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【ゆっくり解説 】日本最古の神の剣!七支刀の謎を解き明かす!!! 

古代史ヤバイ【ゆっくり解説】
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「やばい古代史」では、古代史に焦点を当てて歴史を紐解いていく番組です。
我々はどこから来たのか。その鍵を古代史から読み解きます。
※この動画は、過去に起こった出来事をわかりやすく伝えることを目的としています。視聴者に衝撃を与えるような目的はございせん。
※動画内に、死を連想させるような言葉を出てきますが、関係者を冒涜したり行動を助長するような意図は一切ございません。
※動画内の素材は全て引用であり、著作権や肖像権を侵害する目的は一切ございません。
著作権などに関するお問い合わせはこちらのアドレスまでお願い致します。
yabaikodaishi@gmail.com

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25 авг 2024

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Комментарии : 58   
@punchu2006
@punchu2006 3 месяца назад
七支刀の復刻作業って、昭和末期頃の「NHK特集」で見たような記憶があります
@HugeTabby
@HugeTabby 3 месяца назад
私の家は、戦国武将の末裔で、石上神宮の神職が応仁の乱の頃にヒスイの里の糸魚川市に脱出したのが始まりだった、という「縁起」が伝わっています。だから、私は石上神宮の七支刀タイピンや七支刀ブローチを持っています。
@rosemary50650
@rosemary50650 15 дней назад
七支刀は倭王讃(百済近仇首王)が倭王旨(物部)に贈ったものです
@rosemary50650
@rosemary50650 15 дней назад
宮内庁が「天皇陵」の学術的調査を認めない理由は何であろうか。その答えを具体的に言えば、「天皇家の祖先」が「朝鮮半島から渡って来た証拠が出て来る恐れ」があるからだという。日本の歴代天皇の中で最も活躍した天皇の一人「桓武天皇」の母 高野新笠(たかのにいがさ)は、百済の名王 「武寧王の後裔」であることは日本史の常識になっている。ちなみに、「桓武天皇」は朝鮮系天皇「天智天皇」のひ孫である。 歴代天皇の中で最も活躍したとされる天皇「天智天皇」「天武天皇」の母「斉明天皇」は、「朝鮮人豪族 吉備王朝」の出である。吉備王朝は、朝鮮式山城を根城に、大和王朝以前 倭国最大の勢力をもっていたという。吉備には、大和王朝以前としては、日本最大の古墳があるという。従って、「天智・天武は朝鮮系の天皇」であるということになる。「白村江の戦い」で、百済救援のために、斉明天皇の後を追って、天智が3万人に近い兵を送ったということは、「百済と倭国は姻戚関係にあったからだ」と金達寿 佐々克明 洪思俊らは述べている。 西暦663年、「白村江の戦い」で新羅にやぶれた百済から五万人が渡来したという。このことに関して、司馬遼太郎は「百済 国ごとの引っ越し」と語っている。「日本書紀」によれば、天智天皇は、当時の亡命者を、近江の蒲生郡あたりに3000人近く住ませ、無償で農地を与え、官食を三年間も与えたという。百済の高官66名が政務次官なみに登用され、「法務大臣(法官大輔)」「文部科学大臣(学頭職)」になった人もいる。西暦667年、「天智天皇は都を近江」に移している。「額田王の父 鏡王は 近江の蒲生郡に住んでいた」と言われている。 額田王が天智の妃なったことと、くしくも、額田王が朝鮮人であったことは、天智による近江遷都には朝鮮の匂いをただよわせるものがある。