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学校じゃ教えてくれない!卑弥呼は何故女王になれた!?邪馬台国の名前の不思議 

井沢元彦の逆説チャンネル
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知っているようで知らない「邪馬台国」について井沢元彦が大解説!卑弥呼は一人じゃない!?何故女王になれた!?キーワードは日食!?
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【井沢元彦】
1954年2月1日名古屋市生まれ。作家/歴史研究家。早稲田大学法学部卒。 TBS入社後、報道局(政治部)記者時代に『猿丸幻視行』にて第26回江戸川乱歩賞を受賞(26歳)。31歳で退社し、以後作家活動に専念。「逆説の日本史」シリーズは累計572万部を超える大ベストセラー。

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2 окт 2024

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Комментарии : 193   
@植田隆-c6m
@植田隆-c6m 2 года назад
井沢先生は、前から存じ上げていましたが、3世紀という私にとってはとてつもない遠い話しですが先生の話しを聞かして頂くと何か身近に、不思議ですが感じるようになりました。ありがとうございました。
@YANAGITAtokinori
@YANAGITAtokinori Год назад
6:54 男王の歴史だったけど、卑弥呼から女王でまとまったんですよね。一時的に女性を祭り上げてだけなのでは?
@PNT705
@PNT705 2 года назад
邪馬台国論争が盛んだった80年代の特集番組で、井沢さんが「意味としてではなく音として漢字を充てたのだから、当時の発音では何と発しているのか検証するべき」といった趣旨のことを仰ったのを聴いて、井沢さんの言語センスを感じました。それ以来邪馬台国九州説です。
@ジャパンファースト
@ジャパンファースト 2 года назад
どうして史学的根拠なく、言葉遊びで結論が出せるのか理解に苦しみます。 ヤマトって発音する地名は日本にどれだけ(数百?)あることか・・・ 日食?それ九州の話ですよね? そもそも日食とは一部の地域でしか発生しないので、畿内で日食があったとする年は 146年8月25日 金環日食  中国・近畿 273年5月4日 皆既日食 中部 328年5月26日 皆既日食 近畿・中部 先生の言う247年の日食は日没に九州西方の海上です。 この時点で大和だと言ってるのに九州の日没時の日食を指して言うのはどうかと?とても理論的ではないかと思いますが・・・ 魏志に言及すれば、「伊都国には代々王がいて、女王国を全て統治する。郡使が常に往来し註する所」 「女王国より北には特に一大率を置き、諸国を検察し諸国は恐れた。常に伊都国で治めた。その国の刺史の如くあり」 っと書いてあるわけで、伊都国が政治、外交、軍事の中心で、邪馬台国には鬼道や占いしか国政に関する記述がないのですよ・・・ 伊都国は蔑視されず、邪馬台国は蔑視される。 考古学的に言及すれば、九州は環濠集落、鉄器、銅矛文化、戦争形跡あり。畿内は環濠を埋め集落を統合、石器、銅鐸文化、戦争形跡なし。 他の中国文献を見ると 宋書では大和王権は関東を毛人、九州を衆夷と蔑視。畿内には言及なし。 旧唐書では、倭国とは古の倭奴国なり。後漢書に出てくる倭奴国のことです。金印は「委奴国」です。 また倭国と日本国は別種と言っています。 梁書、隋書にも倭国とは倭奴国だと言及しています。 これだけ文献も揃っていて邪馬台国を大和国とどうして言えるのでしょうか?理解に苦しみます。 普通に考古学と中国文献、日本書紀を読めば、 西暦50年頃 伊都国が朝貢して金印紫綬(志賀島で発見) 西暦160~180年頃 九州または出雲までの日本海側まで倭国乱(戦争の形跡) 西暦180~190年頃 卑弥呼共立 西暦243~247年頃 卑弥呼死去 西暦250~280年頃 崇神天皇四道将軍派遣(この頃より、各地の土器が畿内に集中) 西暦300~330年頃 垂仁天皇、景行天皇筑紫出征(この頃より大型の前方後円墳が出現) 西暦340~370年頃 仲哀天皇、神功皇后筑紫出征(伊都国が大和王権に降伏) 西暦380年頃 神功皇后新羅出征(この頃より畿内に鉄器が出現) 伊都国の領域国家内にあると思われる邪馬台国は、4世紀中頃には大和王権に滅ぼされたと思うのですが?
@ジャパンファースト
@ジャパンファースト 2 года назад
@@オキエモン 神功皇后記の魏志引用の件ですが、私は日本書紀編纂者が魏志引用を入れるとは思えないのです。日本書紀は唐に対して、日本国の立場を示す目的もあるかと思いますので、冊封国だったことを、唐の関係を意識していた当時、日本書紀に書き加えることはないと思うのです。白村江で負けた後、冊封記録は書きたくなかったはずです。 恐らく平安時代に引用として加えられたものと考えてます。そのため、日本書紀の年代を訳がわからずトンチンカンな神功皇后記に書き足してしまったとのかな?っと思ってますがどうでしょう?
