神威岬は江戸時代末期の1856年まで女人禁制とされていました。
それにはこんな言い伝えがあるそうです。源義経に恋したアイヌの娘が、義経の後を追ってこの岬まで来たものの、すでに義経一行はこの地を出発した後・・。
娘は「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」という恨みの言葉を残してそのまま神威岬から身を投げます。
その怨霊からか付近一帯を通過する女性を乗せた船が次々と転覆座礁を繰り返したことから、ここを女人禁制にしたとのこと。
ここで思ったのは
えっ!義経??
義経は奥州で死んだはずでは・・・。
しかし北海道に残るアイヌの言い伝えによると 奥州をひそかに抜け出した義経は北海道に渡り、さらに日本海を渡って大陸へ行き、チンギス・ハーンになったそうです。こんな伝説があったとは・・・。
29 авг 2024