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【ゆっくり歴史解説】 洪武帝 朱元璋 建国と殺戮篇(後編) 【明】 

鳥人間 中国史三昧
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明王朝の創始者 朱元璋の建国後に行った政策や大粛清を紹介します。
チャンネルメンバーシップ、はじめました。
/ @c-history
前編はこちら
明王朝の創始者朱元璋が 社会の最下層からどのように皇帝への階を駆け上ったかについて紹介します。
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7 окт 2024

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Комментарии : 423   
@nokifuji1579
@nokifuji1579 3 года назад
粛清始めると訳わかんなくなって止まらないことが多いけど、 朱元璋はちゃんと止めているあたりわかってやっていた感がすごい。
@osee1895
@osee1895 2 года назад
狂気や猜疑心に取り憑かれての殺戮よりも、理性的に処分していったって方が怖いと思うんです やっぱ皇帝になるような人間は、常人とは感性も考え方も違うんでしょうねえ
@umakara55
@umakara55 2 года назад
最後まで民衆や官吏の善性に期待し続け、裏切られ続けたところが切ないなあ
@プリンライス
@プリンライス 2 года назад
地主や功臣は調子に乗りすぎましたね 訓喩の時点で改めておけば良かったのにねぇ
@96skon
@96skon 3 года назад
権力者と官僚とインテリと金持ちには厳しいけど民には優しくてこの時代は大いに民力休養となったんだよな。自身の権力欲や党のイデオロギーを最上位に置いて結果として民を大いに苦しめた毛沢東やスターリンとは違う。
@fnami1941
@fnami1941 3 года назад
人のために戦い続けたのに人に絶望して闇落ちしてしまうあたりデビルマン感がある
@私大職員チャンネル
@私大職員チャンネル 3 года назад
今まで朱元璋に対して抱いていたイメージが(いい方に)変わりました。
@hermit19781974
@hermit19781974 11 месяцев назад
劉基が激烈すぎる振る舞いをするから、朱元璋が無意識にバランス感覚発揮するようになって、劉基がいる間はうまくいったのかも。
@のりたマン-o7f
@のりたマン-o7f 3 года назад
猜疑心からではなく、恐怖政治以外に腐敗をなくす方法はないと悟っての粛正だったわけだ。
@東條英機-x2l
@東條英機-x2l Год назад
闇堕ちの仕方がエレンだ。
@宮本敏史
@宮本敏史 3 года назад
「大明帝国 朱元璋」というドラマで馬皇后が死に際に担当医全員に都からすぐ逃げろと言ってたのが印象的でした、「陛下は、私が亡くなった後あなた方全員を殺すでしょう」と
@GIGI-ex7lp
@GIGI-ex7lp 3 года назад
朱元璋は奥さんを凄く愛していて、奥さんもそれを知っていた。 奥さんが病気になった時、自分の事で処刑される事を恐れて誰も近づかせず、まともな治療も受けなかった… 苦労を共にし、メモ魔な朱元璋の質問を整理して回答する妻。 (朱元璋が中華のトップに立ったのはある意味妻のお陰) 理想的な夫婦のエピソードが好きです。
@t-3454
@t-3454 3 года назад
毛沢東やスターリン、ポル・ポトと似たものを感じるけど彼らと違って人民にはあまり手を出さなかったりある程度考えた上で粛清しているあたり一段上の人物だなと感じました。
@リカを捨てた乙骨
@リカを捨てた乙骨 2 месяца назад
いい事なのか悪い事なのかようわからん
@maibaima
@maibaima 26 дней назад
動画見たのかこいつ
@中信-z4g
@中信-z4g 3 года назад
今までに、ここまで朱元璋の英雄ぶり、聖天子ぶりを解説した動画を見たことがありませんでした。 大変勉強なりました。恐怖政治だけの人物ではないのですね。 朱元璋の肯定的な面を十分に解説してもらったおかげで、 晩年の豹変ぶりがより恐ろしいものと思えました。
@ふみふみ-l5l
@ふみふみ-l5l 3 года назад
統一後、腐敗した役人や地主を見て、期待を裏切られて落胆した朱元璋の気持ち分かるかも。高い理想と裏切り、粛清。何度か歴史に出てくるパターンの超代表的事例を分かりやすく勉強させていただきました。鳥人間さん、ありがとう!
