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【毛利元就解説】第二十三話・厳島の戦い前編、折敷畑の戦い【豪族達と往く毛利元就の軌跡】 

しかかく【戦国武将解説】
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#毛利元就 #ゆっくり解説 #東方project
第二十二話: • 【毛利元就解説】第二十二話・毛利隆元の決断【...
第二十四話:youtu.be/-BlvI...)
初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
今回は毛利元就の名を天下に知らしめた厳島の戦いの前哨戦、折敷畑(明石口)の戦いについて解説します。軍記物のような奇策抜きに、大国である大内家に対し毛利元就がいかに戦ったのかについて知っていただけると幸いです。
・参考文献
「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」
光成準治編『戦国武将列伝9 中国編』
平井上総編『戦国武将列伝10 四国編』
新名一仁編『戦国武将列伝11 九州編』
河合 正治『安芸毛利一族』
河村 昭一『安芸武田氏』
岸田 裕之『毛利元就ー武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ』
池 享  『毛利領国の拡大と尼子・大友氏』
小川 雄 『水軍と海賊の戦国史』 
山内 治朋「河野左京大夫通宣の花押小考」
大上 幹広「天文年間の能島村上氏の内訌と大内氏」
秋山 伸隆「天文二十三年安芸折敷畑合戦と感状」
布引 敏雄「戦国大名毛利氏と地下人一揆」
・使用楽曲
針の音楽: / @harimusic896
『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
(アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
唯道是真         「音降る神霊廟」より
斑鳩の伽藍        「やまとごはん」より
神霊廟秋祭りっ!     「音降る神霊廟」より
石舞台の石室に眠る神秘  「やまとごはん」より
不咲蕾未咲蕾       「音降る神霊廟」より
ひび割れた金魚鉢     「音降る神霊廟」より
夜の腐踏会        「音降る神霊廟」より
大和に散らばる不思議な森 「やまとごはん」より
・使用サムネイル
『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
/ kinuk
・使用立ち絵
豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
(原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
/ berusuke_sanada
・地図:国土地理院
・他イラスト:イラストAC
・効果音:効果音ラボ
NicoNico; www.nicovideo.....
Twitter; / squaredeerhorn​

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3 окт 2024

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Комментарии : 47   
@怠惰な貧乏神
@怠惰な貧乏神 27 дней назад
このタイミングで新宮党粛清は流石にさぁ…と思ったけど、 大内の相手を毛利が引受けている間に井上一族粛清よろしく片付けたいって考えで見たら確かに好機だったのかも
@tasnagai8574
@tasnagai8574 27 дней назад
しかかくさんやん。 いろいろと他の動画に思うところはあるかもしれへんけど、折れずに頑張ってちょ。
@quattrojulius7500
@quattrojulius7500 26 дней назад
大内義長の下知で元就が晴賢を攻撃 というのを偽情報として利用され てる時点で晴賢がどんなふうに 思われてたのか察するよな
@tg9683
@tg9683 27 дней назад
色々難しいなかで毛利・尼子はその時点での最善を尽くしたんだな…… ホントに大名ってのは凄いなぁ
@鬼美濃-w5s
@鬼美濃-w5s 27 дней назад
後世の人々が元就を謀神と称したけど対陶の動き見ていると決して虚名ではないとわかりますね 挙兵自体が博打を含むものだったのでやれることは全部やったという感じですがそれでもここまで綿密に計画が練りうまく立ち回れるのはすさまじいの一言
@岩城陽介
@岩城陽介 27 дней назад
ありがとうございます!
