舳倉島
能登半島の北端・輪島市の北海上約48kmに位置する。長卵形で海抜12mの平坦な島。厳しい自然の影響を受け、断崖が連なり複雑な入江をつくり出している。また、島は対馬暖流の影響下にあって好漁場であることから、海女を中心に輪島市内から季節的な島渡りの歴史は古く、「万葉集」には「沖つ御神」「沖つ島」としてアワビをとる珠洲の海女のことが詠まれている。島内からは、5世紀から8世紀にかけての当時の食糧となった魚介類や海洋性哺乳類の骨、祭祀に供されたとみられる牛骨などが出土している。また、式内社である奥津比咩神社からは青銅の海獣葡萄鏡発見され、抜海國との交渉を背景とする国家的祭祀場だった可能性が指摘されている。永禄年間(1558-70)筑前国宗像郡鐘ケ崎の海女ら12人が羽咋郡赤崎付近に漂着、その後輪島・光浦に移住し、天正年間(1573-92)加賀藩主前田利家の「のしあわび」を献上、舳倉島での漁業権を認められたと伝えられる。以来、漁業中心の生活が営まれ、海女漁によるアワビ・サザエ採取、ブリ・メバル・タイなどの刺網・一本釣が行われている。夏場の漁期には輪島市本土漁業者の渡島で人口は増加するが、冬季には十数人に減少するなど人口の変化が大きい。また、島全域が能登国立公園に指定されており、日本と大陸との間を渡る渡り鳥の大切な羽休めの島でもある。(「シマダス」参照)
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5 окт 2024