現在、銚子漁港は日本随一の水揚量を誇る漁港となっているが、嘗ては日本の三大海難所の一つに数えられた所であった。利根川の河口付近に千人塚(銚子市川口町2丁目)が築かれており、銚子近辺で起きた海難事故の犠牲者が祀られている。「千人塚」という名前の由来は、「1616年(慶長19年)10月25日銚子沖に吹いた突風によって、千人以上が亡くなったため」とも、「祀られる犠牲者が増え続けた結果、いつしか千人塚と呼ばれるようになった」とも伝わる[3]。昔の利根川河口付近は川幅が狭く、川底には大きな岩があり水深が浅く、干潮時と満潮時の潮の流れは急で、一年中風が強く吹き波が荒い場所であった。1910年(明治43年)3月12日には、漁船80隻、漁民千人以上が遭難した。当時の船頭歌で「阿波の鳴門か銚子の川口、伊良湖渡合が恐ろしや」などと諷されていた。
21 янв 2017