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【10選】現代でも使われる三国志が元ネタのことわざ・故事成語まとめ【ゆっくり解説】 

史記・三国志の世界
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鶏肋使いたいけどまだ使ったこと無い人多い説
あると思います。
◆引用した作品
【三国志】©横山光輝 Official Web © 光プロダクション 1950- All rights reserved.
©王欣太・李學仁/講談社
◆著作権について
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全て各権利所有者様に帰属いたします。
もし何かございましたら下記のGmailにご連絡ください。
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13 окт 2022

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Комментарии : 267   
@0928a1
@0928a1 Год назад
ケンタッキーフライドチキン食いながら、あばら骨を取り出して「鶏肋、鶏肋。」と言った三国志好きの友達がいたがそういうエピソードと意味だったのか。
@user-xd1nr7zc7s
@user-xd1nr7zc7s Год назад
そういう友達が欲しいわ!
@daisukenakayama375
@daisukenakayama375 Год назад
その人とは気が合いそうだ。
@user-uq1kz9ic5g
@user-uq1kz9ic5g Год назад
作り話しです。
@mario79lotus
@mario79lotus Год назад
「梅を望んで渇きを止む」は曹操の機転を評する言葉として使われますね。 元ネタは戦争に行ったとき水かなくて困った兵士たちに曹操が 「あの山を越えれば梅の林があるから好きなだけ食べろ」 (「梅=酸っぱい」という条件反射で口の中に唾液が出て口の中が潤った)と 鼓舞して渇きを忘れさせたこと。
@user-gr3cg3qr1z
@user-gr3cg3qr1z Год назад
鶏肋は、その後曹操が退却したときに楊修の顔が浮かんだ までがワンセット
@user-naonao1022
@user-naonao1022 Год назад
確かにそこまでキッチリ思い浮かびますね。
@user-nf5om6bg4f
@user-nf5om6bg4f Год назад
白眉と泣いて馬謖をきる、兄弟で真逆な故事成語なってるのがなんたとも 三国志好きなので楽しみ
@user-mp8tz8wy3g
@user-mp8tz8wy3g Год назад
某,T中Y樹氏も、「三國志」好きだから,あちこちに引用してるが、孔明は(あまり)好きじゃ無いみたいだ。(40年近く前)銀英伝,最初に読んだ時,[関羽や張飛まで幕下にいる]曹操軍V,S[劉備亡き後の]蜀漢て感じがした。特に(2巻の)アムリッツァ後。w
@bwjbb475
@bwjbb475 Год назад
確か正しくは「遼来遼来」だったような。「遼来来」は吉川三国志の造語じゃなかったですかね。「遼来来」が言いやすかったもんだから広まったようで。 阿蒙の阿の字は幼名に用いる言葉だったですかね。大人に言うのだから相当バカにしているのは間違いないですね。蒙ちゃん、蒙ちゃんってことですから。 趙雲に助けられた時の赤ん坊の劉禅の幼名は「阿斗」でしたし、曹操は「阿瞞(あまん)」でしたっけ。
@user-dk9yd9rw3h
@user-dk9yd9rw3h Год назад
料理人「殿、本日のメニューは鳥料理セットにございます。」 曹操「ほう、鶏肋か。」 オタ友「曹操さん、ジャンクPCを開けたら懐かしのCPUありましたよ。」 曹操「ほう、K6か。」
@user-te2th5di9y
@user-te2th5di9y Год назад
馬謖のフラグを回収しないとは
@user-ir7mk8mx2i
@user-ir7mk8mx2i Год назад
「破竹の勢い」も三国時代、というか厳密には西晋成立以降の時代になりますが。 荊州に駐屯していた晋の都督である杜預が孫皓の治める呉を、機は熟したと見て王濬と連携して侵攻した際、 あまりの進軍ぶりに簡単に折れることのない竹が薙ぎ倒されていくかの如くと例えられたと聞いています。
@user-dz4ik3hp1o
@user-dz4ik3hp1o Год назад
破竹はずっと竹は縦に切れ目を入れるとパカッと割れるからだと思ってた💡
@omega-omega884
@omega-omega884 Год назад
@@user-dz4ik3hp1o 一般にはあなたの解釈が正しいかと。けど、スコッチエッグさんの聞いた解釈も面白いですね。 仕事の現場に竹林があるとたいそう苦労する身としては特に…
@jaja19851016
@jaja19851016 Год назад
|ω・`)…破竹の2連勝……
@user-zd9ym3es9q
@user-zd9ym3es9q Год назад
ここで述べられなかった故事成語で、ぱっと思い付くのは「反骨」「死せる孔明、生ける仲達を走らす」あたりかな。 それと「七歩の才」で読まれた、豆を煮るに豆殻を燃やし・・・という漢詩が好きだ。
@user-dm5il7qv5y
@user-dm5il7qv5y Год назад
兄弟喧嘩や内ゲバを、豆を煮るに豆殻を燃やすと言いますよね、西郷ドンも寺田屋事件の顛末を聴いて言ったんですよね、もう薩摩は勤皇の二文字は言えんと。
@user-dm5il7qv5y
@user-dm5il7qv5y Год назад
寺田屋事件だった
@user-rk9ts9qd1x
@user-rk9ts9qd1x Год назад
面白い、チャンネル登録した👍
@mage_necromancer
