Тёмный

【5月東京空襲】清水千壽子さん戦争証言 

True Stories
Подписаться 1,9 тыс.
Просмотров 10 тыс.
50% 1

1941年(昭和16年)真珠湾攻撃。小学校4年生だった清水千壽子さんは朝のラジオで開戦を知る。当時の空気は戦意高揚一色。しかし、それも1944年(昭和19年)頃から怪しくなり、遂に翌年(昭和45年)年5月25日東京大空襲。家の防空壕を飛び出し、空から降ってくる焼夷弾の間を逃げまどう清水さん一家。しかし、千壽子さんと一緒に逃げる途中、父が倒れてしまう。八幡様の木の下で動かない父。迫りくる炎と煙。このままいたら自分も焼け死んでしまう…。13歳の少女にはあまりにも過酷な場面。千壽子さんは心を決め、独りで走り出した。
しかし、生き残った千壽子さんの眼に映ったのは、たった1日で焦土と化した東京。家も人もみんな消えて凄惨な光景が広がっていた。心に深い傷を追い、その後しばらく言葉を失ってしまう千壽子さん。しかし、長年封印してきたこの悲劇を、千壽子さんはついに孫のためにと語る決心をした。戦争からもう70年がたとうとしている。
インタビュアー:安彦和弘
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
これはWEBサイト「みんなの戦争証言アーカイブス」で公開している戦争証言インタビューである。
詳細はこちらをご覧下さい。
true-stories.jp

Опубликовано:

 

7 сен 2024

Поделиться:

Ссылка:

Скачать:

Готовим ссылку...

Добавить в:

Мой плейлист
Посмотреть позже
Комментарии : 4   
@YuliSayuri
@YuliSayuri 2 года назад
お父様も生きなさいときっと念じていたでしょう。辛いお話をシェアしていただきありがとうございました。
@user-pm3hk6do7j
@user-pm3hk6do7j 3 года назад
この方は当時も今も、最高レベルの教養を持つ日本人だと思います…
@user-pm3hk6do7j
@user-pm3hk6do7j 3 года назад
小さくても 質の高い平和ないい国であって欲しい… 孫たちが生きる後世への願い… モノを欲しがって外に出て行ったのが戦前… モノを欲しがって誘致誘致と言ってるのが今… 千寿子さんのおっしゃるような「質の高い」日本は、あれだけ死者を出しても無理なのか?
@user-pm3hk6do7j
@user-pm3hk6do7j 3 года назад
長浜のお寺の白い御飯と緑のお漬け物…
Далее
IT'S MY LIFE + WATER  #drumcover
00:14
Просмотров 14 млн
Прохожу маску ЭМОЦИИ🙀 #юмор
00:59
Hitler in Colour (4K WW2 Documentary)
1:10:44
Просмотров 11 млн
伊藤仁さん戦争証言
2:49:09
Просмотров 10 тыс.
増田要さん戦争証言
2:36:00
Просмотров 25 тыс.
藤澤一雄さん戦争証言
3:07:39
Просмотров 10 тыс.
太平洋戦争終結 満州からの引き揚げ
10:00
IT'S MY LIFE + WATER  #drumcover
00:14
Просмотров 14 млн