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弥助に関する全歴史的資料 All historical documents related to Yasuke.  

negi.moe
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11 сен 2024

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Комментарии : 788   
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
動画の説明文に追加情報が載せてありますので、「…もっと見る」から一度見て頂ければ幸いです。 Additional information is included in the video description, and we hope you will take a look once you click on “...more”. 以下同じ追記です ※追記 (Additional information) 動画内の「ペット」という表現に対して、複数のネガティブなご意見を頂いております。 この部分に関しては日本人の感覚を完全に代表してないことをここに追記させて頂きます。 信長の弥助への対応は決して非人道的なものではありませんでした。 I have received several negative comments about the use of the word “pet” in the video. I would like to add that this part of the video is not fully representative of Japanese sensibilities. Nobunaga's handling of Yasuke was not at all inhumane. ※英訳へのコメントからの修正案(Proposed amendment to translation based on comments) ・「decorated short sword」→「decorated dagger」が適切ではないか。 ・「the Cathedral of Padre in India」→「the Christian temple (in Japan)」で傍にあった南蛮寺。 ・「slaves」と複数形になっている(完全に間違い)。奴隷に投石や重傷者が出たように誤解される。 →On the Monday following Easter, Nobunaga was in the capital, but there was a great commotion as many people gathered in front of the monastery to see the black slave, and some in the mob were wounded by stones thrown and some nearly died. ※英訳の修正案(Proposed amendment to translation based on internet) ・「飽きることなく」は前文にかかるのでは( note.com/just_eel601/n/n5bdd8116f483 ) Nobunaga himself was astonished to see him, and could not easily believe that he was a native black man and had not been inked. So Nobunaga never tired of looking at him again and again. The slave spoke a little Japanese, so Nobunaga had a conversation with him, and since he was powerful and could do a few tricks, Nobunaga was very pleased with his abilities. ・「飽きることなく」はもっと広くかかるのでは(同上追記) 信長自身も彼を見て驚き、生来の黒人で墨を塗ったのではないことを容易には信じられなかった。 そして信長は何度も見返しても、また少し日本語が話せた彼と会話しても、あるいは信長が好みの良い技を披露しても十分満足できなかった。 Nobunaga himself was astonished to see him and could not easily believe that he was a native black man and not inked. And Nobunaga was not satisfied enough to look him over often, or to converse with him, who could speak a little Japanese, or to demonstrate good skills that Nobunaga liked. ※コメントからの補足(Proposed amendment to explanation) ・信長公記は「しんちょうこうき」と読むのが正式だそうです ・「十人力」は「10人居れば1人は居る:人並」の意味もあるそうです ・「名をハ号弥助」は「名をば弥助と号す:弥助と名付けた」だそうです。8号さんじゃなかったw ・「健やかに器量なり」は正確には「健康で体格が良い」だそうです ・「インドのパードレの聖堂」は傍にあった日本の「南蛮寺」だそうです
@國立益美
@國立益美 Месяц назад
残された資料をきちんと踏まえた上で、結論から言うと、弥助は「侍」とも「侍ではない」とも「断言」できない。となりますね。  以下、超長文になりますが、読んでいただければ、ご理解いただけるかと思います 「侍」とはなにか? 一から説明した長い文章書いたけど、それ読んでもらえば一発で分かる話なんで、もう一度簡単に書く。 その前に大前提、平安時代の「侍」(高位な武士)の規定を持ってきて、それを戦国時代に当てはめ、「弥助は侍ではないにだ!」というのは、歴史学の方法論としても、普通の一般常識レベルでも、間違いだ、という私の言葉を念頭に置きながら、読んでください ①「侍」の語源は「さぶらふ」で、平安時代に、朝廷の「貴人」(天皇・皇族)に、特定の「技能」を以て仕える(さぶらふ)官人一般を指す。だから、当初は「侍」は武士に限らなかった。 ②しかし、時代が進み武士が台頭してくると、「侍」は、 「武」もたぬ「貴人のために、「武」(という技能)を以てつかえる(さぶらふ)もの  を指すようになっていく。すなわち、「侍」は、武士の中での「高位身分」(官位を授かり朝廷に参内できる)を指すようになる。  これは、武士と言う身分内部に、侍=上級武士・侍≠中級下級武士と階層秩序化したということを意味する。 ③ しかし、さらに時代が進んでいくと、 この「侍=上級武士」「侍≠中級・下級武士」という区別が無意味化していく。 具体的には、「侍」=「武士」ということ。上級も中級も下級も、ぜんぶ武士=侍の身分的確立。  これを端的に表したのが、秀吉の「身分統制令」。ここでは、「武家奉公人」を「侍・中間・小者」に分類している(ちなみに弥助=中間という人たちは、戦国期の中間がどういうものかわかっていない。当時の中間は「現地農民の現地調達」だから、「扶持」なんて貰ってない)。 ④さて、ここまで歴史的に振り返った上で、「戦国時代」という「身分秩序動乱期の「侍」を規定しておこう。  戦国以前には、地侍・野武士・浪人者の類は「侍」とは認められてこなかった。しかし、室町以降戦国にかけて、地「侍」野「武士」とい呼称が端的に示す通り、こういう氏素性も分からないものも「オサムライ様」と見做されていく。(だからこそ「七人の侍」は「侍」なのだ)。 これを言い換えれば、「武」を以て身を立てるもの=武士=侍となるが、そこまで「拡大解釈」することなく、「戦国時代」の通説的な侍の定義をしておこう。 侍とは、「主君」から扶持を給され、「武」を以て仕える(さぶろふ)ものの事である。 ここまでの文章をきちんと読めば、「侍=殿上人」を持ち出すことのマチガイを自覚できるはずだ。侍=殿上人なんて定義を、戦国時代に持ちだしたら、官位の低い・または官位すらない武士は、侍ではない!なんてことになってしまう。 信長の家臣団で、「殿上人」はノッブだけだぞたしか。侍=殿上人なんて言い出したら、ノッブの家臣は侍じゃない!ってなるんだよw
@afelias
@afelias Месяц назад
I don't speak Japanese, but the English word "pet" I think is appropriate. When used on a person that way, it's attempting to be more affectionate than just "servant" or "slave". I don't think it's necessarily inhumane. Of course, calling him "pet" is also up to interpretation. Even I don't believe Yasuke was truly samurai, but it's also not entirely established that he was treated only as a commoner, or foreigner. The word "pet" is probably the best way to show that he was given favor, preferential treatment, by Nobunaga; but at the same time he wasn't exactly welcomed as Japanese, and therefore possibly samurai.
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
@@afelias I was worried about how the word “pet” would look from a foreigner's eyes, so your opinion was very helpful.
@kenjih1408
@kenjih1408 Месяц назад
信長公記(尊経閣文庫本) さや巻之のし付:(ノシツケ)鞘に金銀類を薄く延ばした板を張りつけた装飾。 私宅:private house or residence  ( homeではちと・・) 御道具:武家の言葉で槍を示す。tool → spear
@halhal1121
@halhal1121 Месяц назад
petの代わりにtrophyを使ったらいかがでしょう?2回trophyが出てしまうことになりますが。
@ryuukusensei
@ryuukusensei Месяц назад
白人ユーチューバーです。私も全歴史的資料をまとめようとしていたが信長公記のほうでは弥助に関する内容を探し出すのものすごく難しかった。もっと早めにこのビデオが見たかった!ありがとうございます!
@zero-east-23
@zero-east-23 Месяц назад
Ryuuku 先生もありがとう。あなたのようにもっと英語で発信できる人が増えるといいのですが。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
I made this video for people like you. I am not sure how correct my English translation is, but I hope it will help you in your research.
@Tz3952ii
@Tz3952ii Месяц назад
Also please note 器量也 was translated as good looking by Lockley but ancient use of the word means well built. Einfach Japanisch explained in his new video that and also Diary of Nobunaga isn't considered as the primary source document but somewhere in between primary and the secondary source. Also, Hirayama said the perspective of Akechi on Yasuke doesn't make Yasuke not a samurai but Yasuke's name wasn't included to the list of Nobunaga's retainers on Oda side either. A great hero samurai respected by the Japanese wasn't even included to their own people's list? How ironic. They can call Yasuke a samurai if they mean a sword bearer without famiy name. (Hirayama's claim on a samurai without a family name was also a false. The guy he brought up had indeed a last name)
@Tz3952ii
@Tz3952ii Месяц назад
​@@NegiMoeありがとうございます🙏 そもそも本能寺の変で最後まで戦わず逃げて生き延びて、その後も当然信忠の邸宅以外に安全なところはない訳で信忠を守るために戦ったかのように言う人もいますが単に味方のところに逃げて来ただけというイメージです。長い事戦ってというのも能動的にでなく長らくがむしゃらに抵抗したという意味かと思います。だって命かかってますから。 奴隷にしても信長はお金を払ってるので西洋で言う奴隷でなく明らかに雇用関係ですよね
@user-px5lm3cx4u
@user-px5lm3cx4u Месяц назад
「信長公記」を丁寧に紐解く!白皙の碩学ですね。(用法として白皙の本来的な意味少しく変わりますが) 「信長公記」は流布している文庫本などは特に完訳と称しつつ全文翻訳も少なく、保存されている「本」も記載や章立てが若干異なります。この動画は非常に優秀な仕事をしています。少ない文献をほぼ網羅しています。 ただ、最後の考察は事実に照らして無い。黒人の奴隷が珍しいもである事をこそ発信してほしい。日本人が黒人奴隷を取り立てることについて信長と競うことを怖れる?絶対あり得ない。理由は別でコメントしました。英語圏に発信する以上、考察は当時の文献の域を超える推察は控えるべきと考えます。わたしの考察に対して動画主からは一切回答ありませんが、最後の部分は動画主の新たなコメントを望みます。 この動画は画竜点睛を欠く。目ぇかきます。カキカキ。天空へ。(笑) 昨今、黒人奴隷貿易か日本から始まったとする海外RU-vidrが居ます!この動画は最後の部分以外は最高の動画ですので、天空へ?全世界へ広がってほしい。(笑)
@bank_76
@bank_76 Месяц назад
マジでこういう動画が拡散されるべき。 また『これとは別でまだ一次資料があるよ』、 『ここの部分はこういう解釈だよ』っていう人はぜひ教えてほしいです。 やっぱこういう時の集合知ってすごい。(本来こうあるべきだよね
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
ついでに誰かより良い英訳を…
@user-tv2nh4ln1i
@user-tv2nh4ln1i Месяц назад
本能寺で亡くなった 人達の名前と 小姓や中間などの身分の記載がある一次資料がありますよ。ドイツ発言のチャンネルです。Simply Japanese です。日本人の裏切り者ユーチューバーの話も出てきます。
@國立益美
@國立益美 Месяц назад
丁寧に史料を集めた労は素晴らしいが、最後の「私見」は間違ってるし余計。 「侍としての上位武士地位」←こんなこと言っちゃってるから、この人、侍の歴史まったく理解できてない。「侍」=「上位武士」 ってのは平安時代の発想で、「侍=武士」の戦国時代は完全に崩壊してる考え方だよ
@user-qc7ts7gi4i
@user-qc7ts7gi4i Месяц назад
なんか白人の傲慢さが生んだ事件で知る形になったのは癪だけど、日本の歴史は長いだけあってこんな出来事にもわずかながら記録がちゃんと残ってるのやっぱ面白いな。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
今回は記録がわずかすぎるが故の事案になってますけどね。
@ItsAZaku-z2o
@ItsAZaku-z2o Месяц назад
I hope that this video gets spread around overseas. I think it's a great summary and honest as it doesn't seem to omit any known documents. And as a summary, it really shows how little was actually known about the man, and how much of what we think is just speculation/assumptions. I think that the amount of records about the man is also a pretty telling sign he was not influential or significant, as some would have us believe.
