私の育った家庭環境で好きだったのは皆歌うことが好きだったところだ
兄弟姉妹でよく歌っていた
中学で突然克服するのだが あがり症の小学生だった私は授業では調子っぱずれな声しか出なかった
そんなわけで唱歌の時間は恥ずかしくて好きじゃなかった
うまいへたはともかくとして歌は私の身体に深く根差していて言語化不能な情動の機微と直結していた
だが図画工作そして自分の関心のあること以外ぜんぜんダメだった私はたぶん落ちこぼれだったのだ
後で気がついたことだが 私にとって重要だと感じることは一般社会では取るに足らないこと もしくはあまり意味のないことのようだった
裏を返せば一般社会のしきたりは私にとって頓着するまでもないことだったということだ
私は早い時期にエスの語る声を聞いたのだ
ただ あの頃は歌うことが好きだったし歌を聴いて心から感動していた
言葉が旋律と一体となる時 言葉は言葉の外部へと昇華する
そんな歌に心臓を鷲づかみにされ歌と一体になれてたような気がするのだ
今はどうかな
深い霧の中だ
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DAW:GarageBand Mac
Audio IF:TASCAM US 2×2
Microphone:BEHRINGER B-1
MIDI Keyboard:KORG nanoKEY2
動画編集:Premiere Pro CS6
After Effect CS6
OS:Win10
OSX El Capitan
編曲=変曲=偏曲:Piroli Chronos(零度の焼締陶)
27 ноя 2019