額田の義母 斉明天皇が朝鮮人であり、斉明天皇の子供(天智)が朝鮮系の天皇であり、その妻が朝鮮人であることは、「近江」と「朝鮮」の関係の深さを彷彿とさせる。百済人が倭国へ亡命したのは、亡命以前から、倭国と百済には縁戚関係が成り立っていたからである。日本国の誕生にもっとも力を発揮したのは、「白村江の戦いの敗北で渡来した百済人」で、彼らによって「日本という国号」がつくられた。 「大化の改新」は、藤原鎌足(百済の渡来人)を筆頭に、安倍内麻呂 金春秋 高向玄理などの渡来人によって行われた。また、「藤原不比等」は鎌足の子で「大宝律令制定」の中心メンバーであった。不比等は「本妻の娘を文武天皇」「後妻の娘を聖武天皇」の妃とさせ、藤原氏の基盤を築いた大人物とされている。アジア古代歴史学会の会長 上田正昭らの対談集によれば、「日本書紀」は「百済人を主軸に書かれ、天皇・朝廷のプロモーター藤原氏の都合がいいように整理されている」という。 「天皇家と藤原氏は、血縁的に見れば、また遺伝子的に見れば、区別がない」という。天皇と藤原氏の娘の子である天皇が、藤原氏の娘の子を次の天皇にしていくということを繰り返したので、天皇家固有の「血」などはなくなったのである。つまり、「天皇家と藤原家は一体」である。藤原氏は強大な政治力をもち、実質天皇とも言える実権をもっていた。梅原猛は「奈良の都の政治は不比等の独壇場であった。不比等の下に集められたのは、智謀豊かな、法律、歴史に詳しい朝鮮人であった。」と述べている。 「高句麗」や「百済」にも天孫降臨の神話がある。これは「天皇家朝鮮起源説」を裏づけるものであるという。天皇の礼服の紋章には円形の中に「八咫烏」の刺繍が施されているという。「八咫烏」は「高句麗」のシンボルである。従って、「天皇の始祖は高句麗」にあるという説がある。「八咫烏」は日本古来の文化ではなく、直接的には朝鮮から渡来した文化である。 ソウル市内の国立中央博物館で韓国の「檀君神話」 と「日本の建国神話」 を比較考察する学術会議が開催された。アジア史学会会長 上田正昭氏の論文が事前公開され、「天孫が空から降りる韓国と日本の神話には類似性が多い」との記述に注目が集まったという。日韓の神話を比較研究してきた上田氏は、日韓の天孫はいずれも山頂に降臨しており、共通点が多いと主張。百済の神の存在が、日本で継続的に命脈を受け継いできたと指摘している。日本の建国神話は、韓国の「檀君神話」の影響を大きく受けており、この事実は韓国だけでなく日本史学界でも認められているという。 京都産業大学文化学部国際学科の井上満郎教授は、韓国の檀君神話と伽耶の首露王は、日本神話に登場する天孫ニニギと同じような要素を持っている。「日本の天孫降臨神話が朝鮮半島系ということは疑う余地がない」と述べている。また、韓日天孫文化研究所所長のホン・ユンギ氏は、「日本の建国神話は、天孫が降臨する檀君神話を織り交ぜて作られたもの」であり、「三種の神器」も「三種の宝器」として「檀君神話」に登場すると述べている。日本の代表的な民族学者 東京都立大学の岡正雄教授も、1949年に、これを認める発表をしているという。 学者ならぬ凡人にでもわかることは、日本にも朝鮮にも、「仏教」以前からあった「神道」の存在である。「神道」は、朝鮮半島の古代文化を形成した北方民族 (騎馬民族) のシャーマニズムに由来すると言われている。北方民族のシャーマニズムは「天孫降臨神話」をもっており、「天孫降臨神話」が日本にも朝鮮にもあるということは、騎馬民族によって形成された朝鮮文化の流れが日本にもあるということになる。弥生時代から急増した朝鮮渡来人が、倭国へ「神道をもちこんだ」のはごく自然な流れでしょう。「天皇家が古代から現在に至るまで神道を一貫して信奉していることは、天皇家が朝鮮由来の姿を留めている現れ」である。 「天皇家のルーツが朝鮮半島」にあることを示すものの一つとして、志賀島の金印「漢倭奴国王」の時代から、志賀島周辺が朝鮮半島南部の国の支配下にあったのではないかというのがある。