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約300年前栗本三左衛門が時の桑折代官、竹内右衛門の許可を得て立案し、用水路を開削完成し栗本堰と名付けたとの言い伝えがあります。
その後、阿武隈川の支流松川左岸の三堰が個々に引水するため年々取水設備に多額の費用がかかるため、円形分水工が構築されました。
かつては、旧信夫郡大笹生村、笹谷村、平野村、余日村、福島市(清水・鎌田)にまたがる水田1,000ヘクタールのかんがい用水及び一般用水を松川左岸の栗本堰、一の堰、笹谷大堰の三堰が個々に引き水していました。
しかし、各堰とも不完全な堰であったため、毎年取水設備に多額な費用がかかり、また、下流の水田の植付時期が遅れることで、農作物に大きな被害が出ていました。
そこで昭和21年から25年にかけ県営用水改良事業として三つの堰を合併し、松川砂防堰提を利用して取り入れ口を設け、旧水路を広げ、更に新水路を開き官民一体となって現在の形に完成しました。
#円筒分水工
#栗本堰
16 окт 2024