@calon00380
@calon00380 3 года назад
大粛清しながらも教本つくって、こういうことしたらアカンぞって教育しているところに 先を見るという長所は健在だったんだな~と変な納得感。
@kaji1493
@kaji1493 3 года назад
めっちゃ大作やん。すごいな主は。
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 3 года назад
まじ同意。魔理沙の長いセリフが凄くて 途中から圧倒されてしまった。すごいな主氏は。
@at3141
@at3141 3 года назад
賄賂の嵐の中、朱元璋が変わっていったのは寂しいが、何か分かる気がする。。
@レッドウェイライン-o7e
@レッドウェイライン-o7e 3 года назад
悲しいなぁ、なんかすごく悲しい英雄や。
@halmit
@halmit 3 года назад
期待の後編キター!待望の粛清編に備えて基本ストーリーは抑えていた筈ですが新たな視点を獲得。それは、最下層出身の彼にとって、教育を受けた事により「己を変えた」という経験が非常に重要であったという点です。皇帝が直々に地主に教科を行う事で、農民が酷い目に逢う事が無い世の中が訪れると本気で信じていたのでしょう。その意味では彼は真に「徳(後付け)」を備えた皇帝でした。しかし、収税史や官僚は私腹を肥やすばかりで一向に行いを改める気配はない。我慢の限界を超えた先は粛清ですが、ここで気付かされたのはその対象が官僚や地主といった社会の上の層ばかりで、彼は農民そのものを粛清の対象にしていない点です(ひょっとしたら真実は違うのかもしれないけれど)。ただの粛清好きオジサンだと思っていましたが、この動画を観ると「教育によってどん底から救われ、教育によって世を変えようとしたが成せず、絶望した」彼の姿がありありと浮かび上がってきます。人間としての彼の姿を観る事ができ、大満足。
@reizoukoreizouko
@reizoukoreizouko 3 года назад
粛清といっても、猜疑心からくるものではなく、腐敗への対応からのような印象を受ける。 粛清がものすごく取り上げられる人だけど、そして実際にそうなんだけど、極悪人という感じはしなかったなぁ。「民を安らかにするため」が第一にあって、穏便な手段で済まそうとしたけどあまりに言うことを聞かないものだから、そこまで言うこと聞かないならもうやっちゃうから、という感じで。
@Пончик-э8и
@Пончик-э8и Год назад
「仏の顔も三度まで」というように、度重なる不正に堪忍袋の尾が切れたんやろなあ。他の人が皇帝になってても粛清は起こってただろう。
@puyopuyopunipuni0407
@puyopuyopunipuni0407 3 года назад
大作、力作、大長編。 本当にお疲れ様です。 ありがとうございます。
@プリンライス
@プリンライス 2 года назад
朱元璋に関しては、その晩年の粛清の苛烈さばかりが取り上げられるが、そこに至るまでには彼自身が、当事者でおる功臣や地主や富豪が改心してくれる事を信じていた節があるだけに、朱元璋が全て悪いとは思えない
@nameshi1984
@nameshi1984 3 года назад
集英社発行 学習まんが中国の歴史 第7巻の第一章のラスト2ページで、晩年の床に横になった朱元璋が「全て邪魔者は追い払った・・・これで我が明国は未来永劫安泰だ。たが・・・ああ・・・私は一人ぼっちになってしまった・・・」と涙を流しながら呟く場面が印象的で、その姿は波乱の歴史の転換期に生きてきた一人である朱元璋の偉大な指導者の良心の涙と、恐るべき独裁者の悲しき末路という姿でした。
@daikon_yakusha
@daikon_yakusha 3 года назад
そうゆう最期にしないと子供への教育になりませんから。 逆に満足して死ぬという最期では、ただのサイコパス賛美ですし、仕方ないかと。 病床で肉親同士の殺し合いの可能性に悩みながら死ぬのもアリですが、どうなんでしょうね。
@ジュガシヴィリ
@ジュガシヴィリ 3 года назад
ある種、毛沢東よりも粛正に容赦がないですからね。朱元璋が毛沢東の立場ならば、政敵の鄧小平と周恩来、葉剣英あたりは確実に殺してますね。ちなみに、使い道のなくなった4人組すら殺してるかもしれません。毛沢東も残忍ですが、その毛沢東ですら、朱元璋と比較すれば甘い人物といえるかもしれません。
@TSUDATOSIYKI
@TSUDATOSIYKI 3 года назад
@@ジュガシヴィリ さん、その辺りは後継者の有無が関係してるかも。朱元璋は長男や孫、燕王等の後継者が居るけど毛沢東は息子が早くに亡くなって後継者が居ないので。
@ジュガシヴィリ
@ジュガシヴィリ 3 года назад
@@TSUDATOSIYKI 毛沢東は甥に毛遠心という人物がいて、この甥を可愛がっていたようで毛沢東の晩年に4人組の江青らと権力を奮っていたようです。周恩来死後に発生させた、第一次天安門事件のとき、鄧小平を殺すよう説得したのは毛遠心という甥でした。最終的に政敵の鄧小平が復活すると、4人組と一緒に終身刑を宣告されて政治生命を絶たれたみたいですが。
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 3 года назад
前編から後編4分ぐらいまで、 まじでパーフェクト名君じゃん。 トルストイでもショーロホフでも 軍による掠奪や暴行を抑えるのが どのくらい困難かが執拗に描かれてる。 しかし今回やたらに魔理沙が楽しそうだな。ファンなのか朱元璋の。いや今回は ずっしり来る前後編で大作映画を集中して見たような満足感がありますな。 とりいるまさんに感謝と尊敬を覚えますた。長い脚本でとてつも無い労作に乙です。
@宮下弘明
@宮下弘明 3 года назад
土曜日が待ち遠しかったよ…ありがとうございます!
