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木村政彦と植芝盛平が激突ニアミス。牛島辰熊先生が植芝先生に「私の一番強い弟子と立ち合ってもらえますか」と申し出る。【木村政彦こぼれ話--Vol.20】 

Toshinari MASUDA studio
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「木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか」の著者、増田俊也です。今回は柔道vs合気道、トップ同士のニアミスの話題です。板垣恵介さんが塩田剛三先生から聞いた本当の話です。木村政彦の大外刈りか植芝盛平の当身か。合気道は投げのイメージが強いのですが実際には当て身を武器としています。
▼▼以下のリンクから「木村政彦こぼれ話」が順番にすべて読めます。
ux.nu/ccRc0
The episode where Masahiko Kimura and Morihei Ueshiba almost killed each other.
#kimura #ueshiba #judo #aikido #mma

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1 июл 2021

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Комментарии : 124   
@crowold3025
@crowold3025 5 месяцев назад
私が中学2年の時、柔道部に小学校3年から合気道をやっていたという奴が入部してきた。彼は「道場で有段者達が乱取りをすると、柔道かレスリングのようになってしまうので、それならいっそのこと柔道を習うと決めた。」といっていた。彼と柔道をすると何かフワフワした感じで技が決まらず妙な感じだったのを記憶している。社会人になり職場の先輩に高校時代、東京都の個人戦で準優勝した人がいた。彼はある大学の合気道部の人たちと試合をしたことがあった。学生の合気道有段者の黒帯でも次々に投げ、寝技もきめ勝利していた。しかし師範クラスと対戦すると、何をするかわからない不気味な雰囲気があり試合を止めたそうだ。実際は、彼は当身を何発も受け、それに気を取られていると合気技をかけられてしまい試合を放棄したのだろう。まだ総合格闘技やグレーシー柔術が出現するずっと以前の話だ。
@user-ow2qe1dy1n
@user-ow2qe1dy1n 3 года назад
超一流の牛島先生でもわからない何かがあると考えたからこそ木村先生とやらせてみようと思ったのですよね。 植芝先生もまた魅力あふれる人物ですね。
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
塩田先生にも似たエピソードがありますね。 漫画家の板垣先生が、直接塩田先生から聞いた話しらしいですが、まだ若かりし頃の極真空手の大山総裁と大気拳の澤井先生が、連れだって見学に来たそうです。 塩田先生は「俺の技が、見て盗めるもんなら盗んでみろ」という気持ちで見学を許したそうで、その時は二人とも大人しく見学して帰ったそうですが、後日空手だか拳法だかをやる若者が挑戦してきて「この若いのは、たぶん二人のどっちかの弟子だな」と思ってボコボコにしたそうです。 塩田先生いわく、目の前で実際に技を見ても本当に使えるかどうか確信が得られなかったから、弟子を送り込んで試したんだろう、と言われたそうです。 私の感想は、どちらもえげつないなです。
@wakatake555
@wakatake555 2 года назад
塩田先生の著書によると、ある柔道家が試合を挑んできて、立ち会った植芝先生が柔道家の腰をポンと叩いたら骨が砕けて再起不能になってしまったという話がありました。 どちらが勝つにしても大怪我してしまう可能性が高いので塩田先生はやめさせたかったのでしょう。 植芝先生は恩師ですし、木村政彦は拓大の親友ですし。
@user-ri9qp2wr4w
@user-ri9qp2wr4w 3 года назад
植芝翁は、戦前、剣道の警視庁三羽烏のひとりの羽賀準一と立会い、何もさせないで組み伏せたと言う話があります。もちろん羽賀は竹刀を持っての挑戦です。羽賀は、竹刀で防具を付けた小手を、本気で斬り落とせると思っていたそうです。
@user-ni6mq7qz6c
@user-ni6mq7qz6c 3 года назад
塩田先生が言った「絶対に来るな。来たら大変なことになる」という言葉は、植芝先生が負けるからなのか木村政彦先生が負けるからなのか、どっちの意味で言ったのか。どちらにしても誰にとっても戦わなくてよかったのではと僕は思います。
@1974mocomoco
@1974mocomoco 3 года назад
私は事後の事を危惧されていたのではないかと思います。 どちらが勝ったにしろ、お弟子さん方が居る前での事ですから。
@sakadachi
@sakadachi 3 года назад
試合では無く死合になったからでしょうね。
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
同じ拓大生だった、木村先生と塩田先生の腕相撲の話しは有名ですけどね。 植芝先生と木村先生の立合の話しは初耳です。
@shinto2600
@shinto2600 3 года назад
