コメントをいただいた方にお勧めされたので、RU-vidでリハックという酒飲みながら深夜におやじが語る番組を見たところ、NHKから国民を守る党の立花孝志氏が石丸伸二氏にからむ場面があり、これはなかなか面白いからみだった。
立花氏が突っ込んだのは、安芸高田市の市議会議員が同市のRU-vidで、彼女らが石丸伸二氏を取り囲んで吊るし上げたのが恫喝である、と発信されたため、議員としての名誉を傷付けられ、精神的な損害を負ったことによる損害賠償を求める裁判で、一、二審は彼女が勝訴、現在最高裁に上告されている事案である。
立花氏の言い分では、二審まで行って負けているのだから、上告してもどうせ棄却されるのであり、もう負けを認めて謝罪した方が良い、というもので、からまれた石丸氏は、一応反論を行ったが、立花氏のからみはやまず、時間切れとなって、話題は次に移った。
さて、これはもう立花氏の間違いだ、と自分は考える。なぜならば、この事案はまさに憲法をどう解釈するかの問題であるから、最高裁で審理しない方がおかしいと思うからである。憲法第93条では、自治体においては議会を設置することと、自治体の長は選挙で選ばれるべきことが明記されている。憲法学上では二元代表制と呼ばれる制度設計である。
ゆえに、首長と議会はどちらも住民によって選ばれているので、意見の相違は住民が見ている議会の中で、オープンに議論されて決定がされる必要がある。ところが、議員たちが首長を捕まえて、閉鎖的な空間で、今のようなことを続けるなら今後オマエの提出する議案にはすべて反対する、というようなことを言ったというのだから、これではまるで議会が首長に優先するような論理であり、憲法の設定とは異なる。ゆえにそれをオープンにすることは憲法上当然の要請であり、それがいけないという一、二審の判決は憲法の趣旨に反するものであるから最高裁に上告されてしかるべき、ということになる。
さらに、立花氏がさっさと謝罪する方が得策である、と述べた部分だが、自分は2001年から米国に住んだ際、日本人と謝罪に関するニュースが同時にふたつあり、それを非常に印象深く記憶している。どちらも、アメリカ人はあっさり謝罪しない、そして謝罪することは、その瞬間から大きな責任を自分がかぶることを意味する、という事案である。
さっさと謝罪した方が良い、とする立花氏は、およそ外交には不向きである。たちどころに外国と摩擦を起こす。そういう感想を持って、その番組を見るのを途中でやめて、自分は寝ることにした。
#安芸高田市 #恫喝と憲法 #謝罪の国ニッポン
11 июл 2024