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【ゆっくり解説】島津義久・義弘兄弟相克編その1ー豊臣大名として再出発するも…敗戦後の混乱と秀吉の思惑に翻弄される島津 

ゆっくり真実の戦国史
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今回は島津家が秀吉の九州征伐に敗戦したあとの混乱から立ち直れずに家臣団の統制や領国経営が破綻寸前に追い込まれ、さらに豊臣政権側の意向で義弘が当主の義久を差し置いて島津家の代表者的立場に上らされていく過程を解説していきます。
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18 сен 2024

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Комментарии : 73   
@user-hx9mg1nn1t
@user-hx9mg1nn1t 7 месяцев назад
辺境の地に蛮族の如き家臣団と領民。政治体制は無茶苦茶。グダグダなところが噛み合って豊臣政権、江戸幕府を生き延びられた島津家って奇跡。
@MUSASI40
@MUSASI40 7 месяцев назад
これは悪久がいなかったら 幕末を迎えるまでに島津家は空中分解しちゃったんじゃないか
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!悪久が一番貢献度が高かったのかもですね😨😨
@芹澤モカ
@芹澤モカ 7 месяцев назад
勉強になります。 悪久の粛清によって近世大名としての島津氏が始まるという訳ですね。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!悪久は実は英主になるわけですね😨😨
@かにひなゆな
@かにひなゆな 7 месяцев назад
義久と義弘は仲違いはしても一定のラインは越えない現代人に近い兄弟感覚があった気がする
@MoMoMo-o7i
@MoMoMo-o7i 7 месяцев назад
小さい頃はいつも一緒に過ごしていたのかも知れませんね。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!元々は仲が良かったみたいですから根っこの部分では親近感が残っていたのかもですね。
@anana8991
@anana8991 7 месяцев назад
豊臣政権から徳川政権化の島津までやるのかな?何だかんだ義久、義弘仲違いがあってグダグダしながらも西軍ついちゃってからの関ヶ原の領土安堵獲得までやるのかな?九州征伐で最終回かと思ってたからサドンデスグダグダ楽しませてもらいます。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!義久と義弘兄弟が没するところまで解説していくつもりです😄
@ヨシヒコ-i6u
@ヨシヒコ-i6u 7 месяцев назад
やっぱり、グダグダしたる島津は面白いね〜
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!正直合戦よりもゴタゴタを見てるほうが面白いです🤣🤣
@黒猫-r3x
@黒猫-r3x 7 месяцев назад
これだけグダグダの家中の命令系統を強引な手法で統率した まだ出てこない忠恒(悪久) もあながち無能ではなかったんだなここまでのの動画見てわかった気がしますね・・・ 家臣や亀寿に対しての行いとか、琉球や奄美の支配でこれから数百年にわたって始まる黒糖地獄の元凶なんで何と諸手を挙げて評価しづらい人物ですが(-_-;)
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!悪久が当主になったことは間違いではなかった…のかもですね😮😮
@anana8991
@anana8991 7 месяцев назад
強引な手法で中央集権化しないととてもじゃないと手綱握れないから悪久公は出るべくして出てきた英主だと思いました。
@佐竹ラスベガス
@佐竹ラスベガス 7 месяцев назад
動画楽しみにしていました 前回にも言いましたが国衆の所領のイザコザを見るに やはり鎌倉幕府的な旧体制的な構造を彷彿とさせますね 戦国時代、といってもすぐにみんな近代的な戦国大名になった訳ではなく 京都から東北や九州となると室町幕府の特有の緩さを引き継いだ様な 状態だったのかもしれません それにしても義弘と義久の立場は現代に例えるなら 現場の頼れる上司と大局を俯瞰する社長にみたいですね…… 現場を良く理解する頼もしい上司だった義弘でしたが 社長としての技量はなかったみたいですね 京都から帰ってきた義久を大勢の家臣団が出迎えた辺り ここにきて義久の偉大さを嫌でも実感したのかな、と 義久の意見も聞かず自分勝手したツケが回ってきて ザマアミロとは個人的に思いますがね(笑)