@ジャパンファースト
@ジャパンファースト 2 года назад
@@オキエモン 日本書紀は基本的に帝紀等を参考にしていますから、中国の暦が導入される前、日本の暦を基準に記されたと思います。 乙巳の変で国書が消失したため、どうにも証明できませんが、常識的を超えた天皇の長寿っぷりは編纂者もどうするか悩んだことだろうと思います(笑)
@TT-os9lj
@TT-os9lj 2 года назад
卑弥呼の回同様、自分にとって新しい発見が多く楽しいです。ただ、catとhatは同じ[æ]だと思います。
@うしきちまめきち
@うしきちまめきち Год назад
恐らく縄文時代は栄養価が低く寿命も短く、特に男子は女子より弱く生殖年齢に達する前に多くが死んでいたと思われます。だから男子は貴重でチヤホヤされ、渡来してきた男性ももてなされ、なので世界一遺伝子の混じった民族になったのだろうと推察されます。農耕が取り入れられ寿命も伸び男子も多く成人するようになり男達は戦争を始めました。だから弥生時代以降は殺し合いの歴史となり現在に至っております。本来夜伽をする大祭も、夜伽をするという事は男性の太陽神を日の巫女が夜のお相手をするという習慣であったにも関わらず天皇の正当性のために、アマテラスは女性神とされ、男性の天皇が夜伽をするというちょっと歪な事がずっと続いています。 神様にお食事を与えて一緒に寝るご神事なのにどうして男女が入れ替わったのか。 歴史の闇は深いですね。
@鷹の爪団員Tだぜ
@鷹の爪団員Tだぜ 7 месяцев назад
何人もシャ―マン[呪術師、巫女、イタコ等呼び方は、様々] が居てまとめて卑弥呼、日巫女、火之御子と呼んだかも? 古来、女性は神であった、と唱えた研究家もいた
@古屋公夫-s9s
@古屋公夫-s9s Месяц назад
邪馬台国はヤマト国と発音して現在の奈良県を指しています。  当時奈良県では崇神天皇を中心として政治及び祭祀が行われていました。  邪馬台国の女王卑弥呼は孝霊天皇の皇女です。  卑弥呼の正式な名前は倭母母曽毘売命です。  倭母母曽毘売命は紀元115円に生まれ198年に84歳で崩御され箸墓古墳に葬られました。  男尊女卑の話がありましたが、卑弥呼は祭祀を行い、神武天皇は政治を行っていました。  邪馬台国の女王としては、倭母母曽毘売命の後は崇神天皇の皇女の壱与即ち正式な名前は豊鋤入毘売命が二代目の卑弥呼になります。  その後、垂仁天皇の皇女の倭毘売命が三代目の卑弥呼に就きます。  これらのことは池田任三氏著の画像解析によって判明した古墳墓碑に掲載されています。
@kappago-go-9857
@kappago-go-9857 8 месяцев назад
邪馬台=ヤマドゥは理解できるのですが、何故「大和」と書くんでしょうか?🙄 あと、卑弥呼はアマテラスと同一とのことですが、これは読みが全く違いますよ…ね?🤔
@kazumiyamanoi
@kazumiyamanoi 2 года назад
1度目の日食でヒミコの評価が上がり、2度めの日食でヒミコの評価が下がった。 何か納得できないです。
@田中晋-r6h
@田中晋-r6h 2 года назад
井沢先生のお陰で、歴史が大好きになりました。応援してます。
@狐-h6c
@狐-h6c 2 года назад
嘘っぱちですから信用できませんよ “日本”の事を“リーベン”と言っていましたが あれはヘボン式ローマ字ではないですから 発音が全く違うんですよ
@ヤマトタケシ-g5s
@ヤマトタケシ-g5s 8 месяцев назад
​@@狐-h6c興味を持つようになるきっかけになったから、否定する事自体、無意味です。 これから、この人が自分で調べて、判断すれば良いと思うけどねぇ。
@ロスインゴベルナブレスデハポン
女性優位みたいな考えだったら性犯罪も少なくなりそう🤔
@トラにタヌキにカバさんよ
以前より井沢さんのファンです。ところでヒミコが役職であるように ヤマトも 国名じゃなく、集落・地名などではないのでしょうか?九州には ヤマト と発音する地名がやたら多いのです。 まるで都会と呼んでいるかのようです
@猫八-y8l
@猫八-y8l Год назад
2、3世紀というと神功皇后の三韓征伐があった頃。 神功皇后は日本書紀で別格の扱いを受けてますね。皇統との整合性も伺いたく存じます。
@ミイナ-d2t
@ミイナ-d2t Год назад
日食は北陸 越しか見れなかったんだわけど!
@まこちゃんY
@まこちゃんY 2 года назад
明治生まれの 母は、学校を ぐぁっこう と 発音して いました。時代と ともに 発音も変わっていくんだなと 思います。私、75歳。
@彩雲-b4b
@彩雲-b4b Год назад
古事記や日本書紀に記された女性優位→男性優位に切り替わった時期は天照大御神の時代まで遡らなければならないと思います。なので近畿の大和朝廷(現天皇家)が直接邪馬台国の子孫だったとする邪馬台国近畿説は少々厳しいかなと考えています。卑弥呼は兎も角台与は誰だったかとか、歴代天皇の系図には推古天皇以前に女帝の記録が残っていませんからね。
@菅沼域雄
@菅沼域雄 6 месяцев назад
アレレ? 息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)こと、 神功皇后のことをお忘れ無く!