@mage_necromancer Год назад
張飛の「おい水がいくぜ」はほんとエスプリ利いててすき
@user-ep1bw2tl7i
@user-ep1bw2tl7i Год назад
アニメでは 関羽「おい、水が行くぜ」 張飛「鼻水じゃねえの」 ってなってて、張飛ひでえって思いましたねw あれは台本なのかそれとも声優の藤原さんのアドリブだったのか…w
@_dammark2117
@_dammark2117 Год назад
曹軍が攻めてきた時の「大変な野火ですな、水を向けて消したらどうです」も好き
@user-fn3112ux4t
@user-fn3112ux4t Год назад
別のでは 張飛「これは水どの、ご機嫌麗しゅう・・・」 後に 張飛「オレは孔明殿を信じるぜ‼️」 関羽「お前、いつの間に水信者になったんだ❓」 張飛「なんせともに戦場を駆け抜けた仲だもんな‼️」 このやり取り好き
@yodani1236
@yodani1236 Год назад
楊脩の優秀だけどなんか腹持ちらなん感じをよく絵にしてるわ。天才やな
@user-uy6ir2vh4x
@user-uy6ir2vh4x Год назад
危急存亡の秋、出師の表が横山三国志49巻のオマケとして載ってましたね。すごい熱意が伝わってくるんですよねえ…。
@user-jf3ee1hx1k
@user-jf3ee1hx1k Год назад
はじめまして。昔の読んでた漫画と当時のやや厨二的な自分をも思い起こし、ニヤニヤしながら動画見ています。 故事成語ではないですが「昔むしろを織っていた男がついに漢中王を名乗ったか」を良く覚えています。 三国志も楽しみにしていますが、ぜひいつか横山光輝先生の「項羽と劉邦」や「史記」「殷周伝説」もお願いします。
@user-by2iz3xj1x
@user-by2iz3xj1x Год назад
曹否は『七歩で』『兄弟という言葉を使わずに』兄弟の詩を作らないと斬るって言ったんだよな。まさに殺す気まんまん。そして、『豆がらを燃して豆を煮るに、豆は釜中にありて泣く。元は同じ根より生ぜしに、相煎ること何ぞ甚だ急なる。』は、名作だからおぼえてしまった。同じ根より生まれた(兄弟)豆がらが、豆を茹でるというのはいったいナニがあったというの?みたいな意味なんだけど、スゲーと思った。
@user-wi6pu3lb9i
@user-wi6pu3lb9i Год назад
郭嘉が曹操に説いた「兵は神速を貴ぶ」も現代に通じる言葉と思う。大事なことほどダラダラやってしまうことも多いので、サッと取り掛かって、サッと終わらすということを心がけているが、できないんだなこれが。
@pomelove9502
@pomelove9502 Год назад
孫氏の兵法の「兵は拙速を聞くが、未だ巧久を睹ず」を思い出します
@Musyorin
@Musyorin Год назад
わ か っ て て も 出 来 な い
@user-bv2oy1kr8c
@user-bv2oy1kr8c Год назад
なかなかできないんだよねぇ。 失敗したら、単に拙速と言われてしまいますしねぇ。
@tesseract3280
@tesseract3280 Год назад
曹操(『魏武注孫子』の編者)「郭嘉、お前誰に孫子の講釈してんの」
@user-ej7rh6ht2l
@user-ej7rh6ht2l Год назад
反対に迂直の計もあるので兵法は臨機応変が大事
@user-jr6qx8hy8q
@user-jr6qx8hy8q Год назад
動画で挙げられなかった中で三国志由来と知って驚いたのは「花も恥じらう」と「玉のお肌」ですね
@anago34
@anago34 Год назад
是温州蜜柑成(うんしゅうみかんでございます) 温州の蜜柑は美味しいね、と言われているが実は温州は特に蜜柑の名産地というわけではなく、曹操が温州の蜜柑を美味しいという間違ったイメージを持ったことから発言、温州の蜜柑は美味いという誤解が広まったことから、イメージだけで軽はずみなこと言っちゃだめだよ、という戒めの故事である 民明書房刊「光輝くは横にある山である」より
@user-eigas
@user-eigas Год назад
温州みかんは演義の話で、産地は日本説もあります
@user-yg5je8ow4t
@user-yg5je8ow4t Год назад
自分としては、『老いて、益々盛ん』を挙げたいですね。 もとネタとして、黄忠があげられますが、自分自身歳を重ねても全力を尽くして生きて行きたいものですね🤗
@user-gr3cg3qr1z
@user-gr3cg3qr1z Год назад
故事成語とは違うが、謝罪や反省するときに頭を丸める(坊主にする)のは、石亭の戦いで周魴が魏に偽投降するときに頭を丸めたのが始まりだ、と聞いたことがある
@SecaRentahero
@SecaRentahero Год назад
これは渋いチョイス
@TM-sh6oe
@TM-sh6oe Год назад
鶏肋って言葉まんま今のプーチンのロシアやん。ズルズル戦争を続けても勝ち目は薄く、かといって撤退してしまえば国際社会からの批判以上に国内から糾弾されてしまうから止めるに止めれない状態なんだよな。
@user-naonao1022
@user-naonao1022 Год назад
そう考えると曹操の方がやりようによっては、勝ち目ありますね。
@user-ok2ou1iu5t
@user-ok2ou1iu5t Год назад
東京オリンピックと同じ でもプーチンはもともと続けるつもりだろ
@kerokerokr2508
@kerokerokr2508 Год назад
プーチンが鶏肉のボルシチ食べながら「鶏助、鶏助…」
@user-xj8vr4wj8k
@user-xj8vr4wj8k Год назад
飛檄 檄を飛ばす っていうのもそうですよね。 横山三国志で解説があったような記憶です。
@user-bq6cg9ht5r
@user-bq6cg9ht5r Год назад
曹操が董卓追討軍を結成する時の話でしたっけ?