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!西国の大名は家中の統制が緩い感じがありますね。義弘は好人物ではあるんでしょうけどトップとして自分の頭で判断や決定を下すのは苦手な感がありますね。
@ひむろいけうち
@ひむろいけうち 7 месяцев назад
各々兄弟のスペックが無駄に高いからスタンドプレーに走りがちになるんだろうなw こうみると北条4兄弟は結束が強すぎるw いや、島津4兄弟も仲はいいんだけどさwなんかもうお互いを良い好敵手扱いしてる感あるかもw歳久はそんな3名の良い緩衝材だった説あるね。部下に慕われてたようだし。
@anana8991
@anana8991 7 месяцев назад
義久、義弘、歳久の三人と家久の温度差は何だかんだ感じるんだけども。家久が九州征伐後の豊臣の直臣になろうとして半ばでなくなる辺りとか。傍若無人な振る舞いに苦々しく思ってただろうし、内心危険分子がいなくなってホッとしてたんだろうなって思ってしまうもんな母親違うと確執起きるっていう。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!距離感はあるけど心底から嫌いなわけでもないという微妙さはありますね。
@タイガーが居た
@タイガーが居た 7 месяцев назад
ここまで動画を見させてもらって思ったのが、島津4兄弟が大河ドラマなるとしたら相当脚色しないと難しいなと… 毎回楽しみにしております。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!史実ベースで作ったら視聴者はどんどん去っていきますよね😥😥
@rotriot367
@rotriot367 6 месяцев назад
タリバンのカンダハール武闘派とドーハ和平交渉派の齟齬みたいで既視感あり過ぎるし、お世話になった薩摩士族の講師が本人は通字持ってても分家筋と言っていたけど先祖が老中になるぐらいのガチ上士で草ww
@machazard
@machazard 7 месяцев назад
その後の朝鮮や関が原での活躍を見るに、義弘を島津の代表にしたのは豊臣政権にとって良い選択だったな。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!軍事指揮官としての義弘はやはり非凡ですよね😆😆
@ごろう丸-e7j
@ごろう丸-e7j 7 месяцев назад
あれ、(勝手に)前回で終わりとおもってた。びっくりした。 楽しく視聴させていただきました。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!もうしばらく続きますのでお付き合いしていただけると幸いです😄😄
@タリスタリ
@タリスタリ 7 месяцев назад
負けて領地のことをごねるくらいなら九州国分を受け入れていればよかったのにっていう結果論
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!そうゆう結論になってしまいますね🙄🙄
@伝説の麻婆豆腐
@伝説の麻婆豆腐 7 месяцев назад
🥸「賄賂はいかん献金だ」
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!物は言いようですね🤪🤪
@matukawatositane
@matukawatositane 7 месяцев назад
ただでさえ微妙な兄弟関係を更に… 忠恒くんが大ナタ振るうまで島津家はぐちゃぐちゃ
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!コメント欄で忠恒が再評価される流れが出来上がりつつあって草です😦😦
@根井仁道
@根井仁道 7 месяцев назад
家久が生きていたら義弘も冷遇されて官位に叙任されなかったんじゃないか。相変わらず家臣団が統率がとれてなくてグダグダすぎる。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!親の顔より見たグダグダ劇の再開です😫😫
@ヨシヒコ-i6u
@ヨシヒコ-i6u 7 месяцев назад
家久が義久義弘とは別に豊臣大名として遇された可能性はあるけど、島津家の代表として遇される可能性はないかな? 義弘が豊臣政権下の島津家代表なり得たのは、義弘が当主義久の名代(代理)であり家督継承者だったからこそ、義久を完全に隠居させ、豊臣政権━義弘━島津家臣団と統制できた可能性はあるけど、家久は父貴久の庶子であり、兄たちを差し置いて、島津家の代表になる事はありえない。 言い方はキツイけど、庶子は一門とはいえ家臣も同然、家久が代表になれば、家臣が言う事を聞かないのも当然だし、下手すれば義久義弘を神輿に反乱を起こす可能性もある。また三兄歳久や従弟以久の方が代表としての正統性が高いので、その辺が反旗を翻してもおかしくない。 そんな事、豊臣政権側も分かっていただろうから、代表にする事はないかな?