@GeorgePDancejr
@GeorgePDancejr 2 года назад
「卑弥呼」という名の人物は、存在しない。
@xxxxwxxxxw
@xxxxwxxxxw Месяц назад
いましたよ AV女優でしたけど。
@uncle-monk
@uncle-monk 11 месяцев назад
先生の仰せの通り、昔の日本には 立派(?)な女子の陛下が居たのに、 いつ頃からか男子だけ。 そろそろ女帝の登場を密かに期待。
@khkh19702000
@khkh19702000 Год назад
逆説シリーズよく読んでました。 毎回楽しみです。
@rich-wc6mt
@rich-wc6mt 2 года назад
井沢先生。いつまでもお元気でっ!
@youpietechan5913
@youpietechan5913 Год назад
倭人と呼ばれていたのを後に和に変えて大和にしたのなら、和・大和の命名者は中華になってしまいますね。元々“わ”(和?)と自称していたから倭という字を当てられたのかなと思います。
@小俣三吉
@小俣三吉 2 года назад
いつも勉強になり楽しみにしています。正しく日本を知る事が出来た気になります。ありがとうございます。
@副店長代理
@副店長代理 10 месяцев назад
男尊女卑の思想で「夫婦別姓」があるのに、制度だけを見て「女性の人権が尊重されている」って、面白い。 「女性の人権の尊重」と「制度」の関連性はないということですね。
@punkpunk2587
@punkpunk2587 Год назад
楽しく拝聴しています。女性優位から男性優位に変わったのは大事なポイントですが、その理由背景は日食と言い切れるのでしょうか⁉️仮に卑弥呼の死の前後に日食があったとしても、卑弥呼のあとは同じく女性の台与が継いでいますよね。日食以外のもっと大きな、または複雑な理由背景があったはずで、そこに言及し切り込まないと薄っぺらすぎて説得力ないです。
@gtofuji
@gtofuji 5 месяцев назад
天皇(権力者)が女性主体からから男性主体に変わったのは、中国の影響だと私は思う。 日本には古くから人類が居住し、独自の文化、言語を成立させていたが、 自給自足が可能な島国であり、そのため外交や貿易、戦争等にはそんなに積極的ではなかった。 それが、卑弥呼の時代から聖徳太子の時代にかけて急速に国際化(もしくは中国化)した。 一般的に、ある国家や地域が国際化する最大の原因は、戦争に負けて植民地化されることだが、 この時期中国と日本が戦争したという記録はないし、植民地にされたわけでもない。 実際、中国化したといっても、それまでの日本の文化や言語はそのまま変わらず、 それに中国の文化や言語、文字がプラスアルファされ、その不安定な共存状態が1500年以上続いている。 実は明治維新の時にも同じことが起こっており、 日本は戦争に負けたわけでも、植民地にされたわけでもないのに、急速に欧米化した。 これは、世界史的には非常に稀なことで、中国は戦争に負けても欧米化しなかったし、 朝鮮は戦争がなかったので欧米化しなかった。 明治維新が成功した原因は、欧米列強の植民地支配に対する危機感であったとされるが、 そんなものは欧米列強以外の全ての国家に共通する危機であったわけで、 日本だけが短期間で欧米化できたことの理由にはならない。 日本が短期間に中国化、欧米化できた理由は、おそらくそれが「趣味や遊び」だったからだと私は考えている。 戦争に負けたり、植民地化された場合、元の文化や言語、宗教は否定され、 新しい文化や言語、宗教を強制される。それは辛いものだ。 しかし、遊びなら、元の文化や言語、宗教はそのままに、ゲーム感覚で新しい概念を習得できる。 日本が中国化した当時も、おそらく中国の国情(進んだ文明、技術と多くの戦争)は伝わっていて、 このまま縄文時代や弥生時代から続く古いシステムのまま運営していたのでは国が持たない、 と誰かが判断し、急速に中国の文化や技術、宗教等を導入したのだろう。 もしくは、当時「倭国大乱」というのがあったので、中国の進んだ文化や技術を取り入れた集団が戦争に勝った結果、 日本全体が一気に中国化した、と考えてもいい。 そして、日本の古いシステムでは権力者(象徴)が女性主体であったのに対して、 中国では男性主体だったので、その後の大和朝廷でも徐々に男性主体に切り替わったのだと思う。 この時期、多くの優秀な中国人や朝鮮人が日本を訪れ、大きな影響を与えていったが、 中国の元朝や清朝のように、異文化異言語の異民族に日本が支配されるようなことは起こらなかった。 それは、単に運がよかっただけかもしれないが、その後の日本の歴史を鑑みると、 自国の文化を維持したまま、他国の文化を遊び感覚で取り入れてしまう日本人の器用さが、 この頃から発揮されていたのだとしか思えない。
