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【写真で語る】ドイツから来た兵器・技術 

【写真で解説】イズコカメラ
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28 авг 2024

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Комментарии : 73   
@user-pb9od6nw9w
@user-pb9od6nw9w 4 месяца назад
本当に必要だったのはパンツァーファウスト だったと思う
@user-ze7od5qd5h
@user-ze7od5qd5h 4 месяца назад
同感です!
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 месяца назад
1942年にはHEAT弾の技術情報を入手。そのご『タ弾』として、野砲用、対地上攻撃用爆弾に採用されています。1943年には歩兵携帯用対戦車兵器の情報を入手(バズーカ風)なモノを1945年に試作していますが、実用試験中に終戦になってます。野砲や57ミリ戦車砲用で実用されていて一応実戦使用されています。
@user-om1fo8dv2x
@user-om1fo8dv2x 4 месяца назад
使い捨てってのが嫌われてあまり好意的に受け入れられ無かったらしい。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 месяца назад
@@user-om1fo8dv2x さん。コメに書いた『バズーカ風』の対戦車兵器は、ドイツの『パンツァーシュレック』の技術情報をベースに開発されています。ちなみに『パンツァーシュレック』は捕獲したアメリカ陸軍の『バズーカ』をベースに開発されたと言われています。日本陸軍では、更に『パンツァーファウスト風』な対戦車兵器も試作しています。オリジナルのドイツでは『使い捨て』でしたが、日本陸軍では弾頭を再装填可能に設計されていました。ツィッターまとめサイトで詳しく解説されている方がいます。面白いですよ。
@flashnewlight1075
@flashnewlight1075 3 месяца назад
ドイツ軍の将校も輸入したかったですね。
@user-pu8sq5ei7s
@user-pu8sq5ei7s 4 месяца назад
陸軍の視察団は「独ソ戦」開始の気配を察知して、日本への帰国の途についたが、視察団が乗っていた「シベリア鉄道」の列車がシベリアの真ん中辺の駅に着いた時、「独ソ戦」が始まり、ドイツ人乗客が列車から降ろされ、何処かへ連れていかれた。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
シベリアでソ連に連行される敵対国家の国民…想像通りの結末でないことを祈ります。
@SACHSENBERG29
@SACHSENBERG29 4 месяца назад
このティーガーがもしビルマまで輸送されていれば正に[ハッピータイガー]を地で行く展開でしたが……😸💦
@user-hh7uv3kb1l
@user-hh7uv3kb1l 4 месяца назад
赤外線暗視装置装備のTiger1での敵中突破シーンですね。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 месяца назад
ドイツの兵器技術は確かに優秀なのだが。とても日本で対応可能な技術ではなかった。ハ40の生産も、当初の予定はDB601生産設備一式もセットでの計画だったが。諸般の事情で生産設備の輸入は中止、結局ハ40は川崎が自前の設備を応用して加工したのだが。ドイツと同じ精度が出せず各部の仕様を川崎独自の改修を行い、オリジナルのDB601と別物だった(ライセンス料を支払ったのに😢)。海軍用のDB601アツタを量産した愛知も、同じ品質での生産は望めず。生産した部品の中から、誤差の少ない部品を選別して対応生産したが、廃棄部品が多くて歩留まりが最悪なエンジンだった(こちらもライセンス料金を支払ったのに😢)。アツタは吟味して生産したから川崎のハ40やハ140よりはマトモだったが。保々手作りに近く、効率は最悪だった。優れた工業製品は、設備、冶金技術、ノウハウがなければ。モノにならないのです。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