@カズP-r4c
@カズP-r4c 27 дней назад
6:40 さりげなく赤川ディスられてて草
@KiTSon11281025
@KiTSon11281025 26 дней назад
実際の謀略は過去の偉人を見ても楽毅や張良、孔明みたいに地道に時間かけてやってるしね 出たとこ勝負した時点で負ける確率の方が高いっていうのは歴史が証明してくれてる
@naoki19771208
@naoki19771208 Месяц назад
主に毛利元就や中国地方を重点的に解説されている動画を作られていますが安芸門徒の話題は避けて通れないと思いますので、まだ解説されていなかったら是非ご検討ください。 個人的には浄土真宗専修寺(高田派)系でだったが途中から本願寺派に転派したものの寺内町のような要塞化はせず一揆も起こしたというエピソードが見つからないことから近畿・北陸・東海地方と違って領主に逆らわないという蓮如の教えを正しく守ったのではないかと思っています。
@sotan-qz9yg
@sotan-qz9yg 28 дней назад
確かに、安芸門徒の話聞きたいです!本願寺と中国地方の関わりって結構長いので、ぜひ深堀してもらいたいです。
@kiha115
@kiha115 26 дней назад
安芸門徒の成立は福島正則時代に完成で門徒としては新しいのですが、前段階として備後から布教が始まり石山合戦の時に本願寺から絵像を礼物として下付されて余宗(広島で浄土真宗以外を 29:44 馬鹿にした言葉)から強制宗旨替えが有ったと色々な住職から聞いております。 また広島の住職の姓は領主クラスの物か結構あり戦国期からの連続性を感じられます。
@sotan-qz9yg
@sotan-qz9yg 27 дней назад
しかかくさん、投稿お疲れ様です。先日の陶長房の件、ありがとうございました。  今回、やっと陶氏被官宮川房頼が登場しまして、推しの武将の登場に感激です。私自身、陶氏被官が好きで、今後も出てくるだろうなと思いワクワクしております。  芸予同盟が、まさかの毛利氏独立後最初の同盟だったことには、大変驚きました。  私もまだ見れていない論文がたくさんありますので、どんどん見ていきたいです。  追伸:戎光祥出版から、『中世西国武士の研究8 毛利元就』が出るそうです。
@佐々木美玲かわいいよ
@佐々木美玲かわいいよ 26 дней назад
陶晴賢や家臣について興味があります オススメの本とか遺跡はありますか?
@sotan-qz9yg
@sotan-qz9yg 26 дней назад
@@佐々木美玲かわいいよ ご質問ありがとうございます。  陶氏や陶氏家臣について学ばれたい場合、  ①地元の史誌などをご覧になる   (例:『山口県史』の通史編中世には陶氏歴代の事績や陶氏一族・庶家、伊    香賀氏や山崎氏、周防小守護代野上氏などの陶氏家臣について書かれてい     たり、『山口市史』や『徳山市史』にも書かれております。)  ②学術本などをご覧になる   (例:『戦国武将列伝9 中国編』、『中世武士選書 大内義隆』、『大内義    興』(それぞれ戎光祥出版)や、『ミネルヴァ日本評伝選 大内義隆』    (ミネルヴァ書房)、『大内義隆のすべて』(新人物往来社)、『人物叢    書 大内義隆』(吉川弘文館)等の本にも、陶氏や陶氏家臣の事が書かれ    ています。)  ③論文等をご覧になる   (例:「陶氏の奉書署判者について」という論文が近年山口県文書館の研究    紀要にて刊行されており、こちらはPDFで見れるようになっておりますの    で、ぜひご覧ください。また、このほかにも多数ありますので、ご一読い    ただけましたら幸いです。)  ④近藤清石の著書『大内氏実録』や、御園生翁輔先生の著書『大内氏史研究』   等をご覧になる  以上の4つの項目で、陶氏や陶氏家臣の事を大体は学べると思います。もちろん、ほかにもたくさんあります。私が特にオススメしたい本としては、『戦国武将列伝』です。  陶氏関連遺跡や寺社としては、陶氏の居城とされる富田若山城、陶氏居館の陶氏館跡、陶氏の菩提寺である海文寺、毛利元就の防長経略時に激戦となった須々万沼城、大内義長・陶鶴寿丸・内藤隆世の最後の地である勝山城・功山寺などがオススメです!
@佐々木美玲かわいいよ
@佐々木美玲かわいいよ 21 день назад
@@sotan-qz9yg ありがとうございます。 まず、ミネルヴァ書房の大内義隆の本を買いました。
@sotan-qz9yg
@sotan-qz9yg 20 дней назад
@@佐々木美玲かわいいよ ぜひ、じっくり読んでみていただけたらと思います!