@kenn8438
@kenn8438 2 года назад
井沢先生の逆説の日本史は自分が古代史に興味を持つきっかけになりました。その点はとても感謝しています。 邪馬台国の読みを「ヤマドゥ」とつきとめたのなら卑弥呼も調べて欲しかったです。あえて書くなら「ピメハ」に近い音のはずです。『ヒミコ』と読むことで誤読が増大しているように感じます。 また日食論ですが、日食で困って人が集まって祭りを行うのは時間的に無理があります。 やはりこれは鬼界カルデラの噴火の大惨事が口伝として伝わったことが神話に組み入れられたのだと思います。 今後も活躍を期待しています。
@Minoru7
@Minoru7 2 года назад
コミュニティの指導者が女性から男性に変わっていった背景には、こんな心当たりがあります。 女性がコミュニティの指導的立場を担っていたのは、漁猟、狩猟や交易で遠征が必要だったから。妊娠や育児で家に残った女性達は、父や兄弟、夫や子供の安全を祈り、精神的に支えて、コミュニティを護った。これが朝出て夕方帰宅できるようになれば、男性が家庭を、家族を、集落を外敵から守ることが出来るようになるというわけです。 この考え方だと、ヒミコ(日ノ御子)の統治時代には、遠征や出張が行われていたということにも繋がります。
@hyozos
@hyozos 3 дня назад
倭人伝の「臺」を「台」と書き換えている学者の異常。 かつ、ドと発音(少数学者は唱えていた)するのをタイとわざわざ発音して「たまたいこく」と発音する学者の異常を暴いてほしいです。
@数也
@数也 2 года назад
井沢先生、逆説の日本史好きで購入してました。 あれから色々な歴史本を読み漁ったところ、神武東征時の河内湾、河内潟の時代が有り、神武東征の時代は紀元前70年前後と、いう古地理に腑に落ちました。そこで紀元前に原大和朝廷が大和に成立し、発音だけで九州邪馬台国と同じか?私も邪馬台国は九州説ですが、辻褄が合わずモヤモヤしています。古地理で河内は卑弥呼の時代には地形が異なります。何か辻褄が合い、納得出来る説はございませんか?宜しくご教授願います。
@いだるまと
@いだるまと 2 года назад
言葉が伝わった時期で読み方が違うと言う視点。。。なるほど🤔
@デューク西郷-r5n
@デューク西郷-r5n Месяц назад
邪馬台国(ヤマタイコク)←× 邪馬台国(ヤマトコク)←◯ 女王•卑弥呼(ジョオウ•ヒミコ)←× 上王•日の御子(ジョウオウ•ヒノミコ)←◯
@de-wd1qn
@de-wd1qn Год назад
てことは、日本人も「じっぽん」と言っていた。いつから「ニッポン」と言うようになったのでしょうか?
@蔵前四郎
@蔵前四郎 11 месяцев назад
ヤマドの発音は藤村由加氏も80年頃に著作で記されておりました。 寄り道と思ったモノが繋がるのは大変面白いです。
@旦那-e5i
@旦那-e5i Месяц назад
田島陽子に話してやって下さい。
@nihontaro9
@nihontaro9 4 месяца назад
時代と場所が離れているから何人もいた様に思えるのでは? 史書に書く方も、もう少し調べてちゃんと書いといてくれれば良いのにねえ。
@miu5150
@miu5150 11 месяцев назад
日本の発音は拼音でriben (rの発音はカタカナでは表現できない)と書きますが、南方ではrを発音できないので、ズーベンみたいな発音になります。時代による違いもありますが、地域差もかなりあって、マルコポーロが聞いたジパングに似た発音は南方だった可能性もあるのかなと思いました。
@moto-vs3fg
@moto-vs3fg Год назад
この話の本筋とは違うし細かいことですが、catとhatのaの発音は同じです。
@izumiyaroqji
@izumiyaroqji Год назад
では、伊都国という意味は、すごい意味ですね。
@KM-ix1so
@KM-ix1so Год назад
>女性優位 ならなんで魏志倭人伝に「元は男王が居た」とあるのか 元々男王だったのがたまたま女王だった時期で、また男王に戻っただけとも取れる
@1820s
@1820s 2 года назад
長浜浩明先生が邪馬台国=大和朝廷説を完膚なきまでに論破されておりました
@whitelily-yi4cw
@whitelily-yi4cw 2 месяца назад
邪馬台国では無いですよ、大和大国です、略して、大大国、\ヤマタイコクです。
@エミリオ-h7g
@エミリオ-h7g 2 месяца назад
