@kappanouen
@kappanouen 2 года назад
@@トワスト総研 ご指摘の話はアメリカの大統領継承法(※1)の最初のお話だと思うんですが その場合継承順位2位は『上院仮議長(※2)』で3位が『下院議長』(ちなみに現行の継承法では上記2位と3位が入れ替わっており、4位国務長官と以下閣僚が続く)ですね   ご指摘のように国務長官が大統領継承から外されたのは1792年の最初の継承法制定時の権力闘争に起因するもので 結果、国務長官が継承順位から省かれ大統領の継承権は副大統領と議会議長職級の人間が有することと規定されたんですが 当時の議会はよくもめてたので実は『議長不在』という事態も多く、この制度が緊急の時本当に機能するのか?という懸念がありました   そこで1886年継承法の改正が行われ、上記のような理由から『上院仮議長』『下院議長』を大統領継承候補から除外し 副大統領に次ぐ継承順位2位にここで『国務長官(※3)』が規定されることとなります(以下各閣僚が継承順位につづく)   継承法はしばらくそのまま(議長職級を継承権から外した状態)で運用されるんですが 1945年、時の大統領フランクリン・ルーズベルトが在職のまま死亡し、規定通り副大統領のトルーマンが大統領に昇格するんですが トルーマンは(おそらくですが)自身が副大統領からの選挙を経ない大統領昇格という立場であったためか議会に再度の継承法の改正を提案します つまり『大統領継承権を持つ者、それも順位の高い者は選挙を経た者がふさわしい』という発想から 1886年の継承法改正ではずされた『上院仮議長』と『下院議長』を大統領継承順位2位『下院議長』3位『上院仮議長』として復活(1947年改正)させます(以下トコロテン式に2位だった国務長官が4位に降順、他の閣僚もこれに続く)   基本的に現在の継承順位はこの1947年改正の継承法に基づきますが アメリカ国内の行政組織の統廃合、新設等により閣僚のラインナップに変更があるたび微修正されて現在に至ります     ※1、継承法制定以前は憲法により大統領の次が副大統領と定められているのみで副大統領まで不在の場合は「議会で話し合え」となっていた ※2、アメリカ合衆国の憲法上(書類上)の上院議長は『副大統領』なので、いわゆる実際の(上院にいる)『議長』は『仮(pro tempore)議長』と呼ばれる ただ、さらにややこしいのが この仮議長は上院与党の最長老議員が就任する慣例になっており(高齢であることが多い。いわば『形式上の議長』) 実際に上院議会を運営するのは『上院仮議長代行』と呼ばれる上院議員(;´∀`)
@shinasuka100
@shinasuka100 2 года назад
スリーキングダムで魏延やってる芳忠さんが昔の三国志だと姜維やってましたねぇ‥
@村津愛宕
@村津愛宕 2 года назад
お疲れ様でした。 人物考察や戦略面の解説など三国志/三国無双やり込み勢の自分にとって史実+笑える展開で飽きる事無く見れました。 (特に曹真の横綱回シリーズ)
@高木徳晃
@高木徳晃 2 года назад
追撃をするのに時間が掛かったのは、蜀軍の内部抗争を待っていたのでは無いかと。恐らく、諸葛孔明死すの報は早い段階から掴んでいたはずなので、内部抗争を待って追撃をするつもりだったが思いの外、魏延を除く蜀軍が纏まって撤退しようとしたので慌てて追撃を行ったのかな。
@kazumasuishikawa2733
@kazumasuishikawa2733 2 года назад
コレは教育やなぁ(強制的に 諸葛亮ってギレンってイメージですね。あの人、能力はあるけど、政治家でもなく軍人でも無い、官僚然としてますよね。 司馬懿が追撃しなかったのって、有能な狼は獲物を全て狩り尽くす事はしない、ってやつ?
@yamakawa-chu-sho
@yamakawa-chu-sho 2 года назад
北伐シリーズ完走お疲れ様でした。 18:15 演義だと街亭で馬謖が敗れ司馬懿が追撃した時に「諸葛亮の空城の計」のエピがありますが、そこでも「空城なのは分かってるけど攻め滅ぼしてしまえばもう自分は用無しになってしまうから敢えて撤退した」とする創作も結構ありますよね。
@ORG-f1o
@ORG-f1o Год назад
角の生える夢は吉夢 ➀自信に満ちステップアップにつながる(独りよがりで周囲との軋轢に注意) ②自分を押さえつける上司がいなくなる
@超ガラ賊王
@超ガラ賊王 2 года назад
呂布は?孫策は?董卓は?