少林寺拳法が大山倍達総裁をぶっ殺そうとしたとき、有名な弟子たちは全員逃げてしまって、大山を守ろうと少林寺拳法に立ちはだかったのは城西大学の虎添野義二だけだったという話をなんとなく思い出しました。 だから何だというのは別として、結構、とったとられたというかなりヤバい話は過去にいくつもあったのだなぁと。 ちなみに極真側では、添野がタクシーから宗道臣をひきずりだしてぶっ飛ばし話をつけた 少林寺拳法側では、大山倍達が土下座して謝った という話が伝わっております。 まぁどちらにせよ、血で血を洗う抗争は避けられたみたいで、これも大変なことになる一歩手前だったのかもしれません。
@aa-et1dw
@aa-et1dw 3 года назад
植芝盛平が本物だったとしても、木村政彦ほどの相手だと優しく組み伏せる事が出来ずに怪我させてしまっていたかもしれないですね。
@user-yy2qu2mr3n
@user-yy2qu2mr3n Год назад
立ち会えば植芝翁が合気で圧倒した、当時の合気道は最強。
@tatsuyamichelle335
@tatsuyamichelle335 3 года назад
「当て身7分、投げ3分」は「合気道」ではなく「実戦では」が正しいと思います。 戦後の合気道と呼ばれる武道では、1部の高弟はわかりませんが、一般的には当て身はほぼやりません。 合気道の開祖や塩田剛三先生等は、合気は使うかもしれませんが、実際のところは武術家であって、現代の合気道には収まらないと思います。 戦争の生き死にから還って来た方々、真剣で命懸けの鍛練をされてきた方々。 木村政彦さんも本当に尊敬していますが、武術家と武道、格闘家の違いがあると思います。 勿論、どちらも現代とは違う、厳しい時代に活躍された方々ではあります。
@ybb4295
@ybb4295 Год назад
中学校にあった本では植芝氏の演武のほとんどは「当身で牽制して・・」から始まるものだったと記憶してる。
@user-yq7wv3wk6y
@user-yq7wv3wk6y 3 года назад
どうなったか…誰が勝つか… 知らなくて良いです。 ここに出て来る方々は、みんな伝説ですから。
@user-zs4hv8ku6w
@user-zs4hv8ku6w 3 года назад
ただ牛島先生程の達人が植芝先生の実力を見誤るかな?って思うんだけど。木村が来なけりゃ自分でやれば良いんだし。
@SanemaroTube
@SanemaroTube 3 года назад
木村政彦の阿部謙四郎との対戦前後によっては状況は異なると思う。
@thejohnnycakes9886
@thejohnnycakes9886 3 года назад
木村先生が、20歳ぐらいとして牛島先生が30台前半、植芝先生が50台半ばぐらいか?牛島先生、自ら立会いそうだな。
@sakadachi
@sakadachi 3 года назад
逆になぜ自分で立ち会わなかったのか?
@thejohnnycakes9886
@thejohnnycakes9886 3 года назад
@@sakadachi もそも牛島先生ほどの武道家が、いくら戦前の武道全盛時代とはいえ、いきなり弟子と立会い云々を言い出すのは、はかなり無礼と思うのは現代の感覚かな?。植芝先生は、講道館の高弟でも知られた存在だったようだし、なおさら、そう感じてしまう。
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
あくまで個人的な考えですが、植芝先生は知られた達人ですがそれでも市井の武術家、対して牛島先生は天覧試合で試合をするような世間に知られた武術家、安易に試合をして負けた場合、ネームバリューを傷つけてしまう恐れがある為、弟子の木村先生を出して実力を見ようとしたのかも(木村先生で勝てるかも、と考えていた可能性も有)。 ただ誤解ないように、牛島先生が単に名誉を失うことを恐れたのは、個人的な虚栄心ではなく、当時神にも等しい天皇陛下の御覧になる、天覧試合の名誉を傷つけるのを恐れたのでは。 天覧試合に挑むにあたって、負けたら本気で腹を切るくらいの気概で試合を行っていたらしいですから。 何か文章がよくまとまらなくて、すみません。
@animalizaki
@animalizaki 3 года назад
強い競技の選手は昔だけでなく、今も強い選手がいると思います。
@user-wu1de5me9b
@user-wu1de5me9b 2 года назад
知り合いの人に読ませて貰った本だからあまり記憶にないけど、極真の大山総裁も植芝さんと会った事があって、 そん時に「大山総裁が植芝さんの前で石を手に持って引きちぎったら植芝さんが驚いて居た」みたいな事が書かれてた記憶があります。 植芝さんは本当に驚いたのか受け流して驚いたフリをしてただけなのかは分かんないけど笑 良く覚えてないけどそんな記事を見た覚えがあります😱
@user-ni6mq7qz6c
@user-ni6mq7qz6c 3 года назад
木村政彦先生と塩田剛三先生は晩年に一度雑誌で対談しています。その席で拓大時代に腕相撲で勝負して塩田先生の2勝1敗だという話をしています。「最後はわざと負けてやったんだけどな」と塩田先生は笑って「1敗」はわざと負けてやったんだと言っており、木村先生もそれを否定していません。少なくとも木村先生より塩田先生のほうが腕相撲は強かったのは事実のようです。
@Turn_the_World
@Turn_the_World 3 года назад
ズルとは言いませんがフライング気味にパタンと倒したとかお二人で笑い話されてた記事を目にした事があります。 塩田先生は相手に虚を作りそこを攻めるのが絶妙だったのでしょうね。
@fr8466
@fr8466 3 года назад
確か塩田先生はご著書で「木村とは腕相撲を5回だかやってお互い2勝2敗で最後は決着つかずの引き分けだった」と書かれて、それを聞いた木村先生が「そりゃ塩田の嘘だ。5回やって5回とも俺が負けた。塩田は強かった」と言われていたように記憶していますが、実際のところはどんな感じだったんでしょうね?