@鼻毛-b8q
@鼻毛-b8q 2 дня назад
その出版社から大内義隆の本を買って読んだのですが、書いた人の主観がかなり盛り込まれてて少し残念でした。 例えば大内義隆の遺児について、「美都町史」や「益田市史」にも「大石義胤」の事が書かれているのに、件の米原正義氏の書いた「大内義隆」には記載がありませんでした。郷土史を無視するとは驚きです。 そして大石義胤は、どうやら陶晴賢が滅んでしばらくした後は益田氏の上級家臣に取り立てられていたようで、益田元祥の給人格の家臣がのってる分限帳に「大石志摩守」の名前でのってます。 大石家が大内義隆の遺児であるという話は有名だったようで、江戸後期の浜田藩主松平周防守から伝来する名刀見せて欲しいって依頼されたりしてます。 研究者なら、少なくとも疑いがある事はきちんと調べて欲しいものです。
@user-yakisoban
@user-yakisoban 26 дней назад
元就や隆元の動きを見ていると、対陶では確かに対大内でもあるが義隆の縁故にはかなり気を使っているというか、そこだけは敵ではない事を味方にも徹底しているように見受けられる。陶と担がれている義長とそれに味方する勢力が明確な敵だとハッキリさせている。
@平時国
@平時国 26 дней назад
更新お疲れ様です、元就の安芸攻略は事前の根回しあってのものだったのですね、伊予河野氏との同盟が思ったより早くて驚きました。 後に小早川隆景が伊予に封じられることになりますが騒乱も無く治められたのも昔からつながりがあったからなのかも。
@石井拓郎-t1r
@石井拓郎-t1r 26 дней назад
うーん、結構時間待たせただけあって、これまで以上に力が入った力作ですね。とても勉強になりました。
@kurbel-w2r
@kurbel-w2r 27 дней назад
折敷畑の戦い想像以上に色々あったんだなぁ前哨戦なのにね もしもだろうけど陶晴賢が直々に元就に会いに来てたら歴史は変わってたのかなと思ってしまうね。 不信感とか諸々の事情で決別に至ってるわけだし
@user-yakisoban
@user-yakisoban 4 дня назад
8:22 これを見ると陶の使僧が捕縛され突き出された時点で、元就はもう反旗を翻すことを決定していて、自身がある程度の主力を率いて吉見攻めに参加しようとすることで合法的に兵力を集め、吉見攻めに向かわず一気に南下して旧安芸武田領、広島湾沿岸部、瀬戸内海沿岸部を攻略するつもりだったのでは。予想外に隆元が強固に反対したから当初の予定とは変わったが、結局は同じ結果を残した。元就としては隆元の主張と腹の括り方は嬉しかったのでは。
@三方ヶ原家康
@三方ヶ原家康 27 дней назад
謀神と言いつつ、普通に戦いも強いですよね。 それにしても結構苦しい状況だったのを少しずつ好転させて・・。この前の尼子晴久の攻勢に対処した時もそうですが、地道に着実にというのが上手なのですね。今を生きる私たちにも良い教訓ですね。それにしても前後編で・・済むのか?・・・。前中後かな。
@jmicpiro8913
@jmicpiro8913 25 дней назад
陶晴賢、謀を立てることはできるが、バレたときの脆さが本当に見苦しくて致命的 それでも、大内義隆の時は運良く助かり、目的を果たすことができたが、2度目はなかったという感じ 脇が甘くて非常に危なっかしい人物、生命を賭して付き従った人たちが不憫
@SAKURANOODLE
@SAKURANOODLE 27 дней назад
○以前の厳島の戦い生放送と視点が異なるのが面白い。0:46今回の目次参照。 ○当時の一般に流布している毛利元就像と、後世の私達の元就像のズレが面白い。私達視点では毛利元就=謀神&陶晴賢=引き立て役のツマミ。しかし当時の人々が見ると、毛利元就は17:23裏切るに値する人物であり、15:48山奥の毛利某に従う謂れはないという感じ。元就と親しくしていた弘中隆兼は、元就のどこを評価していたのか直接聞いてみたい。 隆兼が気づいていたのは、毛利家存亡の危機にも関わらず対尼子を見据えた25:05井原元造等派遣のような、未来を見通す力と構想力と段取り力なのかな?対して引き立て役某は、自ら圧力をかけてきたにも関わらず毛利の離反を予知できず(しかかく氏曰く、能島村上氏による通報で知ったようです。先の生放送で触れてる)。 しかも某は毛利氏の動員兵力の見積もりが甘く、老将である宮川氏をみすみす折敷畑という死地に追いやった。 ○27:21明石口の戦いの捏造日時がなぜ九月十五日なのか、気になる。 ○能島村上氏の離反工作は、22:28隆景養女を嫁がせた河野通宣経由からもされた気がする。 ○11:14降将である揖斐豊後守を最前線である宮之城に配置したのは、新参者としてしっかり働けという、元就からの叱咤激励?
