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大公開!憧れのTVサービスマンの鞄の中は何が入っていたのか? 

宮甚商店
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叩いて直した昭和の真空管TV。当時のTV修理技術者はラジオ少年のあこがれの的。その当時のかばんの中身に迫ってみました。

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30 сен 2024

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Комментарии : 423   
@タンコン-z6n
@タンコン-z6n 8 месяцев назад
テレビの裏で修理する時、この鏡をテレビの前に置きテレビの画像見ながら修理していたんだよ、
@knj0410
@knj0410 Год назад
鏡は裏側をメンテナンスしながら、ブラウン管の画面をモニターするのではないですかね。
@shin2447
@shin2447 Год назад
そのとうりですね
@harusukeasaoka696
@harusukeasaoka696 Год назад
はい、大当たりです(^^) TV修理の時に鏡を見ながら、機械部の画面調整を裏からしてましたからね。
@ywatanabe559
@ywatanabe559 Год назад
コンバーゼンス調整は 調整つまみ基板が手元に移動出来るように 配線が長かったのもありましたが 垂直の直線性や色の調整などは鏡があった方が よかったかも
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
いやー おはずかしい まったく気が付きませんでした たしかに大きな箱うしろからみえないですね
@MORIO1000-1
@MORIO1000-1 Год назад
後ろのツマミをグリグリするときに反射させて映り具合を確認していたという訳ですか。
@jp_yamato5011
@jp_yamato5011 Год назад
おそらく、CRTの偏向ヨークの傾き、コンバーゼンス、ピューリティ、色合い等調整するために ブラウン管を鏡に写していたものと思います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そのようですね 勉強になります! しりませんでした  というかこれは実際やってみないとわからないですね
@takahirokamada460
@takahirokamada460 Год назад
ブラウン管の調整懐かしいですね^_^
@denkichi9054
@denkichi9054 Год назад
鏡はテレビの後ろブタを開けて色調整をするとき、テレビの後ろから画面が見られるように、画面の前に角度を調節して置いて使う物です。じじーより・・・。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます そのようですね 非常に多くの方からお教えいただきました
@TheShue777
@TheShue777 4 месяца назад
うわ~、ガキの頃TVが調子悪くなると電気屋さん呼んで後ろ蓋開けてゴニョゴニョやってましたねw TV買うのにも何度も来させて商談してローン組んでました、 時には平行線で喧嘩になったりしてねww
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 4 месяца назад
そうそう 昔は家電も クルマも家にセールスマンが来て商談しましたね。
@kumakuma534
@kumakuma534 8 месяцев назад
鏡は、テレビに前において、裏側から画面の調整(上下左右)をするのじゃないかと、 思いました。テレビの裏側を掃除するにも、危ない。死ぬといわれていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 8 месяцев назад
そうですね・・ この動画もうだいぶ古いのですが その間 多くのTVサービスマンの本物の方たちのコメントで 調整用と教えてもらいました
@hikodono-zh4ty
@hikodono-zh4ty Год назад
電気屋じゃないんですけど、昭和55年頃、広尾の都立図書館に行って、故障したカラーテレビのサービスマニュアルコピーし、テスターで故障個所を特定し(ほぼ、トランジスタ、コンデンサ不良でした)、秋葉原で部品を買い修理してました。楽しかった。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
昭和55年だとまだブラウン管のTV時代ですね。さすがに真空管式はもうなかったでしょうけど まだ画面はブラウン管が幅をきかせていましたね。
@mangakoji
@mangakoji Год назад
鏡は多分、画面を見ながら裏から手を入れてドライバーを回して調整するためのもので 画面を写して見たんですよ。 他の方の回答あるかな?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
はい 多くの方からご指摘いただきました
@diyykaz7189
@diyykaz7189 6 месяцев назад
失敗談です。国産テレビが、14インチの頃、成城、南平台のお屋敷のお宅のテレビは、GE、RCAビクター、フイリップス等の外国製の21インチ型をトランスで117Vに昇圧して観ていました。修理訪問時、木製の重い裏ブタを開けるとき、手が滑って落としまい、ブラウン管のガラス製ネックを折ってしまいました。会社でブラウン管再生メーカーで再生して事なきを得ました。当時の大型テレビは70度で、後ろがかなり出っ張っていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 6 месяцев назад
お客さんのところで壊すと ちょっとどっきりしますよね!
@kenjimiyauchi9844
@kenjimiyauchi9844 Год назад
サービスマンがテレビの後ろから映像を見ながら修理するために必要なアイテムです
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
はい、かなりの多くのプロのサービスマンからコメントいただきました。
@gwater12345
@gwater12345 12 дней назад
逆にオシロもなく直せるということは、すべての回路の動作と画面表示(輝線)への影響を理解している、ということです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 12 дней назад
昭和30年当時のアマチュア無線1級の試験は 主要真空管のピンアサインを暗記できていないと合格できませんでした。 理論というよりも昔は修理やメンテナンスに主眼が置かれているということです。 最近わたしも真面目に当時の1アマ無線工学試験を解いてみましたが 合格点は取れないほど難しいです。
@6234park
@6234park Год назад
鏡はCRT(ブラウン管)の画像を確認するためのものです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そのようですね 多くの方からも情報いただきました 昔のTVはでかかったですね
@おっさん222
@おっさん222 Год назад
白黒テレビ、よく壊れました、当時の、親の月給が数万円の中、修理代4000円以上払っていた記憶があります、中学一年の頃、友達の家のカラーTVがうらやましいかった、巨人の星の画面下のカラーの表示が悲しかったです😢
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
当時は カラーTVは憧れでしたね。金持ちの家にいってカラーでTV見た後 家にかえって白黒みると暗い気持ちになりました 笑
@駒罵良明
@駒罵良明 3 месяца назад
昔、松下のサービスステーションは23区に一つはあったのにほぼ、壊滅(泣)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 3 месяца назад
最近街のパナソニックのお店も少ないですね
@teruomorimoto58
@teruomorimoto58 Год назад
私も昭和41年、某大手メーカーのサービス部門に入社してテレビのサービスマンを10年位しておりました。オール真空管から球石混合になり、IC化されましたが、ブラウン管テレビは重くて大変でした。現在、後期高齢者となり、大変懐かしく拝見いたしました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます。まさにわたしが小学校で憧れた年代、憧れのサービスマンだったんですね!
