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【写真で語る】日の丸を失った日本海軍機 

【写真で解説】イズコカメラ
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19 сен 2024

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Комментарии : 15   
@オリエンタル-r5w
@オリエンタル-r5w 27 дней назад
今思っても大戦末期に爆撃に晒されながらもよくぞ雷電・紫電改・疾風などを量産したものだと敬服いたします。
@koh631
@koh631 Месяц назад
シルバーの期待 … ベースのデザインが良いだけに何色でも違和感なく似合う✨
@user-zk1lk9ep5e
@user-zk1lk9ep5e Месяц назад
第二次大戦後の戦勝凱旋パレードを見たけど帝国海軍機がトレーラーに載せられボードが付けられ「敵の飛行機」や「エネミージャップス」と書かれてました。尾翼の形状から天山だけ良く覚えてます。アメリカは勝者として見せ物や晒し者との思惑もあったのかも知れませんが、天山他の日本の飛行機はとても大きく堂々として沿道のアメリカ人達の驚愕したような表情がとても印象に残ってます。動画の中に登場した東海は戦時中に九州飛行機雑餉隈工厰に女子挺身隊で動員されてた、ひい婆ちゃんの遺品の写真にコクピットがくしゃくしゃに潰れた機体の前で写ったのが有りました
@三浦英則
@三浦英則 2 месяца назад
アメリカ軍に鹵獲された零戦21、32、52型は徹底的に飛行テストされています。 アクタンゼロは復元修理の際に、中島式キャブレターの調整方法が不完全だったのか『背面飛行』で燃料供給量が不足して短時間しか背面飛行が出来ない『弱点』とされていますが、実際の『栄』は、背面飛行時でも燃料供給量が確保できる優秀なキャブレターで。 零戦や隼に高い空戦性能を与えた要因の一つでした。 アクタンゼロは不時着損傷した機体だった事とキャブレター調整不良の影響からか、速度性能は510㎞/h強程度の速度しか出ていないが。 高い上昇性能、370㎞/h以下での高い運動性能を高く評価している。 急降下性能は評価は低く『長く降下できない』として、零戦対策マニュアルに『零戦最大の弱点』として記載されたのだが。 実戦での21型は、米軍パイロットの報告から。 執拗に急降下で追いかけてくる零戦も確認されている。 実際、急降下テストで空中分解した経験を持つ零戦21型は、初期生産型は主翼外板増厚で対策して630㎞/hに改善(対策前は510㎞/hに制限)していて、更に21型の整備マニュアル(日本海軍の)には、急降下制限速度670㎞/hとも記載されており。 32型と同じ制限速度となっている。 実戦における零戦は、パイロットの証言から急降下制限速度を無視した飛行は常態化していた事が伺える。   具体的な数値はないが、興味深い逸話に『343空』の紫電改の急降下事故の原因究明の結果、紫電改の急降下制限速度796㎞/hを無視した事が原因と判明(制限速度を無視、更に急激な機体操作をして胴体が変形😰)。 空技廠の技官が『制限速度の厳守‼️』をパイロットに伝えたのだが。 パイロット連中は『零戦は制限速度を超えても壊れたことがない🤔』と反論。 技官が説明に苦慮したエピソードがある。 おそらく、零戦は700㎞/h以上の急降下は普通にできるだけの強度的な余裕はあったと想像できる。  ちなみに、紫電改の急降下事故の原因は、急降下速度が亜音速に近く、制限速度を無視して急降下した結果。 機体が部分的に音速に近づき想定した以上の負荷が働いたものと推測されています。 343空のパイロットに『音速による空気圧縮』の説明をしても、パイロット連中は『🤔?』と理解不能だった様子であったと言ってましたね。
@typhoonhawker6548
@typhoonhawker6548 2 месяца назад
