“ you went to go see ” は面白い表現ですね。goにgoが重なってるというか。厳密に言うと間違いだけどそれで意味が通じてしまう表現は日本語にもありますよね。 冒頭の “ How are we doing? ” ですが、weにどうしても違和感を感じてしまいます。部外者だったらweじゃなくてyouだろ?という気がしますが、ネイティブの感覚では違うようですね。
He is bored. 彼は退屈している。 He is boring, 彼は人を退屈にさせる人だ。ただこれには便利な日本語訳があって、彼は一緒にいて退屈な人だ、この訳からboringを退屈なという意味と勘違いしがちですが、そうではなく~ingだと~させるが英語の意味です。 The movie is boring. 英語の考えからしたら、本当の意味は、その映画は、人を退屈にさせる。ですが、これは日本語として不自然なので便宜上、その映画は退屈だとしているわけです。 使い分けとしては、物、事が対象の場合は、ing を使う。モノや事には、感情がないので人を~させる事はあっても気持ちの受け手にはならないのでedはつきません。人の場合は、感情の受け手にもなるし、与える場合もあるので注意が必要です。 この様に下手にピッタリとハマる日本語があるとそれにとらわれてその訳が頭に浮かんだときは咄嗟に英語が出てきますが、それ以外の表現が日本語で浮かんできたときは、使える表現なのに話せなくなってしまいます。 一例を挙げると、catch oneself doing という表現があります。意味は、思わず~する、気が付くと~しているです。 次の事を言いたいとしましょう、「イラっとした時に、つい無意識にさあ、指でこつこつと机を叩いちゃうんだよね。」どう訳すか。 I catch myself tapping my finger on the desk getting annoyed. このcatch oneself doing の概念は、気づかない内に無意識に~しているというのが概念なわけです。本当なら知っている表現なのでつかえたわけですが、下手にハマる日本語がある為にそれに捉われて使えなくなってしまういい例です。日本語ベースでなく英語のパターンに沿って当てはめていかないと間違えるし、言いたいことも言えなくなってしまいます。他にもよく間違える例として、I'll get back to you after 5 minutes. これも日本語で考えているために正しいと勘違いして間違いに気づけない例です。
youには、あなた方という意味は含んでいません。あくまで単数扱いですので複数扱いしたければ、you guysとなります。 How are we doing? 何故、weなのか。ここでは、自分も含めて仲間という感覚。そして、長い差別の歴史の中で、貴方と私、というとどうしても区別あるいは対立している様な感覚なんです。それで英作文のクラスでは、ネイティブは、自分も含めて私たちという風にした方がいいと教えています。一般論を言う際のyou(人というのは)は、使いますけどね。 皆で食事に行って、ワインを注文する際に自分が注文しているのにIではなくweを使うのも同じ理由でしょう。 こういう人称代名詞をサラッと使いこなしている人を見ると、「おぬし、出来るな」という感じがします。 actuallyですが、実際のところは(思っていたのと違う場合)、やっぱり(何かの注文をキャンセルしてやっぱりこっちにしますの”やっぱり”)と、色んな意味があって面白いです。 コメントにもあるhの脱落とリンキング、これは自分で言えるように、出来ればフィービーと同じスピードで言えるようになれば聞き取りは容易です。