@noriomurakami116
@noriomurakami116 Год назад
三國志から由来する故事成語って面白いものばかりですよね。 たまたま「望蜀」という言葉を知っていて、それが曹操が関連していたなぁと記憶していたので少し調べて みました。曹操から初出と思っていましたが、ちょっと勘違いしていたようです。 元々は後漢の光武帝の「蜀取ったるでーヒャッハー」(隴を得て蜀を望む。後漢書・岑彭伝)が初出で、積極性を意味するのに対し、 曹操は司馬懿の「蜀取っちゃいなyo!」という進言に得隴望蜀を挙げて「人間の欲望とは際限ないものじゃ」と戒め、結局 進言を採用しなかった(”望蜀の嘆”)とか。 現代で使われる意味としては曹操の言だけど、意味が真逆なのは面白いです。
@user-kg9kp7by1y
@user-kg9kp7by1y Год назад
曹操が劉備に向かって言った 「君と余だ」 が印象に残る。 故事成語ではないが・・・
@user-naonao1022
@user-naonao1022 Год назад
その直後に玄徳が、雷に恐がったフリをしている方が、どちらかと言えば印象に残っている。
@FUJIIHA
@FUJIIHA Год назад
まさに超クセ者同士の腹の探り合いで面白いよね
@user-bv2oy1kr8c
@user-bv2oy1kr8c Год назад
高校の国語の教科書の漢詩のところで、三国志関連がでてきた覚えがあります。出師表や水鏡先生の臥竜鳳雛の下りが書かれていたんですが、中でも七歩の詩はかなり衝撃を受けましたね。 曹丕の無茶振りとも言える「兄弟という言葉を用いずに兄弟をテーマにした詩を七歩以内で作れ」をあっさりとクリアしてしまった。おそらく詩が出来なければ命を失ったであろう状況でそんなことを平然とやってのける。しかもその内容は、当時三国志を全然知らなかった私でさえ感動して今でも内容を覚えているくらいです。 曹丕自身も詩人であったため、弟の天才ぶりには嫉妬しつつも認めざるを得なかったのでしょうね。
@user-eigas
@user-eigas Год назад
七歩の詩は創作なんですけどね
@user-eigas
@user-eigas Год назад
七歩の詩は創作なんですけどね
@user-si9me3jc4x
@user-si9me3jc4x Год назад
煮豆燃豆萁 豆在釜中泣 本是同根生 相煎何太急
@user-fl1lu2jf2y
@user-fl1lu2jf2y Год назад
饅頭も確か三国志が由来だったかな 孔明が南蛮平定した時、川に捧げる人の頭を饅頭で作った人の頭を捧げて孟獲たちを信用させたやつ
@user-gk3xw2hb5y
@user-gk3xw2hb5y Год назад
ですな ほかにも蕪かなんかを諸葛菜と呼ぶのも諸葛亮が育ててたからの所以もありますな なお逆に馬謖の演技での「敵を打ち破るには高所に位置取り竹を割るがごとく」うんたらかんたらの破竹の勢い これは彼より後の晋の将軍杜預が語源を持ちますね まぁ演技があとから作られたものだからしゃーないですが
@user-cg1gh3pn9y
@user-cg1gh3pn9y Год назад
演義で馬岱さんの兵が死んだり云々で南蛮の風習ではひとを生け贄にする、ってのをやめさせるために孔明先生が肉まん?をひとのかわりに捧げたとか🤔
@user-eigas
@user-eigas Год назад
孔明の饅頭は伝説で、猛獲を何度も逃がしたは創作です 反乱自体が半年ほどで鎮圧されたことのみが記されてます
@user-iy6xn6zv2e
@user-iy6xn6zv2e Год назад
『月旦評』の回にて曹操が、「治世之能臣 乱世之奸雄」と評された時に、「それもよい」の台詞は痺れました。
@user-ym3in3er4m
@user-ym3in3er4m Год назад
曹操のことを言うと、曹操が来る。(噂👂️をすれば影)この言葉を聞くと、妙に怖く感じる。
@user-ym3in3er4m
@user-ym3in3er4m Год назад
「彼奴は毒にも、薬💊にもならない。」と言うが、曹操は英雄にも、悪雄に馴れる、稀有な人材かも?。大陸の、3分の2を治める。歴史が必要とする時に登場する。
@omega-omega884
@omega-omega884 Год назад
自分が見た「マンガ中国の歴史」では「平和な世なら大悪党、乱世なら英雄」の方を採用して 許劭「これからの時代は乱世、お前の時代が来る…!(背中向けてキメ顔)」 曹操「ありがとうございます、きっと大きな人物になって見せます!」 ってシーンになってたけど、若い頃の曹操ならこっちの方が自分の中のイメージに近い
@user-mp8tz8wy3g
@user-mp8tz8wy3g Год назад
勝海舟の親父が、そう評されてたらしいね。w 信長等戦国武将の大半も、江戸中期の旗本or御家人の息子だったら、そんな感じだったのかもな?