@薫松島-k2x
@薫松島-k2x Год назад
いつも楽しく拝見させていただいております。 この度の鏡の件は、テレビの裏蓋を開けて修理・調整するので、反対側の画面を映し状態を確認するために使っていました。 懐かしくて涙が出ました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます 多くの元サービスマンの方から ご指摘いただきました! TVは昔はおおきかったですもんね
@駒罵良明
@駒罵良明 3 месяца назад
鏡はホワイトバランス調整の為では?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 3 месяца назад
tVの裏から 前がみえないからだそうです
@saboten1234-v9s
@saboten1234-v9s 4 месяца назад
泣ける良い話でした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 4 месяца назад
ありがとうございます。三丁目の夕日時代 兄弟でチャンネル争いありましたね
@笠原貢-t7j
@笠原貢-t7j Год назад
壊れたテレビ ロマン溢れるこのカバンで映らないテレビを創る
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
創はすごい腕前ですね
@レイトンジョン
@レイトンジョン 6 месяцев назад
消磁器は必需品でしたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 6 месяцев назад
そういえば テープレコーダーもよく使いましたね
@chan9418
@chan9418 Год назад
こりゃたまんないわ(笑)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうざいます なんのことだかわかりませんが
@user-SagiRipper
@user-SagiRipper Месяц назад
TVサービスマンの鞄に、鞄の蓋の内裏に全面鏡となっていましたが、これは、テレビボックスを開けて裏から調整する時に、画面が見れないので鏡で反射させて見ながら調整することがあったのではと想像します。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Месяц назад
はい 既に多くの方からその情報いただいています
@kumadesunen
@kumadesunen 7 месяцев назад
私も20代の頃は、家電系に働いていました。 先輩が真空管時代からやっていた人で、ドライバーの柄で真空管の頭を叩いて駄目な球を探したもんだと言っていましたね。 私の時代はトラブルシュートを参考にテスターで見る時代でしたが。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 7 месяцев назад
あこがれました! TVサービスマン こどものころの憧れはジェットパイロットかTVサービスマン!
@paisley6660
@paisley6660 Год назад
私の記憶では、テスターは入ってたと思います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
このかばんにもテスターはさすがに入っていたと思います。おそらく使えるもの(工具類なども)はさすがに抜いたと思います。
@mariomuramatsu3091
@mariomuramatsu3091 Год назад
このミラーは、技術者が修理中のセットの後ろから作業しているときに、テレビ画面から画像を反射するためのものだと思います.
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そのようですね。非常に多くの方からもご指摘いただきました ありがとうございます
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Год назад
工具があまり入っていないのは、鞄を入れ替える時に抜いたんでしょうね。 半田ごてやニッパー、ラジオペンチ、ドライバー、みんなお気に入りの良い工具を 使っていましたから。
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Год назад
私はトランジスタからICの世代ですが、まだディスクリートで回路を追いかけて修理していました。 家電ではありませんが、修理の仕事は似たようなものですね。 最初の頃は青焼きの図面も使っていました。 新機種が出ると工場に行って修理方法を教わるのですが、工場の作ったフローチャートは ほとんど役に立たなかったですね。 何故ならば、製造時にトラブルシューティングした時の事例程度で、あとは 「こんな故障が起こるだろう」という推測で作ったフローチャートだったからです。 なので、実際に修理して事例をメモして積み上げるのが最も効率の良い方法でした。
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Год назад
カーボン複写の修理報告書も使っていましたね。 確かに、下敷きするのよく忘れてダメにしました(笑)
@BB-bm5ox
@BB-bm5ox Год назад
12BY7A、何か聞いた事があると思ったら、アマチュア無線の送信機で 使われてましたね。懐かしいです。 有難う御座いました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
その通りだと思います テスターや工具はまだつかうので抜いたと言っていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
12BY7Aはヤエスもトリオも当時の真空管無線機のドライブですね。 とてもいい球だと思います 送信機にもアンプにも使えて安い・・・
@makinori2758
@makinori2758 Год назад
たった2本のドライバー・・・ でもそれは修理前に高圧を放電させるという重要な役目を担っております。 +をシャーシに当てつつーをアノードキャップに差し込む訳です。 本来はゴム手袋等で防護すべき作業なのでしょうが何時もの事なので素手でやります。 惚けてうっかり軸を握ってしまい思い出は美しすぎてどころか走馬灯が見えちゃったりする事があるのも遠い思い出でございます。☄
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
たしかに トランスレスとか 感電しやすい構造もあったんでしょうね
@キムラぎあ
@キムラぎあ 2 месяца назад
画面ブラウン管のチェック用ですかね!
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 2 месяца назад
そうですね
@haghag1951
@haghag1951 Год назад
これはいいですね。私昭和26年3月生まれですけど、宝箱見せていただきました。 工具箱の鏡は、多分画面の調整や、シャシーの裏を点検するためのものだと思います。私の兄が鏡使ってました。 私は未だに真空管アンプなどいじっていますが、今では私の耳は既に朽ち果てています。 高調波ノイズなど聞こえるはずもありません。スピーカーコードなど針金でも変わりません。 だけど、見た目は拘っています。宮甚商店さんの説に「ごもっとも」と思っております。 オーディオが大好きです。ご活躍を願っています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
コメントありがとうございます。 高調波ノイズや針金コード、まったく同感です! これからもよろしくお願いいたします
@sin-0213
@sin-0213 Год назад
鏡の件で メンテナスする時に、ブラウン管画像を鏡を見ながら、調整していました。 古い機種は本体の後ろ側に、微調整する場所が事が多いので。 また、アナログなので調整が面倒でした。 あと、アナログのテスターが有れば、簡単な修理できました。 懐かしいです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます 昔のTVの筐体はおおきですもんね!
@小林通康
@小林通康 Год назад
その鏡は多分、色温度とコンバーゼンス調整に使っていたと思われる。実際には直接目視が主体で手鏡を併用していた。
@やまちゃん-k5m
@やまちゃん-k5m Год назад
アナログのカラーTVの仕組みをマスターすれば、高周波から低周波まで、変調の種類や音声と映像の多重受信の仕組み、更に色のマトリクス回路による再現、水平や垂直の同期や掃引や輝度の変更の仕方、ブラウン管への高電圧の生成方法等々、電子回路のほとんどが学べる良い材料でした。 今は、ディジタル放送になり、USBメモリの形状の受信器等流通していますし、仕組みを今更勉強する気が萎えてしまいます。 やっぱりアナログ回路が電子回路を理解するのに都合が良いです。 今は、修理して長く使っていく文化がだんだん無くなっていくようで残念です。 そう思うのは私のような年寄りだけでしょうか?