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
@@ItsAZaku-z2o We hope that this video will be of some help to foreign people in their decision making.
@MarzSanctum
@MarzSanctum Месяц назад
@user-vn4ys7bv2t it would not be clearly stated considering "samurai" was not a title/rank at the time
@kenjih1408
@kenjih1408 Месяц назад
Yasuke was given a decorated short sword and a private house by Nobunaga. This shows that he was receiving special treatment.(luxury of decoration. not an apartment complex.) In the future, Yasuke had the possibility of becoming a tono-lord. However, it is believed that he was still a lower-ranking samurai, like a pageboy.(worked for only 1 year and 4 months)
@bluesky602
@bluesky602 Месяц назад
ほとんどがソースなしで語られている中でこれは良い動画
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
大きな間違いが泣けれな良いのですが
@maruchikoba
@maruchikoba Месяц назад
​@@NegiMoe 今回の騒動の場合に限っては 間違いの大小ではなく 些細な誤りでも挙げ足を取られることが有りそうなのでご注意下さい❗
@cy7615
@cy7615 Месяц назад
八号弥助ではないですね。「名をば弥助と号す」です。
@user-wp8uw1oh3n
@user-wp8uw1oh3n Месяц назад
4:25 Xで指摘してる人いましたね
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
下調べでスルーしてたので、音声取り始めて「あれ?八号?」って思ってしまいました。「号す」って改めて言われると「ああ、あれか」と。ありがとうございます
@大川崇-x1l
@大川崇-x1l Месяц назад
@@cy7615 そもそも英雄扱いされてるなら氏は?姓(かばね)は?諱は?役職は?何処を治めて部下は誰?という疑問が出る訳で。 つかフルネームが未だ出て無い時点で。(例:平朝臣織田右府三郎信長)
@nakonakobbe
@nakonakobbe Месяц назад
原文には一二点があるので、名をハ(バ)弥助と号すとなりますね。 名を弥助と呼んだという意味です。
@user-bh9bc8rl7d
@user-bh9bc8rl7d Месяц назад
​@@NegiMoe八号のところを修正しないと、黒人を番号で呼びやがって!やっぱり差別主義者だ!とか、ハチゴーが名字に違いない!よって弥助はサムライ!とか言われかねません…… 他の方も言ってるとおりコメントや概要欄のみでの訂正の周知は効果薄いと思うので、動画ごと直したほうがいいのではと思います。
@shi-ro123
@shi-ro123 Месяц назад
出来れば、コメント等で指摘された点を組み込んだUpdate版をお願いしたい。 英訳も併記なされているのでとても有用な動画だと思います。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
私が作り直すより、もっとすごい動画を誰かが作ってくれるのを期待してます。居ないかなぁ
@user-ht6rh7nu2y
@user-ht6rh7nu2y Месяц назад
歴史には詳しくないので真偽には触れられませんが、まず一次資料のまとめの原型を作られたことに大変な意義があると思います。ご尽力に心より感謝いたします。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
素人なので自信はないですが、私の屍を乗り越えて、良質な資料動画が沢山つくられれば良いなと思います。「弥助やないかい」だけじゃなくw
@myunmyun17
@myunmyun17 Месяц назад
この程度の量の資料から盛りすぎじゃね?ロックリーさんよ
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
ほんと、ねぇw
@yisinobu66
@yisinobu66 Месяц назад
弥助の資料が少ないから、逆にウソが広まる。サムライ、カタナ、ニンジャが好きな奴に売り込むことが出来る。儲けられると考えたのだろう
@macaronlaaskb
@macaronlaaskb Месяц назад
昔、ロックリーの本に沿ってNHKが番組作った時、東京大学の歴史学者の岡美穂子先生が、ロックリーは、いろいろな史料を足して無関係な記述を弥助のことだと捏造したり、書いてない事をつけ足してたと批判されてる。前から捏造に気付いてた人もいたんだよな。
@かずま-y5o
@かずま-y5o Месяц назад
資料の中の文章全部集めてもA4用紙一枚で済むレベルしかないのにね
@undercherry8524
@undercherry8524 Месяц назад
もし、当時日本で黒人奴隷が流行したなら、その黒人奴隷に関する記述が当時の書き物に一切ないという事はあり得ない。イエズス会士も言ってるごとく、日本人は生来好奇心が強くもの好きで、物珍しいものを見聞きしたら、すぐ評判になり、それをすぐ日記などに書き留める習慣がある。日本人は古来、他人種に比べ、喋るより書くことを好む民族なのです。それは歴史がよく示している。
@motoikumasa
@motoikumasa Месяц назад
ヤスケ以前に黒人を皆見たことがなかったと書いてありますしね。少なくとも流行はしていないですよね。
@yujijykrewt
@yujijykrewt Месяц назад
見るとほのぼのか若しくは当時にあったエピソードでしかないのに、なんであんな俺THUEEEEE話になるんだよと思う。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
ほのぼので楽しみたかったです、ほんとに
@user-vw1kb4ce3n
@user-vw1kb4ce3n Месяц назад
先陣を切っていただきありがとうございます! 議論が進んでリアルヤスケが明らかになるのが楽しみです
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
先陣?としては、より良い動画が作られて早く埋もれたいです
@user-ye4wu8iu5s
@user-ye4wu8iu5s Месяц назад
まあ、「本物の」資料が新発見されない限り、情報が少なくて明らかにはならないだろうね
@user-tv2nh4ln1i
@user-tv2nh4ln1i Месяц назад
本能寺でなくなった方々の身分と名前が一次資料であります。弥助は中間では?と推察できるものです。
@user-wq2xn1ik8t
@user-wq2xn1ik8t Месяц назад
わかりやすいまとめありがとうございます
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
間違いや誤解を生む部分が少ないと良いのですが
@user-rp9zf6vb8h
@user-rp9zf6vb8h Месяц назад
素晴らしい動画です
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
そう思って頂けたなら幸いです
@God-T
@God-T Месяц назад
@@NegiMoe you yourself have said you are no expert, it is only a personal opinion, which is not a real opinion. you are making assumptions.
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
@@God-T You are right. It is no problem ignoring my opinion part.