@makai6995
@makai6995 3 года назад
粛清が激しかった洪武帝時代の明では、官吏は一日の終わりに今日も処刑されなかったことを神に感謝していたらしい ↑こういうエピソードは好き
@Zeros1980
@Zeros1980 3 года назад
素晴らしい動画でした。 待ち遠しかったです。 ありがとうございます
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 3 года назад
またいつか朱元璋、 内政編も 勉強させて下され。 再度もんの凄く面白い前後編 でした。感謝。
@erogewota5946
@erogewota5946 3 года назад
地主や官僚に厳しかっただけで暴君呼ばわりされるのほんとひで 民衆にはやさしい聖天子やんけ
@sa-oq7ci
@sa-oq7ci 3 года назад
歴史を書く連中が弾圧された連中だったからなあ
@丸山康平-l2f
@丸山康平-l2f 3 года назад
これは賛成🙋‍♂️
@三転倒率
@三転倒率 3 года назад
コンプレックスで虐殺しまくったイメージあったけど、腐敗とかが要因なんやなあ、、、思ったより名君だった 殺した人数を無視すればやが、、、
@hiroshit4986
@hiroshit4986 3 года назад
戦争で頃すか反逆罪で処すかの差だけですよ 前者よりも後者の方がとばっちりを受ける犠牲者の数は格段に少ないと思いますが…。
@武田翔平
@武田翔平 3 года назад
清廉潔白な徐達まで頃したのはやりすぎだと思った
@coldexp7189
@coldexp7189 3 года назад
逆に言うと、大粛清を決意しなければならぬほど、中華の官民の腐敗が酷いって事かも……
@EmperorChiCheung
@EmperorChiCheung 3 года назад
演出のやり方が絶妙ですねぇ!内容は完全に知っていましたが、ホラー映画を観る感じで楽しみました。内容だけでなく、動画が演出によって補完されていて、面白かったです。
@ナンカン-g6d
@ナンカン-g6d 3 года назад
清の歴史学者趙翼は「一身において聖賢、豪傑、盗賊を兼ねた才物」と朱元璋を評価している。
@propoker5325
@propoker5325 3 года назад
前後編、とても面白かったです。茶番とゆっくりのやりとりが一番ゆっくり解説で長さとセンスがよく本編の邪魔にもならないし面白さのエッセンスにもなっていて丁度良いです。これからも見させていただきます!
@yooontheearth
@yooontheearth 3 года назад
前後編、めちゃ長いのに見始めたらぐいぐい引き込まれてあっという間でとてもおもしろかったです。朱元璋は殺戮しまくったということしか知らなかったので勉強になりました。 官僚、地主にとっては天災みたいな人だったけど、民衆にとってはすごく良い皇帝だったんだなぁ、と
@hermit19781974
@hermit19781974 11 месяцев назад
反対すれば感謝する民衆が皇帝側につきますから、計算されていた行動だと思います。
@saw196
@saw196 3 года назад
過去最多の大作お疲れ様です! 素晴らしい人物でありながら明と暗の落差が激しいですね。 人を信じていたがために余計に人に絶望したのでしょうね… 確かに最期は果たして幸せとは思えないですね。一番偉くとも孤独感があったでしょう。 秀吉はねねがいたり信頼出来る配下がいたから救いだったけど、此方は何事にも不安でこの世を去ったように見受けられます。
@mikelulu724
@mikelulu724 3 года назад
洪武帝と光武帝。光武帝は家族にも仲間にも恵まれ、建国後も幸せに過ごせた。洪武帝・朱元璋も同じ様になれると思っていたのではないだろうか。 幼少時は貧しく苦しい思いをして、家族を失う。貧しさや争いがなくなれば、皆仲良く平和に暮らせる。 大粛清をした事実は消えないけど、大粛清に走らせるキッカケを作ったのは間違いなく周囲の仲間、部下、民衆の堕落なのだろう。 かつて傲慢な権力者に共に立ち向かった仲間が同じ様になり、それを止めるために自身がそれ以上の存在になってしまった事はこれ以上ない悲劇なのかもしれません。
@プリンライス
@プリンライス Год назад
ただ功臣を粛清しなかった光武帝も、まさかその功臣の子孫が外戚として政治を聾断するとは思わなかったでしょうね
@ddrible9350
@ddrible9350 3 года назад
想像にすぎないけど、若い頃地主や小役人の腐敗と虚飾を嫌というほど見てきて天下を獲ったあとも別方向から腐敗を見せつけられ、糸が切れたんだろうなあ ここまでしないと断ち切れない腐敗が朱元璋よりもすごい気がする(断ち切れてないけど) 永楽帝の軍師の姚 広孝をお願いします
@sepa3435
@sepa3435 3 года назад
多分子供のころの地主や官僚への恨みが爆発したんやろなあ 俺がトップになって民を解放するぞ!・・・と思ってたら何も変わらなかった それでブチキレたんだろうな
@三宅猫之助
@三宅猫之助 3 года назад
劉基「粛清するところまで高祖を真似ろとは言ってない」
@TomoTanSan
@TomoTanSan 3 года назад
