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【お城紹介】「岐阜城」織田信長が好んだ古く高すぎる山城 織田VS斉藤「稲葉山城の戦い」 

かいのすけ 歴史
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次回は【岐阜城】ふもとの居館について紹介する予定です。
小牧山城の紹介動画はこちら  • 【小牧山城】織田信長「初めての城」を紹介 直...
戦国の革命児織田信長。独特の価値観を持ち内政・合戦、城づくりなどにおいて、古い習慣にとらわれず「新しいモノ」を創り出しました。信長最後の居城となった安土城には独特の形をした五層の天主がそびえ、城下を行き交う人々を驚かせました。まだ尾張の小大名だった若き信長は、隣国美濃を攻略するために小牧山城を築きましたが、美濃の大名斉藤氏は稲葉山城を拠点に何年間も信長の攻撃を阻み続けました。苦労して稲葉山城を手に入れた信長は、この地で小牧山とはまた違う新しい城づくりを行います。
尾張の織田家と美濃の齊藤家は、信長の父信秀の代にも争いを続けていましたが、やがて両家は和睦・同盟し、齊藤道三の娘-帰蝶(濃姫)は信長に嫁ぎます。マムシとよばれた道三と信長は「義理の親子」ということになりますね。道三は若き信長の力量を認めていたようで、二人の関係は変わり者どうしなかなか良好だったのだと思われます。しばらくして斉藤家に内紛が勃発。道三は息子義龍と対立し、長良川のほとり(1556)で討ち取られてしまいます。道三が「美濃を信長に譲る」と言い放ったというドラマティックな話もありますが、織田家と斉藤家は再び対立することになるのです。

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21 авг 2024

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Комментарии : 56   
@user-uq6ue7et8p
@user-uq6ue7et8p 9 месяцев назад
初めまして 私は若い頃、岐阜に転勤して金華山そばで3年間暮らしました カーナビも何もない時代でしたが、夜は岐阜城の明かりを目指して運転すると帰宅できました 岐阜城からの眺めも素晴らしいですし、長良川畔の山水画のような光景にも感動しました
@user-tg4tu9uz6l
@user-tg4tu9uz6l 2 года назад
今晩は独自の視点に感服しますこの城はまだ登城してないので勉強になりました👍
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
ありがとうございます。次は岐阜城ふもとの信長の館の紹介を考えています。よろしくお願いします。
@tetsu0279
@tetsu0279 Год назад
岐阜市中心部の小中学校の同級生には斎藤竹中丹羽稲葉など家臣の末裔と思われる 苗字の生徒がかなりいました、当時は思わなかったのですが、今となると歴史を 感じます、昭和30年代の事です。
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi Год назад
まさに教室が織田家臣団のようですね。すごいと思います。
@hironoriikeda618
@hironoriikeda618 2 года назад
面白い!シンプルでいい 私は足が悪いので自分で歩きながら見てる気分になれて本当に嬉しかったです ありがとうございました😭
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
ありがとうございます。これからもいろいろなお城動画をお届けします。
@erikkichann
@erikkichann 2 года назад
先日、金華山登山と岐阜城登城しました。天気はうす曇りで遠くまでは見えませんでしたが、濃尾平野を一望でき、この地を治めるのに打ってつけの場所なのだと実感しました。七曲登山道や瞑想の小道などの解説もお願いします!
@shin5795
@shin5795 2 года назад
私が小学生の頃、友達のうちの玄関内に岐阜城とその城下町の立派なミニチュアが飾ってあり、そのカッコよさに衝撃を覚えたものです。 以降、私にとって山城というと岐阜城がまっ先に頭に浮かぶようになりました。 かいのすけさんの考察には毎回「なるほどなー」と私とは違う観点、考え方、興味の持ち方で楽しませてもらっています。 また、BGMに使われているファイナルファンタジータクティクスの曲は私も大好きなので、この曲が流れてくると聴き入ってしまい、 動画の内容が頭に入ってこず、いかんいかんと少し戻して見返すことも(笑
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