機械が工程を担うのと、熟練工とはいえ人が担うのとでは精度が雲泥の差ですもんね。
@user-sp9ne7fd3q
@user-sp9ne7fd3q 4 месяца назад
潜水艦でドイツから日本に回航するって考えれば凄い事だよな。それも平時では無く戦時だから(補給とか必要だし) ドイツ空軍のモーゼル20㎜機関砲のMG151を800門と弾薬40万発を輸送し、三式戦飛燕に搭載されました。 その威力は搭乗員達から絶賛されました。電気式機構による信頼性や作動の確実性でも日本製より遥かに高かった。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
往復に成功した伊号第八潜水艦は7か月(内1か月はドイツ滞在)かかってますもんね。乗組員の精神力に敬服します。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 4 месяца назад
MG151/20の威力は相当だったようで。飛燕に搭載されたMG151は、一撃でB24を撃墜していて。パイロットから称賛されています。その後に実用化された日本陸軍ホ-5-20ミリですが、MG151/20の威力を知っているパイロットからは『段違いに威力が足りない』と落胆されています(涙💧)。日本海軍では一足早くエリコン20ミリを量産し、1号20ミリとして採用、その後も地道に改良を続け、初速増大、弾丸威力向上を果たしていて。発射弾数ではMG151には及びませんでしたが1発辺りの威力ではMG151をヤヤ上回る性能でした。海軍も自前の航空機用を生産するので手一杯ではありましたが。陸軍が頭を下げて、海軍から技術提供してもらえれば。わざわざドイツから輸入しなくてもよく、威力の中途半端なホ-5を開発しなくてもよかったのにと思ってしまうのです。対米戦争直前までは、陸軍もエリコン20ミリを採用する動きもあって、当時の試作戦闘機にエリコン20ミリの搭載を指示していますが(鍾馗、キ60)何故か、導入されませんでした。海軍が採用したから使わない‼️と、判断したのか?。自前での量産は困難と判断したのか?謎です。
@kajiki-1600
@kajiki-1600 4 месяца назад
とても興味深い内容でした。 これまで拝見したことのない写真が多かったです。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
ありがとうございます!写真がメインなのでできるだけ目新しいものをと思い、掲載しています。
@boo-boo1965
@boo-boo1965 4 месяца назад
いわゆる「マレーの虎」の山下中将(日本軍人らしい五分刈りのイメージが強いお方)がわりと長髪なところが、ドイツ訪問に合わせたと言うことか…。 本当にイタリア潜水艦の訪日って、あまり取り上げられてませんよね。 それにしても、ティーガーⅠに乗る日本軍人…すごいミスマッチ感がたまらない写真です。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
七三分けのように見えますね、光の加減かもしれませんが…。 コマンダンテ・カッペリーニもルイージ・トレッリも艦これ界隈では認知度が高そうです。 サムネイルはFw190A-5にしようかと思ったのですが、わかりやすくティーガーⅠにしました。 日本の戦車はそこまで大きくないので、乗った士官は戸惑ったのかなと想像しています。
@user-sv1st2rl1v
@user-sv1st2rl1v 4 месяца назад
ハッピータイガー
@user-pg2tb8hi5r
@user-pg2tb8hi5r 4 месяца назад
小林源文先生作品は神作ばかり。