「一網打尽」「綱紀粛正」「民衆教化」の言葉が出てきた後の「そして誰もいなくなった」感…
@coldexp7189
@coldexp7189 3 года назад
後の名君・清の順治帝に中華史上最高名君といわれる程の洪武帝の内政部分も何らかの折りにあげてもらいたいね。 洪武帝・おまけ編っていう形じゃなくても、歴代名君の内政比較みたいな形でも……
@土門直親
@土門直親 3 года назад
聖人君子を目指し挫折した人ほど暴君に成りやすいのだな。 怒らせてはいけない人を怒らせると怖いな。
@donboy0581
@donboy0581 3 года назад
聖人君子を目指すような真面目な人間ってやつは、理想と現実のギャップに耐えられず極端から極端にいってしまう事が多い。
@じゃがりこぽてと
@じゃがりこぽてと 3 года назад
@@donboy0581 ロベスピエールがいい例やな
@coldexp7189
@coldexp7189 3 года назад
大粛清連発もある意味、朱元璋の責任感の強さから起きた事なのかなとも思えた。
@宴は終わったが
@宴は終わったが 3 года назад
17:15 この演出いいですね。うP主様の遊び心を感じます。最初の提供はという辺りのくだり(最近はダジャレ路線ですが)も含め、こういうところ好きです。
@ぶんぶく茶釜-i3b
@ぶんぶく茶釜-i3b 3 года назад
暴君と言うには、あまりにも名君すぎる 惜しいのは、やはり君主制の永遠のテーマ「後継問題」でしたね
@daikon_yakusha
@daikon_yakusha 3 года назад
割と有能な長男が死ぬの早すぎ問題。 三国時代だと孫権も長男に早く死なれた所為で後継者問題でやらかしてるからなぁ。
@かえるのおへそ-o9t
@かえるのおへそ-o9t 3 года назад
@@daikon_yakusha ホント、それな。 結構有能な長男が居たのにっていう人結構多い。
@やひ-o6r
@やひ-o6r 3 года назад
日本でも平清盛、織田信長、長宗我部元親、徳川家康なんかが優秀な長男が早死にで歴史が変わってるね
@sakuoli
@sakuoli 3 года назад
素朴に人間ドラマとして超面白かったです
@mew6118
@mew6118 3 года назад
とてもわかりやすくて面白かったです!動画を作っていただきありがとうございました。
@金獅子ジャン
@金獅子ジャン 3 года назад
後編待ってたで👍 朱元璋色々すごいな…
@Harphemaen
@Harphemaen 3 года назад
ガバガバな日本語ですみません。いつも鳥人間さまの動画を楽しんでいます。歴史を見るのはよく「今の視点から見ると…」となりがちですが、その人の決定は時代、教育背景、性格によるでしょう。この粛清も底辺からのし上がった洪武帝自分なりの質素な最善策でしょう(もちろん必ず正しいと言っていない)。ちなみに僕の名字は洪武帝と一緒です。ふふ。
@めちゃかわ
@めちゃかわ 3 года назад
日本語上手い✨
@真砂葵
@真砂葵 3 года назад
更新お疲れ様です。覚悟はしていましたけど、大粛清時代の凄まじさに頭がくらくらしました。 それにしても、明時代の功臣忠臣ってなんでこうも報われないのでしょうか。明末期の袁崇煥もあんなに頑張ったのに最期は悲惨だったし。
@本部スパム
@本部スパム 3 года назад
当時世界最強の国に勝った男やぞ、英雄なんかで済むような男じゃない、しかもそれが最底辺の人間が成り上がったって話、事実は小説より奇なりなんて言葉があるけど創作の主人公みたいな人間だ……粛清を除けば……
@山瀬速報
@山瀬速報 3 года назад
正義のためにやってるから躊躇いないな
@madmotor
@madmotor 3 года назад
中国の粛清劇の恐ろしい所は、対象となった本人だけでなくその親族に至るまで連座で族誅の対象となり処刑される所。これで犠牲者が何倍にも膨れ上がる。
@hiroshit4986
@hiroshit4986 3 года назад
根切をしないと恨みが残りますから仕方ないのでしょう…。 中国において個人の栄達は一族の繁栄である様に、失脚は一族の破滅を意味します。
@jodasow
@jodasow 3 года назад
日本では誅殺された者の息子が要職に登用されることが珍しくないですが、孝を絶対とする価値観の有無なんでしょうね。
@coldexp7189
@coldexp7189 3 года назад
@@jodasow 日本でも源氏の復讐で平家が滅んだのを教訓に、後の時代では敗北した側の大名や武将の子供(男子)は幼くとも処刑してたけどな。
@coldexp7189
@coldexp7189 3 года назад
日本でも、普通に連座で大量処刑はあるよ。 例えば、秀吉が秀次を切腹させた時に、その家族などを連座で30人以上処刑したし……
@jodasow
@jodasow 3 года назад
@@coldexp7189 秀次事件でいうなら連座で切腹梟首となった木村重茲の息子の木村重成が秀頼側近として取り立てられてますね。
@tyourea
@tyourea 3 года назад
汚職や腐敗は、頭から切り落とす必要があったんやろな。癌細胞を除去するにも痛みを伴う。切除手術を躊躇すれば腐敗で国家転覆する。大いに悩んだんじゃないかな?