@user-dm5il7qv5y
@user-dm5il7qv5y Год назад
@@user-mp8tz8wy3g 夢酔独言読んで、坂口安吾が堕落論を書いたと聴いたコトありますが。
@hironobushi
@hironobushi Год назад
単行本60巻の他に発行された『横山光輝の三国志面白ゼミナール』か『横山光輝の三国志辞典』に故事について紹介されていてなあ…
@user-naonao1022
@user-naonao1022 Год назад
そういえば、全巻に加え、面白ゼミナールも持っていたの思い出した。 どこいったかなぁ。 多分全巻と共に実家の倉庫のどこかに埋もれているはずなんだがなぁ。
@KinkedowNow
@KinkedowNow Год назад
モテモテ王国の「泣いて馬謖をメッタ斬り」はくっそワロタ。 あと「むむむ」とか。
@八塚斗浪
@八塚斗浪 Год назад
タヒせる孔明大爆走もクソワロタ記憶
@user-sj1px6lb5d
@user-sj1px6lb5d Год назад
銀魂はもっと酷いかも(下方面に)「女子3日会わざればパンパンしてみよ」とかw
@zz2414
@zz2414 Год назад
髀肉の嘆について補足すると三国志(後漢末期)の時代には鞍は有っても鐙が無く完全に太腿の締め付けで馬をコントロールしなければならなかったので馬に乗っていた武人の太腿に贅肉なんてつく筈もない 鐙(アブミ)は馬に乗る際に足を引っかける紐と輪で出来たアレ コレ無しで乗っていたんだから当時の人達の乗馬技術には恐れ入る
@user-eigas
@user-eigas Год назад
なので呂布や董卓は弓の名人なのです 戟とか振り回しても歩兵に掴まれたら、引っ張り落とされてしまう
@80fire71
@80fire71 Год назад
蒼天の関羽と張遼は強過ぎてもはや人ではない… 鶏肋好き 何かを泣く泣く諦める時に使って納得したい
@notolmitedexpress
@notolmitedexpress Год назад
お払い箱とか破竹の勢いとかも三国志よね
@user-vh4br7yg5q
@user-vh4br7yg5q Год назад
破竹の勢いが一番好き
@novuiwa2389
@novuiwa2389 Год назад
これは良チャンネル! 横山三国志実家にあったので子供の頃から何度も読み返してました( ´∀`) 作中でも「これは現代の~にあたる」みたいな説明があって勉強にもなりますね。
@user-uq1kz9ic5g
@user-uq1kz9ic5g Год назад
それなのに何でこの動画のチャンネル登録してないのだ?
@novuiwa2389
@novuiwa2389 Год назад
@@user-uq1kz9ic5g えー登録してるのにー
@user-wm5bo3sv9g
@user-wm5bo3sv9g Год назад
曹操の詩文の『老驥櫪に伏すとも、志千里に在り』(略して志在千里、驥は千里を走る馬、櫪は厩の事)。故中曽根総理大臣や渡邉先生(三国志の研究で有名な大学の研究者)がサインを求められた時に書いている言葉です。ゲームさんぽの『三国志14#2』を見ると意味がわかって感動しますよ。
@user-rw7mn2le3m
@user-rw7mn2le3m Год назад
志在千里は三國志14で取り上げられるまで全く知らなかったけど、ホントいい言葉。
@user-mp8tz8wy3g
@user-mp8tz8wy3g Год назад
でも平成初期に流行った「反,三國志」では、disられまくりの、曹操(猛徳)
@hs9370
@hs9370 6 месяцев назад
烈士暮年壮心已まず
@user-ej7rh6ht2l
@user-ej7rh6ht2l Год назад
死せる孔明生きる仲達を走らす ↓ 横山三国志「げえーっ孔明‼」
@user-zr6bk6zy6t
@user-zr6bk6zy6t Год назад
またスリキン見たくなりましたね~。 孔明が劉琦に積極的に策を授けなかったのは彼は劉備の配下で、その時劉備は劉表の好意で荊州に身を置いていたからですね。孔明自身、劉表とは縁戚の間柄ですが、自分が出しゃばって劉備の立場が危うくなることを避けたと。賢い孔明ならではの穏便なやり方です
@user-by2iz3xj1x
@user-by2iz3xj1x Год назад
やっぱ、待て待てこれは孔明の罠だ。が一番だな。
@eijiasuka984
@eijiasuka984 Год назад
あれ?待て!慌てるな!これは孔明の罠だ!じゃなかった?