@タラちゃん-n1g
@タラちゃん-n1g Год назад
ほんとテレビは電子技術の宝庫です。オーディオアンプとかの比じゃないです。NTSC方式を理解できたときは感動しました。
@waterspring9530
@waterspring9530 Год назад
おっしゃる通りですね。手元に1972年の回路図集があったので眺めたら、各社とも3~4個のDIP-ICが使用されています。ICが使われていてもよいですが、できれば1970年より前くらいのICが使われていないテレビの回路が理解できれば、ひと通りのアナログ回路の基礎が学べます。子供の頃、テレビに付属していた回路図が折り目から割けてバラバラになるくらい眺めていました。
@タラちゃん-n1g
@タラちゃん-n1g Год назад
@@waterspring9530 私のころは信号処理は殆どIC化されていましたが、それでもICのブロック図が日本語で書いてあり、何をやっているかの概要はつかめました。 会社の入って最初の仕事がアナログICの設計をやったのですが、逆にディスクリートの回路は読めませんでした。同じLやCトランスといった部品でも用途によって全く違った振る舞いをするように見えて難しいですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
たしかに オーディオプラス画像ですから アナログの王様技術ですね
@堀江篤-i2e
@堀江篤-i2e Год назад
テスターはどうしたんだ??!! 絶対使うでしょう。 だれか教えてくれ。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
テスターは金目なので すぐに抜き取られたそうです 笑
@堀江篤-i2e
@堀江篤-i2e Год назад
@@miyazin-shoten さま 銭ずら、銭さえあれば、なんでもできるずら。 ですかね。 でもテスターがそんなにも金目の物とは・・・・。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
@@堀江篤-i2e まあ金目というよりも 他はぜんぶゴミなので とりあえずテスターはまだ使えるので仕事でつかっているのだと思います
@堀江篤-i2e
@堀江篤-i2e Год назад
@@miyazin-shoten さま 返信ありがとうございます。
@happyturns1830
@happyturns1830 Год назад
とても懐かしいですね。私も子供の頃、TVサービスマンが年に1回ぐらいTVの修理に来ていました。分解して回路図をみて、ときにはオシロを使ってアッという間に修理することから私にとっても本当に憧れの存在でした。当時TVは高価で修理して使うのが当たり前で、1年に一回の割合で何処かしら壊れていました。しかも現在のように基板交換の修理はせず、当時はディスクリートで回路が組まれていたので回路を追いかけて故障部品を見つけ部品交換をすることで修理していました。だから回路動作をしっかり理解していないと修理が出来ない、ある意味本当の修理エンジニアでした。動画のカバンにテスターがないのが気になりました。。。とても懐かしい楽しい動画をありがとうございました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
テスターは 高かったので当時抜いて使ったといっていました。  たしかに当時は直して使うのがあたりまえで技術力がたかかったんでしょうね。 私は自動車整備士ですが 車もいまは診断機で出た答えに従って 部品替えるだけ・・これば修理とはいえないですね。だから今の若い整備士はほとんど古い車は直せません。
@釈応統
@釈応統 Год назад
いや~懐かしい! 昔、NHK教育(3ch)でテレビ修理講座があって、それ見て勉強しました。 テスターと自作したオシロを使って何台か修理したことがあります。 多いのは真空管不良、高電圧に集まった埃が炭化して吸湿してリーク、ケミコン不良、等でした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そういえばNHKでラジオやTV修理の番組ありましたね 無線やオーディオも いまはもうものつくりや修理は流行らないんでしょうね 残念ですね
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
@ゆびはらじゃねーし そうですね。もう中のいじれない機器は なんかブラックボックスみたいでさみしいですね
@haruki9920
@haruki9920 6 месяцев назад
地上波でテレビやラジオの修理口座やってるとか、考えられない時代です
@大本綾乃-t1i
@大本綾乃-t1i Год назад
鏡ですね。 他の方もかかれているようにモノクロTVだったら偏向位置・画位置・画寸法の調製に鏡使いましたね。 コンバーゼンスカラー調整には欠かせないアイテム。苦労して調整した事思い出しましたです。 ボクも将来の夢は町の電気屋さんでテレビ修理する事でした。 テレビ修理屋さんにはなれなかったですが、今は電子顕微鏡の修理やっています。 修理って楽しいですよね。壊れた物が直った時の感動は・・・。 当時、勉強したテレビジョン技術はとても役に立っています。。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そうですよね 修理は 電気も自動車も 修理は推理といわれるくらい 面白いですね でも今は自動車メカニックは 診断機にかけて それの指示にたがい 部品アッセンブリー交換するだけです さみしいですね
@大本綾乃-t1i
@大本綾乃-t1i Год назад
@@miyazin-shoten さま その通りですね。 今の仕事も始めた当時はオシロスコープなどでポイントチェックして半導体やら交換していましたが現在はパーツの交換が現地では難しくなっています。 エンジニアではなくチェンジニアです。 でも、あのナショナルのトランクは良いですね。ボクも我が家にテレビ修理に来た修理屋さんに憧れ作業中にあれこれ質問しましたね。たぶん迷惑だったと思います。魔法の箱です。
@suzukimaxx2141
@suzukimaxx2141 Год назад
サービスバッグの鏡はブラウン管の前において画面を見ながらセットの調整をするためのものだと思います
@diyykaz7189
@diyykaz7189 9 месяцев назад
いつも楽しく拝見しています。63年前頃都心で19歳でテレビサービス専門のサービスマンでした。当時は14インチ10万以上していました。チャンネルも5曲しかなくて、しかも、昼間は放映しない局もありました。バイクにアルミのトランク。町の電気屋さんが直せなくてお客から預かってきたテレビをササっと直して「おにいちゃん、すごいね!」なんて褒められて舞い上がっていました。お客さんからお昼はかつ丼かハイライト2箱が定番でした。昔はよかったなあ。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 9 месяцев назад
街の電気屋さんでさえ 庶民は凄いとおもっていたのに メーカーサービスマンはさらにすごかったですよね。まさにプロ かっこよかった
@diyykaz7189
@diyykaz7189 9 месяцев назад
@@miyazin-shoten初任給7000でした。 CHも1,3,4,6,8しかなかったです。 4chだけが麹町で、屋根に登ってアンテナの方向調整が嫌でした。
@2460kiyosi
@2460kiyosi Год назад
ガキの頃修理に来てくれたテレビマンの仕事ぶりをみて自分も電子技術者に憧れました。鞄の中は紹介してくださった内容に近く、真空管や修理のための資料やハンダゴテがコンパクトに纏められて入っていました。その後自分は努力が足りなくて今は全く分野外の仕事に進み60歳を迎えようとしています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
