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さて今回の動画でご案内するのはパリから車で30分ほどの近郊の町にあるマルメゾン城です。ここはメインとなる部分が17世紀初頭に建てられた瀟洒な城で、ナポレオンの最初の奥様ジョゼフィーヌさんが50歳で亡くなるまで住んでいました。
マリー・ジョゼフ・ローズ・ド・タシェール・ド・ラ・パジュリーというのが正規の名前ですが、愛称ジョゼフィーヌさんは1763年にマルティニクというカリブ海の島で生まれました。若くしてアレクサンドル・ド・ボアルネ子爵と結婚し、一男一女の子どもを成しますが気が合わずに離婚します。この元夫は、フランス革命時の恐怖政治の時代にギロチンで処刑されてしまったという人で、ジョゼフィーヌも投獄されるという目にあいますが、何とか命拾いします。この監獄内でルイ=ラザール・オッシュ将軍と恋仲になったというのですからなかなかしたたかで驚きです。
その後、生きていくためには養ってくれる男性を見つけなければならず、ジョゼフィーヌは数々の浮名を流しました。ナポレオンと結婚する前には、ナポレオンの上司であるポール・バラスの愛人になります。このバラスはナポレオンを副官とし、ヴァンデミールの反乱を鎮圧、総裁政府の一員となって出世街道を駆け上がります。しかしジョゼフィーヌに飽きたバラスは、部下のナポレオンに押し付けて別れたといいます。当のジョゼフィーヌはといえば最初は全くナポレオンに対して忠実でも愛情深くもないのです。年上の彼女にぞっこんだったナポレオンを袖に、恋多き女ジョゼフィーヌは男たちを振り回します。
という彼女なので、厳格だった母をはじめ、ナポレオンの実家からはジョゼフィーヌは疎まれ、良くは思ってもらえなかったとのことです。
しかしのちに離縁されるというころには、ジョゼフィーヌもようやく夫のナポレオンを認め、愛に気づき、失う代償の大きさに恐れおののいたことだと思います。
なんかこのジョゼフィーヌというチョイ悪で人間的な女の人を、私はどうしても憎むことができません。だってジョゼフィーヌがいたからこそナポレオンが頑張れたし、出世したと思えて仕方ないからです。軍隊の中でも彼女を慕う人が多かったというのもうなずけます。
音楽や芸術や花や動物を愛し、子供を愛していたジョゼフィーヌ。それに比べて次にお嫁に来たマリー・ルイーズの子ども(ナポレオン2世)に対しての振る舞いはひどすぎます。ほぼ放棄したあげく、彼は孤独の中で病死してしまうのですから。
ワーテルローで失脚し、セント・ヘレナ島に島流しになったナポレオン、亡くなるときの言葉が「ジョゼフィーヌ」だったというのはちょっとできすぎの逸話で眉唾だったにしても、ジョゼフィーヌに夢中だったころの日々は太く短いナポレオンの人生にとってどんなに幸せで充実していた時だろうと推測できます。
この素敵なマルメゾンのお屋敷で、色とりどりの花に囲まれながら、ジョゼフィーヌは何を思っていたのでしょう。そんなことを考えながら、お城を見学しました。
どうぞ私と一緒に、この貴婦人のおうちを一緒に回りましょう。
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29 авг 2024