日食を利用して各地にいた卑弥呼達を抹殺したのではないかと思う
@kokosorefrgv
@kokosorefrgv 2 года назад
実際の権力・特に軍事はもちろん男王が担っていたと思います。当時はシャーマニズム的な儀式や能力が政治に影響力があったから巫女に力があるという事だと思います。宗教の変遷の時期が所謂邪馬台国の大乱の時期なのではないでしょうか。 あと、魏志倭人伝は伝聞で書いたのか、実際に魏の人間が見た上での話なのか、説明した日本人の話方の問題なのか、等の方にも疑問があります。すべてが正しく記載されてない可能性も捨てずに考えたいなと思います
@asa01053
@asa01053 3 месяца назад
ヤマタイは、江戸時代からでは。それまではヤマトまたは、ヤマドゥ。
@KeCN
@KeCN Год назад
ヤマトという呼び名なら福岡県にあった山門郡(『日本書紀』に神功皇后が山門県で土蜘蛛田油津媛を討ったとされる)になるね。帯方郡から12000里なので九州外では無いでしょう。奴国も福岡市になるので魏志倭人伝にピッタリだ。
@なんかの金属
@なんかの金属 Год назад
卑弥呼はシャーマンとして神権政治を行う国家統治者だったが、 統治者の持つ軍事的権限を代行する男性職が大王であり、歴史的経過を経て政治も代行するようになったのでは
@tomusan6837
@tomusan6837 Год назад
憑依した姿を神に重ね神託を女が賜り男に告げる。卑弥呼は崇められた。
@nsdivkaq2663
@nsdivkaq2663 2 года назад
日本書紀においてアマテラスは皇祖神とは書かれておらず、天(高天原 ※古事記でのみ多用される名称)の総帥的な立場でもなく、タカミムスビがトップであったのに、 古事記では登場キャラ設定に改変が行われているんですよね。香取「神宮」の祭神でもある(重要な神であるはずの)フツヌシも出てこなくなったり。 設定が固まりきっていない(というか各伝承をそのまま伝えようとする)日本書紀と明確な方向性(特定の意図)ありきで展開する古事記、 そもそも全体的にバイアスのかかりどころが違い、登場人物の設定・内容・名称が異なるまでになると、よく言われる「古事記が国内向けで日本書紀が海外向け」 という考え方もイマイチしっくり納得できません。古事記が日本書紀より先に編纂されたというのも怪しいなと思う点もあり、 どうもこの辺に古代史を紐解く鍵が隠れているような気がします。
@ryukyu1180
@ryukyu1180 Год назад
宗教的女性優位って、琉球王国みたいですね。 ちなみに、琉球語では今でもヤマトは「ヤマトゥ」と発音します。
@チョコ-v9x
@チョコ-v9x Год назад
男性より女性の方がトランス状態に入り易いらしいです。いわゆる「神降ろし」です。 だから東北地方の「イタコ」も女性なのかも知れません。
@de-wd1qn
@de-wd1qn Год назад
男神→宣託をうける巫女=女王、だったのが、持統=女神=天照にしてしまった→宣託をうける男=大王になったと推論します。
@yaskato
@yaskato 2 года назад
魏志倭人伝では卑弥呼は共立されたのであって 彼女が権力を奪ったのではないです 自分は倭国を代表する卑弥呼と纏向遺跡の流れ を受ける大和朝廷は別個の存在だと思っています
@氷見修一
@氷見修一 2 года назад
いきなりで済みませんが 井沢さんは出雲系の方ですか
@notexy21
@notexy21 2 года назад
井沢先生の「逆説の日本史」執筆開始から30年、その間纏向遺跡の発掘が進んで、邪馬台国の頃の日本の姿をだんだんはっきり想像できるようになったと思います。
@notexy21
@notexy21 Год назад
@@ななみん-z6x 魏から送られた金印でも出ない限りは邪馬台国論争に決着はつかないでしょうね。それはそれで歴史好きとしてはいろんな想像が膨らんで楽しいものです。
@KeCN
@KeCN Год назад
纒向遺跡を長年発掘していた方々は、その出土物から邪馬台国畿内説はあり得ないとされ、書籍を出版されていますよ。纒向は魏志倭人伝にある集落とは全く一致していません。
@nicojapan8876
@nicojapan8876 2 года назад
いつも楽しみにしています。 邪馬台国がヤマドゥなら、卑弥呼はどう発音していたか気になります。
@痛風ぷりん
@痛風ぷりん 2 года назад
卑弥呼は”ヒムカ(日向?)”に近いと井沢先生の本に書いてあった気がします。
@asa01053
@asa01053 Год назад
@@痛風ぷりん 宮崎西都原古墳ですか!