わたしも サービスマンに憧れましたが 理工系には進めず ずっとあこがれのままジジイになってしまいました
@mnet708
@mnet708 Год назад
昔のテレビは4本脚で修理時にはテレビを横に寝かせ顔をテレビの裏側忍ばせて何やらゴソゴソ調整、当然ブラウン管の写りが見えませんので、 鏡を手前に置いて反射させて調整していた、この真空管がボケていたため交換したなどわかったことを言って、親父を煙に巻いて、当時の昭和40年台で 2000円の請求書を出していた。 なんてことない結局はテレビは2,3日後また故障で、学校から帰ったら新しい白黒テレビに交換されていた。 あの真空管はどうなったのだろうと当時子供ながら使えない電気屋とつくづく思っていました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
昭和40年代 東京オリンピックでモノクロからカラーに替わる すごいじだいでしたね
@代ちゃん-n5k
@代ちゃん-n5k Год назад
昔話とても懐かしいです、50年ほどサービスに回り修理を行いました。 家電すべてです。 松下電器、ナショナル、Panasonicと真空管、ハイブリッド、トランジスタとIC全盛期まで。 いまは定年て毎日日曜です。 関西の販売会社のサービス専門でした
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
まさに このかばんの中身とともに人生をお送りになったんですね。サービスマン憧れでした!
@tks5138
@tks5138 Год назад
飲食店のテレビ修理の時、テレビの裏蓋開けたら大量のゴキブリが出てきてビックリした事を思い出しました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そうですね ねずみ ごきぶり あったかいからなおさらですね 笑
@幸次安田-e7i
@幸次安田-e7i 11 месяцев назад
私、昭和36年生まれなんで、宮甚さんの話し、いちいち、頷いてしまいます、私が小学生低学年のころ、 我が家の1台しかなかった、ブラウン管テレビが、故障したとき、大きい 鞄を持ったサ―ビスマンのお兄さんが来ました、結局故障原因は真空管が1本、切れてたのが原因でした、 お兄さんが素早く真空管を交換すると、すっかり治りまして、凄く感動したのを昨日のように覚えてます、 動画いつも楽しみに見てます、頑張って下さい。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten 11 месяцев назад
ありがとうございます サービスマンとナショナルキッドは 子供のヒーローの時代でしたね
@Nageyari3
@Nageyari3 Год назад
昭和の元サービスマンですが、私の時代は既にトランジスタ全盛期でしたので流石にチューブのスペアを持ち歩くことはなかったですね。ちらっと6JS6か6KD6みたいなのが見えていますね。 鞄に鏡を仕込んであるのはおそらくですがむかしのTVは家具みたいにデカくて筐体の裏蓋を開けて調整する際に画面の様子を確認するためだったのではないかなと推測します。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
鏡は そのようですね 勉強不足でした というかやってみればすぐわかったかもしれませんね 笑
@2oh874
@2oh874 Год назад
TVサービスマン、昭和45年位まで我が家にもよく来てくれていました。カバンの中身は真空管だらけだったように記憶しています。修理といっても真空管の差し替えだけでした。半田ごてを使っているところは見たことはなかったですね。最後に修理に来てくれたとき、サービスマンの方が新しいTVに気が付かれすごく悲しそうな顔をしていたのが印象的で今でもよく覚えています。懐かしい動画をありがとうございます。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
こちらこそありがとうございます。 たしかにはんだごてをつかうよりも 真空管の交換がメインだったんでしょうね
@ryu0909rk
@ryu0909rk Год назад
懐かしい、、! 僕も20歳前後、これやってました、、。パブリカトラックに乗って。 フライバックトランスに触って、ドッカーンと遣られたり、、、懐かしいものをありがとうございます!”。 鏡はね、自分がテレビの裏側に居る時に、表側のCRTを映してみるのですよ。(大きなカラーTVの時など)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
鏡の件ありがとうございます さすがに経験者ですね! やはり実践あるのみ
@0909fluorite
@0909fluorite Год назад
電気屋さんの修理スペースには鏡が置いてあります、テレビの調整ノブは裏側についているので、調整しながら 前の鏡に映ったブラウン管の映像を確認します。 これをへぇーっと感心していたら、仕事場何てこんなもんだよ。って言われました。 はんだの余りはお菓子のブリキの蓋に、ペシッと投げつけてクリーニングは濡れ手ぬぐいじゃ無かったかなぁー。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
鏡は言われてみるとなるほどですね”
@32gski12
@32gski12 Год назад
いつも楽しく拝見しています。 サービスマンは、テレビの後ろにいるので画面を常時見るのが困難な為 鏡は、テレビ画面を見るのに使用するものでは?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そのようですね。たしかに見えないですもんねうしろから!・・・
@酒井哲明
@酒井哲明 Год назад
もう、 宮甚さんたら、 おじさん、じじホイホイじゃないですか。 テレビ修理は覚えていますよ。 どこの電器屋さんかは忘れましたが裏蓋開けて基板外して、 半田ごてあてて修理していました。 テレビの記憶がビクターの純白! 21型。 最大時はこのテレビを家族8人で見ていたものです。 テレビには回路図がぶら下がっていましたね。 昭和63年に僕が社会人になったのを期に徐々に減って、 何だかんだで今は2人だけです。 乗客の降りたバスみたいな状態。 ところでわが家は未だにブラウン管テレビが現役です。 壊れないんです。 リビングの僕専用の14型は台風水没しましたが洗って乾かして復活しています。 こちらはブルーレイレコーダーとBSCSも視聴可能。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ブラウン管のTVすごいですね おそらく実用につかっているひとは 少ないのでは? ジジイホイホイかかっていただきありがとうございます
@gbc025026
@gbc025026 Год назад
昭和時代のテレビには取説と一緒に回路図やサービス資料も付属していましたね。その回路図の隅に修理に来たサービスマンが書いたと思われる計算式のメモが有ったのを覚えています。怪しい箇所の電圧をテスターで確認して手計算を駆使して故障箇所の切り分けを行っていたのかと。当時のTVサービスマンは自分にとってもヒーローでしたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
すごいですよね。車の整備士もすごかった。 いまじゃコンピューター診断機にかけて それに命令されてアッセンブリー部品の交換しかできないですからね。私の方がクルマの修理レベル上という悲しい状況です 笑
@深川良一-b3s
@深川良一-b3s Год назад
なにしろ、「懐かしい」宮甚さんがいるから昭和は未だに生きています。昭和世代永遠に
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます 昭和・・・いい時代でしたね!