6~7世紀に新羅によって滅ぼされた百済から大量の渡来人が倭国に亡命してきたが、彼らが倭国への侵略者に転じなかったのも、すでに確立していた同胞国家である大和朝廷に迎え入れられたからであると言われている。百済からの渡来人にとって、倭国が本拠地になり、渡来人は新しい国づくりに邁進し始めたのである。 「蘇我氏(朝鮮渡来人)」は、六世紀後半には今の奈良県高市郡明日香近辺を勢力下においていた。飛鳥が政治の中心地であったことは、「蘇我氏が政治の実権を掌握」した時代以後、飛鳥に「集中的に天皇の宮がおかれるようになった」ことからもうかがわれる。朝鮮の渡来氏族がいかに大きな力で日本国を牛耳っていたかがわかる。「蘇我氏は皇室との姻戚関係を深めて政治的権力を強化」した。物部氏を滅ぼして国政の主導権を握った。「用明、推古などの蘇我系の天皇」を擁立した。渡来人によって「日本」という国号が作られ、「天智・天武・藤原氏などによる国家体制」がととのえられ、「大化の改新」「大宝律令」などによる新しい国造りが始められた。 実質天皇であった「蘇我氏」「藤原氏」が渡来人であったことは、彼らとの姻戚関係からしても、日本の天皇は朝鮮系の人であったことは明らかである。弥生時代以後、倭国の住民の90%以上が朝鮮渡来人であったことからしても、天皇の出自がどこにあるか自ずと知れるのである。大和朝廷の構成員は、トップスター「蘇我氏」「藤原氏」「秦氏」らがすべて渡来系氏族であるからして、職員は一人残らず渡来人であるとするのが自然であろう。その構成員の長たる天皇がいかなる存在にあったかは押して知るべしである。
@rosemary50650
@rosemary50650 15 дней назад
宋書に記された倭の五王(わのごおう)とは、5世紀に、南朝の東晋や宋に朝貢して「倭国王」と叙授された倭国の五人の王、すなわち讃、珍、済、興、武を指します。「倭の五王」の遣使(世修貢職)の記録が『古事記』、『日本書紀』に見られないことや、ヤマト王権の大王が、「倭の五王」のような讃、珍、済、興、武など一字の中国風の名を名乗ったという記録は存在しないため、「倭の五王」は近畿主体のヤマト王権の大王ではないとする説も江戸時代からありました。「讃」→履中天皇、「珍」→反正天皇、「済」→允恭天皇、「興」→安康天皇、「武」→雄略天皇・・・倭の五王の遣使は413年から477年までに少なくとも9回が確認されますが、このうち421年の倭王讃による遣使は東晋に対してですが、425年から477年までの倭王珍・倭王済・倭王興は、いずれも南宋に対するもので、479年倭王武の遣使は南斉対するものです。五王の朝貢年は中国史書からは明らかですが、記紀には(東晋・南宋・南斉の首都・建康(南京市の古称)への)朝獻記録がまったくありません。このため遣使年に在位していた天皇名を推定することで終わっています。具体的なきめてに欠けているのです。 井上光貞『日本の歴史1 神話から歴史へ』中央公論社〈中公文庫〉、1973年10月。ISBN 4-12-200041-6。 佐伯有清 編『雄略天皇とその時代』吉川弘文館、1988年2月。ISBN 978-4-642-02145-6。 安本美典『倭の五王の謎』廣済堂出版〈廣済堂文庫〉、1992年9月。ISBN 4-331-65153-3。 安本美典『大和朝廷の起源』勉誠出版、2005年7月。ISBN 978-4-585-05324-8。 直木孝次郎『直木孝次郎古代を語る6 古代国家の形成―雄略朝から継体・欽明朝へ』吉川弘文館、2009年3月。ISBN 978-4-642-07887-0。 森公章『倭の五王 5世紀の東アジアと倭王群像』山川出版社〈日本史リブレット 人 002〉、2010年4月。ISBN 978-4-634-54802-2。 上田正昭『私の日本古代史 上 天皇とは何ものか−縄文から倭の五王まで』新潮社〈新潮選書〉、2012年12月。ISBN 978-4-106-03720-7。 