@しばたしげいえ
@しばたしげいえ 2 месяца назад
日本人搭乗員もいましたね。
@user-pg2tb8hi5r
@user-pg2tb8hi5r 4 месяца назад
ドイツ週間ニュースではドイツを訪問した山下中将が、ドイツ陸軍総司令官ブラウヒッチュ元帥と面会している映像が記録されてた。他にも日本大使館の駐在武官が東部戦線や北アフリカ、フランス沿岸を視察して現地の砲台や戦車を見学している映像も残ってます。
@tac4170
@tac4170 4 месяца назад
イタリアの潜水艦で輸入したのは、モーゼル社製の20mm機関砲と弾薬です。後に三式戦闘機飛燕に搭載されました。 後知恵になりますけど…同じ航空機搭載機関砲ならラインメタル社製MK-10830mm機関砲を輸入すべきでした。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 3 месяца назад
MK108ですが、威力は確かに凄いですけど。 あれは、プレス工法を多用した機関砲なんです。 精密鍛造工作機械があるドイツだからプレス工法で生産できたのであって、当時の日本の工作精度では量産は厳しいでしょうね。
@mangakoji
@mangakoji 4 месяца назад
皆もしてる通り、日本にまともな高周波用の真空管はなかった。 ので周波数を低く載せ替える必要があった。 簡単そうに見える八木アンテナは、スミスチャートの知識なしには設計できないけど、 ウルツブルグは反射型なので、はちょうはあまり関係ないため、デッドコピーでもぞれなりに動作した。 アメリカ型のレーダーはコピーは不可能だった。
@user-rm5ls1bp2r
@user-rm5ls1bp2r 4 месяца назад
ティーガーの輸入計画が順調に進んでも日本にどうやって持ってくるのだろうか。
@user-og8fe3xt9u
@user-og8fe3xt9u 4 месяца назад
技術供与を受けるべき兵器はMG42機関銃でした。当時MG34が主にドイツ軍に配備でしたが、MG34自体精巧な銃であり当時の我が国の加工技術では作動不良だらけですが、プレス加工を主にし構造簡略化した42ならば供与が活かされたかと考えます。弾の製造技術供与も受け大量量産が可能になれば南方、大陸戦線の戦局が変わり得たはずです。この機関銃も重量はありますが、従来の国産機関銃と比較しても軽く凡庸性もあり兵士達に好評なはずです。しいては高発射速度で扱いに習熟の必要がある点でしょうか。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 3 месяца назад
残念ながら不可能です。 当時の日本の工作機械では、ドイツ並みの部品精度が出せませんので、量産不能です。 実際、ドイツ空軍のMG17(7,92ミリ)機銃の量産を試みて失敗しています。 また、大量に弾薬を消費するMG42は、日本陸軍(地上部隊)の運用方法にはそぐわないものなのです。 日本陸軍は火砲に最も求めたのは、一発の高い命中精度でした。 機関銃も同様で、最後までカートリッジ式弾倉しか採用しませんでした。 基本的な機関銃の射撃方法は、3点バーストです(引き金を引いて3発で止める撃ち方)。 大量に弾丸を消費するMG42は、日本陸軍には不向きなのです(補給が追い付かない)。
@user-br1lo8lh8g
@user-br1lo8lh8g 3 месяца назад
山下奉文中将が1941年ドイツ視察から帰還中のシベリア鉄道での連続殺人事件は有名ですよね
@user-cw4pq8lq2b
@user-cw4pq8lq2b 4 месяца назад
ドイツから買うべきだったのは短砲身の4号😊
@tomoterata8238
@tomoterata8238 4 месяца назад
FWは あの視認性の良さそうなキャノピーも参考にして欲しかった
@LaLaJun
@LaLaJun 4 месяца назад
フォッケを日本に輸入していたなんて知らなかった。だけど1943年にどうやって輸入した? シベリア鉄道も船も使えない時期だと思うけど?