3:35 零戦五四型についてですが、鹵獲接収機リストにも記載がないとされていますが、第二次世界大戦で連合国が鹵獲した機体をまとめたPhil Buttler氏の"War Prizes"によると、三沢基地で接収、アメリカに運ばれFE-311/T2-311のナンバーが付与され、1946年8月1日時点でオハイオ州のミドルタウン市の保管所に保管されており、9月18日に航空博物館に移管されたがそれ以上の記録はない、となっています。 また、同書籍の別冊写真集”War Prizes - The Album”では、1950年ごろパークリッジにおいてスクラップなったと思われる、とだけ記述されています。
@user-sp9ne7fd3q
@user-sp9ne7fd3q 2 месяца назад
日本軍の評価と鹵獲した米軍の評価の差が気になりますね。 例えば雷電は日本軍パイロットからは振動が大きいと不評でしたが。米軍の評価では振動に関する事は何も触れていない。 尤も大馬力エンジンを搭載していた米軍機から見れば普通の事だったのかも。 「日本機にしては居住性が良い」との評価も。でもこれは戦闘機の本質には関係ないけどね。
@三浦英則
@三浦英則 2 месяца назад
@@user-sp9ne7fd3q 残念なのは、雷電、紫電、紫電改、疾風の鹵獲戦闘機は 全て全力飛行テストができていません。 紫電、紫電改はマトモな飛行テストすら実施されていません。  雷電は飛行テストは実施されてはいますが、火星23型の故障で全開運転が不可能となり。 最大速度と上昇性能は諜報活動で入手した情報と推算で出されたデータです。 それでも、雷電は飛行特性は高い評価をされています、特にロール性能は日本戦闘機の中では優秀と評価していますね。 疾風は、アメリカ本国に少なくとも3機搬入されていますが、こちらも誉の不調で全開運転ができておらず、 飛行性能は推算でした。 最近、詳しく調べたRU-vidrさんがいて。 米軍の100/140オクタン価のガソリンでテスト飛行した事実も存在しない事が判明しています😔。 TAICでテストされた疾風は、日本陸軍の指定オクタン価である92オクタン価でテストされており機体側面に記入された注意書きにも『指定燃料は92オクタン価』と記入されている事実を発見しています。 鹵獲された日本軍用航空機をアメリカのハイオクガソリンでテスト飛行した事実は、どうやら『都市伝説』なようです。
@346チャンネル
@346チャンネル 2 месяца назад
54型はこの一枚しかないんですよね・・・。
@Izuko-Camera
@Izuko-Camera 2 месяца назад
背景を切り抜いた差分はありましたが、別になると全くですね。 給気口の違和感から合成写真説も国内外で語られていました。
@三浦英則
@三浦英則 2 месяца назад
@@346チャンネル 唯一、市販書籍で『54型』のカウリング図面を見る事ができるのは『学研歴史群像シリーズ零戦2』なのですが。 一次情報が不掲載なんです😔。 解説者が一次資料を知っている可能性がありますが、現在に至るまで『謎』のままで。 続報はありません🤔。 ネット上では『これが本物では?』と想われる写真が存在しています。 やや画質が粗いのですが、戦後に米軍が撮影した鹵獲機とおもわれる零戦が、カウリングが太く、カウルフラッフの排気管の切り欠き形状と排気管形状が若干違う写真があります。  この写真では、有名な写真の様にカウリング上面に大型の過吸器吸入ダクトは存在せず、極めてスマートな外形をしています。 撮影機材のレンズ歪みにも見えますが、個人的には本物の54型に見えます。 実際、戦後の一時期に出ていた54型の図面(簡易的なものですが)には、あの大型ダクトを設けた姿は描かれていません。 金星に合わせて『太く』なっただけでスマートな図面です。  可能性としては、54型の初期試作機は『大型ダクトがあった』そうなれば、学研書籍の図面の存在が真実味を増します。  そしてネット上で見つかった『太いスマートなカウリング』の零戦は、正式採用後の量産型とも想像できます。  