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【慰霊の日②】私のおばぁの沖縄戦体験談 

阿波根あずさの沖縄観光チャンネル
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今日の動画は、「私のおばぁの沖縄戦体験談」についてです。前回は、「沖縄戦とは何か?」「私のおじぃの沖縄戦体験談」についてお話ししました。うちなーチャンネルの視聴者の皆さま、たくさんのコメント、にふぇーでーびる!
《前回の動画》
【慰霊の日】私のおじぃの沖縄戦体験談
→ • 【慰霊の日①】私のおじぃの沖縄戦体験談
私のおじぃは南部の小禄村高良出身なのですが、おばぁは宜野座村で生まれ育ちました。おばぁは10人兄弟の5番目。沖縄戦当時、おばぁの父親は防衛隊へ動員され、父親以外の家族11人で避難したそうです。
「おばぁが体験した壕での生活」
「沖縄戦当時の食事について」
「おばぁから見た米兵の印象」
今まであまり詳しく聞くことができなかったのですが、今回、おばぁが沖縄戦当時のことを詳しく教えてくれました。その取材をもとに、おばぁが体験した沖縄戦について語っています。
そして、沖縄戦から75年が経過した今、この時代を生きる私たちに何ができるのか。私なりの考えもお話しします。
#沖縄 #沖縄戦 #慰霊の日
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note : note.mu/azusaahagon

Опубликовано:

 