@痛風ぷりん
@痛風ぷりん Год назад
@@asa01053 様 著書の中では”太陽に向かう(日向)”シャーマンの意味でヒムカ(卑弥呼)ではないかとの説明でした。因みに私個人的には九州説です。作家高木彬光の著書”邪馬台国の秘密”では九州のある場所が邪馬台国としていますが、私も高木説に同意してます。(ネタバレになるので場所は書きません。良かったら読んでみてください)それに単純に近畿説では魏の使いが瀬戸内海を通るときにどうやってその頃から瀬戸内海にいたであろう海賊から船を守ったのかの説明がありません。(しかも瀬戸内海の潮の流れは速いし複雑)瀬戸内の村上や塩飽の海賊を従わせることが出来たのは豊臣秀吉が全国統一するまで待たなければいけません。仮に大和周辺に邪馬台国があったなら瀬戸内や中国地方を安全に通る為に既に西日本の全てを掌握しなければいけませんが、邪馬台国はそこまでの規模では無かったのではないかと思います。
@socrateos
@socrateos Год назад
「日のみこ」ー>「ひみこ」
@htsuyoshi2038
@htsuyoshi2038 Год назад
天照大神のもう一つの名前が大日孁貴でヒルメ…ヒルメ/ヒムカ/ヒミコ、いずれにせよ太陽神かそれを祀る巫女なんだと思う…
@キングさとぽん
@キングさとぽん 23 дня назад
卑弥呼が地位を表すと言う事ですが、倭国の女王という称号でしっかり書かれて居ませんか? 卑弥呼の後の女王壱台も、女王に即位したと記載されています。 称号なら壱台は卑弥呼に、即位したと記載されるはずです。 大和に関しても移動したと言うよりも、支配していた地域の中でも権力を持った人間の居る中心地を大和と呼ぶ風習だったと考えた方が辻褄が合います。 今で言う都みたいな意味で使っていたとか
@Ryushun-yc4lp
@Ryushun-yc4lp 9 месяцев назад
「邪馬台」と書く国は中国史書には存在しません。『魏志』では「邪馬壹」、『後漢書』では「邪馬臺」、『隋書』では「邪靡堆」です。 「邪馬台」というのは日本の研究者の造語です。安本美典さんは、「臺と台は古くから通用したようで」と言っていますが、古くから通用させたのは日本の研究者自身です。「臺」と「台」は別字で「台」は「ト」と読みますが、「臺」は「ト」とは読みません。しかし国語学者の橋本進吉氏は、その著「古代国語の音韻に就いて」で、「ト」類に「臺」を追加しました。しかしその代わりに「台」は消えました。「臺」は「と」と読むようになってしまったのですが、その意図・理由は今となっては知る由もありません。同じ国語学者の有坂秀世氏の「上代音韻攷」の「と」類には「台」はありますが「臺」はありません。 橋本進吉氏によれば「臺」を「台」に書き替えなくても、「邪馬臺」は「やまと」と読めることになりますが、これには何らかの意図を感じざるを得ません。それにも増して、「邪馬臺」を「邪馬台」とし「やまと」と読むのは確信犯のように思えてなりません。 「邪馬台」と書いた時点で「アウト」だと私は思っています。ほとんどの人が「アウト」になってしまいますが。歴史書は真摯にそして正確に捉えるべきです。
@udamedame
@udamedame 5 месяцев назад
「卑弥・呼」、ライバルの男王は「卑弥・弓呼素」だから、「卑弥」と「呼」や「弓呼素」は、分けて考える必要がある様に思いますね。共通するのは「王」という事だから「卑弥」には、「トップ」の意味合いあったと思います。そういう意味では「呼」や「弓呼素」は名前に相当する可能性があります。  弥生終期まで続いた「唐古・鍵遺跡」から出土した土器に描かれた「巫女」のような絵には、わざわざ女性器がハッキリと書かれており、鬼道をつかさどるのは、この時代は、女性だった様です。巫政をとるなら、女性が王になる。そうでないなら男王という事でしょうね。後に「巫政」から「武政」に移行する従い、女王は、出番がなくなります。凶作が続くとか、武力で解決しえない状況に陥ると「鬼道をあやつる女性」の重要性が増して出番になる様です。  また普通の女性なら、名前は出さないでしょうが、国の王として魏に朝貢するのでなんらかの「名」を名乗らない訳にはいかないでしょ。倭の5王とて、なんらかの名前を名乗っていますから。 「邪馬壹国」も「邪馬」・「壹」は、わかれます。半島に「邪馬国」があるので、同じ意味合いの言葉だと思います。邪馬に壹を加えて「邪馬・壹・国」と考えるのが妥当の様に思います。 「壹与」は、「壹国を与えられしもの」という意味になり、そのまま王様の名を意味します。 つまりは、今の私たちの感覚とは違い、卑弥呼は巫女でなく、ヤマトも、ヤマイだったんじゃないかなと思います。
@nandai_ittei
@nandai_ittei Год назад
卑弥呼も「ヒミコ」という発音だったんでしょうか?その辺気になります。 自分は邪馬台国と大和朝廷は無関係というスタンスです。 それは神武天皇の方が卑弥呼より古い人間だと考えるからです。 (神武天皇は実在したというスタンスです) 神武天皇より新しい人間の卑弥呼が皇室の祖先になるのはおかしいですよね。 (ただし、記紀編纂時に神話としてパクった可能性は否定しません) あと、うろ覚えですが、魏志倭人伝でいう「東に倭の別種あり」が大和朝廷だと思っています。 なので「倭」といえば九州地方の事であり、関西方面は含まないと考えます。
@アンゲロポンポン
@アンゲロポンポン Год назад
腑に落ちることだらけです。ものすごく勉強になります。ありがとうございます。
@ライオンくん-x4z
@ライオンくん-x4z Месяц назад
井沢先生の「逆説の日本史』を20〜30年くらい前に貪るように読んだのを思い出します。日本の歴史を歪めている3大悪癖や、日本の歴史の根本にあるのは御礼信仰である等々、井沢先生のその後の歴史史観に与えた影響は計り知れないと思います。今後とも一層のご活躍を願っています。
@murt2286
@murt2286 7 месяцев назад
ジパングは日本でなく日本国かな?
