今回は明治38年に女流歌人3名で刊行された歌集『恋衣』をご紹介します。
「恋衣」とは心から離れない恋をいつも身に着けている衣にたとえた言葉です。この言葉を冠した歌集『恋衣』が明治38年(1905)年に、山川登美子・増田、のちの茅野(ちの)雅子・与謝野晶子の3人で刊行されました。
今でいうアンソロジーになります。『恋衣』という歌集名は与謝野鉄幹が命名したと言われています。
三人は新詩社を代表する女流歌人です。
山川登美子は「白百合(しろゆり)」、与謝野晶子は「白萩」、茅野雅子は「しら梅」の君と呼ばれていました。
3名での歌集『恋衣』の内容は、登美子の「白百合」が131首、雅子の「みをつくし」が114首、晶子の「曙染(あけぼのぞめ)」が148首の短歌3集と、晶子の詩6編からなっています。
この歌集は日露戦争の際に晶子が詠った「君死にたまふこと勿なかれ」を
収めていることでも有名です。また「明星」のロマンティシズムの世界がよく詠われています。当時、若い人たちを中心に大人気となった歌集です。
しかし、内容が明治時代の女性のあり方とは、かけ離れていたため、破廉恥であるとの批判を浴び(恋衣事件)、また、反戦の歌を詠ったということから晶子は批判を受けました。
今回はこの歌集『恋衣』から30首をご紹介します。
#恋衣#与謝野晶子
26 авг 2024