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「人間回復の橋」30年 島に生きる人々の今は? 

サンテレビ
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30年前の5月9日。「隔離」という大きな壁を超えるために、17年もの月日を経てひとつの橋が架けられました。ハンセン病の患者たちを隔離していた島と岡山県の本土を結ぶ小さな橋。 それを人々は「人間回復の橋」と呼びました。 邑久長島大橋、別名「人間回復の橋」。 この橋を渡った先には、国立ハンセン病療養所の長島愛生園と邑久光明園があります。ハンセン病は、「らい菌」が原因で末梢神経が麻痺する感染症。 感染力は低いにも関わらず国は法律をつくり、患者を各地の療養所に強制的に隔離するようになりました。 その後、特効薬が開発され病気は完治するようになったものの、法律が廃止されたのは1996年のこと。 今から47年前、離れ小島だったこの島に橋を架けようと元患者たちによる運動が始まりました。石田雅男さん。 今は、長島愛生園で妻の懐子さんと暮らしています。 島にやってきたのは今から71年も前のことでした。 島から対岸までは、わずか30メートル。 しかし、それは簡単に超えられる距離ではありませんでした。 そして、17年後の1988年。 活動が実り、療養所と社会を結ぶ橋が架けられました。花村慶子さん。 11歳の頃からおよそ70年もの間、邑久光明園で暮らしています。 島の外から気軽に友達が訪ねてきてくれるようになったこと。 それも、橋ができてからの大きな変化です。 しかし、園で暮らすことを選ばざるを得ない人がいるのも現実です。 好きな仕事に就くこと、家族と一緒に暮らすこと、隔離という長すぎる時間は、元患者たちから生き方を選択する自由を奪いました。 橋が架かった30年前、石田さんは自分自身にひとつの課題を課しました。 それからは鳥取へ兵庫へ。 石田さんは「療養所にいても自由に生きている」ということを証明するように島を出て、活動の幅を広げていきました。
そして迎えた30年という節目の日。 新たな誓いを立てました。 橋が架かっても、法律が廃止されても、まだ終わらない。 それでも人間らしく、自分らしく。これからを生きる島の人々を、橋はここで見守り続けます。

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29 май 2018

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