@user-ni6mq7qz6c
@user-ni6mq7qz6c 3 года назад
@@fr8466 塩田先生は実際にパワーがあったようです。懸垂の数を聞いたことがありますが人間離れしていた数だったと記憶しています。
@user-gc2bw8wc2x
@user-gc2bw8wc2x 3 года назад
木村先生は塩田先生と10戦やって一勝もできなかったらしいです
@fr8466
@fr8466 3 года назад
せっかくだから、柔道でも試合をして頂きたかったですね。塩田先生は柔道もかなりおやりになっていたようですし。
@user-lh7el5ox1m
@user-lh7el5ox1m 3 года назад
合気道をほとんど知らないですが 植芝先生の当て身は、打撃の破壊効果狙いというよりも 気を逸らしたり、注意をそらしたり心理的及び物理的な(柔道で言う)「作り」「崩し」ではないか? とそんな風に思うことが有ります。
@hwatabe
@hwatabe 3 года назад
演武を見れば分かる通り、当身は掌打、靠(肩)を使って胸や背中に打っていますが、実戦では顔面や胸の内側にも当てるはずです。その間の肘もあるのでは... 太極拳から見るとこれらは体の内部に損傷を与えるので危険です。重症者がでるのを見たい人はいないから安全な方法で演武している。実戦に近い掌打や靠ならば、大相撲の貼りて試合が参考になります。鍛え上げた巨漢力士が一撃でダウンして動けなくなります。合気道を武術として使えば同じ結果になると思いますよ。
@murasaki9295
@murasaki9295 2 года назад
このパフォーマンスが後の合気道に影を作ったのは事実。 いや、合気道が強いとか弱いとかではなく、人がちょっと触っただけで転げる時点で胡散臭く見えるのは至極当然の話。 今の合気の先生方はちゃんとした理論で相手をダウンさせてるけど、これはマジ無い。 こんなものが使えるなら人を倒すのに難儀な事はしないし、空手道で言えば、巻藁突きなんて何の為にやってるのか疑問になる。 こういう事を踏まえ、牛島さんとかが「こんなものが武道か?」と思えるのは当然だし、血反吐を吐いて愛弟子がやってる、立木鍛錬なんて意味をなさなくなる。
@user-mi2zd1fo6f
@user-mi2zd1fo6f 2 года назад
@@murasaki9295 武術を極めた人の事を素人が語っても仕方がない、合気道が胡散臭く見えるのは、何気なく出した手が相手の視覚に入り、脳をコントロールして身体を硬直させています。そのタイミングとかは、極めた人でなければ分かりません。 素人には想像もつかない心体操作が存在しています。 良く実践という言葉を耳にしますが、昔は素手ではなく刃物を手にした相手を制圧する技術が数多くあります。合気道の技術は、世界の警察や軍隊で利用されている事からでも実践的な武術だったのではないかと思います。
@tuono1000racing
@tuono1000racing 2 года назад
実際に道場に通ってた者です。 合気道は知らない人に言葉で伝えるのはすごく難しいです。 勝ち負け、強い弱いしか判断基準が無い人には特に。 自ら攻撃するような武道では無いから試合も無い。 ただ、真剣同士の斬り合いを元に自分は真剣の代わりに手刀となっているのが始まりなので、あまりイメージ無いでしょうが最終的には相手を破壊する、もしくは殺めるレベルの結果に繋げようとする武術です。力入れて全力で襲ってくる人ほど危険な結果になりやすいです。もちろん今の道場でそんな事は教えてませんし、実際に合気道は難しかったです。 開祖や塩田先生は特別なお方でした。 だから塩田先生が、私で終わりにすると仰ってたのは、そういう「本来の合気道」の事だったのかな、と思ってます。
@MrDaman929
@MrDaman929 2 года назад
散々難儀したから使えるのでは
@diorion15
@diorion15 2 года назад
漫画でいうと 植芝盛平先生が刃牙の渋川剛気の師匠、木村政彦先生が範馬勇一郎(勇次郎の父・刃牙の祖父)、牛島辰熊先生がゴールデンカムイの牛島ですね笑
@user-lh7el5ox1m
@user-lh7el5ox1m 3 года назад
もしもは楽しいですね。 もしもはナンセンスという人の方がナンセンスですよ。 何故かプロ合氣柔道というものが存在したりして。
@murasaki9295
@murasaki9295 2 года назад