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
潜水艦で輸入と書いてあるものも見かけたのですが、遣独潜水艦作戦の時期と重ならないので明記は避けました。 ただ仰る通り陸路と海上が使えないので、もしかしたらドイツやイタリアの潜水艦による輸送なのか?とも思っています。
@LaLaJun
@LaLaJun 4 месяца назад
@@Izuko-Camera 返信ありがとうございます。Wikiには海軍の潜水艦で運ばれた、と書かれていますね。バランバランにしたのでしょうね😅
@user-pg2tb8hi5r
@user-pg2tb8hi5r 4 месяца назад
ユンカース急降下爆撃機Ju87も2機輸入されてましたね。明野や所沢で試験飛行や研究が行われたり、同盟国の飛行機として鹵獲した敵機といっしょに展示されたりしたが、終戦のドサクサで失われてしまった。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
@@user-pg2tb8hi5r 補足ありがとうございます。 ju87も取り上げたかったのですが、失念してました。また写真が2枚しか見つからなかったので、さわりだけでも触れればよかったですね。
@yukikazezuikaku2725
@yukikazezuikaku2725 4 месяца назад
誘導弾技術を輸入しとけば特攻とかやらなくて良かったのだろうか
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 3 месяца назад
ドイツ空軍が実用していた誘導爆弾『フリッツX』  優れた兵器でしたが、誘導方法が、発射母機から目標を視認する距離を維持して一定の速度で高度7000~8000mを飛行せねばならないモノでした。  『人』が乗らないので、素晴らしい誘導爆弾ですが。  爆撃機が一定速度で飛行するのは戦術的に厳しいですね。  有効射程も短いので(実質的に8㎞程度)、アメリカ空母機動部隊への攻撃は厳しいでしょう。  ちなみに、日本陸軍でも誘導ミサイルの研究はしていて、試験まではたどり着いてはいます。  当時の科学技術ではホーミング兵器は、アメリカでも実用できていませんから、まだまだ『夢』の兵器だったのです。  曲がりなりにも『赤外線ホーミング』が実用できたのがベトナム戦争あたりですからねぇ。
@seirodate
@seirodate 3 месяца назад
私ならヘッツァーたんを輸入します。理由はかわいいから😅
@user-zk3hq3ii7c
@user-zk3hq3ii7c 4 месяца назад
ドイツ空軍はモウBf109Fを配備しており、G型も開発中でした。時代遅れになっていたE型を買う位ならば、ハインケル社が開発して採用を待っていたHe280 ジェット戦闘機を買うべきでした。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 3 месяца назад
He280。確かに、テスト飛行はMe262より先行してましたが。 独自開発のジェットエンジンHeS8は、実用エンジンとは呼べない状態で、最終的にJumo004に換装されています。 あと、後生に生まれた我々は、簡単に『ドイツのあの兵器を日本で造れば❗』と考えてしまいますが。 工業製品は、設計図と材料が有れば造れるものではないのです。 素材に対する加工ノウハウ、実験、試験データの蓄積と、冶金技術、それらを形にできる工作機械(鋳造、鍛造、切削、)の高い加工精度。 それら全てが無いと生産はできません。  当時の日本では、ムリなんです、残念ながら。
@PP-sy3uf
@PP-sy3uf 3 месяца назад
カレー屋ハッピータイガーに行ってビルマ風カレーを食うのだ‥。
@user-yr9bc8ty8r
@user-yr9bc8ty8r 4 месяца назад
日本も欧米並みの発動機が作れてたらな。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 4 месяца назад
機体はできても発動機がないというパターンがここでもよく見られました。
@sei-un
@sei-un 4 месяца назад
@@Izuko-Camera 戦闘機用は前面面積に拘り過ぎてショートストロークエンジンになりがちで 馬力は欧米並みのエンジンでもトルクが細かったというパターンも… 鍾馗で言うほど問題ないのが分かったのにね…
@tiger3kai
@tiger3kai 2 месяца назад
仮に工作機械を揃えても科学者や熟練のエンジニアを赤紙召集してたのが駄目だった。
@sei-un
@sei-un 2 месяца назад
@@tiger3kai そして優秀な科学者をパイロットにする…までは分かるが 熟練エンジニアや科学者を前線歩兵にする…までやらかしてるしね… 爺様の所属した部隊で計算とか得意なのが居て古参だった爺様が部隊長に優秀な奴がいると報告したところ 部隊長が「貴様、中学や高校を出たのか?」→「はい」→「まさか大学まで?」→「帝大卒です」 の結果 慌てた部隊長が士官候補に推薦したらしい
@user-xr1bk6be6b
@user-xr1bk6be6b 3 месяца назад
日本から提供したものはあるのでしょうか? もらうだけだった?