河内春人『倭の五王−王位継承と五世紀の東アジア』中央公論社〈中公新書〉、2018年1月。ISBN 978-4-121-02470-1。 瀧音能之『「日本書紀」と「宋書」で読み解く!謎の四世紀と倭の五王』青春出版社〈青春新書INTELLIGENCE〉、2018年8月。これらは今やみな骨董品 です。 私は梁書と三国史記を対比して、王名とその遣使年に一致があることを遂につきとめました。双方の資料に集中して分析してみました。 *[---]の中は日本書紀に出現する表記名。 宋書→梁書=百済の諱と王名=日本書紀の表記名 「賛」→須=(餘・須・第14代・近仇首王):[貴須王] 「珍」→余映=(餘映・第18代腆支王):[直支王] 「済」→餘慶=(餘慶・第21代・蓋鹵王):[加須利君] 「興」→牟都=(餘都・第22代・文周王):[汶洲王] 「武」→牟太=(牟大・第24代・東城王):[末多王] *第二章三部後小論に(「倭の五王の後裔」・稲荷山の鉄剣などに詳述) ・梁書では倭の五王の後の二代まで書かれている。これは何を意味するのだろうか。百済王系譜、その連続性と一致する。このことは倭の五王が百済王であることは如実に語っている。もはや否定できないといえよう。 「隆」→餘隆=(第25代・武寧王・(斯摩)(「嶋君しまぎみ・嶋郎」→億計天皇に比定、その状況、父を殺されたことや、また弟が先に天皇になった経緯が近似している。嶋郎は弘計天皇と同母、母は荑媛(はえひめ・書記、これは倭王武と倭王隆が同母であること。嶋郎が先に生まれていることを示します。)
@kyupytarou
@kyupytarou 3 месяца назад
石上神宮お参りしました。 ニワトリのお出迎えがうれしいです。  人気のお宮さんです。 物部の武器庫ではなかったか言われてます。 七支刀 不思議な形をしてます。 形の意味を妄想すると止まりません。枝の数は支配地域だろうか?などなど…いつ誰から渡ってきたんでしょうね!諸説あります。 そんな事より今なお受け継がれている事実に驚かされます。
@woomin-troll
@woomin-troll 3 месяца назад
七支刀⚔️の形は 厨二心を擽るね😄👍
@uniuni1032
@uniuni1032 3 месяца назад
古代から続く日本が永遠に続くことを祈ります。
@user-fk5kf9nm9z
@user-fk5kf9nm9z 3 месяца назад
日本書紀には独自の暦があると思って日本書紀から西暦に直す必要はないかと思いますよ。 4世紀以降の年代を考察するのであれば、日本書紀の出来事と中国史書や三国史記とを照合し、大まかな年代を特定していけば良いかと思います。 七枝刀の年代特定の方法として、最も安易な日本書紀と三国史記を照合してみます。 神功皇后紀 日本書紀:三韓征伐 日本書紀:百済が朝貢し、七支刀を献上 日本書紀:百済の肖古王が崩御し、貴須が王となった 日本書紀:百済の貴須王が崩御し、枕流が王となった 日本書紀:百済の枕流王が崩御し、叔父の辰斯が王位を簒奪 百済本紀 三国史記:364年 倭兵が大挙して侵入 三国史記:375年 百済の近仇首王即位 三国史記:384年 百済の枕流王即位 三国史記:385年 百済の辰斯王即位 このように七枝刀が364年〜375年の間に献上された可能性が高いことがわかります。 また古事記の崩年干支を見ると仲哀天皇崩御は壬戌(362年)となり仲哀天皇崩御の後、早い段階で皇后の三韓征伐(百済本紀364年)が行われたこととも合致します。 難しく考えなくても文献照合だけで簡単に解決できることもあるかと思いますよ。
@user-fi1fe9yq9x
@user-fi1fe9yq9x 3 месяца назад
ありがとうございます!
@s-yo
@s-yo 3 месяца назад
無事積年。歴史RU-vidrのあの人の説ですね。 なるほどかの4人の古代史考察が有名になって行くのは嬉しい!