5:30 この大外刈り やばすぎでしょw グレイシーが赤子をひねるようにもてあそばれているw
@ybb4295
@ybb4295 Год назад
グレイシーのビデオみたけど、他の柔道家にもポンポン投げられてる。ただ決して決めさせない。 絞めや関節をことごとくかわす。 勝ったのではなく「負けなかった」。
@shinto2600
@shinto2600 3 года назад
合気道は、ポンポン飛んでて不思議に思いますが、あれは飛ばないと折れるから飛んでるわけで、不思議に思うことでもないのです。 普通に演舞みてるとインチキくさいですけどね。そういうものではないのです。 柔道3段、某合気系武術上級の私が少し言ってみました。
@user-qn1vs1we3y
@user-qn1vs1we3y 2 года назад
そうですね。派手に見えるのは 半分自分で跳んでるんですよ そうしなきゃ折れると身体が反応してますから。
@user-ny7sh2ro5l
@user-ny7sh2ro5l 2 года назад
さらに木村さんは大山ますたつさんとも親友だから やべぇ交友関係
@user-rk5iz6pz1i
@user-rk5iz6pz1i 2 года назад
この時代に植芝の弟子になっていた外国人(この動画の演武の相手)は今自国でどんな存在になっているのだろう
@herekazzetonkazze3145
@herekazzetonkazze3145 3 года назад
漫画チックだけど、この当時だったらマジでどっちかが壊れるまでやりそうだ
@APPLE777lemon777
@APPLE777lemon777 3 года назад
木村政彦は空手も有段者です。 当身効かないと思います。 柔道も型には当身あります。
@kazzoon3072
@kazzoon3072 3 года назад
柔道の「極の形」だと突き蹴りもあるし、合気道に負けないくらいの精妙な関節技もありますよね。 まぁ流派とかは違えど、双方とも柔術発祥なのでどちらも練達の域の人たちは物凄いと思います。 そして講道館でも末端の道場でも、そういった本来の柔道を研究してもいる人たちは数多く居ますよね。
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
当時の拓大柔道部は、道着を掴んで離さない為の握力養成の訓練に、空手の巻き藁突きをやっていたとか。 柔道家なのに拳ダコ作って、拓大空手部の部員より巻き藁突きをやっていて、自分達でも時々、俺達は何をやっているんだろう?と思ったとか(笑)
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 2 года назад
木村先生はともかく、あの頃の柔道家でどれだけ型をやってたのか疑問が頭をよぎる。三船先生は熱心にやってたみたいだけど。
@ichirosuzuki2945
@ichirosuzuki2945 3 года назад
どちらが強かったかは今となっては分かりませんが、立ち合えば試合では済まなかったでしょうね 両方とも流派を背負って戦うでしょうし、木村先生に至っては負ければ切腹しかねませんから
@user-gc2bw8wc2x
@user-gc2bw8wc2x 3 года назад
間違いなく戦いになるかと思います。 塩田先生や木村先生の時代は現代の試合とは違うものを感じます。
@seityan123
@seityan123 3 года назад
聴いているだけで、ワクワクドキドキしますね。現在ならお互いを立て合ってyoutubeコラボとかもできそうです。塩田先生が、「合気道は、当身が7割」とおっしゃられていたそうですが、合気の当身は、戦前では、どのように修練されていたのでしょうか、興味があります。
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
塩田先生の著者では、当て身は特別練習はされてなかったようですが、合気道の入り身の動きに合わせて突きを出せば、当て身になるというようなことを書かれていました。
@ybb4295
@ybb4295 Год назад
塩田氏の著書で合気の当身を実際に当てたらどうなるのか試してみたかったが機会が無かった。 暴漢に襲われたとき、コイツになら当ててもいいよね?と実行したら一発でのびちゃった、とあった。
@takashikitasima6828
@takashikitasima6828 2 года назад
吉祥丸先生の著書にもあるエピソードですね。当然塩田先生が止めたという話にはなっていませんが。