@asa01053
@asa01053 3 месяца назад
じっぽん。ZIPANG。
@Fumio_Miyazaki
@Fumio_Miyazaki Год назад
超古代のそのまた昔まで遡ると天皇の祖先に逆らったり戦いを挑んだ豪族や自らが天皇のような存在になろうとした者もいるはず どの段階で神聖にして侵すべからずになったのかを知りたい もしタイムマシンがあるならその時代に行きたい
@ponzu1087
@ponzu1087 8 месяцев назад
倭も古代は「い」と読み、唐の時代に「わ」に変わったそうです。ですから最初は「いこく」だったようです。「台」は中国では使われてないので「臺」「壹」で考えた方が良いと思います。
@裕之-k7q
@裕之-k7q 2 года назад
卑弥呼も、当て字とするなら日巫女あたりでしょうか。
@tourisugari6797
@tourisugari6797 2 года назад
男のリーダーは日子(彦) 女のリーダーは日女子の方がしっくりくると思います。
@まあちん-x8z
@まあちん-x8z 3 месяца назад
やまいこくではないの?
@TraderBoomers
@TraderBoomers 4 месяца назад
一般的にですが卑弥呼はシャーマンで占い、祈祷でその地位にいたと思うのですが、ただなぜ女性がと言われるとわかりません
@ystszk9901
@ystszk9901 Год назад
100年も続いたらその間に何人もの女王がいたのだろうね、その権力が徐々に衰退して男性に権力が移ったのかもしれないですね。 私は卑弥呼は占い師(巫女)だったので卑弥呼と呼ばれたのだと思う、彼女には兄弟がいたようですが、権力は卑弥呼に集中していたらしい。 邪馬台国もどこにあったのか分からないので(魏志倭人伝の記述だと九州の海の上になるようです)全てが推測の域を出ないです。 でもロマンがありますね。
@anpanchiv
@anpanchiv Год назад
女性を尊重してきた日本なのに、なぜ愛子さまが天皇になれないのですか? いつから、天皇は男子でなければいけないとなってしまったんでしょうか?
@asa01053
@asa01053 3 месяца назад
注獄で
@mogupinrx
@mogupinrx 7 месяцев назад
トヨが記述されてる時点でどうでしょう、自分も個人名ではないとは思いますが複数を指してはいないかなと思います
@yskztkhs7986
@yskztkhs7986 9 месяцев назад
どうでしょうか。ぶっちゃけ、女性は神祭りの代表者であって本筋は男と考えることもできるのでは。 または、景行天皇の西征でもわかる通り、代表者が西は女性で東は男性だったのかもしれない。 女王と書いてあっても、実態は巫女にすぎないかも。
@ともみひかりゆわた
地理の先生百人に聞きましょう、きっと正解が出ます👍戦時の軍事報告ですからね。何がほぼ正しいか。何がいらない情報か。
@Simple0408
@Simple0408 Год назад
中国が邪馬台国に「邪」を使った理由は納得できますが、日本人が書いた古事記で何故イザナギ、イザナミに「邪」の字を使ったのでしょうか?
@yamakakashi2002
@yamakakashi2002 7 месяцев назад
井沢先生のお話を聞いて、古事記の天の岩戸の話とイザナギとイザナミが日本列島を作る際にイザナミから声をかけると蛭子が出来たという話を思い出した。
@adgjmptw889
@adgjmptw889 2 месяца назад
唐の李賢注「今の名を案ずるに邪摩堆は音訛=間違いなり」 邪馬臺は日本語のヤマト
@toshikamei_Kyoto
@toshikamei_Kyoto 8 месяцев назад
日蝕を収めて頂点に立って、日蝕によって力を失うというところがよくわからないね。
@takumi1999
@takumi1999 Год назад
現代で政財界に影響力を与えた女性。故藤田小女姫さんは福岡市出身の霊感占い師。神功皇后が神がかりになったのも同じ流れかも。
@enasyu
@enasyu Год назад
日本書紀には魏志倭人伝が引用されているから奈良時代の人は卑弥呼の存在は知っていた。 が、邪馬台国がどこにあり、卑弥呼が誰なのかは分からなかったようだ。 これは謎ですね。
@へいちゃん-s2f
@へいちゃん-s2f Год назад
邪馬臺国と邪馬壹国の問題はどうなのですか?単なる書き違いと簡単にすすませていいのか?