@Jiyuukatou
@Jiyuukatou 2 года назад
「戦争続きのときにそういうのはよろしくない」という経済的教養を感じさせる一節
@TheHaimani
@TheHaimani 2 года назад
韓信という歴史の教訓を司馬懿はよく知ってたんだろうな。 ここで蜀を追撃して一気に殲滅するのは可能だったが、それをしない方が自分の政治的立場を盤石にする、という配慮。 というか、ひょっとしたら諸葛孔明が生前、内々に裏で話をつけてた可能性すら、、、、 この2人ならそれすらもあり得る気がする
@SM-pk8gz
@SM-pk8gz 2 года назад
孔明「最強の者が俺の後を継げ」 これで解決とはいかんかったのか?
@一羊-m8i
@一羊-m8i 2 года назад
孔明「最強の者が俺を継げ。業務範囲は政治と軍事、言わば君達の仕事の全部だ。あと他にも色々とあって」 魏延・姜維・楊儀・費イ「無理」
@aaa-zh4wt
@aaa-zh4wt 2 года назад
諸葛丞相と同レベルの仕事なんてそれこそ司馬懿さんか陸遜さんが死ぬ気でやればギリいけそう、くらいなもんですね…
@gahama-summer5160
@gahama-summer5160 2 года назад
答えは結局同じで草
@kirin4126
@kirin4126 2 года назад
首の長いきりんさんがこの時代認知されていたのかなあ?なんてねw
@戸田賢司
@戸田賢司 Год назад
鄭和艦隊が連れてくるのは、三國志から1000年も後だな。
@宮下弘明
@宮下弘明 Год назад
仲達×孔明の因縁尊過ぎるよね
@lemonsoup1920
@lemonsoup1920 2 года назад
楊儀の「魏につく」は「魏延につく」では?
@kappanouen
@kappanouen 2 года назад
個人的にはその可能性をレモンスープさんと同じように疑っています😃 この話を一次的に聞いたとされる費禕をどう評価するかでこの話は解釈が変わってきますね(つまり意図的に費禕が楊儀を陥れた可能性もある話ですよね※) ※孔明死後蜀は一時的に『魏延派』『北伐中の丞相府派(楊儀派)』『成都在留の丞相府派(蔣琬)』の3つの派閥ができたわけなんですが 楊儀は3つ目の『成都在留の丞相府派』というのを(後輩格の連中ばかりなので)コントロールできると考えていたんですよね ところが結果として丞相の後継者になったのは『成都在留の丞相府派』筆頭の蔣琬(なんといっても帝都と皇帝を押えているのが大きいのと、魏延と楊儀が勝手に暴走した漁夫の利というのもあるかもしれない) 権力闘争に敗れ不満を溜めた楊儀が費禕に(というかこの期に及んでもまだ費禕の事を『お人好しのただの後輩』だと思ってるトコが楊儀の限界でしょうね(;´∀`))愚痴的に 『あの時ワシが魏延と組んで丞相の死後の事を万事よろしくやってたら(成都お留守番組の)蔣琬なんかが丞相の後継者になることなどなかったかもしれんぞw(事実そうなったでしょう笑)』という意味で 「吾若舉軍以就魏氏(ワシがもし軍を挙げて魏氏につけば)」といった、もしくは近いことを言ったのを費禕が(密告にはありがちですが)都合よく(『魏延』→『魏』と)聞き違えたとしたら この話はそういう事ではないかと思いますね(^_^;)
@木ロン
@木ロン 2 года назад
孫子でも「戦争や政治で占いに頼るのは論外だ」 と聞いた気がするな~? 魏延は気の毒な感じですね。 蜀は劉備が亡くなった時点でもう内部分裂してた感じですね。 魏は劉備が亡くなったあと内間をたくさん送ったらもっと早く内部分裂できたのではと思う 夏侯楙が北伐防衛が交代した時早い内から曹真と司馬懿がペアを組んでいたらと思うってしまう
@kappanouen
@kappanouen 2 года назад
中国古代史研究で有名な渡邉義浩氏はむしろ劉備の死後は劉備と孔明の組織内部での主導権争いが無くなったことで孔明と荊州閥の一強(今回の登場人物も全員が一度は孔明直属になった経験がある)になったと指摘していますね つまり『分裂』していたのはご指摘の通りだと思うんですが それは『割拠(トップ争い)』ではなく、孔明が絶対者として君臨する内部での人間的な対立であった(魏で言う張遼と楽進、李典間の不仲のようなものでしょうか)わけです   加えて(これは孔明が狙ってやったことではないんですが)劉備の死の前後に関羽、張飛など古参の武人、劉備が信任していた筆頭参謀格の法正、外様の大物馬超等々がいなくなったことで 上記孔明体制(荊州人士による統治体制)が固まっていったという側面もあるようです   無論実際の統治対象は蜀、つまり益州なんで統治を進めると同時に益州名士、豪族の取り込みも進めていった・・・ということらしいですが(※例えば孔明の後継者と目されていた荊州名士出身である馬謖を切ったのも「身内(荊州)びいき」という批判が蜀政権内で高まるのを抑え込むためとも考えられる。