@usherterryraymondiv8701
@usherterryraymondiv8701 2 года назад
植芝先生も塩田先生も合気道も本物も本物 柔道も包括しとると思う
@user-kk4mr3xm2d
@user-kk4mr3xm2d 2 года назад
合気道は確かに素晴らしいがどちらかと倒すよりも護身術だからベクトルが違う。簡単に言えば木村先生が足元からあのガタイでマウント取ってしまったら終わりと言っては終わりですね。合気道を馬鹿にしている訳ではないですが「あくまで」護身術なのでアルティメットや総合にすら余り参入しない。だから合気道と柔道、どちらも素晴らしい物に泥を塗ってしまった場合、当時は最悪な結果しか産まないので回避したかったって事でしょうね。お互い大先生ですから
@kouki9934
@kouki9934 2 года назад
私は植芝盛平さんが数秒で投げ飛ばして終了していたと思います。私は柔道経験が有り二段ですから大した事が有りませんが、まず塩田剛三さんが確か柔道経験者で16か17才で講道館三段、その年齢で三段は中々いないし相当強いけれど父親に言われて植芝盛平さんの所を訪ねて瞬時に5メートル位投げ飛ばされ道場の羽目板に叩きつけられて弟子入りしたのは有名な話です。木村政彦が最後に負けた相手が植芝盛平に敗れて弟子入りした柔道家です。それと柔道の神様と言われた三船久蔵十段も植芝盛平の技を参考にしたと言われていますし柔道創始者の嘉納治五郎先生が初めて植芝盛平の演武を見た時に、ここに本当の柔道の真髄が有ると言って自分の弟子を弟子入させています。私は木村政彦の事が好きで色々な書物も映像も見ていますが確かに強いが柔道の神様の三船久蔵はもっと強い、映像を見れば分かると思うけど木村政彦では投げることができません。現代の柔道とは全く違うのです、その三船久蔵よりも植芝盛平は確実に強いと思いますけどね。
@user-kk4mr3xm2d
@user-kk4mr3xm2d 2 года назад
@@kouki9934 すいません。俺もコメント返したかったんですがRU-vidコメントでは説明出来なかったので申し訳ない。ただ中学にはすでに木村先生は4段ですね。あとあらゆる武術でもかなりの才能を開花していたが、あくまでも戦争中や奥様が病気になられるまでは柔道に兎に角こだわっていたそうです。ちなみに木村先生の相手に致命傷を与えるだけの知識などが反転し現代の医療では血筋の方が携わり最も有効な治療として整体(実技に必ず柔道もあり)でも活かされてますね。書き切れないすいません
@user-kk4mr3xm2d
@user-kk4mr3xm2d Год назад
@@kouki9934 一つ足りなかったですね。すいません 何故、護身術の域を出ないか、と言うと あらゆる武道を経験している木村先生は いわゆるやみ屋、みたいな何でも有りだと 暴走しちゃうんですよね。戦争で平気で 命懸けでも暴れ回って唯一、コントロール 出来たのは牛島先生のみらしく。 それとやっぱり現代でも合気道はUFC や総合にも経験者はいるかも知れませんが 勝つ、倒す、勝利と言う概念は強くはない 武術と。決して侮辱ではないですが メタルスライムみたいなもんですね マウント取られない限りは一生そんな やり取りかな?
@yonaoshi3178
@yonaoshi3178 2 года назад
相手をその自らの力で倒す合気道の真髄を極めた塩田氏の意味するところは明らかだと思いますよ。木村氏はその性格からして死んでも負けない決意で対する事になったでしょうし、正にその決意が植芝先生の手に掛かる事によって自らを殺してしまう事にもなりかねないと直感したからでしょう。
@shinto2600
@shinto2600 3 года назад
合気道を見た加納治五郎先生は、「本当はこういうのをやりたかったんだ」と言ったらしいですね。
@jbe01570
@jbe01570 2 года назад
❌加納治五郎先生 ○嘉納治五郎先生の氏名ぐらい正しく書いてください。
@user-gt8us1vs5l
@user-gt8us1vs5l 3 года назад
塩田剛三が語ったところに、当時の大学柔道の猛者が植芝に立ち合いを挑んだ 彼が技に入ろうとしたところを腰に当身を食らわせ彼は腰骨を折られたという話がありました 木村政彦も同じかもっとひどい目にあうだろうと思ったのでしょう
@hmaki1518
@hmaki1518 3 года назад
立った状態で当身で腰骨を折れるのかね?