@01tomi76
@01tomi76 Год назад
昭和50年頃家電サービスマンやってました、アタッシュケース懐かしいです。ケースの蓋側の方にはゴムバンドが付いていて、真空管をびっしり入れていました。 パワートランジスターはメーカーからリコール品でよく取り寄せていましたが、今と違って一般には公表されていなかったように思います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
当時は車もリコール予備軍がいっぱいで ほとんど公表されていませんでしたね。けっこうやばいのもありました。
@masayukihirashima2759
@masayukihirashima2759 Год назад
いやあ懐かしい😂 昭和40年後半から、そのカバンのメーカーでサービスマンをやってました。同様の書き込みをされてる方がいて余計感激です。 私の場合、その手のカバンを3個車に積んで出張してました。 街の電気屋さんに手に負えない故障とか、今で言うリコールの処置を当時は公表せず、保証書の住所氏名を頼りに訪問して部品交換するのですが、すんなりとは家に入れて貰えないとか有りました。ま〜故障してないテレビを名刺一枚で委ねるのですから怪しまれて当然かも。 当時の機器は重くて、修理時裏返すのが一番シンドかったです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
いやー 貴重なお話ですね。 車も家電も当時はリコール制度がなかったでしょうし あっても隠しリコール対応多かったですね。  なにも悪くないTVを訪問して直すっていうのは たしかにスキルが必要ですね 笑
@madkenkyujo
@madkenkyujo Год назад
シビレました。お宝です。鏡はテレビの裏側から、画面をうつして見ながら調整する時に使うと思います。動画を拝見しながら、子供の頃に、うちに来たサービスマンのカバンを思い出しました。当時、部品なんかどこで売ってるのか知らないから、欲しくてたまらなかったものでした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
画面確認のようですね ありがとうございます
@nekojarasii5
@nekojarasii5 Год назад
鏡は映像を見ながら診断や調整をするために使います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そのようですね 多くの方からコメントいただきました 昔の筐体はでかかったですからね
@まさき草刈
@まさき草刈 Год назад
懐かしい。私も低学年の頃で、その場で修理する電気屋さんに憧れました。ケースはジュラルの分厚いやつで、その影響もあり工具箱はアルミです(使いこまれ光沢が無くなったケースがカッコ良かったなー) 中身は真空管の赤箱と修理マニュアルは覚えてます。私にとって、ケースは人生に大きく影響しています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
みんなあこがれたんですね!
@subaru_clover4
@subaru_clover4 Год назад
鏡に画面を映しながら、裏で中味を触ったりして修理したのかも知れませんね?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
多くの実際のサービスマンの方から そのようにご指摘ありました! むかしのTVはでかかったですね 笑
@mr75km
@mr75km Год назад
マッチドペアは座ぶとん一枚!鏡は調整時にブラウン管を写すためのものですよね?我が家御用達の電気屋さんは真空管式のカラーテレビに苦戦してました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます 鏡はたしかにいわれてみるとその通りですね
@nishimurat.1254
@nishimurat.1254 Год назад
コンバージェンスの調整には鏡は必需品ですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
イヤー勉強不足でした ありがとうございます
@酒井太一-x9x
@酒井太一-x9x Год назад
電気屋のおっちゃんテレビ修理~クーラー取り付けなんでも出来たね、すごい人やなぁ、あこがれました。テレビ修理来た時必要部品をジュラルミン製の鞄の中をおっちゃんといっしょに探しましたです
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
まさに魔法の鏡 まほうの玉手箱でしたね
@jayowasi5493
@jayowasi5493 Год назад
同じ世代で66歳です。小生も同じような事してました。小学生からゲルマラジオ〜中学生で、並三や、高1ラジオ、ヘテロダンと、進み、高校1年で、6ⒷⓆ5シングル、高2で6ⓇⒶ8ppステレオを製作し社会人で6CⒶ7〜8045Ⓖと進みました。宮甚さん気持ちが良く解ります。小学生の時に家の白黒テレビの修理人が来たときには、興味を持ち!アタッシュケースがスパイ大作戦の万能武器のような憧れの眼差しだった事を思い出します😊 高校生だった当時は、恋心寄せていた美代子ちゃん💕と言うマドンナが居ました。 『50年ぶりに会ったミヨちゃんが!普通の婆さんになってた』と、聴いて😂思わず吹いてしまいしまいました😄‼️👍👍(実話だ😅)ワ〜ハッハッハ😅😅😅面白い‼♪👏👏パチパチ😸すごく共感します😉
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます 年齢もおなじ アンプの球も同じ・・・まったく同じような人生ですね。なんか心強いです
@しんべえ-e9e
@しんべえ-e9e Год назад
自分もこのバックが憧れでした!ただ時代が進んでいてIC化されたモジュールごと交換の事が多かったですけど
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
だんだんアッセンブリー交換ですね 車もいまやアッセンブリーの時代ですね
@yultuku
@yultuku Год назад
青焼きが懐かしい。日に当たると劣化して色が落ちるから上から手書きしてるところが当時の苦労が忍ばれますね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
これも当時の文化ですね カラーコピーなんて夢の時代ですね
@ちびたちびた-p6r
@ちびたちびた-p6r Год назад
宮甚さんと私同じぐらいの年齢ですね。すべてが懐かしいです。日立のポンパ列車が街にやってきたり。電化製品にロマンがあった時代ですね~。楽しい話題ありがとうございました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
やっぱり サービスマンに憧れた年代ですね
@tatsuokawabuchi9176
@tatsuokawabuchi9176 Год назад
子供の頃、黒い鞄を持って修理に来るおじさんは何でも直せて憧れでした。 ずっと付いて見てて、後ろのパネルを開けるときに、むわっとする熱気と、においが好きでしたよ。 話し方が近くていつも楽しく拝見しております。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
コメントありがとうございます。わたしも TVの回路をいじれるって 当時ゲルマラジオの原理さえ知らない自分にとって 神様のような存在でしたね。
@金多達博
@金多達博 Год назад
我々昔のことを知っている老人にとっては涙が出るくらい懐かしい景色でした。有難う御座います。高圧周りを間違って触って死ぬ思いをしたことを思い出しました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます わたしはまだ若造なので うっすらの記憶だけです
@出張おじさん-w7v
@出張おじさん-w7v Год назад