@久保智裕-e5o
@久保智裕-e5o 2 года назад
卑弥呼は個人名ではなく、複数人 いたと考えてもおかしくない。我が国は、古代から、男女分け隔てない 珍しい社会。今回も 深掘りありがとうございました。 あと、日本では 観測し辛かった日食より、あの時代の九州地方での 巨大噴火によって、長期間日光が遮られ、又 その為 農作物への影響が原因であったとする説も 聞いたことがあります。 あと卑弥呼の後継者、イトの実名か?について 聞きたかったです。
@pfsimon4183
@pfsimon4183 Год назад
邪馬臺をヤマデュと読むことはとっくに古田武彦らが言っていた。また本を読んでいないと言われるかも。
@Yamato2222
@Yamato2222 11 месяцев назад
卑弥呼(Bei mi hu) の当時の発音に興味が湧きますね。
@htsuyoshi2038
@htsuyoshi2038 Год назад
そう、邪馬台国とか全部当時の発音で読み直して記載して欲しい…
@MacEmanon
@MacEmanon Год назад
♪名前じゃないのよ卑弥呼は,ハッハー。すごい説得力。
@キングさとぽん
@キングさとぽん 23 дня назад
しかし、現実には卑弥呼は名前じゃないでしょうか。 もし、卑弥呼が役職で複数いたのなら、女王という表現が出来なくなります。 倭国に女王が沢山居たなんて統治者にならないですし。 それに卑弥呼が沢山居たのなら、どの卑弥呼が魏に使いを送って、どの卑弥呼が親魏倭王の称号を貰ったのでしょうか。 あまりに不自然過ぎて、余計混乱すると思います。 そして、卑弥呼はあちこちに居たのではなく邪馬台国に居るとしっかり記載されています。 つまり、邪馬台国にしか卑弥呼はおらず、倭国を統治していた女王だった事から特定の一人を指す言葉であって、役職者名というのは考えられません。
@氷見修一
@氷見修一 2 года назад
卑弥呼の時代は2王制 祭司と政司の2王制度だった
@痛風ぷりん
@痛風ぷりん 2 года назад
井沢先生に”倭人”は当時の志那人がどの様に発言していたのかうpしていただけるとありがたいです。
@negoto55
@negoto55 2 года назад
卑弥呼も発音が知りたい。
@痛風ぷりん
@痛風ぷりん 2 года назад
@@negoto55 様 井沢先生の著書に依ると卑弥呼は”ヒムカ”つまり”日向(ヒムカ)”の発音に近いと書かれてあったと思います。
@真生子-o8u
@真生子-o8u 5 месяцев назад
楽しいです ありがとうございます❣️
@ronkon1000
@ronkon1000 2 года назад
松本清張の古代史シリーズ面白いよ
@yyoshida3156
@yyoshida3156 Год назад
今も愛子様の即位待望論あるものね
@アルバトーレサッチも
@アルバトーレサッチも 11 месяцев назад
縄文の土偶は女性ばかり
@izumiyaroqji
@izumiyaroqji Год назад
中国語で行くって、去ですよね。
@紋太-f6v
@紋太-f6v Год назад
推古天皇、持統天皇、孝謙天皇が居たからと言って、その時代は、女性優位だったと断定できないでしょう。卑弥呼の時代でも、卑弥呼が女王だったからと言って、当時が女性優位の時代だったと断定するのはおかしいでしょう。
@kkking1000
@kkking1000 Год назад
若い頃井沢先生や高杉先生の本を読んで自分なりの推理をしたものです。最近の化学の発達で縄文時代は15,000年位は遡り、文明の形跡があったと言われます。日本にはヒエログリフで書かれた岩が沢山発見されており古語で解読されているものもあります。鬼界カルデラが7800年前に噴火して西日本に人が住めなくなり、大陸に移住した人たちもいた様で、のちに帰還した者も居たと思います。この頃の謎が解明できない出来ないかぎり邪馬台国の謎を解くのは難しいと思います。記紀と認められない幾つかの古文書の共通点、世界中にあるヒエログリフ、解読できる日本の古語、日本人しかないDNA, わからないことばかりです、😅
@なか-p6i
@なか-p6i Год назад
タイ語で日本はジープン、イープン
@ヤルッツエ
@ヤルッツエ Год назад
井沢サン、若いね〜❤
@グミ-チョコ
@グミ-チョコ 2 года назад
どこで終わるの?
@博-h9v
@博-h9v 2 года назад
「卑弥呼は職名なので1人ではなかった」つまり歴代の卑弥呼が古代日本を統治した。成る程! 「日本には卑弥呼の昔から女性を尊重する文化があり女帝を擁立する場合もあった」ですよね~ なので私は今上天皇の後継者は、天皇のありかたをご両親から学ばれたであろう愛子様派。 悠仁様のご両親の品格はね~笑
@masamasa2068
@masamasa2068 Год назад
ニュートンの頃は万有引力が正しかった アインシュタインが出て一般相対性理論が正しいことになったが、これも絶対ではない 歴史学も科学の一分野であるとするなら、絶対とか正解何てありえないから、いろんな仮説を立て、それを検証していくというのは進歩のためには大切な事でしょう
@pleasure5458
@pleasure5458 Год назад
勉強になりました。 記紀の中の法則。 媛蹈鞴五十鈴姫→神渟河耳【事代主の母が奴河】 倭國黍姫→吉備津彦 丹波生まれ→丹波道主命 等々、古代大和王権は、地方の姫を、お嫁さんにして、親戚になって行くので、お姫様は大事なんでしょうね。 男子が産まれると、お婆さんや、お母さんの出身地に戻して統治させてるようなので、女性を大切にしたのかも?しれません。 邪馬台国→山台 邪→宗教的 馬→作業台 台→台形 の意味なら、前方後円墳を見学して帰ったのかも? 日本書紀の参加者は、 亦曰の文字を、百襲姫曰くと翻訳したのでは?ないのでしょうか? で、あるならば、百襲姫は、日本で始めて観光ガイド。 既に前方後円墳があり、文献のタイムラグもあるのかも?しれませんよね。
@5nan333
@5nan333 2 года назад
我が家でも親父より女房が強い。以上です。
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Провал со стеклянным хлебом…
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