@mmzero7732
@mmzero7732 3 года назад
塩田氏は、木村政彦にはやられるかもと思い来るな!と言ったんですよ
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
@@hmaki1518 植芝翁の達人ぶりがどの程度か解りませんが、腰骨というのが骨盤なのか腰椎なのかで違うでしょうね。 骨盤は無理にしても、たぶん腰椎なら背負い技等をかけてきた時に、腰椎に一番力がかかったタイミングでゴツンと当て身を入れれば、もしかしたらじゃないですかね。
@user-zi3gt9ki3c
@user-zi3gt9ki3c 3 года назад
全ては気遣い。忖度では無く気遣いだよ。 この時代の人達は皆、老に至った年長者を立てる礼儀を弁えている。 木村先生も瞬時に、行くな!と言う提案を飲んだに決まってる。
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 2 года назад
@@hmaki1518 当身ってのは今で言う所の打撃技ではなくて、側面に入り込んで個々の急所に当てる事もするから。
@manmaru92
@manmaru92 2 года назад
直接関係ないのですが植芝盛平先生もその年代で弟子の方に教えておられた内容がかなり違ってきていたようです。 後年の方は殆ど当て身はなかったと聞きました。 かといって弱くなったり、お約束に甘んじたワケでもなく晩年まで逸話も沢山で・・・ 真偽が不明なのがあるのも勿論ですが、塩田剛三先生のような近しいお弟子さんが目の前で見ていて伝えられたものもあるので、どうなんでしょうねぇ。 合気道、塩田先生のような方もいらっしゃいますし・・ ただ合気というのの捉え方は、教わった時期もありますしお弟子さんごとで違うのかな?とも思います。 僕の好きな逸話は、大陸の方で大男に対決を求められて受けたら塩水を一度にどれだけ飲めるか?というヤツで見事樽一杯飲み干して勝ったけれど 肝臓悪くして生涯苦しんだ・・・というお話し 真偽の程は分かりませんが、男のロマンと時代の大らかさがありますよねぇ(笑)
@user-jm4dk5tj5w
@user-jm4dk5tj5w 2 года назад
私が好きな植芝盛平翁先生とお弟子さんの逸話は、神社にお参りに行く際に何故か毎回佐々木の将人師範を指名して一緒に参っていたこと。佐々木師範は回想録で「今でも、(なぜ私を指名したか)わからない」と仰っていました。ちなみに晩年の翁先生を体で支えながら神社に参拝に行ったある日、神前でふと立ち止まった翁先生が一言「神様の前じゃ...下がれ...」と、おつきの佐々木師範をはるか後方へ合気で投げたそうです。「突然何をするかと思ったよ!」と、生前の佐々木師範から拝聴しました。
@haibe611
@haibe611 2 года назад
え?塩田ごうぞうと木村政彦が仲良かったのか
@user-ss3us7mc4c
@user-ss3us7mc4c 3 года назад
ダイヤモンドは鋼鉄よりも硬いこと ダイヤモンドは鋼鉄よりも価値があること ダイヤモンドは鋼鉄よりも希少なこと 上記は全て事実ですが、「ダイヤモンドは鋼鉄でできたハンマーでも叩き割ることができない」ではないです。 リアルファイトという短絡的な価値観でダイヤモンドをハンマーで叩き割って喜ぶ人間にはなりたくないとは思います。
@354e2
@354e2 3 года назад
植芝盛平翁は直接“武田惣角”からの教えを受けて居るので、蹴りや打撃·剣道と棒術もされて居る上に、剣や銃弾の軌道が光に成って事前に見える人だったので、塩田先生が止めに走らせたのでしょう⁉️ 木村先生はグレーシーや大山倍達先生も認める人格者でもあり、マス大山とアメリカで戦った武術家ですからね✨  現代人には別次元の戦いに成ったでしょうし、  もし負たりすれば敗者は腹を切ったかも知れません
@jbe01570
@jbe01570 2 года назад
植芝盛平翁が当時の柔道の天覧試合で優勝したら信じますが、超能力は存在しません。
@ybb4295
@ybb4295 Год назад
力道山が勝った。 勝負に卑怯もラッキョも無い!!