@@miyazin-shoten 大学の先生にテレビと電子レンジだけはいじるな‼︎と厳重に注意されました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
@@出張おじさん-w7v あと高出力の違法CBもやばいですね
@mikan777
@mikan777 Год назад
昭和のエンジニアってそんなもんですよ。 部品とはんだごてがあればほとんど直せましたからね。それだけ技術があったという証拠です。 修理に時間はかかるけど本当のエンジニアだと思います。 デジタル化が進んで今は基板やユニット交換のチェンジャーマンばっかりです。 早く復旧させる事が求められる現代、これも時代の流れですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
まったく車といっしょですね 診断機の結果でアッシー交換。普通の修理はもうできませんね
@QWD03004
@QWD03004 Год назад
青焼きのにおいが懐かしいです。電気屋のおじさんはよく呼んでいたと思います。真空管の詰まったジュラルミンのでっかいトランクを記憶しています。首を振らなくなった扇風機を直してくれた時にはお金は取られなかったことを覚えています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
おそらく真空管の箱と テスターがなくなっているかもしれませんね
@waterspring9530
@waterspring9530 Год назад
再生回数の割にコメントが多い気がしますね。昨日の夕方に観たとき、既に鏡の使い方を指南するコメントが溢れていて、同じコメントするのは止めました。 アタッシュケースに鏡が仕込まれているのは知りませんでしたが、高校生の頃には廃棄されていたテレビの修理をして遊んでいましたので、用途は直ぐに分かりました。画伯渾身のイラストはフジテレビのテストパターンが映っていますね。実際には当時のサービスマンは放送ではなく、簡単なテストパターンが出せるジェネレーターを使っていたと思います。カラーバー、クロスハッチやドットといった最低限のパターンが調整には欠かせないからです。生産ライン用よりも安価で、電器店でも所有できるようなジェネレーターを松下通信などが製造していました。 高校生の頃、朝の放送開始は6時前後でした。局によって違いますが放送開始前にカラーバーやモノスコといったテストパターンが暫く放送されます。番組が開始されると、まだテストパターン放送中の局を追いかけます。それでも6時半くらいにはテストパターンは終わってしまいました。夏休みなどに早起きしてテレビの調整やったことを思い出しました。 1週間くらい前の動画で、2SD380についてコメントしたのは私だけかと思いますが、電器店のアタッシュケースにあったと返信コメントをいただきました。年末にも私がICでストレートラジオを作ったらAGCが機能していたとコメントしました。その少し後にAGC無しで受信するプロセスこそが楽しいといった趣旨の動画が配信されました。暗黙のうちに新規動画のヒントになったのかなと勝手に思うと光栄です。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そうですねその通り 2SD380のコメントいただきこの動画の製作思い出しました なんとなく紹介しただけでしたが 非常に多くのコメントいただきびっくりです!
@waterspring9530
@waterspring9530 Год назад
@@miyazin-shoten さん 出力トランス付き垂直出力トランジスタの2SD199や音声出力の2SD198ならば高圧レギュレーターやアンプに使えます。しかし水平出力の2SD380や2SD300は転用が難しい。宮甚商店さんが一番イメージしやすい動作はエンジン点火かと思います。 エンジン点火も最初はポイントでオンオフしましたが、セミトラ、フルトラと進化してきました。テレビで2SD380の典型的な使い方は、110VくらいのB電圧をスイッチングしてフライバックトランス1次側で1000V程度の細いパルスを発生させます。トランス2次側でブラウン管アノードに必要な20kV程度に昇圧させます。この動作だけ見るとフルトラと全く同じ。テレビでは偏向コイルとダンパーダイオードも組み合わせて水平偏向を同時に行うところが複雑です。 一例としてフルトラ用トランジスタは耐圧300V、電流20A程度。対して2SD380は耐圧1500V、電流5Aですから置き換えは不可能ですが、点火プラグで火花を飛ばす遊びができそうです。危険を伴いますから煽っているわけではないですよ。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
@@waterspring9530 なんかあおりそのもののような…笑   そういえば 昔の無線と実験に三田無線のシンクロスパークの記事がありました。昭和40年代、まだトランジスタ点火さえ珍しい時に CDIという 内容でした そのトランジスタ気になりますねえ
@30009040
@30009040 Год назад
カラーテレビのコンバーゼンス調整懐かしいです。私は68歳ですがメーカーサービスを長年やっていました 本当に懐かしいです 鏡を見ながらR G Bのクロスバーを出して クロスを白に調整するのですが画面の上側調整出来たら下がズレたりでイライラしました この調整が嫌いでした 懐かしい動画有難う御座います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
同じ年代で同じ昭和の空気を吸っていた方ですね。ありがとうございます。 もう電子技術者でTVいじれる人は皆無でしょうね!
@srich6291
@srich6291 Год назад
テレビの後ろ側から画面を見る鏡です。画像調整。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そうみたいですね やっぱり昔のTVは箱がおおきかったですもんね
@14hp4a7
@14hp4a7 Год назад
ハンダ付けのペースト、懐かしいですね。ニオイを思い出します。私は、白いペースト(無酸)というものを使っていました。それでも日時がたつと、端子にロクショウがでることがあり、閉口したものです。1965年位からは、ヤニ入りハンダを使うようになり、ペーストは使わなくなりました。 映像の半田ごては、60ワットくらいでしょうか、私はスライダックで80~90ボルトくらいに落として、焼け過ぎないようにしておりました。プリント基板の時代になってからは、もっぱら30ワットのこてを使っています。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そうですね 昔はペーストでじゅっ・・・て白い煙があがりましたね 結構これ体にわるかったかもですね
@exja38766
@exja38766 Год назад
テレビの修理を頼むと近くの電気屋さんが居間のテレビの 裏ブタを開けて修理されてた姿を横に居て神々しく拝見していたあの頃を思い出します。 後期はプリント基板化が進んだので吸取り線も必要になったのでしょうね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
サービスマンの後ろ姿見て 電子技術者になった人もおおいでしょうね まさに電子立国日本の原風景でしたね
@hal007
@hal007 Год назад
ミラーは、画面を見ながら調整を行うものです。 視空間時代はまだよく分からなかったのですが、Tr時代には後ろにいて一挙一動が楽しくて見てました。が修理する人もミスをします、壊した瞬間を見てしまったので、修理代は割引、代替機も来ました。修理する人もやりにくかったでしょうね。 その後よく壊れるTrを常備して、自分で修理してました。ある時、持ってはいけない所とシャーシーを持って気絶したのは秘密です。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
鏡の件ありがとうございます やはり経験者は語るですね!
