何回も… そうでしたか。 I am I そんな風に生きて行ける人、なかなかいないでしょうね。 いつも妥協して、気がつくと誰のためにやっているのか分からない。 そんな自分の行動や生き方を誰かのせいにしてはいないか。 行動には責任が伴う。 それから逃げてるんじゃないか。 コメントをいただいて、そんな風に自分に問いかけてしまいました。 動画がイメージを壊していなければ…と思います。 ありがとうございました(^^
例え、分かります。 そして、出会いがあれば必ず別れが来る。 別れ方にも色々あるけれど、この時の二人は良い別れだったと思います。 最後の言葉は今でも井上さんの公式ホームページより見ることができます。 I'm still alive in the wind. 今でもジュリーの側、ジュリーファンの側。 風の中に。
ジュリーが「コスプレ」に走るのを、堯之さんは内心では嫌なようでしたね。歌手なら歌で勝負しろとジュリーには思ってらしいです。 それでもジュリーのコスチュームやパフォーマンスが派手になる中、違和感が残る堯之さんも我慢してバックを務めましたが、 79年の暮れには限界を迎え、TOKIOのレコーディングは井上堯之バンドではありませんでした。B面の「I am I」は堯之さんがジュリーとの 活動を止める決意を作詞にしたものと理解しています。 人は全て人生と言う名の舞台に立っているのさ。お前はお前を演じてくれよ。 俺は俺を生き抜くだけだよ。 そうさ俺は俺、I am I I’m just I. そうさ I' m just I. これ、かなりの名曲で、A面でリリースしても売れたでしょうね・・・・。
🐻この【l am l】(俺は俺)の歌には、主人公に、人生哲学とか、人生真理が、ひょんな事から、然り気無く、スーっと寄って来たような処がある気がします。 そうした、擦れ違い気味に、以前別れたお前を、何気無い世渡りの、行き交う車の窓越しに、見掛けてしまい、「ひとはすべて人生という名の、舞台に立っているのさ」と言う、人生哲学や、人生真理を感じる場面が、この【l am l】(俺は俺)の歌には、如実に現れていると想います。 そうして、その人生哲学や、人生真理の流れが、その後、それらしく、よりしなやかなムードを持ち、然り気無く緩やかな気質で、魅惑的に盛り上げる、この【l am l】(俺は俺)の、歌のサビ(聴かせ処)に、反映されて来るのを確かに感じます。 そうした、「お前はお前を演じてくれよ、俺は俺を生き抜くだけだよ、そうさ俺は俺、l am l、l'm Just l、そうさ、l'm Just l」と言う、この【l am l】(俺は俺)の、歌のサビ(聴かせ処)の、一連のフレーズには、主人公のしなやかな生き方が、より充実して現れて、通り過ぎて行く、時の流れの中で、主人公が、文字通りに、人生と言う名の舞台に立って、自分らしさを貫き通している、淡く微睡むような語り口の、些(いささ)か、不思議な高揚感のある、潔い華やぎを感じます。 🎠この【l am l】(俺は俺)の歌に、自分を元手に生きようとする、主人公を演じるジュリーさんには、この【l am l】(俺は俺)の歌が持つ、独特の頑強さが、不思議と板に付いて、味わい深く感じられる気がします。 🎠この【l am l】(俺は俺)の歌 を、ジュリーさんと取り組んだ、実質、最後の作品として、井上尭之バンドの、イノヤンさんが残した、品の佳(よ)い、珠玉の小品の、魅力に嵌まります。 その事を反映するように、since1967feb.5thさんが、此処に示す、ジュリーさんと、イノヤンさんの対峙する、フィルムの向き合わせ具合や、イノヤンさんが、ジュリーさんと関係した、一連の歌のフィルムに、静かな艶やかさを感じます。 そして又、とても見映えがするフィルム提示に、静かな感動を呼び覚まします。 ❗何と、72(クマ)人目でのコメントでした。 🌸ハートの桜便り。 個人的に、神聖なる誓願播粒(願い事の種を蒔く)時刻に。 🌸2023年8月1日(火曜日)pm11:46(仏心)