@wh0000000
@wh0000000 6 месяцев назад
4兄弟で一番上手く立ち回る能力があったのは歳久だったんじゃないかな? 本人は豊臣からのヘイトを負う形で切腹しちゃったけど
@小原壽展
@小原壽展 7 месяцев назад
島津家臣団も自分達は島津家臣というよりも国衆や一揆みたいな考えだったんですかね。中央政権に逆らうとお家滅亡もあるとは思えなかったんでしょう。久保公と亀寿姫の結婚は少なくともこの時点では最適解だったんですよね。歴史のIFですが久保公、義久公、義弘公の三竦み島津家の未来は見てみたかったです。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!久保が後を継ぐIFは興味がありますよね😄
@金ぴか70
@金ぴか70 7 месяцев назад
戦以外の島津は、全く興味なかったし、あんまり知らなかった。こんな詳しくありがとうございます🙇 伊集院にある島津義弘の銅像はカッコいいし、妙円寺詣りもあったりで、 義弘様がやっぱりいいんだな 後編の兄弟の亀裂、楽しみです 動画ありがとうございます🙇
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
@@金ぴか70 コメントありがとうございます!そう言っていただけると大変励みになります😄😄
@しずもりよしひら
@しずもりよしひら 7 месяцев назад
こんな体たらくで良く豊臣政権から改易されなかったな。大友は改易されたのに。
@matukawatositane
@matukawatositane 7 месяцев назад
義弘三成ラインが生きたのかも
@かにひなゆな
@かにひなゆな 7 месяцев назад
改易を検討したけど、出来なかったと思う 最果て、貧しい土地、家臣は超反抗的。佐々成政の末路見た後でやりたがる家臣が居なかったんじゃないかと
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!秀吉の大名改易の判断基準はかなり恣意的ですね。
@ryotaroukujo3870
@ryotaroukujo3870 7 месяцев назад
宇都宮家とか可哀想ですね @@ゆっくり真実の戦国史
@ローラン-j4q
@ローラン-j4q 7 месяцев назад
これに忠恒は苦労するのであった。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!悪久の株が上がってますね😅😅
@ヨシヒコ-i6u
@ヨシヒコ-i6u 6 месяцев назад
何度か試したのですが、何故か表示されないので、こちらで返信させていただきます。 天正17年5月24日の起請文についての資料を旧記雑録に見つける事が出来ました!!(後編二 593) ・本田正親 ・八木正信  ・比志島国貞 ・鎌田政近 ・伊地知重元 ・平田宗貞カ ・島津忠長 ・阿多忠秋  ・平田増宗 ・平田歳宗 ・伊地知重秀 ・平田宗祇 ・新納忠元 ・村田経宣  ・田代清辰 ・川上忠辰 ・義岡久延  ・山田有信 ・稲富長辰 ・伊勢貞真  ・平田光宗 の21名でした 参考文献を教えていただいたおかげで、すぐ見つける事ができました ありがとうございます!!