@理系のなかやま微積んにくん
普通に闇かと思ったけど政治的に正しい目的を持って行ったものだったから肯定できる 最期まで国を憂う名君だったってことよね
@真大和
@真大和 3 года назад
スターリン・毛沢東とは根本的に粛清理由が違うということね。
@KAWACHI102
@KAWACHI102 3 года назад
李善長「あなたは漢の高祖劉邦を手本にすれば天下を取れます!」 朱元璋「よっしゃわかった!」 朱元璋「李善長、お前処刑な」 李善長「・・・そんなところまで手本にしなくていいのに」
@かえるのおへそ-o9t
@かえるのおへそ-o9t 3 года назад
劉邦も天下を取った後は中々の残虐非道っぷりを発揮しててたな。 因みに横山光輝の「項羽と劉邦」は天下取って終わりだけど、横山光輝の別の漫画ではその後の悪人と化した劉邦が描かれてた。
@73moto
@73moto 3 года назад
@@かえるのおへそ-o9t 横山光輝の史記の事ですね。
@濱本貴寛
@濱本貴寛 3 года назад
范雎「君主が目的を達成して、保身に走る前に引退すべきだ」 范蠡「確かに、創業の苦労は共に分かち合えても、守成の時期を共に過ごすのは難しい」 李善長「先達の言葉、耳が痛い……」
@KAWACHI102
@KAWACHI102 3 года назад
@@濱本貴寛 蒯通「独立するという手もあるんやで(ニッコリ」 周巿「ほんそれ」 武臣「すげーわかる」
@まさに-f8k
@まさに-f8k 3 года назад
4:00 幸せな建国(キス)をして終了(ハッピーエンド)
@武田翔平
@武田翔平 3 года назад
逃げては駄目ですよ(ダークエンド)
@まさに-f8k
@まさに-f8k 3 года назад
@@武田翔平 誰か殺してくれ…(粛清)
@rerepopo663
@rerepopo663 3 года назад
前回の栄光編と今回の暗黒編を見ると、まるで朱元璋がダース・ベイダーみたいに思える。 ただダース・ベイダーは最後息子のルークの苦しむ姿で覚醒して、自分の命を捨ててルークを救い ダースシディアスを打倒し最後父親としてルークの腕の中で息を引き取ったけど、朱元璋はやり過ぎて 次の代で無茶苦茶な跡目争いが・・・。
@ドニエプル工業地帯
@ドニエプル工業地帯 3 года назад
長かった一週間、待ってたよ鳥入間さん!
@gm-vy8ck
@gm-vy8ck 3 года назад
素晴らしい動画でした! 朱元璋の絵 頭のシミがツノみたいに見えた
@丸祐-z2w
@丸祐-z2w 3 года назад
楽しみにしてた!
@味噌煮込みうどん-j2r
@味噌煮込みうどん-j2r 3 года назад
不正してたやつは粛清されてもしゃあないがとばっちり受けて無実のものも巻き込まれたと思う。ついでにこいつもみたいに。
@coldexp7189
@coldexp7189 3 года назад
不正を黙って見てた奴も同罪って感じなのかな?
@山下-o6w
@山下-o6w 3 года назад
単純な悪帝、暴君の類には思えないな 伝統的に国家意識が欠乏している中、ただ一人、懸命に"家”を建てようとした男 そんな風にも思えます、一家離散という経歴からか
@mojimojiable11
@mojimojiable11 3 года назад
めちゃめちゃ待ってました!
