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伝統を守る父 斬新な挑戦をする息子 伝統の会津桐下駄 職人親子が見つめる未来《私の家族》 (23/04/02  

福島ニュース [福テレ]
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会津の地で桐下駄を作り続ける親子は、時代が変わる中で伝統を受け継ぐ難しさを感じつつも、新しい挑戦をしながら後世に伝え続けようとしていた。福島に生きる家族の姿を追った。
***
<年輪ひとつが貴重>
創業は1912年。福島県喜多方市の「黒澤桐材店」は、市内で唯一、会津桐の伐採から下駄の製作・販売までを手掛けている。
会津桐の特徴は、厳しい寒さが生むきめ細かい木目と美しい光沢。
「この木をどう活かすか。人間でいえば顔、下駄の表情がうまく出るかというのは割ってみないと分からない。桐は一般材と違って穴の空いたのが多い。虫とか傷、それを外して製材してどういう材料をとるか頭の中で」
そう話すのは4代目の父・黒澤孝司さん(69)
失敗は許されない製材の作業。木の状態を見極める目が求められる。切り出した製材の幅に、年輪が何本入るかで値段が変わってくるので年輪一本が貴重だという。
職人となり20年以上の息子の孝弘さん(43)も「まだそこの領域には達していない。なかなか難しい」と話す。
会津桐下駄は、左右の木目が対象となる「合目」が高級品とされる。
<4代目の決意 継いだ家業>
4代目・孝司さんが26歳の時に、父・栄喜さんが他界。家業を継ぐ覚悟を決めた。
跡を継いだ当時のことを「めちゃくちゃですよ、まず職人さんの見る目が変わってきたし。本来だったら親父がいれば聞けたんだろうけど、職人も辞めてしまうし。技術的な部分などは、同業者の先輩に丁寧に教わった」と孝司さんは振り返る。
最盛期は1970年ごろ。喜多方市内には会津桐下駄を作る店が10以上あった。しかし、価格の安い輸入材が増加。下駄の需要も減少していった。
「自分がこの仕事に就いた頃というのは、この桐産業自体が段々衰退してきた時代だったんですよ。だけど無くしては絶対に困ると思った」
「時代」と「伝統」その2つと孝司さんは向き合い続けている。
<5代目の決意 時代にあわせて>
大学卒業後、父の背中を追い続けている5代目で息子の孝弘さん。
漆塗りや革張りなど、伝統とモダンを融合した新たな桐下駄を作った。
「今までの下駄の雰囲気だと、使うシーンも限られちゃうと思いますので。色とか形、素材とかで今の人たちに履いて使って欲しいな。どうしたら使ってもらえるのかなと考えて、こういうのあったら面白いかなと」
これには父・孝司さんも「最初は何をやってんだと思った。こんなので売れるのかと。でも売れ始めた」と評価している。
「代々みんな違う気持ちで同じ下駄を作ってるにしても、時代に合ったものというものを作り続けているから残ってきてるのだと思う。最終的に、僕たちは伝統という部分をお客さんにも見てもらいたい。そのために一番大事なのは、下駄を履いて人の間口を広げることが一番大事かなと思います」と5代目・孝弘さんは話した。
<伝統・会津桐下駄のこれから>
孫の代その先の世代まで、桐下駄の心地よい音が響くように…製作する会津桐下駄は、年間一万足以上。全国から届く注文や修理の依頼に、真摯に向き合う。
祖父や父の姿を近くで見てきた孫娘・日和さんは「お父さんとかおじいちゃんの気持ちを感じられるような下駄になってる」と話す。
5代目・孝弘さんは「まだまだこれから挑戦しなくちゃいけない部分が多いので、伝統とか歴史に負けないように日々頑張っていきたいと思います」と伝統をつなぐ思いを語った。

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1 апр 2023

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Комментарии : 1   
@watawata2803
@watawata2803 Год назад
ラフな格好やな。キックバック知らんのか?
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