@haibe611
@haibe611 2 года назад
合気道は刃牙しか見てないからな。どうなんだろう❤️。でも、あり得ると思うが。 相手の力を直線的に受けるならやりやすそうだが。どうなんだろう合気道
@ski8846
@ski8846 Год назад
戦前の生死をくぐり抜いた植芝翁や直弟子の塩田先生は実戦でも戦えるでしょうが、今の合気道は手刀など実際の喧嘩、死闘ではないような形ばかりを行うので実戦には不向きかと思えてしまいます。逆にヨーロッパ人の「攻撃的」合気道の稽古やスティーブン・セガールの技を見ていると実戦でも十分使えるかと映りますがさて。
@ybb4295
@ybb4295 Год назад
合気道の手刀は文字通り手に刀を持ってるという想定なんだが・・・ 本当の実戦とは不意打ち・だまし討ちのこと。「戦えば必ず勝つこれ兵法の第一義也」とは卑怯もらっきょもあるか!という意味だすよ。
@user-sq7ls5xb6c
@user-sq7ls5xb6c 2 года назад
植芝先生は刀とか持ち出してきて、とことんやりそう。
@shinto2600
@shinto2600 3 года назад
少林寺拳法が大山倍達総裁をぶっ殺そうとしたとき、有名な弟子たちは全員逃げてしまって、大山を守ろうと少林寺拳法に立ちはだかったのは城西大学の虎添野義二だけだったという話をなんとなく思い出しました。 だから何だというのは別として、結構、とったとられたというかなりヤバい話は過去にいくつもあったのだなぁと。 ちなみに極真側では、添野がタクシーから宗道臣をひきずりだしてぶっ飛ばし話をつけた 少林寺拳法側では、大山倍達が土下座して謝った という話が伝わっております。 まぁどちらにせよ、血で血を洗う抗争は避けられたみたいで、これも大変なことになる一歩手前だったのかもしれません。
@user-oy4rc9yo6z
@user-oy4rc9yo6z Год назад
「柔よく剛を制す」の精神は近代柔道では失われ、オリンピック競技となりスポーツになったのが残念です。
@user-gv3hu1hn4d
@user-gv3hu1hn4d 3 года назад
絶対木村先生勝つとおもいます
@jbe01570
@jbe01570 2 года назад
合気なる物理法則に反する超能力オカルトはないから他流での実践が証明されている木村政彦先生が勝つでしょう。合気道家が超能力を使ってくるなら寝技勝負するでしょうし。
@fr8466
@fr8466 3 года назад
阿部謙四郎という柔術家は全盛期の木村先生を手玉に取ったことがある実力者ですが、植芝盛平翁に小指一本で倒されたとか…。塩田先生も木村先生に腕相撲で勝利しておりますが、その塩田先生の師匠が植芝盛平翁ですもんね。でも、だからと言って植芝翁が打撃の修練も相当されていた木村先生に簡単に勝てるとは到底思えないのですが。
@user-kz6eg8fk4j
@user-kz6eg8fk4j 3 года назад
阿部謙四郎が木村と戦った時は全盛期じゃないですよ。その敗北で全盛期に向かっていくんです。その後阿部謙四郎と木村先生が乱取りした時は木村先生がボコボコにしています。 「木村政彦はなぜ〜」をしっかり読みましょう。
@thejohnnycakes9886
@thejohnnycakes9886 3 года назад
その話を含め、阿部先生が植芝先生に師事云々...合気道側からの証言が私の知る限り全くない。当時の合気道が、閉ざされた武道であったことは理解できますが、阿部先生ほどの柔道家が植芝先生と絡んでいれば合気道側に何らかの資料、証言があっても....と思ってしまいます。
@user-kz6eg8fk4j
@user-kz6eg8fk4j 3 года назад
@@thejohnnycakes9886 合気道側からの証言も書いてあるので読みましょう
@user-td7lm6xn2g
@user-td7lm6xn2g 3 года назад
塩田先生が木村先生に腕相撲で勝ったというのが信じられません。立ち合いならともかく。
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
@@user-td7lm6xn2g 純粋な腕力勝負ではなく、塩田先生がタイミングを読むのがうまく、木村先生が力を入れる前にやられたようです。
@user-iz7je2pp1l
@user-iz7je2pp1l 3 года назад
格闘技と武道って明らかに違うぞ。暴力が嫌いな人が武道やるよ。合気道は練習方法として、優れてるから、それは、実戦とは、違うぞ。これは、普通に優れた練習方法として、かんがえなくては?