@tsukioka9643
@tsukioka9643 Месяц назад
「刀持ってたら侍」ってのもどうかと思うんだよな。 そこらの農民ですら武装してた時代だよな戦国時代って。 じゃないと光秀が落武者狩りになんか負けないし、家康が伊賀越えであんな苦労しないわけで。 日本の歴史において刀狩りは何度かあったが、兵農分離が進んだのは秀吉の刀狩り以降だろう。 それこそ、ルイス・フロイスの日本史に、秀吉の刀狩りの当時の様子について、こうある。 「日本では今日までの習慣として、農民を初めとしてすべての者がある年齢に達すると大小の刀を帯刀し、刀と脇差と呼び重んじていて、取り上げられるのを悲しんだ」 (『完訳フロイス日本史』 12巻、中央公論新社、182頁より抜粋) この「すべての者がある年齢に達すると」は「元服」の事だと考えていいだろう。
@alexii9940
@alexii9940 Месяц назад
元々はゲームの話が入口だったので「カタナ持って戦うキャラクターはサムライ」というゲームの役割と、戦国時代の日本での社会的地位としての侍がごっちゃになって話されている感はありますね 一同に介して議論するわけじゃないので、ここのコメ欄や外のSNS・掲示板などでそのラインは一層あやふやになってしまいます
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
具体的な記述場所を教えて頂きありがとうございます。こういう文化背景の補足情報も、きっちり集めた資料があると良いのですけどね。正直侍の定義や刀の意味は諸説ということで決着は無さそうな気がします。弥助に関係なく。
@user-uy1vj4lp1d
@user-uy1vj4lp1d Месяц назад
実家が数年前に蔵から刀出てきて、警察に届出しましたが うちはずっと農家 昔は庄屋だったと判明 庄屋刀でした ずっと農民だがご先祖を誇りに思ってる 侍じゃなきゃ駄目な理由が知りたいですね 自分の出自を誇り、自分も誇れる生き方すればいいだけ 米美味い
@straybits7375
@straybits7375 Месяц назад
武士どころか鍔のない短刀なんて嫁入り道具のイメージなんだが…。
@user-tx5ms7in6w
@user-tx5ms7in6w Месяц назад
@@straybits7375 それなら【懐剣】って記録されるハズやねん、知らんけど 懐剣とは(Google先生より) 花嫁が打掛を来たときに帯に差す短刀のこと 護身用として短刀を懐に入れて携行していたことに由来しています。「自分の身は自分で守る」という、武家の女性としての覚悟を持った習慣でした。 さらには、いざというとき、誇りを持って自害するための物でもありました。
@user-hg4vq1ib3u
@user-hg4vq1ib3u Месяц назад
原文資料転記をありがとうございす。 自分で調べに行く暇もないし、浜田議員の調査結果を待つしかないのかな? と思っていたので参考になりました。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
日本語なら、私も参考にさせてもらったwebページとかあるのですが、それでも見つけにくいし、英語圏の人には大変そうなので、今の時代に合わせて「動画」で作ってみました。
@takehittake
@takehittake Месяц назад
一次資料。調査お疲れ様です。提示有難うございます。 日本の学者が「本能寺の変で戦ったんだから『侍』と言っても差し支えない」と言っていたのに不満。 ただ、彼は自身を守っていただけに過ぎない。信長公を守っていたわけではない。よって『侍』ではない。 そんな「戦いに巻き込まれた」なんて話は農民や漁民でもあるだろう。彼らも「侍」ではない。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
私も個人的にはご意見な感じなのですが、書かれてない以上はそれも想像の域になってしまうので。
@daisukineko9726
@daisukineko9726 Месяц назад
@@NegiMoe 個人的に侍だと思う思わない、は別に自由でいいと思います。史料の欠如により事実の確認のしようがないので。 自分の妄想を事実や史実であると断言している(英語で)ことが問題であり、そこは断固否定し、「あくまで個人の見解であり史実とは異なる」とヤツらに言わせないといけない、そのための流れを作らないといけないんですよねー はあ、やれやれ。
@ageha1127
@ageha1127 Месяц назад
信長の中間とか小人も本能寺で討ち死にしてるけど 侍でも武士でもないよね
@HaruHina1615
@HaruHina1615 Месяц назад
1部の黒人の人たちが弥助は絶対に侍だと主張したがってますが、本当に弥助を侍として考えたら、苗字もろくにないし明智光秀に相手にもされず見逃された侍(笑)みたいで侍としてかなり不名誉なのでは?と思ってしまう。
@akatombo900
@akatombo900 Месяц назад
素晴らしい投稿です。ありがとうございます。一次資料は大切ですね。
@user-tv2nh4ln1i
@user-tv2nh4ln1i Месяц назад
ありがとうございます 非常に助けになります。 いきなり武士とかは 贔屓してる として他の家臣の信用をなくしますよね。名前もない奴隷扱いされた者が日本に来て信長に名前を貰って人として扱われたのが嬉しかったでしょう。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
冒頭言ってるように歴史はからっきしなので、実際に信用バランス問題があったのか、もはや信長の力でどうとでもなったのかが自信ないですけどね。ただ良い気はされないですよね
@hassakudaifuku8888
@hassakudaifuku8888 Месяц назад
まず、私自身は弥助が侍だったかどうかはどちらでもいい派なのですが 明智光秀に「動物」「日本人に非ず」などとして殺害しなかった が何を意味するのか考察すると「自軍にとって脅威」ではないとの判断をしないと出てこないセリフだと考えます もしも自分たちよりも大きい体躯を持つ人物が抵抗の素振りやまして自軍に被害が 出ていたとしたら上記のセリフは出てくるでしょうか? だとすると、弥助は奴隷の身分から下手をすると当時の農民などが一生口にできなかった 食べ物や住処、刀などの「夢のような待遇」である「侍」という立場をを与えてくれた 大きな恩義のある信長の危機にすら信長を守る事や抵抗すらしなかった 「侍の矜持のカケラもない唾棄すべき恩知らす」と日本人であれば感じるでしょう。 もしも仮に「脅威ではない一般人(ただの刀持ち)」であれば上記の明智のセリフも 勝手に争ってたのを見てただけで生き残る事もなんら問題なくなるのですが 皆様はどちらがお好みなのでしょうか?
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
あの文章が宣教師視点で、しかも簡略化されてるので、本当にそこまですんなりだったのかは、個人的には疑問もあります。信長についてた人達が「自分達も殺されるのでは」と恐れていた所「殺さない・殺させない」的な通達が出て安心した、みたいな記述もあるので、光秀が変の後の自分への反抗を抑える一貫として、この時は弥助も処分しなかっただけかもしれません。その辺は歴史に詳しい人にまかせたい~w
@namo8736
@namo8736 Месяц назад
私は士族の子孫なんですけど、刀も使いなれない外国人が主君の為にわざわざその長男(信忠)の屋敷にまで行って戦ってくれたのを「不忠扱い」は、それこそ恩知らずも良いところだと思います。 「信長を守ろうともしなかった」「抵抗すらしなかった」いや、してますよね。信長の死後、信忠の屋敷にまで行って戦った時点で充分してるじゃないですか。 腹切りが美徳は日本人の武士道の考え方であり、外国人に押し付けるべきものではないです。 健気に懸命に戦ってはくれたが、残念ながら強くはなかったから、明智軍が刀を離しなさいと言ったら漸く離した。 一番悲しかったのは弥助だと思いますよ。 それは、弥助が侍か否か以前の問題です。私は弥助が海外でマッチョに描かれているのを見ると笑ってしまいますが、弥助が忠義な人だったという点については、疑ったことすらないです。
@jancliff-7657
@jancliff-7657 Месяц назад
私は岡准教授がおっしゃてるように刀を持つことを許されていたなら侍としてもいいのでは?という意見もありだと思います。 私も弥助の侍であるかはあまり重要と思ってないです。 弥助を奴隷やペットとしたといった表現は個人的には不適切だと思ってます。 俸禄や家を与え他の家臣同様に召し抱えていたのならこれは奴隷でもなく同じ人としての尊厳をもって弥助を召し抱えていたとするのが私の意見です。 奴隷とは足枷をつけて船底に押し込め、他国で売り捌く。あるいは安価な労働力として無理やり重労働をさせる。 そういったものだと思います。そしてこれを信じたいから歴史を正しく知ろう努めてます。
@tznktdbk
@tznktdbk Месяц назад
@@namo8736 忠義と取るか、生きる術がそれしかなかったと取るかですね。「主君の為にわざわざ長男の屋敷にまで行って戦ってくれた」ということですが、言語も見かけも自分とは全く違う異国の地で大きな戦いに巻き込まれたとき、一人で逃げるより庇護してくれた織田家の人たちと共に行く方が安全だと私なら思いますが。もうそうするしかないっていうか。
@user-lk1fg6xs3q
@user-lk1fg6xs3q Месяц назад
私も武家の子孫で当時の本家は明智光秀さんとも交流があったようですが、弥助については特に何も伝わってません。 光秀さんが弥助を動物に例えたことから弥助は日本語を喋れず日本語の理解もあまり出来なかったとわかりますし、なにより部外者(一般人)扱いしてますよね。 光秀さんは寺を建てたり信心深い面もありますので、無関係の人間をやたらに殺生する事は無いですし、弥助が日本人に対して暴力や殺生をせず、戦にも出ていないことから周りの日本人からは侍や武士とは思われていなかったのではないかなと思います。 弥助を送り返したことについて他の武家も弥助を気にかけた記述がないので、弥助は重要人物では全く無かったのは間違い無いと思います。 補足として、弥助は鍔の無い短刀を信長から貰いましたが、鍔が無いためやみくもに振り回すと手が刀身の方に滑り指が切れます。 弥助用に持ち手を調節せず、鍔も無いため、弥助が実用的に使うには難しい短刀です。 剣道を見たことがある方はわかると思いますが、鍔の無い短刀では敵の攻撃を受け止められません。最悪、受け止め方が悪ければ刀が折れます。
@KI-hn8ue
@KI-hn8ue Месяц назад
一次資料を分りやすく提示して頂き大変感謝です ヤスケが侍かどうか、は主題ではなくなっているし、最終的な結論は「分らない、というか断言はできない」になるかと思います というか歴史は多くの事で断言はできないのが当然なので、そこで断言できない、というならまだしも、そうではなかった可能性がある、と言ってしまうのは無責任だと思います その上で、ヤスケが侍かどうかについては 侍とは少なくとも大名などの指揮命令下でその地位や役職に基づく役割を持ち、同僚と共に部下なども率いて戦う立場の筈です あの秀吉でさえも織田家家中で様々な嫉妬や軋轢の中、本当に特筆する功績をあげ続けることによってはじめて出世できたのです その点でほんの短い期間しか織田家に仕えておらず、またそれ以前に戦功や勇名などなかったヤスケが出世出来る筈がないでしょう また部下を抱えるにはそれを食わせる所領が必要です、その場合扶持を与えた(この内容の信憑性もやや落ちますが)ではなくどこどこを所領として与えたになるかと思います 秀吉の場合を見ても、婚家と自身の血族に物心両面で頼って、なんとかしている様子が知られています 日本では天涯孤独状態で知り合いすらいないヤスケが、どうやって侍足り得たのでしょうか 現実に考えれば、全く畑の違う分野からの完全に未経験どころか言葉さえも怪しい転職者が、1年も経たずに役職付になり、社内トップの有能社員になる、などあり得ないのです 後ペットなどの表現に過敏に反応している方がいますが、そこは現代の価値観で判断している面があると感じます 扱いとしてまた認識としてペットの様なものだった、これは残酷ですがうまく感覚を表しているのではないかと感じます、勿論当時の人の心情の話なので誰も断定はできませんが あと、奴隷という表現も非常に広義にもなり得て、年季奉公も奴隷扱いすらあり得ます 侍の定義もそうですが、言葉は時代とともに変遷する上に、元々曖昧だったり広義には~みたいなこともあります、ましてやそれを他言語に翻訳した場合には、言語の問題だけではなく社会の常識からして違うのですから、本当に難しいと思います
@nobitonorito
@nobitonorito Месяц назад
今回の件で弥助の身分について個人的に焦点とする部分が歴史研究者の人と一般人、特に海外の人たちの視点がズレたまま 「侍ではない」「侍としても良い」と言ってるのが妙な行き違いを起こすことになってるなあと思っていました この動画のように「1次資料を元に」「当時の見解や実際の扱いを推測し」「海外の人の求めてる答えと同じなのか違うのか?」 を明確にした動画は大変素晴らしいと思います 細かい見解はともかく「弥助は海外の人たちが求めるSAMURAIだったかどうか?」にハッキリと「ノー!」ということこそが必要だったと思いますので
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
今回は判断を提示するよりは、この情報を元に今一度海外の方に考えて頂ければと思ってます。日本人ですら意見が割れてるので。
@nekobatakaigi
@nekobatakaigi Месяц назад