ありがとうございます。現地に行くといろいろ感じることがありまして、勝手にそう思い込んでしまうのです。
@user-nq2zo7iw4g
@user-nq2zo7iw4g 2 года назад
岐阜城は麓に信長の館があり天守に行くまでに人工の滝などが有ったそうです。つまりテーマパークだったんですね。金を取って天守まで案内してた様です。他の領主やバテレンや大商人相手に。安土城でもやったらしいが。
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
ありがとうございます。テーマパーク・・・次回動画でも使っているワードです。是非見てください。
@moridaichi377
@moridaichi377 4 месяца назад
本拠を移すって実はすごいことだよね。
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 4 месяца назад
そうですよね!きっとデメリットもたくさんあるのだと思います。
@user-it6ej8xl6e
@user-it6ej8xl6e 2 года назад
岐阜城に籠城するという考えは信長にはなかったと思います。単に水利があって、京都に近い場所という意味で本拠地と定めたと思います。 たぶん、この城は井戸が少なそうなので、何万の軍勢を何ヵ月も持たせるだけの水を確保できないと思います。
@user-km7uq7yb9k
@user-km7uq7yb9k 2 года назад
小さい頃によく金華山登ってたから分かるけどめちゃくちゃ傾斜が急で登りにく道がある
@user-ph3ve8xh2p
@user-ph3ve8xh2p 2 года назад
岐阜城は裏道を通って車で山頂の駐車場まで上ったので印象が深いです。車一台がやっと通れるくねくね山道を徐行しながら天守近くの小さな駐車場までたどり着きました。同行者は肝を潰していました。帰りはジェットコースターのようで2度スリルを味わいました。資料館の古文書を読みふけり同行者から飽きられました。
@user-xy1jt9lu1n
@user-xy1jt9lu1n 2 года назад
そんな道があったんですね。知らなかった。山頂施設に荷物を運びこむ林道のようなものなのでしょうかね。
@user-ph3ve8xh2p
@user-ph3ve8xh2p 2 года назад
@@user-xy1jt9lu1n さん。 ガードレールは殆どありません。TVのぽつんと一軒家に向かう道のよう、といえば解って貰えるでしょうか。
@user-xy1jt9lu1n
@user-xy1jt9lu1n 2 года назад
@@user-ph3ve8xh2p おぉ、スリリングですね。私は利用するのは止めようかな…
@user-fh9qr7rp7x
@user-fh9qr7rp7x Год назад
いやドライブウェイはありますが、それは南に連なる瑞龍寺山の方で天守がある金華山事態に車が通れる道路はありませんよ。ロープウェイはありますが。何処かとお間違えになってますね。
@user-ph3ve8xh2p
@user-ph3ve8xh2p Год назад
@@user-fh9qr7rp7x 実際に登りました。
@hana_no_wemahi
@hana_no_wemahi 2 года назад
信長は後に安土城の天守に住んだらしいこともあり、何だか単純に高い所が好きだったんじゃないかなと思ってしまいました。地震とか怖くなかったのかな。
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
そうですね、天守に住んだのは信長ぐらいしかいないようです。やはり高いところが好きなのでしょうか。
@user-qi3pu2xq4b
@user-qi3pu2xq4b 10 месяцев назад
岐阜城天守閣は、加納城に御三階櫓として移したといわれていて、その図面も存在しているのに、それを再現すれば良かったものを、それを無視して現代人の教授、城戸久さんが考案設計したもので信長とは全く縁もゆかりも無い天守閣になってしまいました。ですから、歴史的価値が無いただの展望台にすぎません。当時のお役人の歴史に対する浅はかさに憤りを感じずにいられません。
@thor0610102
@thor0610102 2 года назад
岐阜城の見晴らしは確かに良い。ですけど注目すべきはすぐ近くを中山道が通っていること。 信長の本拠地、勝幡城は津島にも近く、東海道の海上区間、七里の渡しにもすぐアクセスできます。 それに加えて中山道にすぐに出られる岐阜城に本拠地を移すことは美濃、信濃、近江に睨みをきかせられる政治的な意味、それらの国に軍の移動や補給も容易にできるようになる軍事的な意味もあったと思いますね。 岐阜城の立地は尾張、近江、越前にほど近く、六角氏、浅井氏、朝倉氏を牽制できる場所。そういった地勢的な観点からも信長は岐阜城の存在価値を高く買っていたのではないでしょうか?