@かゆうま-x9h
@かゆうま-x9h 3 года назад
すごく極端な境遇と性格だが、皇帝の座についたら理想と現実の差があまりに激しくて失望して最後は我慢できずに大粛清実行したのかもね。
@harigane4773
@harigane4773 3 года назад
お疲れ様でした! 大人物だけに大作になりましたね…! 明朝は民間は文化が発達して華やかになるんだけど、こんなスタートだから政治はずっと暗い雰囲気になってしまうのは仕方ないのかなー。
@harigane4773
@harigane4773 3 года назад
あと肉まんほおばる姿かわいい
@anaheimmechatronics564
@anaheimmechatronics564 3 года назад
今回も面白かったです。 ささやかですが、グッドボタン押しておきました。 近い内に、永楽帝と土木の変をお願いします。
@チーズボール-e6f
@チーズボール-e6f 3 года назад
大量虐殺者ではあったけど 民には優しく、国を荒廃した地から豊かさを回復させた功績は大きい 彼を暴君と呼ぶのは微妙かもしれない・・・
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 3 года назад
朱元璋の粛清はある程度理解出来る部分もあるけど、本当に暗澹とさせられるのは殉葬制度。
@Claude_Beaumont13
@Claude_Beaumont13 3 года назад
@GF8EWRX  然り。指摘の通り、英宗は暗君に分類されますが、この一事からも、この後続々現れる明朝の暗君・昏君に比べればかなりマシな人だったと考えています。
@ババプリン
@ババプリン 3 года назад
仲間のことまで含めて自分でキッチリ責任を取るという、良きアニキ肌・親分肌の気質がある時を境に裏返った、為政者として最大限の努力をしても、何をどうしても世の中の不正は止まないゆえについに爆発、暗黒面に堕ちたように思えました。なんとも切ないですね^^;
@古の生もの
@古の生もの 3 года назад
前編に引き続き今回の粛清編を楽しく?視聴させて頂きました。 国の始まりが種々の理由があったとは言え洪武帝の猜疑心に彩られまた国の終わりも崇禎帝の猜疑心による袁崇煥誅殺がその引き金となる。明に限った事では無いのでしょうが不思議な巡り合わせの様に感じられます。 寒くなりますのでうP主様も御自愛下さいませ。
@恥知らずはデフォルトです
最後に燕王に警戒するよう言うって事はやっぱり人を見る目はピカイチだったんだろうな。
@komugi_housaku
@komugi_housaku 3 года назад
正直ほとんど評価落ちなかったわ。むしろ洪武帝余計に好きになった。残酷だけど後世への憂いを取り払い、腐敗を根絶やしにしようとしてるし知性を感じる。皇后を馬さんだけにしてる点も評価高い。貧乏コンプレックスは成り上がりの宿命みたいなものだし、凄く人間性を感じられて嫌いじゃない。あら、康煕帝大好きだったけど、洪武帝のほうが好きかも
@TSUDATOSIYKI
@TSUDATOSIYKI 3 года назад
ハッピーエンドか…。そう言えば中国の歴史漫画、朱元璋の人生の終わりのところは何れも悲しくも寂しい感じで終わってたな。
@ジュガシヴィリ
@ジュガシヴィリ 3 года назад
朱元璋を秀吉に置き換えて、家康を永楽帝に置き換えると、なんとなく共通点がある気がする。朱元璋と比較すると、秀吉は遥かに甘いし、落ち度もあるが。
@サウンドオフ
@サウンドオフ 3 года назад
本当に謀反を起こした古参の邵栄を処刑する時は涙を流した男と同一人物というのだから 皇帝の座というのは恐ろしい 藍玉の義兄である常遇春は朱元璋の後半生を見ずに病死したのはむしろ幸せだったとすら思える
@おもむろ-c7p
@おもむろ-c7p 3 года назад
洪武帝の粛清にもそれなりの理由があったのか
@いでたかゆき-r8i
@いでたかゆき-r8i 3 года назад
明が建国した年は足利義満が三代将軍に 就任した年であるちなみに数え年11才である
@いさむ-c8t
@いさむ-c8t 3 года назад
洪武帝は名君だったにではないかと思います。 粛清も宮廷内のコップの中の嵐だし、なによりも乱世を終わらせ民を豊かにしました。 馬皇后が洪武帝よりも短命だったのが痛かった・・・ イワン4世も同じですが最高の助言者たる皇后が短命だったのが惜しまれる。
@thor0610102
@thor0610102 3 года назад
でも、「官吏や臣下の友人だった」というだけで粛清対象になってますからね…。富裕層、読書階級に限って、かも知れないけど一般人も巻き込まれてますよ。 それに、これは明、清代通じてですがマニ教の一派の白蓮教を弾圧してます。これは官吏、一般人関係なく死罪や流罪になるので街の庶民や農民も対象に入ります。 それに別のコメ主さんの所にも書いたけど、靖難の変で戦った一般兵士達は街の庶民や農民達。 君主の行動は常に民衆の命運に関連しているんですよ。