@user-es1de5th8x
@user-es1de5th8x Год назад
「げぇ関羽」が好きだな(笑)
@anago34
@anago34 Год назад
そんなものはない!
@MD-jk3ol
@MD-jk3ol Год назад
呂蒙と孫権の話は好き。 俺も勉強してるんだけど、お前は俺より忙しいの?と殿様から諭され、昔の事を少しだけ知って欲しいだけだよと勉強を勧められる。仕方なく家庭教師つけて勉強したら最後は魯粛を驚かせるほど成長し、関羽を討ち取る事に成功している。 孫権が後に呂蒙は本当によく勉強したと述べてるね。
@user-zt9pi5qf3i
@user-zt9pi5qf3i Год назад
皮肉のタンすき。
@user-ct3eg1ox7s
@user-ct3eg1ox7s Год назад
多くの故事成語は乱世の中で産まれていったんだよね。孫子の兵法なんかは特に日常生活や仕事、人間関係での心構えにも通ずる所が多い 孫子でもなければ三国志でもないけど、個人的に好きなのは「刎頚の交わり」と「完璧」かな。どちらも同じ人が語源になってる。 三国志の中で好きな故事成語は動画にもあった「男子、三日会わざれば〜」と「三顧の礼」と「げえ!関羽!」だな
@tts-th3mc
@tts-th3mc Год назад
孫子は曹操が詳しい注釈つけて広まったし、ある意味三国志が元ネタと言って良い😉
@autumn_prismfox
@autumn_prismfox Год назад
「呉下の阿蒙」そのものも「いつまでも進歩しない人」の意味で故事成語になってますわな そもそも「男子別れて三日~」の話をさらに砕いて「見直す」という言葉の語源になったという説もあるそうで
@user-nj3ct6nm6f
@user-nj3ct6nm6f Год назад
泣く子も黙るって遼来来からきてたの知らんかった
@zerofatman
@zerofatman Год назад
「読書百遍義自ずから通ず」もそうですね。「魏志」王粛伝に記述があります。
@MrKkhg
@MrKkhg Год назад
自分は、曹操と楊脩のエピソードから生まれたという、有知無知三十里とかが好きですね
@user-fi7bd9rj7y
@user-fi7bd9rj7y Год назад
先頃、最終回を迎えたアニメ「ダイの大冒険」にも、三国志が元ネタのセリフがあります。 魔王ハドラーの命令で百獣魔団軍団長クロコダインが軍勢を率いて主人公ダイの討伐に乗りだしますが、逆に手傷を負わされて一時撤退。 そして、二度目。 格段に強さをましたダイに追い詰められたクロコダインが 「『男子、三日会わざれば刮目して見よ。』と言うが、あの時より強くなっている。油断できない。」 三国志のセリフがダイの大冒険で聞けるとは思わなかった。
@user-mt7qq9ku6m
@user-mt7qq9ku6m Месяц назад
クロコダインは魯粛だった…?
@user-lg1hs4dm7b
@user-lg1hs4dm7b 3 месяца назад
呂蒙と一緒に学問を薦められた蒋欽も後に孫権からはその行いは人々の模範となり、国士であると讃えられてるくらい成長しているのに陰に埋もれがちなのが悲しい
@user-mp8tz8wy3g
@user-mp8tz8wy3g Год назад
黄蓋のネタは、義経記の「勧進帳,関所越え」に、通じるな。
@yumewokanaeru-ch
@yumewokanaeru-ch Год назад
おもろい🎵
@akinya0711
@akinya0711 5 месяцев назад
曹植が官職を剥奪され追放されるのは子供の当時は「これは惨い」と思ったけど、その後の晋の時代には王子達が各地で反乱を起こすのだから、賈詡はそういうのも見越して「追放すべき」と助言してたんだろうなぁ…
@user-eh8em4mw6y
@user-eh8em4mw6y Год назад
白眼視(白い目で見る?)、画餅(絵に描いた餅)も三国志関係ですね。ある本に十人十色は蜀の蒋琬の言葉が由来のように紹介していましたが、もっと古い時代の言葉だそうです。
@maskd4p
@maskd4p Год назад
劉琦は三国志(横山版)で孔明を焦らせた数少ない人間の一人
@user-ok3nx7vj7p
@user-ok3nx7vj7p Год назад
はしごを外すってやつですねw
@maskd4p
@maskd4p Год назад
@@user-ok3nx7vj7p そういや日本語で「はしごを外す」ってあるけど、こっちのはまた意味が違いますよね?w
@takemaru073
@takemaru073 Год назад
「饅頭」「まんじゅう、まんとう」 孔明と孟獲の南蛮成敗後、激しい川を沈めるために生首ではなく、肉詰めして生地で作った塊を投げて激流が止まったのが「饅頭」の語源です。
@HonetsukiNick29
@HonetsukiNick29 Год назад
ことわざじゃないかもだけど、張任の“忠臣二君に仕えず”も偶に使う人がいますね
@user-og5dr6kf2y