@yakushima1
@yakushima1 Год назад
鏡は、テレビの裏側で調整するサービスマンが、画面を見るためですよ。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そのようですね。みなさんからお教えいただきました 大きな筐体ですもんね
@曽根瑞裕
@曽根瑞裕 Год назад
間違えてラジオにコメントしましたが このカバンは40年代の持ち物で テレビが家具調などの時画面が見えないので 鏡に写して画面の調整をしてました 真空管式TVの時は真空管が入ったカバンでドライバーと60w~100wクラスのハンダゴテを持って行きました 後にトラジスタになって来たらハンダゴテも小さく成り吸い取りや急速冷却剤とテスターになり 部品も抵抗やコンデンサーなども色んな種類が居るようになりました サービスマンは故障した基盤などを積んで疑わしいのはそこから外してテストをしてました 対外家電メーカーの修理が出来る人が多かったですが ソニーだけは少なかったです またソニーはトラジスタなどは売って無く永久保証でしたから
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
鏡の使用方法ありがとうございました テスターがなかったのはたぶん高いので抜いたんでしょうね
@redtape1080
@redtape1080 Год назад
使い込まれた道具はいいですねえ。私は、修理のバイトをしていました。高校生でしたが、送り届けと完了後のお迎えのときの運転手がいました。鏡は、テレビの後ろから、画面を見るためのものです(他の方も書いていますが)。抵抗は、真空管とともに、別のバッグがあると思います。抵抗も壊れます。とにかく、バッグ2-3個で、たいてい間に合いました。測定器は、テスター、パターンジェネレータ、消磁器などがあります。消磁器は、今でも持っています。なつかしい動画ありがとうございます。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
こちらこそいろいろお教えいただきありがとうございます お話すごく参考になりました
@yuzohattori4174
@yuzohattori4174 Год назад
サービスマンはテレビの裏側から触るので、調整しながら画面を確認するために鏡が必要なのですよ。勿論、設計開発部門でも鏡は必須のアイテムでしたね。因みに裏側から覗き込むような姿勢で仕事をしているため、ブラウン管から出るX線(?)の影響を受けるらしく、仕事熱心な人ほど禿になる人が多いって言われていました! ところで先日、大阪日本橋のあるお店に8A8が1本あったので買いました。動画に写っているのと全く同じ赤色の箱に入っていて、価格も580円と書かれています! ジャンクなので200円でしたけどね。
@ShimaJiro2205
@ShimaJiro2205 Год назад
こういうケースを持って電気屋さんが来てくれる時代、教育テレビで「テレビ講座」みたいなのが放送されてて、テレビの修理法が放送されてました。確か週1回で午後6時くらいでした。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
NHKでやってましたね  まったくちんぷんかんぷんですが興味ありました
@谷本潤一郎
@谷本潤一郎 Год назад
画面調整用です コンバーゼンス V.LNII 工具箱は別にするのが普通せす 保証中 メーカーに出すサービスカード も
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
画面の件ありがとうございます たしかに工具箱は別にあってテスターもそこにあったようですね
@かねやん-e1v
@かねやん-e1v Год назад
修理道具箱のカガミは調整するときカガミで画面を見ながら後ろで調整してました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
いやー勉強不足でした というかやってみないとその理由わかりませんね 笑
@zoroarkwhite
@zoroarkwhite Год назад
懐かしいですね 水平管はよくだめになるので常に持ち歩いていたのでしょう 他に壊れやすいのはダンパ管と思いますが、入ってなかったですか? あとチューナー?フロントエンド?に使われるニュービスタ管も壊れるのでしょうか、うちのは交換されてました 鏡ですが、多分画面の諸調整で使うんじゃないでしょうか トリマは裏から、見たい画面は表なのでこの鏡(鞄)を向こうに置いてそれで見てたのかと やってるの実際に見た記憶はないのですが…
@zoroarkwhite
@zoroarkwhite Год назад
その頃ガキだった自分は作業中ずっと張り付いててだめになった真空管くれって言ったに違いないのですが(笑)、貰えたかどうか記憶にありません もしかしたらメーカーのキャンペーンでだめになった球数本で何かと交換、なんてあったのかも知れません そうであればくれなかったはず(笑)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
鏡はそのようですね 実際にやらないとわからないですね
@katsuyawatanabe-py5jf
@katsuyawatanabe-py5jf Год назад
画面を鏡に映して調整をしていた。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
たしかに 大きな箱の後ろから見えないですね 勉強になりました
@takahirokamada460
@takahirokamada460 Год назад
懐かしいですね 私もビクターのサービスカバン知り合いから貰いました^_^ 真空管用のカバンとトランジスター用があってそれぞれの素子が一通りと抵抗とコンデンサーがファイル状になった冊子と回路図集と工具類が入っていましたね いいなー
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
当時は まだまだアナログで現地修理なんてできた時代ですね
@takahirokamada460
@takahirokamada460 Год назад
@@miyazin-shoten そうなんですよね、基礎知識があれば現地で症状を見て故障箇所を考えて特定、修理^_^ カッコ良いなと思います うちの祖父、父は人が手で作ったものは知識があれば直せるとよく言ってましたね
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
@@takahirokamada460 その通りですね。わたしも電気製品は直せませんが 自分で作ったアンプや 無線機だけは完璧に治せますね! 笑
@toshicba25
@toshicba25 Год назад
9割くらいは真空管を交換すれば治ったような、感覚がありましたね
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
たしかに昔は 電球交換する感覚でしたね
@tfkco
@tfkco Год назад
テレビの裏ブタ開けて修理中に画面のチェックできるように鏡を使ったかな?