@user-om7dd5ro6n
@user-om7dd5ro6n 3 месяца назад
七支刀といば車田正美の風魔の小次郎で知ったわ⚔️
@user-xc2ne5wl8x
@user-xc2ne5wl8x 3 месяца назад
1980年にNHKの特集で刀匠の月山貞一氏と研ぎ師の小野光敬氏で再現するのを見ましたね。
@user-hs1td5ul4v
@user-hs1td5ul4v 3 месяца назад
七支刀と言えばSaGa2のはにわだな
@user-iq3ov4ht9v
@user-iq3ov4ht9v 3 месяца назад
あと戦国無双の上杉謙信
@user-rl2fv9ol9j
@user-rl2fv9ol9j 3 месяца назад
石上神宮って物部氏が管理していた大和国の武器庫ですからねぇ〜 そこに武器の象徴として七支刀が祀られたのは象徴的な事ですね。
@恙恙
@恙恙 3 месяца назад
枝は或いは割り延ばしかと慄いて居たが付け焼きと知ってちょっとがっかりした思い出が有ります😊
@恙恙
@恙恙 3 месяца назад
昭和以来のの七支刀製造法通説史は ①鋳造か鋳鍛造じゃね?→鍛造です ②じゃあ付け焼きかな→継ぎ目は有りません ③磨いて見えなくなってるだけじゃね?→いいえ内部まで一体です ④ええじゃあ割り延ばしなの⁈→やっぱり付け焼きでしたイマココ ですね😊
@luci_hiko
@luci_hiko 3 месяца назад
NHKでは刀鍛冶が鍛造で再現しようとしていたけど、その後「鋳造でした」というニュースが流れたような記憶がある。
@user-pm9yi4vc7r
@user-pm9yi4vc7r 2 месяца назад
流し込む鋳物製だと、タガネで打ち込む刻印ができないと考えられていたが、実際はできたらしい。
@user-uq5to1ie3r
@user-uq5to1ie3r 3 месяца назад
七支刀の形のパンが売っています。何でこんなの作った😮
@ytanaka257
@ytanaka257 2 месяца назад
ベーコンエピに似ているのかな?
@ryukyu1180
@ryukyu1180 3 месяца назад
これって避雷針ではなかろうか? 琉球文化圏には、雷は桑の木の(枝の)またに挟まれて死んだとの伝承があります。 石上神宮では、この刀を「六又の剣」とも呼ぶらしい。
@enuringo
@enuringo 2 месяца назад
十手みたいにつかうんだ!
@user-on3zv5dc1l
@user-on3zv5dc1l 3 месяца назад
七支剣はイスラエルの七支の燭台メノラーを剣にデフォルメした物の可能性があり、失われた10氏族と関連しているとする説があります。
@恙恙
@恙恙 3 месяца назад
うーんでもメノラーは一番少ないので九支なんですよねー😅
@Naozou5963
@Naozou5963 Месяц назад
明治初期に禁足地から発掘された七支刀が、17世紀から続いてる祭りでは明治まで本物の七支刀が御神体として使われてた どういうことだろ🤔
@user-xh8ph1wb6u
@user-xh8ph1wb6u 3 месяца назад
これは雷光剣
@user-xt6ok9ce4r
@user-xt6ok9ce4r 3 месяца назад
風魔の小次郎ネタやな
@aeon-fx4dg
@aeon-fx4dg 3 месяца назад
たしか倭国に 異人が攻めて来たのを雷神にして悪の雷神として七雷神だったような 七支刀に封じ込める?
@ryukyu1180
@ryukyu1180 3 месяца назад
私も、雷に関わる避雷針ではないかと考えてます。
@yukenak
@yukenak 3 месяца назад
ちゃんと保管しないとウリナラのものだとか言って盗まれるぞ
@user-tx9ii6qt2b
@user-tx9ii6qt2b 2 месяца назад
鬼滅の刃で、上弦の壱と、主人公炭治郎の父親が神楽で使っていた。炭治郎家は、400年前にある人物から神楽を習う。あの漫画は、実は史実を色々取り入れて描いてるから、これもかも。
@kenmatu6983
@kenmatu6983 3 месяца назад
中心の剣を作って脇の小剣くっつけたかと思いきや、どうやら同時に作られたらしい。当時の技術でどうやったのか不明らしい
@恙恙
@恙恙 3 месяца назад
いえやはり付け焼きだったそうです😊
@hiroyuki9328
@hiroyuki9328 3 месяца назад
不動明王伝!