@話ズ
@話ズ 3 месяца назад
@thor0610102 「友人だった」というのが実際にどういう意味だったかわからんからなあ。「腐敗した権力者の友人関係」って一体どんな友人なんだ?と疑うのは当然の話で。人間関係一切に不正と汚職と酷薄な振舞いがこびり付いてる人物が、それを周囲に知られてる中で何やってるんだろって話ですよね。 しかも生活が成り立たない貧民をみんなで救おうとしてる最中での話です。
@NT-iv9os
@NT-iv9os 3 года назад
後編待ち望んでいました!😆 儒教の理想と現実との違いに苦しんで、変わってしまったのですかね… 単純に劉邦みたいに疑心暗鬼にかられての大粛清と思っていましたが、実際はもっと闇深い事だったのかも? それでも官僚はともかく、民間人は南方の地主がメインであったようですし、軍事・内政・統治能力・実績と、どれを取ってもピカイチな事も感じられて、凄く密度の高い動画だと思いました!😆
@Blue-Max1918
@Blue-Max1918 3 года назад
まるで、マルチシナリオ、マルチエンディングのシミュレーションRPGで統一国家を打ち立てたけど、救いのないバッドエンドを迎えたって感じのお話で、おもしろかったです。 大陸の歴史はスケール感が凄いし、日本史とは違う魅力があります。
@rerepopo663
@rerepopo663 3 года назад
面白のは元は元で中華大陸からモンゴル高原に戻り、まさにチンギス時代と同じ 遊牧民生活に戻ったら寧ろ息を吹き返して、その先明を相当苦しめ続ける事になるという。 アルタンとか元朝の中華時代の経験も活用して、遊牧だけじゃなく町の整備とか道の整備とか治水も ちゃんとして国を豊かにしようとしたりしてる。
@user-mx5qx5oj9c
@user-mx5qx5oj9c 3 года назад
長丁場の編集お疲れ様でした。明は古代から清にかけて唯一と言って良い漢民族の王朝なのでこの時代を掘り下げる事が隣国である中国を知る大きなヒントだと思います。朱元璋が警戒した永楽帝もまたよろしくお願いします。永楽帝は父と同等かそれ以上のスペックを持つ人物ですね。
@奈良岡昭宏
@奈良岡昭宏 3 года назад
朱元璋も最初は徳治を目指していたが、それらが悉く裏目に出てしまう結果になり、粛清の嵐となったのですね。 そういえば、三国志の董卓も最初は穏健な方法をとっていたが、貴族達から馬鹿にされ続けてブチギレた結果、暴政になったとか。 また、史記の司馬遷は「人は一度贅沢の味を覚えてしまったら、もう質素な暮らしには戻ることはできない」ようなことを言って、道教(老子派)を批判したとも言われています。
@おもむろ-c7p
@おもむろ-c7p 3 года назад
かなしき
@air5042
@air5042 3 года назад
大作をありがとうございました。朱元璋は本当に難しい人物ですね。 ただ時代の流れをある意味読み誤ってしまったのかなとは思います。 元の時代に世界各国と交易および交流が一気に盛んになり、それらを取り入れていった結果人々が急速に進歩し社会制度が複雑化していきました。 それと反比例して古来中国から伝統とされてきた儒教的価値観を中心にする統治はもうこの時代では通用しなくなっていた。 目指すべき姿はあくまで、厳格な法治であり古来中国が理想としてきた法3章のみの世界ではなかった。 彼が理想としたものはほんの少しだけ残しておく位で良かったのかもしれません。
@73moto
@73moto 3 года назад
集英社版の漫画中国の歴史で朱元璋の話で晩年の粛清後に病で没する前に孤独を感じ、馬皇后と結婚した頃が人生で一番幸せだったと独白して亡くなった。
@alba1708
@alba1708 Год назад
あまりにも現実が見えすぎていた理想主義者
@youkaimedama
@youkaimedama 3 года назад
いやー面白かったです。見応えありました。
@ほし-o7u
@ほし-o7u 3 года назад
待ってた
@ほし-o7u
@ほし-o7u 3 года назад
朱元璋のことやばいやつだと思ってたけど不覚にも共感する部分多くて泣いた。 学だけでは語れない賢さが確かに彼にはりその葛藤と癇癪持ちという部分が合わさり、後世を案じた一生であったと感じた。
@rerepopo663
@rerepopo663 3 года назад
後の跡目争いの靖難の役なんて永楽帝側が儒学の教えを一応守って、「家族は大切に」を立てて「これは建文帝を倒すのではない!建文帝の側近を倒す上での建文帝打倒なのだ!」とか屁理屈みたいな事言ってるw
@daikon_yakusha
@daikon_yakusha 3 года назад