ま、ペット扱いだったと思うよ。 秀吉だって似た様な扱いだったけど、実績残してそれなりの地位を手に入れることができたけど、突然連れてこられた言葉の通じない異国の地で、弥助に自分で考えて何かするだけの知恵があったとは思えない。
@usertest3959
@usertest3959 Месяц назад
自然な解釈で、わかりやすいですね。
@user-eq9hl2bq8e
@user-eq9hl2bq8e Месяц назад
ありがとうございます わかりやすい
@user-vw7xy6xq9d
@user-vw7xy6xq9d Месяц назад
十人力は、人並みって意味です。スマホで調べたくらいで、すぐ出てきます。 健やかに器量なりは、健康だって意味ですね。
@大川崇-x1l
@大川崇-x1l Месяц назад
まぁ、本当に凄かったら百人力とか一騎当千とか万夫不当とか呼ばれてるよね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
十人力が人並とは知りませんでした。「10人に1人程度居る」ってことなんですね。10人分だと疑わずに調べもしませんでした。何となく読めるから、そのまま取ってました。ニホンゴムズカシイw
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
@@大川崇-x1l 言われてみれば仰るとおり。10人は少ないですねw
@user-gs7ev5hk3v
@user-gs7ev5hk3v Месяц назад
十人並みって事? なんかおかしくね
@user-cv2nw7rs4x
@user-cv2nw7rs4x Месяц назад
Google検索で一番上にでてくるのは十人並みを説明したページのものなので、ちゃんとリンク先読まないといけないですね (もし本当に十人力の説明としてあるならごめんなさい)
@user-nr8od4qv1p
@user-nr8od4qv1p Месяц назад
一次資料を普通に読めば弥助は「信長のコレクションの1つ」なんですよね。 東大の岡美穂子准教授がXで「主と共に「刀を持って最後まで戦った」のであれば、私は「侍」と言ってよいと思います。」とか言ってるけど、中間衆にも犠牲者が出ているので、刀を持って最後まで戦ったから侍とはならんのよね。 どうも弥助侍説はトーマス・ロックリーの創作ではなく、その背後に数人の日本人学者がいそうです。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
准教授の方とか、我々よりも多くの当時の資料を読んで、我々より当時対する肌感覚は鋭いとは思うのですが。ただ我々素人を相手にして頂けず説明してもらえない(授業を受けたら分かるらしいですが)ので、自分の素直な感覚を動画にするしかないんですよね。その感覚だと弥助は「そこまでは…」って感じになっちゃいますよね。
@user-qi7mk1ky8o
@user-qi7mk1ky8o Месяц назад
一次資料はなかなか調べられないのでとてもありがたいです。 後半の個人解釈はまさに本件に持っていたイメージ通りでした。 そしてなぜか”歴史家”ほど背鰭尾鰭つけたがるという印象がついた件...
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
今回の情報は1,2カ所で大体集められました。意外と書かれてる印象です。ただ外国人だと検索しにくいので、今回動画にしてみました。
@MK-yq6xb
@MK-yq6xb Месяц назад
「信長公記」は”しんちょうこうき”と読む様です。
@user-tv2nh4ln1i
@user-tv2nh4ln1i Месяц назад
ノブナガ公記 でも良い ようです。
@user-cj4ow2tb9f
@user-cj4ow2tb9f Месяц назад
​@@user-tv2nh4ln1i 現在ではそうみたいですね
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
ニホンゴ、オンヨミ・クンヨミ、アッテ、ムズカシイw。写本名の読み方が分からなかったのですが、まさか本題すら違うとはw
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
@@user-tv2nh4ln1i 実は音読みって、時々ありますよねー。時代の変遷?
@DAME_NEKO
@DAME_NEKO Месяц назад
@@NegiMoe 実名敬避俗ってヤツ 本名で呼ぶと無礼だからあえて読み替えてる
@user-ti9bo4rd4k
@user-ti9bo4rd4k Месяц назад
器量は当時は見た目というより健康を意味するのだそうです。 スクヤカに器量也、は健康な体だったという意味なのでしょう。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
はい。健康的ってことみたいです
@99q93
@99q93 Месяц назад
弥助について何がなんだか分からなくなってきていたので、こういったソースのまとめは本当に助かります。ありがとうございます!素人目線ですが、この情報だけではとても侍だと「断言できる」情報ではないと改めて思いました。なので、よくもまあこんな少ない記述を拡大解釈し、なおかつそれを「事実と断言して」世界中に拡散したな、と驚くばかりです‥。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
元々「侍」は武士以外を含んでいたので、意外と難しい問題ではあります。名武将ではなかったハズですが。
@user-re4cx1qs8p
@user-re4cx1qs8p Месяц назад
専門でないとのことですが、いろいろ調べてもらって感謝です。
@user-re4cx1qs8p
@user-re4cx1qs8p Месяц назад
そもそも私としては、今から400年以上も前に信長公が肌の色に関わらず、弥助の実力と可能性に期待して召し上げたこと自体が素晴らしいと思います。基本的には日本人は昔から才能がある人は受け入れてきたんだと思いますね。William Adams(三浦按針)みたいに、弥助の日誌とかが見つかれば面白いんですけどね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
ありがとうございます。一歩間違えば炎上案件なのですが、評価して頂ける方が居ると、作ってよかったと思えます
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
今回の動画は能力評価というニュアンスは可能な限り消してしまいました。弥助に申し訳ないです。
@user-re4cx1qs8p
@user-re4cx1qs8p Месяц назад
いやいや。私も素人ですが、想像するに信長公としては弥助も単に珍しいからとのコレクションではなく、刀や茶器のように訓練次第では体格もいいし、実践に使えるかもと思ったんじゃないかと思います。そして、家禄や家を与えたのは、司祭から買い受けたので家族も家もなかったし、言葉も不自由だったからではないでしょうか。とにかく一年少しでは武術の習得、言葉の習得ができないので、戦力にはならず、荷物運びくらいしかできなかったのではないでしょうか。
@noriSRV
@noriSRV Месяц назад
良いね世界に拡散しよう
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
この動画といようりは、この動画をきっかけに、より正確な英語の動画が作られて広まるのを期待します。絶対間違ってると思う、私の英語訳w
@Ishizk1057
@Ishizk1057 Месяц назад
冷静な出典に基づいた動画をありがとうございます。 ちゃんと史実と私見を分けてはっきり示すの、大事ですよね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
この動画の趣旨としては私見は蛇足だったかもしれませんがね
@オリー
@オリー Месяц назад
今まで他の説明を読んでいて、明智の家臣に捕まるところの 『明智の家臣が彼に近づいて恐るることなく其刀を差出せと言つたので之を渡した。』 の説明が 「恐れることなく近づいて「刀を渡せ」と言われて渡した」 でどうもしっくりしなかったのですが、原文見ると 「家臣が近づいて、「恐れないでその刀を渡せ」と言われて渡した」 なのか? 威嚇している子猫に「大丈夫、怖くないよ?」と近寄るみたいな? だから動物扱い‥‥
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
「恐るゝことなく」がどこにかかるか、この日本語訳ではわかりにくいてので、ポルトガル語の原文を確認したいところです。ポルトガル語分かる人の登場が待たれます
@オリー
@オリー Месяц назад
どちらにかかるかで、大袈裟に言うと ・ 最後まで勇敢に戦った戦闘員   (但し、侍スピリット無し=切腹、殉死しない) ・ 戦闘に巻き込まれた非戦闘員 の印象が変わってくると思うんですよね。 まあ、刃物振り回す人に近づくのは怖かろうと思いますが。 ホント、誰か、ポルトガル語の原文わかる方教えて下さい。
@straybits7375
@straybits7375 Месяц назад
@@オリー 個人的に気になってるところ。 自分の初見の印象では籠城していた非戦闘員だったからこそこの対応であったのではと感じたので。 「使えもしない刀を持っている非戦闘員」と言う扱いならば明智の家臣の行動がより論理的に説明できると思います。
@viscabarca1983
@viscabarca1983 Месяц назад
カタコトで少しは日本語喋れたらしいとは言え、いきなり訳もわからず戦闘に巻き込まれたら怖かったでしょうよ。 そう、権力者の側使えをしていただけの非戦闘員ならね。
@nakatasakau3869
@nakatasakau3869 Месяц назад
他の抵抗していた侍達は戦ってほとんどが討ち死にしている。 なので、刀を持っていたとはいえ、包囲されている状態で剣術にたけていたとも思えない黒人が戦って生き残るというのは想像できない。 信忠自身も逃亡をあきらめて自害するような状況だし、もし上級武士として扱われ抵抗していたのであれば、目立つし速攻手柄首になると考えるのが自然に感じる。 なので、自然な理解としては、双方から戦闘員としてはみなされていなかったが、暴れる可能性もあったため手出しできなかったが、 言葉も完全には通じない中、なんとか抵抗を促し降伏した。となると思う。 特に珍しい存在のため、現場の武士たちには勝手に危害を加えてよいかわからなかったのではないかな? そもそもイエズス会の屋敷のすぐそばで戦闘が起きていたとはいえ、だれがどこで戦っていたかなどルイスにわかろうはずもなく、相当長時間戦っていたのは、弥助ではなく戦闘全体のことを指すのではないかとも思います。
@ikoze_kimishima
@ikoze_kimishima Месяц назад
一次資料の紹介ありがとうございます。 たったこれしか書いてないのに、 480ページに及ぶ英雄伝に書き換えるの無理がありすぎるでしょう…w むしろ書いてないから好き勝手書いたのでしょうが、 それが海外で信じられてしまったのだから、あまりにもやり口が汚い。 自称歴史家さんが「二次資料だって有効です~」って言っているけれど 二次資料は一次資料に基づいてなければならないので、 ただの憶測で書かれたものは二次資料として無効なんですよね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
この程度の調査してる私ですら妄想が膨らみますから、気持ちはわからなくもないですがね
@user-qu8rl9pl9v
@user-qu8rl9pl9v Месяц назад
一次資料がこんだけしかないけど、そこ突くと「日本人はレイシストだから記録から消したんだ」とか言われるんでしょ? もう無理やん
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
悪魔の証明ですよね…。正直「しらんがな」ですが
@にゃんぷっぷー愛好家
@にゃんぷっぷー愛好家 Месяц назад
日本には被差別階級はたしかにいたけれど、彼らの記録はたくさん残っているわけで。 仮に大勢の黒人奴隷がいたならば、どうして黒人奴隷だけ記録も存在も物理的にも消えたのか。 そもそもどうやれば抹消できるのか。 監視カメラと個人情報登録を行う現代の強権国家並みのサイバー中世日本でもないと無理でしょう。 とても不思議なので、そういう事を言う人がいたらその根拠を是非伺ってみたい。
@user-dz5tp1rq2b
@user-dz5tp1rq2b Месяц назад
本人はアカウントをブロックして逃亡?某局は番組を削除して逃亡?と…ポリコレイシストは「記録を消す」んだねぇ
@Weda01
@Weda01 Месяц назад
ある人は何をしても、誰かを侮辱する理由を見つけ出すものです。しかし、真実を語るのをあきらめないでください。 (Sorry if there are mistakes in the text)
@Weda01
@Weda01 Месяц назад
​@@NegiMoe 耶楊子(やよす)と三浦按針の侍の称号に関する同様のビデオを作ることはできますか? (Again, I hope the translation is readable)
@小金豊
@小金豊 Месяц назад
negiさん、ありがとうございます。
@dougkwan
@dougkwan Месяц назад
Thank you for making this video. It is very informative.