@user-og5dr6kf2y Год назад
それ、旦那からのプロポーズの際に言い合ったっけ。「互いに浮気しない」って意味で。おかげでずっとラブラブです♡
@user-sw4fy2py6e
@user-sw4fy2py6e Год назад
もともと史記だけどな
@nekono_mimikon
@nekono_mimikon Год назад
三国志関連で言えば「十で神童、二十歳過ぎればただの人」も入りますかね。 孔子の子孫である孔融(10歳)が孟子の子孫を訪ねた際の、第三者からの評価ですが。 そう言われた孔融(10歳)は「では貴方も子供の頃は賢かったのですね」と返したそうです。
@user-lg3oi4xi8f
@user-lg3oi4xi8f 6 месяцев назад
疎きは親しきを間てず とはフェミニストとLGBTqとの争いにも使えるな。
@bunbunmaru111
@bunbunmaru111 Год назад
故事成語は三国志もだけど史記からも多くありますね。 秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた、「鹿をさして馬となす」が有名ですな。
@user-mq4sm1uh2x
@user-mq4sm1uh2x Год назад
落語の鹿政談みたい(笑)
@user-tn4no3bf4d
@user-tn4no3bf4d Год назад
こうしてみると、むしろ史記の方が凄いような。時代も遥か前だし。 完璧、四面楚歌、一攫千金とか普通に使うしなあ。 国士無双なんて麻雀の役にもなってる。 たまに引用される程度なら刎頸の友、呉越同舟、奇貨、臥薪嘗胆等数多すぎる。
@user-vf9ux6rh6o
@user-vf9ux6rh6o Год назад
そうですね 自分的にも故事成語≒春秋戦国(史記/戦国策)ですが、それでは再生数ががが キングダム以降多少は変わったのでしょうか 正直、三国志演義は羅漢中先生のロマン盛り盛りで「実用性」はあまり無い様な気がします
@Giandiego_Marazola
@Giandiego_Marazola Год назад
漢検1級勉強中に完璧は後ろに帰趙とセットで覚えました。 稀に四字熟語で完璧帰趙が出てきました。確か由来は藺相如でした。
@user-ct5ie9hn3q
@user-ct5ie9hn3q Год назад
鞭打ちの刑と棒叩きの刑は刑としての重さが違います。黄蓋が受けたのは棒叩きの方。
@user-gr3cg3qr1z
@user-gr3cg3qr1z Год назад
七歩の詩の(ある意味で)MVPでもあるお母ちゃんがおれへん
@Mr-cr5nf
@Mr-cr5nf 6 месяцев назад
「死せる孔明、生ける仲達を走らす」 「泣いて馬謖を切る」ってのが、出てない中ではパッと出たかな?
@user-mh4lp8lc5h
@user-mh4lp8lc5h Год назад
阿斗は日中辞典で愚か者って書いてありました
@user-dp3ut2fq7w
@user-dp3ut2fq7w Год назад
中国では「阿」という文字そのものに「~ちゃん」って意味があるんだよね 曹操も子供の頃は「阿瞞(あまん)」と呼ばれてたし、劉備も母上には「阿備」と呼ばれてた その息子である劉禅も幼名は「阿斗」だし、要は子供扱いするときの表現らしいけど 孔明の嫁も黄承彦の娘ってことで「阿承」と呼ばれてたとか
@user-pg1oi1nb2q
@user-pg1oi1nb2q Год назад
君子危うきに近寄らず 中国の数ある故事の中で一番実用性のある言葉だな
@so8661
@so8661 Год назад
現代三国志では、「登山家」が新たに加わりましたね(笑)
@cookdoodledoo8142
@cookdoodledoo8142 Год назад
その登山家、優秀な人なんやろなぁ きっと、兄弟も優秀な人たちなんやろなぁ
@user-ew9nl3hm1e
@user-ew9nl3hm1e Год назад
ちゃんと登山計画立てないから遭難改め「曹難」しましたね。
@user-cn3px7hy5s
@user-cn3px7hy5s Год назад
馬謖は優秀な登山家
@mnkmdst720
@mnkmdst720 Год назад
脾肉の嘆に関しては日々痛感してます・・・ 週末の楽しみで暴飲暴食したら月曜日には身体が重く意味不明な汗ダラダラ・・・
@saburiryu28go
@saburiryu28go Год назад
待て、あわてるな!これは○○の…
@user-ld1bb4pv6t
@user-ld1bb4pv6t Год назад
「老いて、なお盛ん」な黄忠は今回出てこない?
@user-gt6sz1gf5d
@user-gt6sz1gf5d Год назад
曹操が荀彧を引き入れた際に言った王者補佐する才有る者(王佐の才)も有名だな。元ネタは漢の三傑の一人である張良だが荀彧も曹操を補佐した優秀すぎる家臣だったが最後がな…
@user-vi8hx3dj1w
@user-vi8hx3dj1w Год назад
我が子房が来た!