主任設計者である、堀越二郎氏は当時、烈風に付きっきりだったので。 彼自身が詳細を知らない状態だったと想像できます。 何故なら、54型の試作作業は、青森県三沢基地で行われていたからです。 さらに残念なのは、烈風の試作機も最終的に三沢に空輸されるのですが(唯一無二の写真がそれです)、試作機パイロットとして権限を持っていた。 小福田少佐が、現存試作機の米軍への供出命令に対して強固に反発しており、烈風も零戦54型も実物が引き渡された形跡が一切ないのです。 烈風は横須賀に空輸された説もありますが、米軍側に記録が無いのです。 キ-83や震電、ターボ着き雷電の調査と写真資料を残した米軍が烈風を入手していれば、必ず記録があるはずなんですけどね🤔。  もしかしたら烈風も零戦54型も三沢基地周辺の海か湖に投棄されてしまった可能性があります。 それか、現存ある米軍三沢基地の敷地のどこかに埋められているかもしれません🤔。
@三浦英則
@三浦英則 2 месяца назад
最近は、別形状のカウリングの『零戦54型』と思われる写真が出ています尾翼に『29』の番号が記入された鹵獲された機体です。   『新日本機考』と言うサイトの魚拓ページでもイラストが掲載されています。 あの、有名な54型の写真は、最近は『アヤシイ』が定説になりつつあります。
@346チャンネル
@346チャンネル 2 месяца назад
@@三浦英則 『新日本機考』教えていただきありがとうございます。 あの有名な54型は一体なんだったのか?益々謎が深まりますね・・・。
@三浦英則
@三浦英則 2 месяца назад
@@346チャンネル キーマンは横空審査部の関係者として、終戦時まで『烈風』のテストパイロットを担当していた、小福田少佐だと思うのです。 終戦時に三沢基地には、烈風、零戦54型が実用テストの為に現存していたはずなのですが。 小福田少佐は、アメリカ軍に対する敵愾心から、試作機のアメリカ軍への引渡しを断固拒否しているんですよ。 烈風は数枚の写真のみが残されていますが、零戦54型は、写真すら公表されませんでした。  アメリカに渡すくらいなら、破壊してしまえ‼️と少佐が命令した可能性が高いです。 おそらく、関係資料は焼却(実際に、8/15以降に陸、海軍は軍事資料の廃棄焼却を通達してます)。 アメリカ軍が本格的に日本に進駐し始める9月以降までに、貴重な資料はかなり焼却されたと想像します。  ましてや、敵愾心が強い上官がいた部隊であれば尚更に徹底して廃棄活動をしたでしょう。 私の個人的な想像ですが、三沢基地周辺は湖もありますし、海も近いですから。 破壊して投棄しやすい環境です。 現在アメリカ空軍が使用している三沢基地のどこかに埋められているのかも?と想像しています。 現存しないとおもわれていた資料が、ヒョッコリ中古品に出たりする場合もあるので。 いつか発見されればよいですねぇ。
@asaki337
@asaki337 2 месяца назад
一式陸攻のコードネーム「ワンショットライター」じゃかなったの(笑)
@三浦英則
@三浦英則 2 месяца назад
@@asaki337 残念ながら、日本海軍の自虐ネタが真相なようです。 擦る(被弾する)と直ぐに火がつくことから。 『一式ライター』と言ったとか。 運用方法がね、悪すぎなんですよ。 確かに、雷撃が陸攻に求められた最重要任務だったのは事実だし。 イギリス東洋艦隊のプリンス,オブ,ウェールズとレパルスを撃沈した実績もあったのですが。  アメリカ海軍の防御砲火は段違いに強力で、雷撃任務に出撃した陸攻隊は大損失を被ります😢。  通常の陸上基地爆撃などでは、比較的に高い高度(7000m)を400㎞/h以上の速度で飛行するので。 意外と生還率が高かったりします。 爆撃任務での未帰還が多い原因の一つは、護衛の零戦が毎回少ないこともあります。  戦記を読むと、護衛機の少なさに驚きますよ。
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