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
Thank you for your interest in Japanese history.
@furafura-ozisan
@furafura-ozisan Месяц назад
これもう弥助が侍かどうかとかの問題でなく、個人レベルで他国の歴史を書き換えることができる/すでに書き換えてしまったということが大問題なのに、日本政府はなんでこんなに塩対応なんだろう?
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
政府に期待できないことに慣れてしまった我々。まぁ頓珍漢な事を言われる前に、もっと民意を固める必要はありそうです。
@GolazoGorrion
@GolazoGorrion Месяц назад
信長から禄を受けたら侍か?といったら、狩野永徳のような絵師や、鉄砲鍛冶、仏師、蒔絵師、なども侍か?ってなるので、少なくとも禄を身分の目安にするのは無理がありますよね
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
当時の文化背景は理解してないので、現代人の感覚で量って良いのかは分かりませんけどね。それこそ専門家がきっちり説明して欲しいところです。
@user-ov4kt1uk3g
@user-ov4kt1uk3g Месяц назад
私見のところ完全に同意 剣を渡せ→生かしといてやれの流れは 泣きながら逃げ回ってこっちに来るなうわあああって感じに剣振り回してる姿が浮かぶ
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
ポルトガル語ではあばれて危険で近づけない、みたいな記述になってるような記事をどこかで見た気がします。なんでメモ残さなかったんだ、私…
@Thats_Helpful
@Thats_Helpful Месяц назад
これ話題は面白いですね。私はアメリカ人ですと私は日本語を勉強するからNegiMoeの助けはありがとうございます。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
This topic is difficult even for Japanese. Thanks for your interest.
@user-vq9pi6ml5x
@user-vq9pi6ml5x 27 дней назад
まずは原典にあたれが人文科学の基本で、こんな風にリードして頂くと、作業が早く進みます。どうもありがとうございます。 これから原典を読みます。
@NegiMoe
@NegiMoe 27 дней назад
説明文で紹介してるwebページがまとまってます
@motofuku8991
@motofuku8991 Месяц назад
一次情報の共有有難うございます!大感謝。しかし、ロックリー氏の解釈は恣意的すぎることが良くわかりました。「弥助」に比重を置きすぎ、思い入れ入れすぎ、かなり偏っていますね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
悪意ではなく理解に対する過剰な自信なのでしょうけど、ちょっと行きすぎましたかね
@Studio_Nirv.
@Studio_Nirv. Месяц назад
@@NegiMoe 英語と日本語で言語によって表記を変えたりエピソードを盛ったり、査読有りと査読なしの論文で食い違いがあったりするんですよね。ブリタニカ百科事典に寄稿してる内容などを見ると、それらを意図的に引用を使いわけたり、査読済み論文が引用元になっているのに査読済み論文には書いてない内容だったり。 そして、日本の専門家やマスコミなどの目に触れないように日本向けには査読済みの無難な論調で、海外では「弥助は日本の頂点に上り詰めた侍」などとインタビューで語っったりと、本来の専門は言語教育学なのにもかかわらず、言語の壁を悪用しています。 自説に対する過剰な自信だけなら、こういった使い分けはしないんじゃないかと思うんです。自説が空想盛り盛りなのはわかってて、意図的にミスリードを誘導してる点で、結構悪意的だと思うんですけども。
@hiroyukisatoh5406
@hiroyukisatoh5406 Месяц назад
short sword はマズいですよ「短い剣」ですけど、現物のショートソードは刃身長が短い武器 なので長いです。のでダガーくらいです あと、信長公記 原文 699ページに信長一行の死亡者リストがあって「中間衆 弥六 ら24人、厩舎にて討死」の一文があり、戦死して中間衆として数えられた可能性があります。
@UP3UP
@UP3UP Месяц назад
これ本当。小刀ってわざわざかかれてるのにちょっと太刀より小さい小太刀みたいにおもわれたらめんどくさいし、 日本の弥助嘘伝説擁護派が、そのへんぐにょぐにょいって、侍の証拠だ!ってほざいてるからねw ショートソードだと普通に西洋だと戦のプロが使う武器でもあるから、誤解されそう。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
なるほど。ちょっと説明に追記入れます。英訳へのご意見ありがたいです。
@user-kf6ln6bu4k
@user-kf6ln6bu4k Месяц назад
弥助についてのまとめ、ありがとうございます 自分も言うてそこまで知っていた訳では無かったので本当に助かりました。 しかし、コレだけの資料しか無かったからこそ フィクションで侍になったり忍者になったり、 その他様々な妄想想像膨らましに繋がって弥助をキャラクターとして 活躍させれたのになぁ‥ 全部おじゃんにしたのは何より弥助が好きなロックリー氏のやらかしって 本当にやるせない、愚かしい‥
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
創作が自由だった古き良き時代は終わってしまったのですかねぇ。sweet baby...
@user-kf6ln6bu4k
@user-kf6ln6bu4k Месяц назад
​@@NegiMoe 今ならばまだ、そしてせめて我々日本人だけでも 過剰なポリコレを否定していかなければならないかなと思います。 というか日本だけは最初からずっと ポリコレ最先端だったんですけどねw
@user-xd3bu4rc3q
@user-xd3bu4rc3q Месяц назад
一次ソースまとめありがとうございます。xで広めたいと思います。
@user-dy9mq1fx1w
@user-dy9mq1fx1w Месяц назад
初めて弥助を知ったときのことを思い出しました!実際どうだったのだろうと、思いを巡らせるのは楽しいです。本人が今を知ったら、どんな顔をするでしょうね。きっかけはさておき、歴史に興味を持つ人が増えることは、なんとなく嬉しいです。情報提供、感謝しています。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
歴史嫌いの私が、こんなに歴史を調べることになるとは思いませんでした。
@user-kh9ko6hx7e
@user-kh9ko6hx7e Месяц назад
分かりやすかったです、これをベースに意見、追記が進んでより弥助への理解が進みますように☺
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
それを願うばかりです
@nakonakobbe
@nakonakobbe Месяц назад
いい動画ですね。原文も載せるとなお良いかもしれないです。 某歴史学者がさや巻を金熨斗鞘巻之太刀とかXで言っていましたが、私はそうは思わない派です。戦国時代後期なので太刀ではなく打刀が主流になってきていて、信長が功労者に下賜する場合、大小合わせて渡している。これははっきりと記述に残っている。打刀や太刀のみを渡したのは元々の家臣に対してだけであり、新たに家臣とする場合はない。 金熨斗の刀はいわゆる名刀の部類になるのではないかと思うので、この場合ののし付とはのし鮑付で贈答品として鞘巻を与えたというのが私の考えです。 鎌倉時代から戦国時代末期までは官位を持つ武士が侍だと私は認識しています。戦国時代は自称や僭称を名乗る武士もいましたが、基本は幕府を通して朝廷に身分の打診をし、官位を授かる制度が残っていたので、私は弥助が侍とは思いません。 某歴史学者やコメントなんかで姓を持たない侍はいたとか主張してますが、それ惣村関連の地侍や国人なんじゃないかと思っています。 侍に関する定義が違うのはしょうがないとしても、弥助が日本人に尊敬される偉大な伝説の侍であったというのを肯定するのは無理があるでしょう。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
原文の国会図書館へのリンクは説明に載せておいたので、それでご勘弁を~。
@user-ts1yu8hq7s
@user-ts1yu8hq7s Месяц назад
意外に信長は弥助を丁重に扱ったのだなという印象を受けた 侍の定義に関しては(荷物持ちの地位についても) 正直細かいところまでわからないので断言できないが ただ一般にイメージする侍像とはやはりちがうかな 護身用の短刀しか持たされてないところとかね 光秀の動物云々も見下していたのか、不憫に思って情けをかけたのか不明だけど 対等の存在(侍)として扱っていない感じを受けた 弥助本人は置かれた状況の中で頑張った青年だったんだろうという印象 過剰に持ち上げたりしなくても、十分に興味深い人物の気がする エンタメ的には本来なら、資料が少ないからこそ膨らませる余地があって面白いんだけど こんな風にそれ以外のところで「利用」されてしまって残念
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
最初の場面で芸を披露したりで、弥助も状況が分からない中、生き延びるの必死だったのかもしれません。騒動が収束できたら、ちゃんと再評価してあげたいですよね。
@飯尾圭右
@飯尾圭右 Месяц назад
記述からの当時の常識から鑑みて妥当な解釈だと思います、本能寺での(暴れている)も戦って暴れているなら将兵に犠牲が出てるので謀叛中の明智光秀にしたら一番大事な旗下の将兵の忠誠の為に其れを害した弥助を許すなんてあり得ない話、献上品の馬が暴れてた扱いだから献上元に置いてこいになるし黒人奴隷の使役が貴人で流行していたら茶器や馬みたいに略奪対象にされて放逐なんてされないんだよね、旗下の将兵に(恩賞として与えられる価値を認められるもの)は謀叛中の光秀に必要なものだから、穿った見方をすれば弥助が信長に下賜された刀にはその価値が有ったのかもしれない