@長堀章一
@長堀章一 25 дней назад
一番有名なはずの村上武吉の肖像画がネットに無いのは残念ですね。
@名無し-q6y5w
@名無し-q6y5w 27 дней назад
吉見正頼が攻められた「三本松城の戦い」では、吉見家の筆頭家老で賀年城主だった波多野滋信が討ジに。その最期は、一緒に戦ってた嫡男の波多野秀信の安否を気にかけながら、燃える賀年城の中で腹を切り、腑を引き摺り出して投げたらしい。 波多野滋信公のご冥福をお祈りします。 息子波多野秀信の嫁だった吉見範弘の娘は吉見家へ避難して、陶軍に決死の覚悟で特攻した波多野秀信とその他手勢200人は波多野秀信と2、3人だけ残して全滅。 波多野滋信の孫、波多野秀重もこの時10代前半ながら戦い、後の厳島の戦いにも参陣し、そこで受けた傷をもとに武士をやめて、波多野秀重の子の代に帰農し、江戸時代は庄屋を務め、度々本陣に指定されてる。
@Haisaji-NipponScenery
@Haisaji-NipponScenery 9 дней назад
明石峠へ至る辺りに宮川甲斐守切腹岩とかありますわな
@やまちゃ世界の
@やまちゃ世界の 26 дней назад
毛利與三が徳山藩再興に尽くした奈古屋里人の高祖父に当たりますね。
@くるわたろう
@くるわたろう 26 дней назад
山間部の勢力が毛利方につくか、我関せずの態度だったら、三本松城付近で毛利、陶の決戦になってたかもしれんね。
@すみそ和え炒飯研究所舎人
陶は平賀から使僧が帰ってこないことに疑問を持たなかったのでしょうか?いくら連絡のラグがあるとはいえ2か月帰ってこないのはさすがに怪しまれそうに思います。
@藤藤-u9u
@藤藤-u9u 13 дней назад
大河の帆立さん!
@ヨーカン-q6c
@ヨーカン-q6c 27 дней назад
昔は「大内・毛利戦争にに便乗せず粛清してる尼子w」って思ってましたが、改めて見ると元就が反尼子勢力まとめてて動けなかった訳ですね しかも仮に便乗しても主力になるのは出雲西部の新宮党で、それは新宮党の勢力拡大につながる あの粛清もこのタイミングしかできなかったからこそ突発的に起こしたのかもしれませんね
@user-yakisoban
@user-yakisoban 26 дней назад
6:25 赤左さん、ここでもボロクソに言われてて草。筆頭家老なのに本当に使えない人だったんだな。。
@トボ-z5d
@トボ-z5d 5 дней назад
こんな行き当たりばったりな家臣に中国の覇者の大名が滅ぼされて毛利が逆転Vしたって歴史はわからんもんですなぁ
@みずさわ-s4g
@みずさわ-s4g 27 дней назад
秋山先生の論文取り寄せてきます。通説を覆す過程が気になる
@名無し-q6y5w
@名無し-q6y5w 27 дней назад
陶「隆」房ザマァって言おうと思ったけどアイツがくたばるのはまだ先か。 それはそうと!益田家の家老が紹介されるとは‼︎ちょっとテンション上がった笑 永安氏という吉川氏の分家にまでフォーカスするとは、さすがです。 それにしても毛利元就公は本当に優秀で恐ろしい人だ...
@オットーカリウス-s1l
@オットーカリウス-s1l 27 дней назад
毛利与三、例の江良神六への苦情メールで「少しは働けや」と怒られてた「もり与三」ですか?
@SquareDeerHorn
@SquareDeerHorn 5 дней назад
@@オットーカリウス-s1l その通りです
@小野田宇部
@小野田宇部 27 дней назад
宮島PAのあたりかな?
@dafffffdafffff
@dafffffdafffff 27 дней назад
そのあたり、正確には四季が丘山中に古戦場があります
@dutj9ehr
@dutj9ehr 25 дней назад
新宮党粛清自体は妥当な判断だけど、粛清するタイミングが悪いよ。。北から尼子が侵攻してたら三つ巴のバランス崩れて大内、尼子が優勢になってただろうね。
@大魔王ゾーマ-b7c
@大魔王ゾーマ-b7c 27 дней назад
宮川さんいくつ笑
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 27 дней назад
ありがとうございます!
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 27 дней назад
本当にありがたい。仕事が好調でも 流石に長い夏に疲れが。これ見ながは休みます。
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#慧慧很努力#家庭搞笑#生活#亲子#记录
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