@user-wm4qr8sw5f
@user-wm4qr8sw5f Год назад
まあ、理想主義者と現実主義者だったのだろう。ご両人は
@user-ct3eg1ox7s
@user-ct3eg1ox7s Год назад
曹操と荀彧では目指していたものが違ったからなぁ…ただそれにしたって名門荀氏の出で曹操にあれだけ尽くした人物を晩年冷遇したのはあまりにも不憫だったね
@user-it9tb4um2p
@user-it9tb4um2p Год назад
呉の軍勢は基本船で移動してるから、忙しくしていても太ももには肉が付くな。
@shionsan2000
@shionsan2000 Год назад
登山が何で山に登るのか?と問われて答える「そこに山があるから」って言葉は、実は歴史上初の登山家である馬謖が語源
@user-pe2jk9gp9d
@user-pe2jk9gp9d Год назад
張遼ってなまはげ扱いなんですか?
@user-uc8oe6gi5p
@user-uc8oe6gi5p Год назад
出師表の全文は横山三国志の出師の表の巻の一番最後に日本語訳(書き下し文)ですが載ってます。 馬謖は実は確かに評価が高いが劉備玄徳は大言の癖があるので重用しない様に諸葛亮孔明に言っていたらしい、しかし蜀とはいえども蜀一国でしか領土がなくその上夷陵の戦いで優秀なる人材をかなり失い(実は馬良はこの撤退戦で戦死したとされている)人材に乏しい蜀にとって馬謖は……………。
@user-rk4kf6sl4e
@user-rk4kf6sl4e Год назад
泣いていたのは馬謖の方で正確には泣いて嫌がる馬謖を切るとの噂も…
@user-ym3in3er4m
@user-ym3in3er4m Год назад
孔明を軍師と言うより、政治家と見れば?。
@Kamo-Hook
@Kamo-Hook Год назад
泣いてる馬謖を斬
@user-qx4hc5tr2g
@user-qx4hc5tr2g Год назад
孔明の悔し涙なんだよなぁ
@user-ek3fl7pw2v
@user-ek3fl7pw2v Год назад
処刑される方が泣いて詫びるのは普通ですからね。斬る方が泣いているから故事成語として残る。
@user-mp8tz8wy3g
@user-mp8tz8wy3g Год назад
「銀英伝、六巻」でも、皮肉たっぷりに流用されてたな。w
@yuyu-zv6wj
@yuyu-zv6wj Год назад
泣いて馬謖を斬るは日常のヒヤシンス回でしか使い道がない様に思える、、、
@user-qe2bw3rx3k
@user-qe2bw3rx3k Год назад
苦肉の計は苦し紛れの策と誤用してる人もいるね
@hs9370
@hs9370 6 месяцев назад
その意味で使っている人しか見かけたことがないです
@ticfetish2695
@ticfetish2695 Год назад
引用作品に蒼天航路も入れておいた方がいいのでは?
@prossi4802
@prossi4802 Год назад
「三顧の礼」もそうだよね
@user-lt5ee8ht2r
@user-lt5ee8ht2r Год назад
もっと酷いのが三扼九叩の礼、か・・・
@user-eigas
@user-eigas Год назад
禅譲のときも2回は断るのが儀礼なので、名士の採用も三顧の礼が普通のようです 張昭も何回か断ってる
@user-eigas
@user-eigas Год назад
儒教では身分差を徹底することで秩序とする宗教なので。ちなみに三跪九叩の礼は清朝からなのかな? 後漢宮廷内では、家臣は裸足が義務だったり、小走りしないといけなかったり、もっと大変だったみたい
@xingye1
@xingye1 Год назад
ごめん、仕事の報告書見てどうなけと?って感じになったな 出師の評
@yutakakubota187
@yutakakubota187 Год назад
泣いて馬謖を切る
@selgei9
@selgei9 Год назад
11:04 あれ?「馬氏の五常、白眉最も好し」の馬良は長男じゃなかったっけ?四男の説もあるのか
@h-kws6843
@h-kws6843 Год назад
字が季常なので四男ですね。
@wonder7397
@wonder7397 Год назад
「季」は中国語で「四」を表す言葉なので四男ですね。ちなみに馬謖の字「幼常」は兄弟の末っ子という意味になります。
@tmotchy93
@tmotchy93 Год назад
勉強になります!