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
「弥助の恩賞としての価値」までは考えませんでしたね。興味深い視点な気がします
@user-ke6vn9dc5j
@user-ke6vn9dc5j Месяц назад
資料紹介おつかれさまです 特にその後の参考資料やネット辞典はいつでも改変可能だから 一次資料とそれをいつ参照編集したのかいつ追記したのかとかの編集記録の確認は必要ですね
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
wikipeia改竄は、履歴が残るからこそ判明した事案でしたしね。
@go_979
@go_979 Месяц назад
まとめありがとうございます。 いろいろ考えると一番問題なのは「侍」という言葉が「武器を以て戦う人」を指す言葉として一人歩きしてしまっていることかもしれません。 我々日本人でも「侍」という言葉を聞くとそう思ってしまう位なので、より限定的な情報しか持っていない国外にとっては もはや疑う余地もないほどそういう捉え方をしてしまうのでしょう。さらにそこに「高貴な」という装飾まで付加されてしまい英雄視されてしまう。 正確な言葉を用いて議論するならば「弥助は武器を以て戦う人として信長に仕えたのか?それ以外の職として仕えたのか?」ということなんですよね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
元は「仕える人が侍で、その上位に武士が居た」が「武士の上位が侍」になって、江戸時代に「侍≒武士」になってるので。「現代の感覚でいう侍かどうか」って言わないと「侍か」だけだとわからないですよね。「侍女」は「SAMURAI GIRL」かって話w
@raiel2006
@raiel2006 Месяц назад
労作ありがとうございます。大変参考になりました。「この動画の内容の転載は許可されています。」との事ですので、Xで紹介させていただきます。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
この動画が呼び水になって、より良い英語資料が作られたら良いですねぇ
@tznktdbk
@tznktdbk Месяц назад
素晴らしい動画をありがとうございます。資料によると弥助がもらったのは短刀で、巷で言われている「弥助は刀を持つことが許されていたから侍としても良い」という説にはギャップがありますね。 弥助は侍で良しの根拠は、明智軍に刀を返したという記述があったからと言われますが、主君信長の一大事となれば一家総出で戦うのは当然で、例えそれまで刀を使ったことがない素人であろうと武器を渡されると容易に想像ができます。弥助に夢を見る人は、彼が信長に庇護されてから宣教師の元へ戻るまでたったの15ヶ月間だったことを考慮しないように見えますね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
「短期だから~」ってのも「あなたの感想ですよね」と言われかねないので難しいところでもあります
@ykita7414
@ykita7414 Месяц назад
12:07 世子というのは信忠の事だよね? つまりこの時、弥助は本能寺ではなく二条御所に居たと…。 そこへ明智の軍勢がやってきて、信忠も自害。 取り残された弥助が「来るな!来るなぁぁ!!」的に長い間抵抗していたので 「怖がる事はない。その刀をこっちへ寄越しなさい。」という事では?
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
私が読んだ説では二条御所でもないという話です。そのあたり本件に関係ないため、手元に資料をまとめてませんが。元のポルトガル語には「暴れて危なくて」みたいな記述があるという話も見たのですが、未確認です
@yisinobu66
@yisinobu66 Месяц назад
つまり、一次資料には、弥助に家名は無い。カタコトなのか、ペラペラなのか記述が無い。弥助はサムライとしての功績が無く、有名では無い。イエズス会は日本年報で当時の日本状況を報告している。その報告に日本で奴隷制度が流行ったとする記述は無い。ということ。ナイナイ尽くしを逆に利用して、サムライ、カタナ、ニンジャが好きな欧米人を騙して儲けたということ。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
言葉が違うと簡単にできちゃうということですね
@leucophyllumfrutescens3412
@leucophyllumfrutescens3412 Месяц назад
自分で資料を調べたりは中々できないので、こういったものを作っていただき、感謝しかないです。英語流暢な方、ぜひこの動画を全編英訳してください。届け英語圏の人々へ🙏
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
この動画自体はいいので、私の翻訳を手掛かりに、ネイティブな方が正しい理解を広めて頂ければよいと思ってます
@user-ym8kk3ms6l
@user-ym8kk3ms6l Месяц назад
小さい頃からフィクション含め大河ドラマや戦国ゲーム等に触れてきた私から見てもあまり違和感のない内容でしたし、多少戦国時代に興味や関心がある他の方々も同じように思われるのではないでしょうか(細かい漢字の読みや意味合いを除き
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
それを聞いて一安心です。多くの反感を食らったらどうしようと心配してました。
@norikoma4661
@norikoma4661 Месяц назад
信長公記は一般的に「しんちょうこうき」と読みます。 信長死後時間が経って信長縁の者の記述なので信長贔屓に書かれている箇所があるため一次資料として認めていない人も居ます。 私見ですが1.5次あるいは2次資料と見るのが妥当で家忠日記イエズス会に残っている資料も含め本当の意味としての一次資料は弥助に関しては存在しません。 それと曖昧な言い方はさらに誤解を生むので喋る言葉も含めきちんと精査して動画を作ったほうがよいかと思われます。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
台本無しで喋ってる結果、曖昧な部分があるのはお詫びします。編集で一部直したりはしてるのですが。
@user-wm4pu6qm7w
@user-wm4pu6qm7w Месяц назад
これは他意の無い言葉通りの意味で捉えて欲しいのだけれど、そこまでの知見をお持ちなのなら他所のコメント欄でダメ出しするよりも前に持論をちゃんと公表して頂きたい。 それをやらなければ貴方の所見も結局は誰に知られる事もなく雑音に埋もれてしまうだけだ。
@monsagan1298
@monsagan1298 Месяц назад
光秀から許された、と言うのが全てを物語っていると思いますね 弥助が武勲輝く高名な侍なら光秀方にとっては手柄首ですから 見逃したと言う事は打ち取っても手柄や武勲に成らないと言う事なのでしょうね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
信長関係者が自分達も処罰されるのかと恐れていたようなので、今後の人心掌握のために寛大に振る舞ってみせた可能性もありそうですが。もう少し具体的な記述が残っていれば良かったのですが。
@maena2979
@maena2979 Месяц назад
コメント多いとオススメに上がりやすいらしいので支援米。昔からメモ魔の日本人がこの量しか情報残してない時点でお察しだよね
@頑張るん
@頑張るん Месяц назад
1581年3月27日〜1582年6月21日織田信長 ・七尾城攻略?(入れなくても良いかもしれない) ・第二次天正伊賀の乱 ・鳥取城の戦い ・高野山制圧 ・甲州征伐 ・魚津城の戦い ・備中高松城の水攻め ・本能寺の変 この中で「弥助」が武功を挙げたの発見出来ない
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
どのくらいの戦場があったのかは気になってたので、この情報はありがたいです。
@ドクター日本
@ドクター日本 Месяц назад
「歴史愛好家」も、「歴史家」も、多かれ少なかれ、わかっている歴史的事実以外、自分の思いをついつい入れてしまうんですかね、わからないことが多いが故に。でも、それじゃ~、「科学」ではないですね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
数学みたいに、綺麗に当てはまるわけじゃないので、どうしても主観が入るのは仕方ないと思います。私自身、集めた資料をこねくりまわしてこの動画つくりましたし。だからこそ第三者に晒してのチェックが重要かと。この動画も結構恐々出してます。
@UP3UP
@UP3UP Месяц назад
文系とか人文系界隈が、料理研究家(そいつらよりは、普通に店やってる人のほうが料理のプロだろう)みたいに歴史家の肩書で、歴史ロマンで悦に浸ってるだけのあやしいやつらがほかにもたいりょうにいるってのがこわいね。 そういうやつらほど、ロックリーを守りたいのだろうけど(自分の保身のためにもw)
@user-ch5sk3dg8q
@user-ch5sk3dg8q Месяц назад
「当時は黒人奴隷がはやった」どころか、弥助が初の黒人だったとしか読み取れないがw
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
宣教師が出入りした九州には他にも居たかもしれません。信長に謁見したこの宣教師は1人しか連れてなかったみたいです。
@user-ij3el1iz2f
@user-ij3el1iz2f Месяц назад
弥助として後世に伝わっていることが苗字帯刀を許されなかった事(武士ではない)の有力な証拠でしょう 弥助は日本で与えられた名前でしょうから、武士であれば苗字も与えられたはずで その後に苗字帯刀を許されたならばそちらの名前が残ると思います
@Studio_Nirv.