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 3 месяца назад
当時最新の95式53センチ酸素魚雷や、エンジン停止の状態で潜水艦の深度を維持する潜水艦自動懸吊装置、あとは錫や生ゴム、タングステンにキニーネなどのドイツでは入手困難な資源を持っていったそうです
@user-em7lw6yw2b
@user-em7lw6yw2b 3 месяца назад
ドイツのは過剰性能だからなぁ…ドイツすごいって言われてるけど実態はヨーロッパ中の人たちを強制労働させて、ヨーロッパ中の工場を使ったからできたんだあってドイツ本国だけでは何もできないというね。しかもチェコ戦車とT34あってのドイツ戦車の完成だからね。ソ連の方が戦車は優秀。ティーガーは機密だから丁寧に扱ってたけど擱座した時破壊できなくて鹵獲され、こんな複雑な戦車たくさん作れるわけねえとソ連軍は読んだ。そこんとこ日本陸軍はよくできてて割り切りが良かった。航空機に関してはどうしても発動機開発がドイツのほうがやはり進んでいた。日本のは発動機がというよりプロペラの直径が短く推進力が非効率だった。馬力を二倍にしても1.2999999倍にしかならないので馬力がどうのというのは半分は間違い。というか馬力が二倍になったら全部二倍になると思うならそれは全部間違い。これは物理の話で覆らないよ。
@user-oc6nz9ir7n
@user-oc6nz9ir7n 3 месяца назад
ヒトラーに嫌われたハインケル社を日本に招いたら・・・
@user-ne3ks7jn2x
@user-ne3ks7jn2x 3 месяца назад
山下航空総監ってマレーの虎と同じ?
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 3 месяца назад
同一人物ですね、1940年に陸軍航空総監兼陸軍航空本部長に親補されています。
@guillotinethegreat
@guillotinethegreat 4 месяца назад
既出のDB601エンジン、ご存知の通り日本でのライセンス品ハ-40やアツタはほぼ使い物にならない状態に陥ったが…。 同様にライセンス生産してたイタリアでは普段使いで、主力機に搭載され敗戦後も用いられていたそう。 独伊両国はモータリゼーションも国の隅々まで行き渡ってて、工業先進国だった。 さらに直の工業技術といったものと同時に、生産管理・品質管理といった総合力としての科学工業力…って観点もある。 日本のそれらは皆、はるかにはるかに劣っていた。
@user-sd8pb3bq2k
@user-sd8pb3bq2k 3 месяца назад
さん。イタリアがDBを生産できたのは、ドイツ製の工作機械があったからではないでしょうか?。 陸路で繋がっているので、工作機械、ジグは搬入可能ですからね。 当時のイタリアは、マトモな航空機エンジンが日本以上に造れない状態でした(自前のエンジンだと1000馬力程度)。 G50やMc200の最大速度500㎞/hの戦闘機しか量産できませんでした。 ドイツからDBを導入して、高性能なMc202やG55が開発できました。 DBエンジンは大変整備が難しいエンジンでして、本家ドイツ空軍でも、最前線では『軽整備』に留めていました。 故障して手間が掛かると判定されたDBと、マニュアルに規定された使用時間を経過したDBは。 DB社に送り返し、新品ないしオーバーホールされたDBエンジンと交換するのが前提でした。 そんな、エンジンをロジスティックスを無視した日本に導入した訳です。 失敗して当然です。 日本でDB601をライセンス生産するにあたって、本当は、生産に必要な工作機械、ジグ等々の購入もセットの契約でしたが。 ドイツ軍向けの量産で手一杯であり、工作機械を輸出する余裕がなくなり。 愛知と川崎は独自で、量産する事になります。 自社設備での加工に適する様式に細部設計を変更、一部の補機器は日本式変更(川崎、愛知それぞれで)。 機能部品の中で、自動制御されるべきものを、精度が出せないので。 手動式に変更したりと、DB601とは、似て非なるエンジンになっています。 当時の航空機エンジンは基本的に、最前線でオーバーホールは稀な作業でした、日本陸、海軍でも、オーバーホールは最寄りの工廠に搬送をしていますが。 輸送能力に乏しい日本では、現地で『共食い修理』状態で維持しているのが現状でした。 物質に余裕のあるアメリカは、全部交換前提ですし。 日本ではドイツ製の工業製品は『オーパーツ』だったのです。
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