@user-jr2db9zt9w
@user-jr2db9zt9w Год назад
語呂合わせ?でよく使われる?(自分がよく頭に浮かんじゃうw)人中の呂布馬中の赤兎…例(○ンチョーの夏、日…)
@user-yd6xr6jd3x
@user-yd6xr6jd3x Год назад
一つくらいは、民明書房に由来が載っていたりして。
@sapphinia
@sapphinia Год назад
古事記かも…
@user-naonao1022
@user-naonao1022 Год назад
載っていてほしいです。 byちな男塾
@user-rk9wc7ub1l
@user-rk9wc7ub1l Год назад
士別れて三日よりも、呉下の阿蒙の方が知名度は高い気がしますね。「呉下の阿蒙」単独ではなく、「呉下の阿蒙“にあらず”」と言って、成長した相手を賞賛する意味合いで使われる形式が多いと思います。
@user-zl7os7wr7c
@user-zl7os7wr7c Год назад
士別れて〜の方が知名度高いと思います 完全に個人の感覚なので根拠はないですが
@user-ok3nx7vj7p
@user-ok3nx7vj7p Год назад
あと、法は尊きを罰せずってのがあるがあれも三国志由来かな? 曹操は公正を期すために行軍中に発生した自分の失敗も自分で罰すべきだと思ってたが郭嘉(あるいは程昱だったかな?)が苦肉のダブルスタンダードでみんなを納得させることになった。 曹操が罰せられたら誰が軍を統べるんだ?ってことで。(軍を進める必要があるので刑に服してる暇などない) ただ、諸葛亮は馬謖の失敗の責任で自らを降格する処分を下したが、職務には影響させなかった…と思う。 これは正しい(名実両方を狙った)パフォーマンス…になるのかな。
@from4284
@from4284 Год назад
法不加於尊、春秋からの引用だね
@Merasa_
@Merasa_ Год назад
断琴の交わりはあるとおもったけどなかったか……
@user-by6kk1ps2q
@user-by6kk1ps2q Год назад
「老いて益々盛ん。」は入ると思ったんだが。
@user-ok3nx7vj7p
@user-ok3nx7vj7p Год назад
これは元ネタを知らぬものに誤解されてしまうんですよね…。
@user-mp8tz8wy3g
@user-mp8tz8wy3g Год назад
@@user-ok3nx7vj7p さんへ 黄忠、だよな?
@user-bi8jy7or1v
@user-bi8jy7or1v Год назад
@@user-mp8tz8wy3g元は「老いては益々壮なるべし」だと思われて この語句は馬超の先祖である馬援さんが由来なので時代が三国志より大分前 劉備が後漢の末裔でこの馬援さんはその後漢の建国に関わった人 後この語句は「老いても精力的に行動するべき」という心構えであって 「老いているけど元気な人」は矍鑠(カクシャク)の方に分類されるかとなおこっちも馬援
@MUSASI40
@MUSASI40 7 месяцев назад
遼来々と似たような言葉は世界中にあって フランスでは黒のエドワードが来る(黒太子) 韓国では鬼上官(加藤清正)が来るという話がある
@user-lp9ef4yd7n
@user-lp9ef4yd7n Год назад
待慌孔明罠
@takeob3889
@takeob3889 Год назад
現在ではキングダムがあるけど 史実ものを長期で描ける作家や 状況はネットくらい?
@user-re8ed8nw4l
@user-re8ed8nw4l Год назад
他に有名なのは白眼と破竹の勢いですね
@necomimispy
@necomimispy Год назад
判ったのは2つくらいで知らないものばかりだったわ あと馬謖って弟子だと思ってたら兄弟だったのか 「噂をすれば影」っていうのも三国志からというのは聞いたけど
@hs9370
@hs9370 6 месяцев назад
说到曹操就到曹操ね
@user-by2iz3xj1x
@user-by2iz3xj1x Год назад
ムムム→なにがムムムだ!
@kobayashitommy6521
@kobayashitommy6521 Год назад
水を得た魚ともいうね
@user-mp8tz8wy3g
@user-mp8tz8wy3g Год назад
「管ほう?の交わり(字を忘れた)」だった気がする
@user-kd7uk9kv8w
@user-kd7uk9kv8w Год назад
ダイナミックおうコラたこコラ!
@user-wx8wf3ji8t
@user-wx8wf3ji8t 7 месяцев назад
三国志大戦で張遼が自分で『遼来来』って叫ぶのすごい嫌
@kobayashitommy6521
@kobayashitommy6521 Год назад
歴史より国語の教科書に派手に載る変態www曹操一族
@user-ok3nx7vj7p
@user-ok3nx7vj7p Год назад
漢文の参考書に確かに曹操と曹植の名がありました。
@user-eigas
@user-eigas Год назад
曹操時代の改革は三公を廃止して自分が独裁したとかで 政治的改革は曹ヒ時代の九品官人法になるでしょう
@bakustyua
@bakustyua Год назад
劉備の息子、阿斗(後の劉禅)。この人を一生懸命守った(保った)ことが「阿保」の語源だったような気がしますが・・・皆さん、聞いたことあります?
@user-lt5ee8ht2r
@user-lt5ee8ht2r Год назад
アホの坂田をどう説明すればいいんだ
@user-eigas
@user-eigas Год назад
演義では趙雲が頑張ってるけど、史書では普通に保護されたとしかないのと 劉禅も故郷(益州は超ド田舎です)に戻りたいか訪ねられたときに、ここ(都)の暮らしも良いと応えただけで もしも故郷のがよいと応えたら(ここの暮らしに不満があるとして)、処分か処刑されてます
@blue-zs6ob
@blue-zs6ob Год назад
水魚の交わりはすごい相性がいいことの例えですが、魚は水がないと生きて行けないが、水は魚がいなくてもなんの問題もないと思うので、実は対等な関係ではないのでは?と思っています
@user-sv1kk2vb7h
@user-sv1kk2vb7h Год назад
魚も居ない水なんて、特に面白くもないただの水たまりでしかないでしょう。 さすがずっと語り継がれるだけあって面白い例えだとおもいます。
Далее
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