Vol.1 藤田初期のアトリエ3軒を覗き見 • 【藤田嗣治】フランスに愛された画家|フランス...
1922年に発表された「ジュイ布のある裸婦(寝室の裸婦キキ)」はフジタの特に重要な代表作で、この「乳白色の下地」という独自の技法によってフジタはパリの美術界で認められました。これは当時の西洋画壇の色彩豊かな塗り重ねられた絵画の逆を行く表現法で、つるつるとした滑らかな薄塗りの絵肌、最小限の色しか用いないモノクロームの色調、黒い墨による描線によって西洋美術の最も重要なテーマである裸婦を見事に描いたのです。
この時からフジタは時代の波に乗り、世界恐慌で絵画市場が大きく打撃を受ける1929年まで大いにわが世の春を謳歌します。新しいユキというパートナーを得て、豪邸に暮らし、運転手付きの車に乗っていたのもこの頃です。
1929年の秋、ユキとともに17年ぶりに日本凱旋を果たします。老いた父に成功した姿を見せたいという思いと、何とか日本での展覧会を成功させたいという気持ちでした。展覧会は大好評を収めたものの、日本美術界からは冷たい非難や批評を受けます。
その後、ユキともうまくいかなくなり、ついには離婚に至ります。フジタは再び北米、南米への展覧会を兼ねての2年以上に及ぶ旅に出ます。その時には4人目の妻マドレーヌ・ルクーを伴っていました。
1933年11月、二人は日本に到着。ようやく故郷で居を定め、暮らし始めますが、その3年後、マドレーヌは急死してしまいます。
この動画ではフジタの波瀾万丈な人生の1922年から1936年までを追ってみました。特にその中でパリで見られる代表的な作品、アトリエ住居などを訪れています。
幼少期からパリにわたってきた初期のフジタの足取りは前編でご覧くださるとなお一層ご理解が深まると思います。
フジタの旅はまだまだ続きます。続編をどうぞご期待ください。
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21 июл 2021