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そのようですね 昔の箱は大きかった・・・・
@8PMN
@8PMN Год назад
私は高校生の頃、近所の電気屋でアルバイトをしていて、真空管式のラジオの修理を頼まれ、その報酬として5000円ほどいただいた記憶があります。すでに個々の電気屋さんの技術ではテレビの修理などはできず、市内にあった修理業者にテレビを持ち込んでいました。1975年頃の話です。通信教育で技術を身に着けたわけではありませんが、芸は身を助くですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
そうですか もう1975年というと TVもあまり修理する時代ではなかったかもですね
@looflirpa6910
@looflirpa6910 Год назад
鏡は画面確認用です。昔のテレビは大きかったので後ろから調整するとき、前に鏡が無いと結果が分からなかったのです。必需品でしたね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
実際やらないとわかりませんね 勉強になりました
@manapuayakkn4646
@manapuayakkn4646 Год назад
うちの親父の修理カバンは,ジュラルミンだった.蓋の部分に東芝の真空管が並んでいた.交換用の真空管と,ヒューズのセットが交換用部品のメインでした.トランジスタの時代ではなかったなぁ.
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ジュラルミンという方が多いですね たしかにこの黒い鞄 めちゃ重い気がします
@44home32
@44home32 Год назад
鏡は自分で見ながら調整に使用します全面に置いて裏で調整する為に、
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます たしかに箱おおきくてみえないですね
@tc3000sd
@tc3000sd Год назад
鏡は、TV画面を確認ようでは。 サービスマンの人は、画面確認が必須なので。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
イヤー勉強不足でした ちゃんと修理みておけばよかったです
@myryutyan
@myryutyan Год назад
いや、文句抜きでおもしろかったです。子供のころブラウン管テレビを裏からのぞいたらあちこちに真空管のヒーターの明かりが灯っていてまるで未来都市を俯瞰している感覚になった思い出が蘇りました。今ではコピーも複合機ですが、原稿と重ねて蛍光管に巻き付けて焼き付け、薬剤で発色させて乾かす青写真のコピー機、持ってました。懐かしいですね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
ありがとうございます。たぶん50歳以下の若い人にはわからないでしょうね 青写真!・・・
@kazunaka-wm8vc
@kazunaka-wm8vc Год назад
私も宮甚さんと同年代のじじぃですが、TVサービスマンは見たことは有りませんでした。のでその様な鞄も見たこともありませんでしたが、中身が懐かしかったです。木の柄のハンダゴテ、太いハンダ線、松脂ペースト、つい最近まで持っていました。 他の人が書いておられる様にマッチのマッチドペアは笑いました。吉本新喜劇風に全員でズッコケるってな感じですか(笑) 私も新卒で入社した頃は青焼きコピーでした、青い光が漏れる中、なんだか変な匂いのする機械の前でコピーしてましたね。暫くすると今様の黒いコピー機が導入されましたが・・・。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
青焼きからコピー そして白黒からカラーtv いい時代でしたね 激動の日本経済
@hitoshi3115
@hitoshi3115 Год назад
お疲れです。鏡はテレビの裏側で調整する時に画面を見るために画面の前に置いて裏から見るためのものです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
勉強不足でした たしかに当時のTVのはこでかかったですね
@応援隊頑張れ日本
@応援隊頑張れ日本 Год назад
七十爺いのドツボに刺さります😋。高校時代家電チェーン店の修理のバイトで、球やヒューズの交換、接点清掃でかなりの比率で治りました。ドライバーでアノード放電させてオゾン臭かったなぁ。NHKの修理講座のラスター横一、とか砂嵐とか、同期ハズレとか懐かしいです。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
70歳代の方には まさに日常の風景だったんでしょうね。 白黒からカラーTVの時代 日本の一番いい時代だったんでしょうね
@のん-z8n
@のん-z8n Год назад
明る~い~ ナショナ~ル~ の、 テレビC M 時代ですかね。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
あ それ懐かしいフレーズですね わすれていました
@櫻彩
@櫻彩 Год назад
こんばんは、カバン内の鏡ですが多分画面調整時に使うものだと思います。 調整箇所のつまみはテレビ裏側なので、鏡に映して見ながら調整修理作業をしていたのと思います。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
なるほど 裏から見るんですね! ありがとうございます
@koyomineko8655
@koyomineko8655 Год назад
こんばんは。懐かしいですね。最後に出てきたミラーですが、ブラウン管の調節のために使ったのではないかと思われます。前に回らなくてもブラウン管の映像の状態を見ながら調整が出来るからだと思います。部品入れに使っていた黒い筆箱は、私が小学校の時に流行っていた鍵付きのもので、鍵が磁石でした。メーカーはサンスター文具のものではなかったかと思います。我が家の最初の真空管のテレビは廃棄するとき、中の真空管を全部取りました。うち1本は阪神大震災の時、ヒビが入ってしまいましたが。(笑)
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
モニター調整でつかうんですね たしかに昔のTVの箱は大きく 裏からのぞいても覗けないですね
@tubeHi90ta
@tubeHi90ta Год назад
本当に懐かしい道具1式をみせていただいた。よくぞ公開してくださいました。鏡は他の方のコメントのように、1人での修理時には必需品でした。テレビ画面が歪んだりした時、水平振幅と垂直振幅を調節する小さなボリュームがテレビの後ろにありました。鏡を見ながら裏側に座り左右に回していました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
プロのサービスマンの方だったんですね。子供の頃のあこがれでした 結局自動車整備士で夢果たせませんでした。
@iamhuman3884
@iamhuman3884 Год назад
楽しい動画ありがとうございます。NHKの教育TVでTV修理講座をやっていたのを思い出しました。怪しいコンデンサーはパラレル接続で確認とか? 鞄にテスターとか無かったので不用品だけかもしれませんね。真空管全盛の時はアルミのトランクにギッシリ詰め込んで運んでいたと思います。たまにオクションに出ますが交換した不良の山の可能性もあるので躊躇しております。学生時代13インチ位の白黒TVを修理して、下宿している友達に譲ってちょっとした小遣い稼ぎをしておりました。
@miyazin-shoten
@miyazin-shoten Год назад
実は このかばんと一緒に大量の真空管いただきました 真空管テスターほしい
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