@Studio_Nirv. Месяц назад
家名を与えられてない点で、中間や下働きといった扱いじゃないかと。出身地も本名も全く記録に残ってないですし。信長に仕える高い身分の家臣だったら、謀反を起こす前の明智光秀とも深いつながりがないと不自然なのに「人扱い」してないですから。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
正直私も「武士≒侍」くらいのイメージだったので、今回の騒動で知って「へぇ」と思ってます。なんか侍ってごろごろ居るイメージだったので。イメージが江戸時代とごっちゃになってるんですね。
@user-ij3el1iz2f
@user-ij3el1iz2f Месяц назад
@@NegiMoe さん 日本の奴隷に関しても、貞永元(1232)年八月十日より施行の 御成敗式目の第41条:「奴婢(ぬひ)や雑人(ぞうにん)のことについて」で  頼朝公の時に定めたように、10年以上使役していない奴婢や雑人は自由とする。次に、奴婢の子については男子の場合は父に、女子は母に属すこととする。  ※奴婢(ぬひ)=奴隷のように売買される人。  ※雑人(ぞうにん)=所従や下人と呼ばれる身分の低い人々。  ※御成敗式目では新たな人身売買を禁止し、今いる奴婢も10年以上使われていない者は今後売買されず、奴婢の子供は奴婢として売買されることはないとした。 (玉川学園 御成敗式目 貞永式目 現代語訳全文 のwebページより) と奴隷制度自体が廃止され、当時の奴婢の立場の人も10年逃げ切れば自由になれます 士農工商の身分制度も世界基準と対比すれば有名無実と言えるようなものでしょう 故堺屋太一さんが「峠の群像」の執筆資料で赤穂藩を調べたところ、5人の家老の4人までが武家出身ではなかったと語る動画を見た記憶があります 現在の日本の世襲政治家の割合より少ないのです 優秀な人物を適当な武家の養子とし登用したようです 私の発信力は皆無に近いので、可能であれば検証の上動画にして頂けると嬉しいです
@momogarasu
@momogarasu Месяц назад
これね、他の武士が黙ってない、それで秀吉がどんだけ苦労した事か 小姓なんて話も出てるけど、小姓って若い頃に側近として大名に仕える役職だから、言ってみりゃ幹部候補 何故か低い地位みたいに語られるけど、エリート中のエリートがなる役職なんだよね 豊臣政権になるまで刀なんて農民も持ってたし、本能寺前と後じゃ別世界ってくらい差が大きい
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
小姓は小姓で検索しても結構ブレるんですよね。分かってるようで分かってないというが今回分かりました。
@akg-th3mk
@akg-th3mk Месяц назад
民間から武士として登用される場合の一般的なキャリアパスがよくわからないんですよね。 小西行長は商人出身だけど、もともと堺で独立勢力としてブイブイ言わしてた家の出身で、いきなり大扶持の臣下に組み込まれてるし…。 秀吉が諸説あるけど草履取りが本当なら小物中間経由して徒士侍みたいな経路だったんかな(高い職能があれば、最初から徒士扱いで登用するもあったみたいだけど)。 歴史家の諸先生はこう言ったキャリアパスの解説から持論展開してほしい。 それなしに、戦ってたから侍、小刀もらったから侍、身の回り世話してたから小姓みたいな論拠に乏しい論理展開してる人を学者とみなして信頼するのは、個人的には厳しい。
@user-qp6sy5pj2w
@user-qp6sy5pj2w Месяц назад
解説ありがとうございます。欲を言うならばきっちりと隅々まで英訳をしてほしかったです。これは日本語を理解している人が英語個所を読むだけで外国人には、きっちり伝わってこないことが残念です。とはいえ、こういう形にまとめていただいてとてもうれしい限りです。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
私も動画つくりながら思いました。英語力があればできたんですけどね。この動画を参考or参照した上で、流暢に英語が喋れる人が動画にしてくれればと思ってます。それができるのがSNSの強みなので。
@Me-mh6tg
@Me-mh6tg Месяц назад
これは素晴らしい動画です! あちこちから色んな歴史家の方が出てきて持論を展開していますが、なにぶん素人なもので自分で判断することができなかったのです。 ありがとうございます、転載可のとことでさっそくXに投稿させていただきます!
@PeshoCantDraw
@PeshoCantDraw Месяц назад
Hey, thank you for your informative video!
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
I'm glad you found it helpful.
@GolazoGorrion
@GolazoGorrion Месяц назад
分かりやすくて素晴らしい動画ですね❣ 9:33 市内を巡らせたという場所は面会の記録から大阪と思われます。石山本願寺が滅ぼされた直後で、大阪の民の恨みを買っていた信長に向けて「黒奴をトノにでもするつもりかいな?」=「信長はウツケものやなあ」と大阪や京の人々が罵っているのに対し、宣教師は、そういう皮肉を読み取れていないのでしょうね
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
関西人のノリまで考慮すると、全然ありえそうな話ですね。弥助におばちゃんが「あめちゃんいるか」って渡す場面が思い浮かぶ(違う)
@macaronlaaskb
@macaronlaaskb Месяц назад
弥助の時代の言葉では「器量が良い=健康的」なんだけど、ロックリーは美男子みたいな誤訳して広めてる。歴史の専門家ならそんなミスしないのに。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
正直私も「器量が良い」を現代的な「美男」かと思いました。先達の資料があったから助かりましたけど。
@visualbasicvb4388
@visualbasicvb4388 Месяц назад
今回の件でWikipediaは1次資料がなく2次資料で真実と記載する事がわかった。どうやら現在wikiでは弥助は侍であることは明確な合意があるとしているのだ。そしてその理由は弥助が侍であることに反対するような文献が無いかららしい。ほんの少ししか資料がない大して歴史に影響もない弥助について真面目に論文をだしたり、記事にしたりする事はないから当然だ。しかしトーマス・ロックリー氏が海外で弥助の情報を流布し(日本では主張を変えながら)、弥助が侍であると吹聴すると海外の人々が弥助が侍であると主張しはじめた。Wikipediaの中立的観点ではこのことを弥助が侍ではなかったと主張しているわけではないと捉えている。つまり弥助が侍であるという合意があると見なしているのだ。SNSでの反対意見はWikipediaでは無効だそうだ。 Wikipediaは嘘つきに有利なシステムでできているということだ。 ※追記 これは英語版Yasukeでの話です。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
wikipediaはうかつに信じてはいけないのは常識なのですが、その一方ついつい楽して鵜呑みにしちゃうのも事実。性善説の仕組みの限界が本件かもしれません。
@akirasakamoto4411
@akirasakamoto4411 Месяц назад
ありがとうございます。 多くのコメントにあるように「日本人が消した」との反論を防ぐためにも、 トーマス氏の本の参考文献をまとめて1次資料にある内容と彼の妄想をはっきり示すことが一番効果的かと思います。 これならば「嘘」の証明になり得るので・・・(どんな手を尽くしても馬鹿には通じませんが)
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
トーマス氏は本が売れて喜んでるようなので、買いたくないんですよね、本w。田舎なので図書館も充実してなくて
@mizuironomizutama
@mizuironomizutama Месяц назад
この動画が拡散されて、海外の方にも解って貰える事を願います。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
どこかにポカがあって、都合よく受け取られないかが怖いですが。私の「ペット」という言葉が一番懸念されてますし。
@24thomson86
@24thomson86 Месяц назад
このように幅広い視聴者に向けて情報をまとめていただき、本当に素晴らしいお仕事で感謝します! おそらく一番大きい間違いかもしれないのは、12:06の弥助が二条新御所で信忠といっしょに戦ったと解釈できてしまう部分で、STSTさんの”黒人侍”弥助と本能寺の変 ー 宣教師の記録にあることとないこと②をご覧になるとわかるのですが、フロイスの史料では世子と内裏を明確に区別しているため、弥助は妙覚寺にいて信忠と一緒に戦っていません。 >D daisy 妙覚寺で女中衆と一緒に隠れてた弥助くらいにしか読めないけどな、アレ -個人的にはこのコメントに近い印象です。よく戦っていたというのもフロイスのキリスト教アゲ異教徒サゲ話、教会破壊の危機や家康と併記された神の奇跡話の3つのうちの1つで奇跡度を盛った誇張の可能性もあると思ってます。これはSTSTさんのnoteにも「又」で並列表記されている文脈が説明されています 明智軍が信長親子を殺した後の周辺の残党狩りで妙覚寺の弥助が投降するなら生存の辻褄もあいます。間に合わなくて別の寺に行った松野平介のような弥助と似た状況の別家臣も、明智方に投降要請されるも拒否して切腹したことが称賛されています(信長記)。金子先生の著書でも尊経閣文庫の弥助創作の根拠として言及されていた、松田毅一先生著書の「黒人はまごまごしているうちに捕まってしまった」という記述も御所戦闘説と矛盾するように思います 特にご注意いただきたいのは最近褒めてらした英訳ブログで、弥助が御所にいて戦ったことにされています。御所戦闘説をXで指摘されて関連ポストを削除した岡先生とやりとりしていて、他にも史料というよりは根拠のない話を取り込んで色々願望めいた物語になりつつあるように見え危険な兆候に感じています。おそらくNegiMoe様と逆の趣旨のブログになっている気がするので、一度内容をご確認いただいて宣伝動画を残されるかはご検討なさった方が良いかもしれません
@atagom9201
@atagom9201 Месяц назад
「奴隷」ってワードはキツ過ぎる気がします 折り紙で「奴さん」ってパターンがあるけど、その雰囲気の方が似合うそうな印象を持ちました 「信長様のとこの黒ヤッコ来るってよ!」「すげえな見に行かなきゃ!」的な人気者だったのかなと
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
奴隷に関しては、この後色々動画を出します。日本での扱いは奴隷ではない、ですね
@mm-qf9zb
@mm-qf9zb Месяц назад
弥助と話したり戦場で戦った武士がいたら必ず日記とかに残ってるはずだからね。 弥助は信長以外と話さず信長に呼び出された時以外は家に引き篭もってたんだろう
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
信長が独占したいと思っていたのかもしれませんね。海外の話は貴重でしょうし。
@cT-rr9tn
@cT-rr9tn Месяц назад
きちんと資料を集めてくださってありがとうございます。とても参考になりました。 私見も説得力があり、自分も同意いたします。 弥助は侍か否かの件で未だ荒れているけど、まあはっきり結論が出る問題でもないので不毛だなと思う。 ※伝説的な英雄の侍、は、もちろん全力否定 仮に侍のカテゴリにギリギリ入ったとしても、限りなく下級で駆け出しだと思うし※私の私見です
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
日本人は曖昧なまま放置できるのですが、海外の方は白黒つけたがりますからね。そういう言語なので仕方ないのですが。ただ放置した結果、慰安婦問題で痛い目を見ましたから、その失敗を今回は教訓にしたいですよね。
@user-fx4km8my7x
@user-fx4km8my7x Месяц назад
『弥助 YSASUKE』に関する資料調査報告 これでググって出てくるサイトがイエズス会側の文書を深く掘り下げてるので、見てみると良いかもしれません ラテン語版や日本語版ではなく、原文のポルトガル語版をあたっているようで翻訳の過程での意味合いの変遷なんかにも触れてますね
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
情報ありがとうございます。今検索したら、本騒動のせいか埋もれてヒットしませんでしたけど。探します
@hiyoris6225
@hiyoris6225 Месяц назад
「ショートソード」は画像ありだとよかったかもしれません 海外のショートソードはまんまロングソードの短いタイプですが、日本の腰刀は鍔なしで打ち刀、太刀などとは一線を画します 当時は江戸ほど厳密ではなかったものの、隠しようがない大振りの刀を佩いていたかは持ち主の身分を明らかにしたでしょう だから外国人も分かりやすい「サムライの象徴」として固執します。武働きのない刀持ちなんて、当時は追い剥ぎした農民にもいましたけどね笑
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
わかりやすい名刀の写真(金熨斗付のとか)は、著作権で使えなくて…
@user-pk2ty7yq6k
@user-pk2ty7yq6k Месяц назад
どちらか言うとダガーに近しいのかも
@UP3UP
@UP3UP Месяц назад
@@user-pk2ty7yq6k そそ、小刀って、よく時代劇で夫が留守の時に賊にはいられて、妻が抵抗するときに逆手持ちしてるようあのサイズだからね。 小さめの太刀ではない。
@opoiu7200
@opoiu7200 Месяц назад
尊経閣版の信長公記って資料としてどうなんでしょうね? 他の信長公記の写本には「黒坊主」としかないところを考えると、オリジナルにそう書いてあったとは考えづらいし、 「弥助」という呼称が出てくるのは尊経閣版と家忠日記しかないところを見ると、 家忠日記の「弥助」の記述を見た写本した人が、勝手に作ったようにも見えちゃいますね。 素人目にはちょっとあやふやだなって思っちゃいます。 専門家的にはどうなんでしょうね。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
残ってる資料は、どれも第三者目線なので、確かさは似たような物かとも思ってます。詳しく調べてはいませんが、尊経閣版にある他の箇所の追記なども問題視はされてないようなので、現時点で排除まではしなくて良いかと。
@qwq8989
@qwq8989 Месяц назад
ありがとうございます!