というか実際荊州閥の中(向朗、蔣琬等)では馬謖をかばう動きも見られた) そういった側面から見ると劉備死後の孔明の南征なんかも それまで実戦指揮経験の乏しかった孔明自身のミリタリーエディケーション(字義通りコレは教育やろなあ笑)という側面に加え いわば外様政権であった『孔明統治体制の足元を固める』という意味合いもあったのかもしれません
@realfordf1865
@realfordf1865 2 года назад
解説パチュリーの曹叡に対する返事の端々に世の無常観が・・・・。橙の曹叡見れるのもあと数回か(時系列で動画作ってくれる保証はないけど)。
@zbf85297b
@zbf85297b 2 года назад
18:37 「しゃあっすぉおるらっつったぁおお!?」
@tasnagai8574
@tasnagai8574 2 года назад
歴史シリーズでも普通にワードとして出てくるツイフェミさん・・・。
@obunowagaseha
@obunowagaseha 2 года назад
混乱した敵軍を追撃して戦果を拡大させる事は戦術的には有効ですが政戦略的には必ずしも有効とは限りませんね 特に今回の様に内紛に乗じて介入する状況は敵を結束させる恐れが高く藪蛇になりかねません(実際藪蛇になるケースも多いです) 政戦略と戦術の思考的な違いについて語られていますが自身の立場という内向きの要因だけでなく国家戦略としても特別間違った判断ではないかと思います
@arar3798
@arar3798 Год назад
馬謖がなぁ
@つけもの-q6t
@つけもの-q6t 2 года назад
ここにいるぞ
@takaokawaguchi-t1m
@takaokawaguchi-t1m Год назад
18:37 「歯医者」っすねこの後
@yw1208
@yw1208 2 года назад
シリーズ完走お疲れさまでした 次の動画が待ち遠しかったけど2年も前から始めてたと言われてちょっとびっくりしています 兵站(補給)の視点からの解説は大変興味深く、またその視点から見ると勝敗は戦争が始まるまでに既に決まっていた感がものすごく、物事に対する準備の大切さを実感できました(今回の戦争でのロシア軍の準備不足を見てると特にそう思う) 個人的なリクエストとしては日露戦争の陸戦視点(兵站を軽視しがちな日本軍が何故勝てたのか?)アメリカ南北戦争辺りをしてもらえたら嬉しいですね
@user-jh9tw2om6q
@user-jh9tw2om6q 2 года назад
個人的には段谷の戦いとか、蜀漢が滅んでいく様を見てみたい・・・官渡の戦いや赤壁の解説動画はどこでも見れるから。
@coupledaysoff
@coupledaysoff 2 года назад
孫子解説は終わりそうですか?
@おサル-c9y
@おサル-c9y 2 года назад
北伐の話、面白かったです。 このあとの三国の話もぜひ解説してほしいです。 蜀はガタガタなのにこっからあと45年(?)もどうやって持たせたのか? 魏はあまり蜀の討伐に積極的じゃなかったのか? 呉も、こんな蜀と組んで意味あるのか!? そして曹叡さんにはなにが起こるのか、、、? 謎がいっぱい残ってる。。。
@kappanouen
@kappanouen 2 года назад
孔明亡き後(孔明の死の結果として)蜀はさらに『魏延』『楊儀』『李厳』という(それぞれどこかしらのネジが1~2本抜けていたとはいえ)有能な人材を失うことになるんですよね   諸葛孔明が若い頃好んで歌っていた『梁甫の吟』に斉の宰相晏子が『桃2個差し出す』という一手で三人の豪傑を死に追いやった話が出てきますが 皮肉なことに孔明も自分の死というたった一手で自身の死後蜀にはかかすことのできない三士を葬り去ってしまったわけです😃
@トーサカ如月ザクレロ婿養子
晏子かぁ、なるほどなぁ 3つの勇者は関羽と張飛と魏延ですねwww すんません、自分は魏びいきで 諸葛亮は過大評価してません
@S.P.Q.K.
@S.P.Q.K. 2 года назад
魏延 「ぴえん」
Далее
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