オーヴェール・スュル・オワーズはパリから北西へ33㎞、車で約1時間の所にある小さな村。セーヌ川の支流のオワーズ川のほとりに横たわっています。車で行くと、高台にゴッホが描いた教会の尖塔が見え、手前にオワーズ川がゆったりと流れています。川や木々、田園風景といった景観の美しさは印象派の絵画そのままです。
この地はゴッホの終焉の地として有名で、観光案内所もゴッホの絵柄の商品のオンパレードですが、実はゴッホよりも昔にシャルル=フランソワ・ドービニー、コロー、セザンヌ、ピサロなどがその美しさに魅了されて風景を描いています。特にドービニーは川に船を浮かべて移動しながら制作している時に、この村の美しさに惹かれ、アトリエ住居を建てたのだといいます。
ゴッホがここにやって来た2年前にドービニーは亡くなっているので、二人の接触はありませんが。
ゴッホがオーヴェールに来た目的は精神科医であり画家であり、印象派の庇護者とまで言われるほど芸術家たちと親交の多かったガシェ医師の診療を受けるためでした。テオがピサロからの紹介を得て、この医師を知ったためです。
アルルでの耳切り事件という凄惨な精神の病の発作の後、1年間サンレミー・ド・プロヴァンスの病院に収容されていたゴッホ。治ったとはいえ、またいつ発作が起きてもおかしくない状況でした。
電車でオーヴェールの村に着いたゴッホは、すぐにこの村が気に入りました。5月の明るい陽光の射す風景は、どんなに彼の心を癒したことでしょう。
純粋で一徹な彼はとりつかれたように毎日画材をもって村を歩き回って絵を描き、夜は部屋でそれを仕上げ、滞在70日間の間に80枚の絵を仕上げたそうです。
肝心のガシェ医師とは気が合わず、精神科の治療がうまくいったとは言い難いのですが、ここで数多くの素晴らしい作品を生み出せたことは、彼の画家としての業績にとっては得難いことだったと思います。
ゴッホの劇的で嵐のように激しい生き方、その執念さえ感じる絵画への傾倒、孤独と貧しさの苦悩には心が揺すぶられます。
銃痕の痛みにうなされ、亡くなった小さな暗い部屋。そこを訪れた人々はみな一様に言葉を失います。
ゴッホの絵のうねるような筆遣い、盛り上がった絵の具からはその前に立っていた彼の情念が今でも伝わってきます。
この村で命の炎が途絶えることを彼は知っていたのでしょうか。(私の意見は自殺ではなかったのではないか、と。様々な憶測の中からそう信じたいのです)
たった一人の理解者で庇護者だった弟テオ、どんなに苦しかったでしょう。彼らの並んだ墓を見ると胸が痛みます。テオの予言したとおり、兄フィンセントは人々にその早逝を惜しまれる偉大な画家になりました。
一方、ドービニーも忘れてはいけません。壁画が素晴らしいアトリエ住居も興味深いものです。こちらの家には家族や仲間の温かい愛があふれています。豊かな暮らしが伝わってきます。子供達との心温まる交流もさることながら友人も多く、孤独とは真逆の、人々の輪と笑顔の中にいた屈託のなさ。船を改造した独自のアトリエを水面に浮かべ、自由に楽しみながら自らの美の世界を追求した人だと思います。
今回の動画は何とも対照的なこの二人の画家たちを訪ねる旅になりました。
でもオーヴェール・スュル・オワーズの観光スポットはそれだけではありません。今回は修復中のため行けませんでしたが、ゴッホを受け入れたガシェ医師の家、オーヴェール・スュル・オワーズ城、アブサン博物館など、訪れる所は他にもあります。どうぞパリ観光のついでに足を伸ばしてみてはいかがでしょうか?
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3 окт 2024