世間や他の皇族の支持や支援を得たければ、最初から「皇帝の甥をぶっ(ry」なんて言えませんけどねw 建文帝はノーテンキな人かも知れませんが、そんな訓示をド直球で将兵に伝える臣下も大概では(苦笑
@thor0610102
@thor0610102 3 года назад
靖難の変については実際、他の皇族達も様々な名目で庶民に落とされて領地を奪われているから屁理屈ではないかと。 永楽帝も性格に問題のある皇族は靖難の変の後、一旦、元の領地に復させて更正の機会を与えた上で、更に問題を起こしたら領地を取り上げて庶民に落としています。 「君側の奸を除く」はよく反逆者が使うお題目ですけど、この時はお題目ではなく事実でした。 建文帝も即位したばかりでまだ20才。子飼いの部下もなく、すべて洪武帝の臣下だった者達ばかり。彼らの進言には逆らえなかったでしょうね。 「靖難の変」では永楽帝の他にも、些細なことにケチをつけられて領地を削られた皇族、庶民に落とされた皇族が幾人もいるので南京陥落までは永楽帝の方に理があると思います。 永楽帝に問題があったとすれば、戦後処理で戦犯だけでなく、その家族や友人にいたるまで殺すという粛清を起こしたこと。死刑にするにしても本人のみで家族は庶人に落とすくらいにしておけば良かった。 そこが残念ですよ。
@mikllatte
@mikllatte Год назад
新勢力台頭に際して功臣粛清は必要なんだと思う 豊臣政権の短命さ、フランス革命や 明治維新見ても粛清と虐殺は後の事考えると必要
@loserdoe1638
@loserdoe1638 3 года назад
大英雄だけに闇堕ちも激しいのか、悲しき聖王……粛清に巻き込まれた忠臣や民衆は本当に可哀想。
@ryuryu0928
@ryuryu0928 3 года назад
下が無茶苦茶やるから、上もじゃあ一掃しないといかんねと大粛清になると 今でも厳罰でないと収まらないんだからきっと昔も・・・
@donboy0581
@donboy0581 3 года назад
天下統一後に粛清の嵐が吹き荒れるのはどこの国でもよくある事だが、彼の場合は必要以上に粛清を繰り返したがゆえに、臣下たちは当たり障りのない事しか言わなくなり、後に大きな禍根を残してしまった。
@ゼスト-r2s
@ゼスト-r2s 3 года назад
自分の目指した理想の国を苦楽を共にした部下達に台無しにされたという反動もあったんですね 潔癖というか余りに高過ぎる志には生きづらさを感じる人達もいるのですね
@Librafish
@Librafish 4 месяца назад
前編後編と超大作お疲れさまでした。 朱元璋の動画を繰り返し見るうちに尊敬する人になった。ただの大粛清おじさんは、毛沢東やスターリンのイメージ。朱元璋は功臣含む既得権益層の腐敗汚職撲滅のために大粛清という手段を取ったように思う。儒教的な聖天子を目指して頑張ってきたのに、仲間が腐敗にまみれていくさまは、人間の欲深さ、欲望には終わりがないんだなと感じる。庶民には極力粛清が及ばないようにしたのがただの大粛清おじさんではないことを表してるね。
@c-history
@c-history 4 месяца назад
ご支援いただき、まこと感謝感激です!! 前後半と長い動画ですが、ご覧いただき感謝の念に堪えませぬ!
@クザン-i6k
@クザン-i6k 3 года назад
うん、これだと粛清も仕方なかったって感じだね。世の中を良くする為にしただけ。普通に聖天子じゃん。
@osee1895
@osee1895 2 года назад
始皇帝も儒学者を埋めてるし、劉邦も最初の挙兵時からずっと儒学者嫌いだし、洪武帝も最初は儒教を信じて失敗したし・・・ どの時代でも結局は法家の皆様が後世まで続く制度作ってるし・・・ 儒教の教えって、中国の皇帝にとっては相応しくない学問、民衆や下層民の修身のための学問なんだと感じさせますねえ。 日本でも統治には魔改造されまくった朱子学が使われてましたし。
@匿名希望-s4w
@匿名希望-s4w 3 года назад
文字の獄以外は癒着を一掃する目的があったのね。ただ余りにも功臣が粛清されて、その辺も劉邦と似てるといえばだな。
@Gガリヴァルディ
@Gガリヴァルディ 3 года назад
「燕王を警戒せよ」(33:34) 自分と似た独裁者としての素質を見抜いてたのかな 実際その後燕王(朱棣)は永楽帝として皇帝独裁体制を強化していく事に
@coldexp7189
@coldexp7189 3 года назад
その遺言は、後付けっぽい感じがする。 警戒しろっていうぐらいなら、前もって何らかの手を打っていそうだし……
@2236qawsedr
@2236qawsedr 9 месяцев назад
晩年の粛正開始時は生前の劉基の進言をそのまま進めてしまったようなものですね 劉基が生きているうちに厳しい処罰をしていれば、腐敗がひどくならないため10万を超える理不尽な粛正もなかったのかもしれませんね
Далее