@user-ul6kh6ll1e
@user-ul6kh6ll1e 2 года назад
本当その通りですね。  暴力が嫌いな人が武術をやる。 確かにそうですね。  ルールの中で試合をやる格闘技が好きな者と実戦を想定した武術を修行する者って明らかに資質というか人格が違いますよね。ストリートファイトを想定した武術は悪く言えば急所攻撃主体の反則技の連続なのに、なぜか修行者は宗教的というか求道者の様な人が多いです。勿論イジメや力を他人へ誇示する様な事は絶対にしないし
@user-up1qo7ry9s
@user-up1qo7ry9s 2 года назад
合気道の達人で有る方々は、何故その様な事を出来るのか説明するべきだと思います。 普通に視て考えて信じる事は出来る筈が無いので。 まるで手品ですので。
@sh-uc1vh
@sh-uc1vh 3 года назад
現実的に考えれば木村政彦が圧勝するでしょ。 つい幻想的な考えになるのも理解できるけど。 体重もパワーも年齢も差がありすぎるからね。 現代の格闘技が体重別に分かれているのが何故か考えれば答えがでるでしょ。
@norizukifuminori
@norizukifuminori 2 года назад
いや、木村は床に取り押さえられてただろうよ。植芝や塩田は本物だよ。木村は塩田さんの事を尊敬していたしね、ウソはバレる。
@ybb4295
@ybb4295 Год назад
そう思って挑んで負けた人がいっぱいいるんだが・・・ 入門前の塩田氏自身その一人。 こんな爺さん蹴とばしてやる!と思ったら這いつくばっていたとか。
@user-up1qo7ry9s
@user-up1qo7ry9s 2 года назад
塩田先生の演武を見せていただいても、あの動画演武は手品にしか見えないです。誰でも出来るのか?稽古方法は?先ずさ説明するべきです。 凄い演武だとは思いますが全く説明がなされませんので。 誰でも出来る事かを先ずはお聞きしたいです。
@ybb4295
@ybb4295 Год назад
出来ませんw 鉄砲玉がどこに飛んでくるかが分かってもなお極意に達せず、さらに修行してのち合気を完成させたそうだから。「ほとんど新興宗教の教祖だ」取材した某作家
@user-ol4ij5mb5k
@user-ol4ij5mb5k 3 года назад
25メートル先から射撃の選手5人に一斉射撃されて瞬間移動して気づいたら射撃の選手を投げてるような超人ですよ?次元が違いますね この逸話も塩田先生は自分の目で目撃したと著書にかかれてるので、嘘ではないでしょう 植芝先生は、出口王仁三郎との出会いから変化し晩年は力学的な技術以外に神がかった超人的な技の領域まで達していたんでしょうね ただ、個人的には木村先生と植芝先生立ち合って欲しかった 正式な試合などではないにしろ、現在の格闘技イベントなど比べ物にならないレベルの夢のカードです
@user-ck3gp6ho4i
@user-ck3gp6ho4i 3 года назад
恐ろしく感性の鋭い方だったようですね。 私の知ってるエピソードで好きなのは、塩田先生を含む弟子達が寝ていると、いきなり廊下を走る音がしたかと思うと、塩田先生達が寝ている部屋の扉(襖?)がいきなり開いて「えいっ!!」と暗闇の中で気合いがしたので、何事かと電気を着けてみると、植芝先生が木刀を持って立っていて「自分達の部屋に鼠が出たことも気付かないとは、何事だ!」と怒られて見てみると、木刀で首を飛ばされた鼠の死骸があったとか。
@harutaka4179
@harutaka4179 3 года назад
@@user-ck3gp6ho4i 塩田先生の本に書いてありました。銃撃のことも。
@user-oq8im3ug1s
@user-oq8im3ug1s 2 года назад
そんな馬鹿なこと言ってるから‥
@user-pe9jg4jq2v
@user-pe9jg4jq2v 2 года назад
植芝盛平のマネは誰もできません。技の掛け合い稽古とは次元の異なる神業なので理論体系ができません。 似ている話しでキリストや仏陀の神業を弟子ができないのは教祖だけが神かがっているからです。でもその精神だけは受け 継がれています。だから肉体がぶつかり合うことで強さを証明する格技の視点で言ったら、今の合気道は格技の土俵では 悲惨なことになります。もっとも戦わない、試合をしないことが合気道の存在基盤なので、「和をもって貴し」の精神には 敬意を捧げます。
@user-zc6si8eb5h
@user-zc6si8eb5h 2 года назад
そんな逸話まだ信じてる人いるんだ?満蒙の開拓話の際の銃弾をかわす逸話も嘘だとバレてるんだけどね。戦前はそんな話これっぽっちも無いのに何で戦後で作られたのか。とはいえ植芝翁が名人である事は固く信じてはいるけどね。有段持ちの当時の猛者が入門する程度には強いのは流石だよ。
@user-ns4dc9ol4u
@user-ns4dc9ol4u 2 года назад
もし木村政彦が本気で立ち会ってしまっていたら、合気道ファンタジーが完膚無きまでに叩き潰されていただろうな。
Далее
impossible to understand how😨❓
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