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 6 месяцев назад
それは良かったです!お役に立ててなによりです😄😄
@KK-kq7mk
@KK-kq7mk 4 месяца назад
学者さんですか?すごい
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 4 месяца назад
コメントありがとうございます!ただの歴史好きの一般人です😅😅
@鬼瓦熊五郎左衛門
@鬼瓦熊五郎左衛門 7 месяцев назад
島津がボコボコに叩かれた挙げ句、このゴタゴタで泣きっ面に蜂ですなぁ。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!しかもこの混乱がずっと尾を引くんですよね😭
@ねふ二条
@ねふ二条 7 месяцев назад
すごい分かりやすい
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!そう言っていただけると大変ありがたいです😄😄
@user-np2qk4mu1p
@user-np2qk4mu1p 7 месяцев назад
豊臣政権としては最近討伐した仮想敵国だから、家中の分断政策はしますよね〜。 火種もたっぷりあるし。 そのおかげで家中の統制に繋がる面もありそうですね。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!伊集院忠棟も含めてそういった狙いは確かにありますよね。
@tas-o8n
@tas-o8n 7 месяцев назад
野心家な上に、織田信長と義兄弟?みたいな関係だった徳川家康(徳川家)を残してるんだから、抑えとして北条家を残しておいた方が良かった気がするけど、なんで北条家は潰して徳川家をパワーアップさせたんだろう。
@777hydyy6
@777hydyy6 7 месяцев назад
賄賂を贈っての政治工作は近世的。というか現在でも行われてるでしょw
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!結局人間の感覚は根本的な部分はどの時代でも変わらないのかもですね。
@ジュガシヴィリ
@ジュガシヴィリ 7 месяцев назад
森喜朗みたいな人物が戦国大名の鏡なんだろうな。
@ヨシヒコ-i6u
@ヨシヒコ-i6u 7 месяцев назад
18:46 この義久が起請文に連署させた、本田正親・島津忠長・平田光宗以外の18名の家臣が誰だったかわかりますか? もしわからなかったら、参考文献を教えてください。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 6 месяцев назад
ご質問ありがとうございます!そこは新名一仁先生の『「不屈の両殿」島津義久・義弘』(角川新書)に書かれているのですが(といいますか当シリーズ解説の大部分はこの本を参考しているのですが😅😅)、残りの家臣の名前は出ていませんね…申し訳ないです。
@ヨシヒコ-i6u
@ヨシヒコ-i6u 6 месяцев назад
@@ゆっくり真実の戦国史 返信ありがとうございます!! そこはまた自分なりにも調べてみます!
@ヨシヒコ-i6u
@ヨシヒコ-i6u 6 месяцев назад
@@ゆっくり真実の戦国史 資料「旧記雑録『後編二』593」を見つける事が出来ました!! ・本田正親  ・八木正信  ・比志島国貞 ・鎌田政近  ・伊地知重元 ・平田宗貞カ ・島津忠長  ・阿多忠秋  ・平田増宗 ・平田歳宗  ・伊地知重秀 ・平田宗祇 ・新納忠元  ・村田経宣  ・田代清辰 ・川上忠辰  ・義岡久延  ・山田有信 ・稲富長辰  ・伊勢貞真  ・平田光宗 でした 参考文献を教えていただいたおかげで、すぐ見つける事ができました ありがとうございます!!
@ヨシヒコ-i6u
@ヨシヒコ-i6u 6 месяцев назад
@@ゆっくり真実の戦国史 資料「旧記雑録『後編二』593」を見つける事が出来ました!! ・本田正親 ・八木正信  ・比志島国貞 ・鎌田政近 ・伊地知重元 ・平田宗貞カ ・島津忠長 ・阿多忠秋  ・平田増宗 ・平田歳宗 ・伊地知重秀 ・平田宗祇 ・新納忠元 ・村田経宣  ・田代清辰 ・川上忠辰 ・義岡久延  ・山田有信 ・稲富長辰 ・伊勢貞真  ・平田光宗 の21名でした 参考文献を教えていただいたおかげで、すぐ見つける事ができました ありがとうございます!!
@おふ-t7z
@おふ-t7z 7 месяцев назад
うーんやっぱりこの多頭飼い失敗状態…いいですねぇ
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!ビーストテイマー義久😧😧
@ゴールドユウスカイ
@ゴールドユウスカイ 7 месяцев назад
今まで紹介してきた武田や北条を思い出す流れですが、これで滅びないのが島津の強みですね。今後も期待してます。
@ゆっくり真実の戦国史
@ゆっくり真実の戦国史 7 месяцев назад
コメントありがとうございます!逆にグダグダ過ぎたのが良かったのかもですね。
@user-affffrussia
@user-affffrussia 7 месяцев назад
俺は島津義弘がファンだった。どうしても俺に気があるらしく、会ったら、おいどんは貴方じゃないのね?とある。この義弘の執着が裁判のツインテール娘の血液泥棒に結びついた話なのだ。
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