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
ありがとうございます。ご支援感謝します
@kojikk2436
@kojikk2436 Месяц назад
ペットという表現は現在では不適当と思うかもだが、当時の人権意識なんて現代では測れないし、信長も最初は珍しい動物レベルの興味程度で欲しがったと考えても不思議はないかな。 ただ、信長公記で、「珍しい人物を見れた」とあるので、同席者は、南蛮渡来の献上品と共に、十人力という記述も、人並よりちょっと強い程度と捉えると、力持ちや怪力よりも「人間」であることを強調したい意図だったのとも推測するのも興味深くなってくる。 最初はペット感覚だったけど、荷物運びとか中間的な仕事も結構できるじゃん!となって、扶持や屋敷を与えたのかもしれない。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
今回の資料の目的上、ちょっと差別的な表現をあえて選択しましたが、原文の表記を考えれば、ちょっと私情が入った説明かもしれません。
@user-yi3kh2fj7s
@user-yi3kh2fj7s Месяц назад
お疲れ様です。本当に歴史学者共は一体何をしているんでしょうね。権威だけを無駄に振りかざしてこのザマなら、彼らなんてまったく必要ないですね。 彼ら以上に世の中に貢献している職業の人なんてごまんといますよ。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
「さすが専門家」って言いたいですよねぇ。ちょっと残念です
@halmit
@halmit Месяц назад
「鞘巻き熨斗付き」ですが、信長公は褒美として刀の形を象った延べ金に熨斗を付けたものを部下に授けた事があると聞いたことがあったのですが、もしこれなら主語である「金」が省略されている事になりますね。ただし、この話は正確なソースを忘れてしまい出典が不明な事、および私も古文は苦手なので信長公記を読んだ事がないニワカである事を記しておきます(つまり信ぴょう性は?、さらに関連性も△)。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
それは実在したら豪華ですね
@yukkyyam8748
@yukkyyam8748 Месяц назад
大変勉強になりました。私見とは仰ってますが、もし別の黒人を手に入れたら信長に献上するはずだという件は大いに共感しました。なお、光秀の発言でanimalとなっている部分については、おそらくは「動物」ではなく「畜生」であったと考えています。
@avasiri
@avasiri Месяц назад
犬畜生とかの畜生やな ただ今風に言うと動物並でだいたい合っとると思うで
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
原文はanimalなんですか。宣教師の言葉なので判断が難しいですね。元の発言が「畜生」というのは、日本語としては自然ですかね。
@USERDefault-qn7rc
@USERDefault-qn7rc Месяц назад
すでにご指摘があるが苗字が八号ではない。動画の修正をお勧めする
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
説明には追加しました。動画部分に何か出せるかは検討してます
@qwq8989
@qwq8989 Месяц назад
すばらしい内容だと思います。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
アップデート動画もご参照下さい
@anemonemonet
@anemonemonet Месяц назад
大変な作業、どうもありがとうございます 引用元資料の名称も英語表記しておいたほうが良いかと思いました
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
そうですね。幸いそのあたりは別の方の資料が作られましたので、そちらを見て頂ければと。
@Y_0229
@Y_0229 Месяц назад
なるほどー、信長公記の写本で記述が増えていたのは詳細を追記したのか脚色を加えたのかでも人によって解釈が違ってきそう イエズス会日本年報もポルトガル語版と和訳版で記述が違うかも?っていうのも面白いですね ペットっていう表現は誤解を招くかも知れないなと思いましたが、気に入られて傍に置かれたようだという意味で言いたいことは分かりますw
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
今回は、弥助を必要以上に持ち上げたい人への対抗として、ペットという差別的な言葉をあえて使いました。日本語で微妙な説明をすると、海外の方に伝わりにくいかとも思って。英語で良いニュアンスの単語があったら知りたいところです。
@Studio_Nirv.
@Studio_Nirv. Месяц назад
@@NegiMoe 中世ヨーロッパとかに王室や貴族お抱えの吟遊詩人とかいましたが、「主を楽しませる係」的な最適な英語あると良いんですがねえ。
@ykok6145
@ykok6145 Месяц назад
仕事内容は違いますが、装飾隠者(Decorative hermit)がそれに近いんじゃないでしょうか ただ主を楽しませる為だけに暮らし、それによって最低限の生活が保証される
@user-te3bt3cx4o
@user-te3bt3cx4o Месяц назад
そのナイジェリアの人荷物持ちとして連れて来られたけど、帰りの旅費を浮かせるために体よく置きざり・・・とかが真相とかだったりして 道に迷って雇い主イエズス会なのを伝えようとしてイエズスを連呼してたら、弥助になったとか?
@user-xh4ei8fj4m
@user-xh4ei8fj4m Месяц назад
@@NegiMoe 広めたいのあれば資料から読み取れる以上の表現は使わない方がいいと思います。いまは偉大な侍だったという嘘より黒人奴隷が日本で流行っていたという嘘が広がる方が危ないと思うので特に。
@user-oh9gf7qf3k
@user-oh9gf7qf3k Месяц назад
そうだよなぁ・・・ もし弥助が名誉ある侍だったなら、明智光秀が「言葉もわからない獣だから」なんて言って情けをかける訳がないんだよなぁ・・・
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
光秀はどこまで弥助を知っていたのでしょうね。初見の外観だけなら、そう判断してもおかしくはないかもしれません。光秀の資料に残ってなんでしょうかね。
@okhan
@okhan Месяц назад
信長に恨みを持っていた光秀が、そいつは関係ないからほっとけと言うことは 明らかに部外者、あるいはゴマメ的存在だったとしか言えません なにせ光秀は落ち武者狩りで討ち死にしてるわけですから
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
「あれ?、処分しないんだぁ」ってのが多くの日本人の感想になりますよね、やっぱり
@user-re4cx1qs8p
@user-re4cx1qs8p Месяц назад
あとは、弥助の首を取ってもなんもメリットもないし、首を取ったらめんどくさいパードレたち(宣教師連中)に対応しなけりゃならないかも知れないから、「南蛮寺に送っておけ。」と言ったんじゃないですかね。光秀はそもそもそれどころじゃないし。
@cloudnarusegawa4215
@cloudnarusegawa4215 Месяц назад
そもそも光秀は織田家一の家臣 本当に信長の重要な人物なら知らないはずがない
@xx-fw1ej
@xx-fw1ej Месяц назад
こうして見ると アサクリの弥助ってまるで流行りの転生ものみたいだな 「異世界に転生したらペットから侍になった件」
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
私Xで同じ様な事以前書きましたw
@neuen8749
@neuen8749 Месяц назад
「黒奴」とかいて「くろやっこ」と読みます。 黒いヤツ、的な意味ですね。 弥助に関してはイエズス会の記録にある通り、「人として見られていない」ので侍であるわけ無いのです。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
cafreの日本語訳なんですよね。侮蔑的意味があるらしいです
@user-tk4tt1rx3v
@user-tk4tt1rx3v Месяц назад
私見の部分はまさに自分が弥助に対して感じる部分そのものでした 結局のところ弥助は記述が少ないゆえにロマン求めている部分もあるんでしょうが 武士という人(根拠:刀と家を会与えられた)と武士でないという人(苗字がない、 戦に出て功績を上げたわけではない、本能寺の変であっさり投降した)の戦いなら いくらでも議論してどうぞ・・・なんですが外人が嘘を広めたせいでもうそういう 次元ではないんですよねえ 本能寺の変がなかったら、あるいは弥助が本能寺の変で討ち死にしていたら また違ったんでしょうが
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
私見の部分は、それなりに日本人に支持されると思いつつ、自信が無かった部分でもあるので、そう言って頂けるとありがたいです。ただ資料動画なので「私見」は強調させてもらいました。私見が問題になった事案ですしね。
@user-lc3cx9kp5y
@user-lc3cx9kp5y Месяц назад
私も学校での歴史授業は暗記を強要される苦痛でしかなかったのでよう分かります 教育の在り方も今般の問題の内といえると思います。
@NegiMoe
@NegiMoe Месяц назад
学校の歴史授業が大嫌いで苦手だった私が、こんな動画を作ってるのだから人生わからないものです。この動画も嫌いだけど作りましたw
Далее
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