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Hako Yamasaki 我が里 昭和のモノクロ風景 JR日田英彦山線/ 山崎ハコ 

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写真提供「モノショップフォト添田カメラ」
ハコさんが故郷の日田を離れた頃の風景です。

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17 дек 2018

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Комментарии : 13   
@永田吉光
@永田吉光 4 года назад
ハコさんと同じ故郷です。小学生の時父が日田駅に蒸気機関車を見に連れていってくれた事を今でも時々想いだします。本当に水が澄んでて自然豊かな街 今は離れた地域に住んでますが日田は今でも変わらない街並みです。
@松本健介-n6c
@松本健介-n6c Год назад
しんみりくるメロデイ―とハコさんのすごい歌唱力
@さとういちろう-z9y
@さとういちろう-z9y Год назад
しみます、昭和を思い浮かべて居ります。遠い昔になってしまいました。
@ym.2748
@ym.2748 Год назад
昭和時代を思い出して涙が😭
@f4802
@f4802 2 года назад
山﨑ハコさんは日田の方ですかね、87歳の爺さんは豊前川崎です。 日田と言えば日田林工高を「五郎丸選手」は確か阪神に指名?を思い出しています。
@kiyomitsunakae650
@kiyomitsunakae650 3 года назад
この歌は日本歌謡史上に記録されるべき名曲ちゅうの名曲。旅をして生きた芸能者たちの永遠の記念碑。
@hero-cf1xg
@hero-cf1xg 5 лет назад
汽車の音と鳥の声が入ってるんですね! 泣けます。当時を彷彿させる写真がほんとうに素晴らしいです!
@アニマルライフなー
@アニマルライフなー 5 лет назад
ありがとうございます!ちょびっと入れました。
@f4802
@f4802 5 месяцев назад
駅名に筑前岩屋、を見るとS 20年当時、初めて知るものでした。 S18年の暮れ佐世保から荒平村(父の実家に疎開)、ある日、村の青年団?の人が英彦山に登山、当時10歳の私も同行、田川線は彦山駅が終点でした。 S 20年終戦、荒平から見える英彦山の方角に地響きと共に大音響、空にはキノコ雲が立ち込めました。 彦山駅を過ぎ川を渡るとトンネルが有り筑前岩屋に通じていた様です。 このトンネルは弾薬庫だった様で、山が二つに破れていました。 S28年高卒後就職し職場で久大線沿線を旅した事があります。
@清水トオル-z3i
@清水トオル-z3i 4 года назад
日田彦山線好きです
@miyukisada2549
@miyukisada2549 4 года назад
個人的には「母をたずねて三千里」と云うアニメを思い出します。なんか切ない雰囲気が、少し似ているなと。スペインや南米のラテンの哀しい曲が、思い浮かんできますね。
@アニマルライフなー
@アニマルライフなー 4 года назад
故郷を偲ぶ心に国境はないですよね。
@binderpanda4884
@binderpanda4884 2 года назад
今は夜明駅から添田駅(?)までだったか、バスになってた。