23 июн 2020

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Комментарии : 27   
@user-tq2lo3ki9f
@user-tq2lo3ki9f 9 месяцев назад
沖縄の修学旅行で平和学習体験しました悲しい気持ちになりました
@masa183
@masa183 4 года назад
私はあーずーより4歳年上ですけど、私たちくらいの世代がおじいやおばあから戦争体験を生で聞ける最後の世代かなと思います。 これからの子や孫のためにも戦争を体験した人の話を語り継いでいくことは大切ですね。
@speedgood3902
@speedgood3902 4 года назад
あなたの発信ものすごく素晴らしいと心から思います 戦争の話なのにほのぼの心がやさしくなれる あはごん家がみんな無事でその子孫 あずささんは 沖縄の素晴らしい未来を紡ぐ 大切な人になっています 今後とも活躍楽しみにしていますよ~
@eruguran1
@eruguran1 4 года назад
沖縄において、沖縄戦はとてもセンシティブな内容だと思います。勇気を持って真実の動画を公開して頂けた事を嬉しく思いました。来月、沖縄を訪れた時には必ず平和祈念公園で英霊の御霊に手を合わせて来ます。
@user-dz6to4bm4p
@user-dz6to4bm4p 4 года назад
確かに話したくないから話さない思い出したくないから話さないお年寄りもけっこういますね。
@user-mq7wu3dw3u
@user-mq7wu3dw3u 4 года назад
100人いたら100通りの戦争体験って違いますねー!お婆さんのように恵まれてた経験を聞いたのは、初めてかもしれません。もしかしたら言えない事もあるのかもしれません。感慨深いです。
@user-lv1jj3jz5m
@user-lv1jj3jz5m 4 года назад
貴重な体験談を聞けて大変勉強になりました。 僕のおばぁの話では宮古島では上陸こそなかったものの飛行場が3つもあったためしょっちゅう空襲があったそうです。
@user-bo1ys5ro1r
@user-bo1ys5ro1r 3 года назад
おじい、おばあの貴重な体験を伝えていただきありがとうございます😊 家族全員無事でよかったですね〜💕 悲しい事実を語り継ぐ努力大切ですね。
@-hachi.-
@-hachi.- Год назад
沖縄出身ではないですが私の祖父も沖縄戦経験者でした。 終戦間際に宮古島へ行ったそうで、ほとんど戦には参加しなかったと言っていましたが、 宮古島から引き上げる時に海に浮かんだ木片に捉まって泳いで帰ってきたそうです。 一緒に泳いでいた仲間達がどんどん力尽きて沈んでいき、祖父も生きることを諦め木片から手を離したのですが そこがたまたま浅瀬で足がついてしまったことで「自分は生かされた」と思え諦めず帰って来れたそうです。 私が小さい頃、毎年夏になるとぽつぽつと話してくれたことを繋ぎ合わせた記憶なので どこまで真実なのか定かではないですが、一度諦めた命をなんとか繋いでくれた祖父がいたから今の自分があると思っています。 そんな話を聞いていたせいか、沖縄は私にとって距離は離れているけれど心を寄せたくなります。
@chamastorimushi7082
@chamastorimushi7082 3 года назад
沖縄が大好きなので、沖縄の歴史に興味をもち、色々と知ることになりました。あずささんのおじいとお婆の話は沖縄戦を体験した人でも早期に捕虜となって無傷ですんだケースがあったという事を聴けて救われた気がします。私は東京出身ですが、祖父に戦争体験を何度も聞こうと試みましたが、辛いことが多かったのか話そうとせず、聴けないなまま他界しました。体験した人の数だけいろんなストーリーがあるんですね。体験した人から話を聞いて伝えること、とても大切なことですね。
@user-ut6dg5rk6i
@user-ut6dg5rk6i 4 года назад
日本の中でも沖縄は魅力的なところです。戦争の歴史も知らないとね。。。いろいろと沖縄の魅力も伝えてください。「慰霊の日」で検索してこちらにお邪魔したんですけど、自然体で明るい雰囲気が好感が持てました。これからもよろしく。
@user-xo7zk7qu5l
@user-xo7zk7qu5l 3 года назад
とっても貴重なお話、ありがとうございます。
@souhina
@souhina 4 года назад
感動しました🥺
@JUDY-dz6mh
@JUDY-dz6mh Год назад
なぜこの時にあなたの動画が現れたのか 今日沖縄へ行きます 健児之塔へお参りをしたくて 戦い方も知らない子達が小石を持って戦ったと聞くに連れ身につまされるほど悲しいと石碑に書いてあるのを知りました どうしてもお参りしたい これから行ってきます
@masayon.2774
@masayon.2774 3 года назад
戦争の体験って聞く機会が本当に少ないと思うので貴重な話ありがとう😊ございます。私の息子は4月から沖縄にいます。色々学んで行って欲しいと思います。
@miumiu-nh1re
@miumiu-nh1re Год назад
今から40年くらい前、当時の彼女と当時新しかったオクマリゾートに行きました その旅行でのことはほぼほぼお互得てないのですが、唯一はっきり覚えているのは、 那覇空港からリゾートまでのバスの事です そのバスには当時の私と同年代のガイドさんが乗ってられて、はじめは普通の観光案内だったのですが 嘉手納基地を過ぎ、読谷村を通過したあたりから、アメリカ軍による現地住民のつらさ・・・もちろん米兵の犯罪に対して逮捕権がなく泣き寝入りになっていること、米軍ヘリ演習でブルドーザーを下げて小学校の上空を飛び事故で小学校にブルを落としたこと(けが人はなかった)、それに抗議した読谷村のマーケットの経営者の苦境(これは大きなニュースになってましたので知ってました)など、様々な沖縄の苦しさを仕事忘れて熱弁されてました 乗客のほとんどはあまり関心がないようでしたが、私は自分と同世代の独身女性がこれほどまでに沖縄の未来は子供のことを心配し、仕事が首になるのをかけてやっている姿を見て、沖縄のことをいろいろ言う本土の人の言い分は知ってるけど、実際沖縄の若いガイドさんの思いを聞くと、無条件にこれは沖縄の人々の言い分が正しいのだろう。。。と思いました それ以来、沖縄と沖縄の人々の思いや行動に理解をできる方がもっと増えればいいのになあといつも思ってます
@user-ur6xv3ez9y
@user-ur6xv3ez9y 4 года назад