@user-xy1jt9lu1n
@user-xy1jt9lu1n 2 года назад
大賛成です。関が原へ達すると、北國街道も分岐しており、日本海側の情報や物流まで入手できるので、それも魅力的だったのでしょう。伊吹山頂に登る(ドライブウェイがあります)と、西に琵琶湖のほぼ全景(麓には姉川と小谷山)、東に濃尾平野、北に余呉の山・条件が良ければ若狭の海まで、まるっと見えます。これを見ると、信長の戦略が手に取るように分ります。彼は美濃統治中、伊吹山頂まで登山したのではと思う程です。
@gutoku2212
@gutoku2212 2 года назад
先月、七曲口から久しぶりに登城しました。まさに山科言継の言う通りです(途中で休みながら登りますが、初老の身には辛い)。でも登れないことはありません。このコースは概ね1時間弱で登城できます。  しかし馬の背コース登山道は七曲の比ではありません。死ぬかと思う(大袈裟ですが)ほどです。登城は今から10年ほど前ですから体力は今よりズットありましたが、もう二度とこのコースは登らないと心に誓いました。一部体感で直角の岩場(実際には40度弱でしょうが)を登るので、コース距離は短く私でも40分で登れます。体力がある人はこちらの方がおもしろいかも。  岐阜城の登山道は全て整備されているのですが、近江の佐和山城・小谷城よりも登城時間がかかります(登山道が長い・山が高い)。でも(ちょっと大変ですが)戦国の武将や雑兵のことを考えながら、自分の足で登城すると城の縄張りも違った角度から見られます。往路は自分の足で、復路はロープウェイですと岐阜城がもっと身近に感じられるかと。
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
コメントありがとうございます。岐阜城には2回登ったことがあるのですが、行きはいつもロープウェイでした。下りは七曲口と馬の背を通りました。馬の背は天守から近いのでつい下ったのですが、何度も転びそうになり後悔しました。すれ違う登りのかたはきちんとした登山の恰好をされており、準備が必要なのだと思ったことを覚えています。今度は自分の足で登って金華山のすごさを体験したいと思います。でも馬の背はやめておきます。
@CaliforniaBeverlyHills90210
@CaliforniaBeverlyHills90210 2 года назад
要塞としての防御力、そびえ立つ見た目からのイメージ戦略、岐阜は交通の要所だろ。
@gaiakuchannel
@gaiakuchannel 2 года назад
眺めだけでいうなら苗木城もいいと思います。こちらは城跡ですが
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
苗木城好きです。雨が降っていたのですが突然晴れて景色がすごかったのを覚えています。
@user-ph3ve8xh2p
@user-ph3ve8xh2p 2 года назад
@@kainosuke-rekishi 岩場に構築された天守後が凄い。途中の石垣も見応えありますね。
@user-xy1jt9lu1n
@user-xy1jt9lu1n 2 года назад
長良川を下って木曽川に入れば、本拠地である尾張は指呼の間です。馴染みのある小牧、犬山、津島、清洲、熱田の宮港にも。古くは舟運が物流の中心ですから、木曾三川とその支流は運河、今なら鉄道網や高速道路網と一緒です。物流と経済の力を熟知していた信長公は、この後、伊勢も平定しますが、これで伊勢湾と濃尾平野を繋ぐ、一大経済圏の確立です。この富と兵力を背景に、必ず京まで辿り着き、天下を安んずるという、『信長の野望』が窺えます。
@bluekent
@bluekent 2 года назад
恐らく信長は昔から野山を駆け回り庶民と接していたので、人の気持ちを読むことが出来、どうしたら人々を従わせることができるか他の大名より長けていたのではないかと思う。昔から信長は所謂神をも恐れぬ魔王と表されてきたが、最近の信長像では礼節を重んじ天皇を敬い、意外性では部下の奥さん連中にも手紙を出してねぎらったり、人を信じてしまい失敗談も出てきている。その結果が本能寺の変であったとも。そういう人間らしい魅力があったから人々があつまったのではないかな。だから本能寺の変の最後の「是非に及ばず・・・」(諸説あり)の意味も「えええーーーー。うそーん。光秀なんで裏切ったん?」という驚き戸惑いの心境だったのではないかと個人的に思う。
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
そうですね、信長にはそのようなイメージがあります。人の気持ちを読むことができるのは上に立つ人間に必要なことだと思いました。
@usyachannel
@usyachannel 2 года назад
こんな険しい岩山のてっぺんの天守に、こんな石垣いるのかって思っちゃいますねえ。攻めようと思ってやっと登ってきた敵はあの石垣を見て絶望するんでしょうねえ。信長の時代にどこまであったかわからないですが、こんな険しい山にこんなあちこちに石垣が必要とも思えませんので、信長の見せる城づくりってのはもうここから始まっていたのかなーって思います。
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
岐阜城のある山は石が豊富にあったようです。石垣好きの信長にとってはパラダイスだったのでしょうか。
@user-xy1jt9lu1n
@user-xy1jt9lu1n 2 года назад
中仙道を関が原から垂井宿、赤坂宿辺りまで東に来ると、もう金華山がバーッと見えてきます。そこに石垣の城が聳え立っていると、その主こそ、ここら一体の王に違いないと、誰でも確信する筈です。赤坂宿の手前に、昼飯古墳と呼ばれるデカい前方後円墳がありますが、これも同様の効果をもたらしたでしょう。今も、岐大バイパスと呼ばれる国道21号線を車で走ると、進行方向に金華山と岐阜城が聳えているので、視覚効果は抜群です。
@yukibebe7
@yukibebe7 2 года назад
ロープウェイで降りてすぐに天守閣があるかと思っていたら、そこから軽めの登山レベルで 山登りをしてやっとつくのには驚いたよ、しかもその日は雨降って風が吹いていて重めの荷物を 抱えていたので、滑って谷底に落ちて死ぬのではと思った。足の悪い人はやめておけ
@kainosuke-rekishi
@kainosuke-rekishi 2 года назад
山登りが好きな方以外はロープウェイをおススメします。
@Seaza_Sr1
@Seaza_Sr1 2 года назад
岐阜城って源氏の名門の土岐氏の城って意味なんだってね
Далее
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