@Arsche
@Arsche 3 месяца назад
ななつさやのつるぎ、と呼ぶんだっけ。たしか
@ryukyu1180
@ryukyu1180 3 месяца назад
年代はかなりズレるが、中国三星堆遺跡から出土した「神樹」との関係はどうだろう?
@user-mr1nb5us9o
@user-mr1nb5us9o 28 дней назад
ただの雷光剣じゃん。
@user-rf4xi1jt5v
@user-rf4xi1jt5v 3 месяца назад
不思議な形の刀だけど献上元の韓国からも出てきていないのがよくわからんね
@logosratio6242
@logosratio6242 2 месяца назад
中国に七支刀を使った儀式ガソリンあったのだろうか? 日本にしか現存しない事実が、何処の鉄を使って、何処で製造されたかの問題の大前提に するべきではないですか?
@user-of3ze3uq1m
@user-of3ze3uq1m 3 месяца назад
韓国時代劇では、正徳女王が中国、日本、百済、新羅、高句麗等に、平和を象徴する何も使えない七支刀をプレゼント。 友好のためだった。 と、物語が終わった。 なんだろう? どれが、本当だろうか?
@user-ti5sz8tn4j
@user-ti5sz8tn4j 3 месяца назад
アブラハムは100歳の時、妻サラ90歳との仲に息子を儲けた事には誰も疑問を持たないね。
@user-pi1wq3ki3u
@user-pi1wq3ki3u 3 месяца назад
宇宙の微細構造定数137 創造主の復活です 52年も同じ意味 252年もおなじ
@HIGHDEN65
@HIGHDEN65 3 месяца назад
七支刀は鋳造刀だと思ってました。
@hiros071911
@hiros071911 3 месяца назад
え、あれって鍛造なの? あの時代には技術的にどうなんだろうね
@draft3289
@draft3289 3 месяца назад
七支刀が本物かどうか検証はやったのでしょうか?
@kubo0621
@kubo0621 3 месяца назад
刀匠月山貞一により鍛造でレプリカが作られました
@恙恙
@恙恙 3 месяца назад
@@kubo0621月山は韓国系が跡を継いでからNHKが怪しげなプッシュをして居るので時代考証に纏わる話については注意して見聞きした方が好いです😅
@MedakaNoBoo
@MedakaNoBoo 2 месяца назад
奈良橿原考古学研究所の復刻は鋳造で行われた。当時の朝鮮半島に鍛造技術はみられないからね。 本来七支あったもの(鍛造)なのか、後からつけられた飾り(鋳造)なのかはわかっていない。御神体を佐支布都(さじぶと)と読めば「十掬の剣」とは笏丈のような鋳造剣だと考えられた。銘文がなければ永遠の謎だったろう とはいえ九州から出雲にかけて青銅による鍛造技術(日用品の曲がった刃物をつくる技術)はあったので、砂鉄をつかった国内産だとすると鍛造だったのかもしれないね
@user-uy9ee7pi5e
@user-uy9ee7pi5e 3 месяца назад
僕はこれは古代ユダヤの消えた7氏族と関連して想像してしまうんだが。
@aiueiueo
@aiueiueo 3 месяца назад
全く関係ないと思います。
@user-pi1wq3ki3u
@user-pi1wq3ki3u 3 месяца назад
そうです 旧約聖書の枯れた骨の章番号が 宇宙の微細構造定数137と同じですから ユダヤの復活が日本です イスラエル国は知っていますよ 石神は INRI神イエスのことで イエスの復活でもあります
@aiueiueo
@aiueiueo 3 месяца назад
@@user-pi1wq3ki3u 宗教を使った歴史捏造をして中東での国家建設を既成事実化したシンリャク勢力は日本とは関係ないです。 やめてください。
Далее