おじぃおばぁホントによかったね。先祖から偶然に偶然を重ねて今の自分がいて、未来へ命をつないでいく。そうやって、命ってつながっていくんだよね。 別の話しになるけど、毎回登録者が増えておめでとう。
@user-pm8ze6ri3v
@user-pm8ze6ri3v 3 года назад
備えあれが憂いなし。自分達の敷地内に豪を作っていたのは確実な分かれ道でしたね。貴重なお話ありがとうございました。
@pooksreiko9669
@pooksreiko9669 3 года назад
こんにちは!はじめましてm(_ _)m あずささんのおばあのお話を聞いて少しほっとしました。 私の両親も戦争を体験しておりますが、母の家はちょっとお金持ちだったのか、他になにか理由があったのか、早い時期に疎開して地方でわりと普通の暮らしをしていたそうです。 東京生まれ東京育ちでしたので、疎開していなければ大空襲で死んでいただろうと言っていました。 東京の家にあった雛人形などが燃えちゃったのが悲しかった、などとノンキな事を言うし、「〇体なんか見た事ないわぁ」とかさらーっと言います。 そして父ですが・・・戦争の事は一切話しませんでした。数年前に家族旅行でやっと沖縄に連れて行く事ができまして、その時、浜で海に向かって泣きながら「すまん・・・」とつぶやいていました。誰に向かって、なにを謝っていたのか、聞いても答えてくれないまま、認知症になってしまいました。 二人とも90歳を超して、母の記憶も曖昧になってきています。 二人が両極端な戦争体験をした事だけしかわかりません。 教科書でしか戦争を知らない私は、ノンキにお雛様の心配をしていた母に対して、少しばかり反感を持っていました。 何万という方があの戦争を体験し、その数だけエピソードがあるんですよね。 おばあの「アメリカ兵がやさしかった、石鹸と間違えたチーズがおいしかった」など、ほっこりするエピソードを聞かせていただいて、私の母のようにあの戦争を他人事のように捉えられる立場にあった人もいた(かなり特殊だったとは思いますが)という事実をやっと受け止められるような気がします。 ありがとうございました ノンキな母が毎年沖縄に連れて行ってくれたおかげで、今では私はもう移住してしまいたいくらい沖縄好きになっています。 これからもたくさんの情報、よろしくお願いしますm(_ _)m
@user-rg9oo9uf7c
@user-rg9oo9uf7c 3 года назад
素晴らしいですね〜 今回6月にひめゆりの塔と軍官公園に行かせてもらいました。 この綺麗な海には、色々な顔があると思いました(^^) お話聞かせて頂きありがとうございました😊
@user-ff5rn4xd5q
@user-ff5rn4xd5q 2 года назад
あーずーさんのおじぃ、おばぁはそんな似た共通もある夫婦なんですねー! 壮絶なことしか聞くことがないので。 貴重です。 私の家も戦争とは無関係だったので RU-vidなどで見ていますが。 やはり、戦争はしてはならないと思いました!
@user-cd9fy9uk6m
@user-cd9fy9uk6m 4 года назад
チーズ似の石鹸分かります😊
@kazu.ojisanpo
@kazu.ojisanpo 4 года назад
忘れてはいけないこと! これからの未来には起こってはいけないこと 語り継いでいくことは大変重要なことですね
@ha45homare
@ha45homare 4 года назад
沖縄戦前半に捕虜になったのは運が良かったですね。 沖縄戦終盤にバックナー中将が真栄里で戦死します。白梅の塔の近くです。 それに怒り狂ったのか、沖縄県民の死者が増えるのは6/23以降です。 また、小禄の海軍部隊では、婦女子でさえ看護婦・炊事婦・弾薬運搬のみならず、率先して挺身斬り込み隊にまで申し出る方がおられたそうです。 これは小禄の海軍部隊司令官大田實少将が、海軍次官宛電報で申し述べています。 日本軍による住民の被害が無かったとは言いませんが、10万を超える戦死者と2700機の特攻機、一分の望みにかけて読谷に強行着陸した義烈空挺隊。 連合艦隊最後の艦隊である大和以下の海上特攻隊は、4044名の戦死者を出し壊滅。 海軍の誉の大和に食糧・医薬品・生活用品や生理用品まで積んで沖縄を目指していました。 決して沖縄を見捨て、訳ではないと思います。沖縄を見捨てたと 見捨てたと言われるのなら、戦死した10万余柱の将兵や遺族が浮かばれません。
@gorilla8137
@gorilla8137 4 года назад
私の祖父は沖縄戦終結時点で40代半ばでした。 沖縄戦で21歳の長男を兵隊として また幼い赤ん坊を失いましたが 本土復帰前に靖国に参拝しています。 また動画主のおばあの出身地の宜野座村の宜野座高校は昭和30年代後半修学旅行で靖国神社に参拝してます。ただし貧しい時代なので行けた人は少ないと思います。 2020年現在78歳ぐらいの宜野座のおじいに修学旅行に行ったか?東京まで行ったか?聞いてみて東京まで行けた人なら靖国に参拝したと答えるはずです。
@user-bs4vi8iu9v
@user-bs4vi8iu9v 4 года назад
チョコやガム、チーズ が食べれるだけでも 水をのむだけでも どれだけ幸せなのか… わたしたちにできること 歴史を知って伝えていくこと。 大事ですね。 わたしも沖縄なんですけど 今、就職で福岡にいます。 帰ったらおじーに聞いて 残していきます。 ありがとうございました😊
@user-md6su7vo2p
@user-md6su7vo2p 4 года назад
あずささんのおばあちゃんが僕の同郷と同じ宜野座んちゅということでコメントさせて頂きます。 というのも、昨年僕のおじーは亡くなったんですが、そのおじーの沖縄戦時中の年齢は13~14歳でした。 なのでもしかしたらあずささんのおばあちゃんのご兄弟の中に僕のおじーの事を知ってる方がいらっしゃるかもしれないのです。 僕もおじーが戦争でどんな体験をしたのか聞いておきたくて、生前何度かその話しを振ったことがありますが戦時中の話しは絶対にしてくれませんでした。 子である僕の親父や他の兄弟達にも戦時中の話しはしてくれなかったそうです。 戦時中の話しは思い出すのが辛すぎて到底話す気にはならなかったのでしょう。 昨年亡くなってしまったので、今となっては僕のおじーがどんな戦争体験をしたのか知る由もないのですが、もしかしたらあずささんのおばあちゃんのご兄弟がご存命であれば、僕のおじーがどのような戦争体験をしたのか、はたまたどんな幼少期を過ごしたのか知ってる方がいらっしゃるかもしれません。 戦時中の話しは聞けなくても、せめて幼少期の話しとかだけでも聞いとけばよかったなーと、今になって悔いております。
Далее
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