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【古代史のタブー】日本の正史が書けなかった...初代天皇である天村雲とは? 

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日本神話や日本古代史の謎について深堀しています✨
#都市伝説 #日本古代史 #初代天皇 #古代史 #日本書紀 #古事記 #日本史 #神武天皇 #出雲口伝 #アメノムラクモ
今回は、初代天皇の正体!について紹介!
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1 май 2024

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Комментарии : 59   
@mayumi3300
@mayumi3300 Месяц назад
大変、面白く拝聴しました。 天村雲には別名がいくつかあって、 天二上命 後小橋命 天押雲根命 天牟羅雲命 などがあります。 実は、沢山の神社で お祀りされています。 天村雲が初代大王だと言うことを、 あえて隠したとなると、 ヤマトでは 名を変えてお祀りしていったと 思われます。 初代大王であるなら、 ヤマトでお祀りされないのは おかしくないですか?! 実は、上記で書いた以外に、 【御歳神】というのが、 村雲の別名です。 ヤマト政権発想の地・ 葛城地方に 沢山、お祀りされていますが、 葛木御歳神社は そのまま御歳神が主祭神ですね。 御歳神→村雲 大歳神→五十猛=香語山(村雲の父) 高照姫→五十猛の母(村雲の祖母) がお祀りされています。 高照姫は大国主の娘であり、 阿遅鉏高日子根神の妹です。 葛木御歳神社は 白雲岳の遥拝所であり、 わたしはここに村雲が 葬られていると見ています。 白雲岳の麓には 高天彦神社があります。 この神社は 高鴨神社の管轄にあり、 葛城地方の神社は 出雲一色でありながら、 高皇産霊神がご祭神という 異色の神社です。 神名備の白雲岳に 村雲を祀っていると考えます。 高天彦とは 村雲と言えない天孫を 表現していると感じます。 村雲は徐福の孫であるとともに、 大国主のひ孫にあたります。 大国主の御子である 阿遅鉏高日子を中心とする 西出雲族が全力でお支えしているように 見えます。 賀茂族の総本社である 高鴨神社をはじめ、 葛城は西出雲の香りでいっぱいです。 葛城國造の祖は 【剣根命】であり、 村雲を指します。 葛城氏は村雲の子孫となります。 村雲の死後、 後継者争いがあり、 タタラ五十鈴姫の御子が 大王を継ぐことになります。 敗れた子孫たちは、 丹波へ戻って海部氏へ 伊勢沿いへ出て尾張氏へ ヤマトに残った葛城氏 となります。 そして、 阿波へ出た勢力もあります。 阿遅鉏高日子を祀る 西出雲勢力であり、 阿波では阿遅鉏高日子根が 【事代主】と呼ばれていると 阿波に大変詳しい方が 教えてくださいました。 つまり、 東出雲の事代主と 西出雲の事代主 二人いるということです。 この村雲の子孫を中心とする 事代主西出雲勢力は 阿波の縄文の巫女家へ 婿入りします。 大宜都比売家ですね。 阿波の事代主神社の 御由緒を見ていただければ、 ヤマトからやって来たことが わかります。 時代もピッタリです。 粟凡直である 粟飯原家は 代々女系をずっと 護って来たのだそうです。 歴代の大宜都比売の血統に、 血筋の良い婿を迎えるのが 鉄則だといいます。 この家系は 大宜都比売命の子孫であり、 事代主の子孫でもあります。 つまり、 村雲の子孫が 阿波の縄文からの姫巫女家へ婿入りし、 その後の物部東征により、 阿波へやって来た物部とも 融合していったのが 阿波忌部氏となったと思われます。 村雲という 初代大王の血統を婿に迎え、 阿波忌部は村雲をお祀りしてゆきます。 求心力としては 抜群であっただろうと思います。 また、藤原氏が祖神として 村雲をお祀りしています。 天児屋根命の御子が 天押雲根命です。 【根】は大王級の重要人物に つけられる文字です。 春日大社で一番重要なお祭りは 【春日若宮おん祭】です。 村雲という名を出さずに、 天児屋根の御子=【若宮】 として、 お祀りを続けているのです。 シンボルは【剣】です。 藤原は中臣ですから、 度会氏へと続きます。 度会氏は伊勢中臣ですね。 物部の石上神宮も 【若宮】として 村雲を祀っています。 石上神宮の元宮である 【八つ岩】の伝承を見れば、 【出雲から飛んで来た剣】を 出雲建雄神社(若宮)で お祀りしていることがわかります。 皇室と縁深い 飛騨の【水無神社】は ご祭神が【水無大神】ですが、 これは【御歳大神】のことです。 戦後すぐに、熱田神宮から 草薙剣が一時的に避難しています。 村雲をお祀りする神社だとすれば、 筋がとおりますね。 あと、全国の真名井にいる 天二上命もそうです。 とても重要な神です。 水の循環 ⇅ を表します。 【雲】ですね。 天孫・ニニギとセットです。 つまり、天村雲は 名を変えながら、 沢山の場所で お祀りされているということです。 初代大王なのだから、 ヤマトにお祀りされるのは 必然と言えます。 名を伏せないといけなかったわけは、 前回動画に書きました。 阿波では ワンクッションあって、 大王家と直結しないので、 そのまま名を出せたと想像します。
@user-ze6gh3iy7z
@user-ze6gh3iy7z Месяц назад
凄すぎる〜♥
@mayumi3300
@mayumi3300 Месяц назад
@@user-ze6gh3iy7z さま ありがとう〜🐦
@user-sd2rq6hv4h
@user-sd2rq6hv4h Месяц назад
村雲の御子が後継争いした中で弟に譲って自分は忌み人になって援助するとした人物が阿波忌部ではないかと思っています。父を祀るのは当然で阿波にしか無いのも理解出来ます。
@new.histiry-key
@new.histiry-key Месяц назад
コメントありがとうございます♡ 天村雲命と忌部氏を掘るのも面白そうですね!
@user-gk8mk5fs9s
@user-gk8mk5fs9s 2 месяца назад
おもしろい!こんなお話大好き❤
@new.histiry-key
@new.histiry-key 2 месяца назад
コメントありがとうございます♡ 喜んでいただいて嬉しいです!
@metabo850mm
@metabo850mm Месяц назад
阿波の吉野川と奈良の吉野川、同じ名前の理由はこの話と関係ありますかね?
@lebaronde3204
@lebaronde3204 22 дня назад
三種の神器、草薙剣(天叢雲剣)に叢雲の名前が残っていて、他の文献には叢雲の話が残っているのに、記紀にその由来が全く残ってないことが、そもそも違和感。
@new.histiry-key
@new.histiry-key 20 дней назад
コメントありがとうございます♡ 天村雲剣がなぜ草薙剣になったのか?も不思議ですよね。
@user-qw3sb1my6e
@user-qw3sb1my6e Месяц назад
徐福は後の大国主ですよ。 側近が物部氏。共に伴ってきた大量の童男童女が日本人を形成。
@satokatsuUT
@satokatsuUT 2 месяца назад
射立→湯立→ユダ? まさかねぇ
@new.histiry-key
@new.histiry-key 2 месяца назад
コメントありがとうございます♡ 興味深いですね!
@user-nx3yv2vj9s
@user-nx3yv2vj9s 2 месяца назад
徐福は素戔嗚だったのですか?昔ドラえもんで八岐大蛇はナナまたじゃないの?という疑問がありました。今日は丹後も出てきましたね。
@new.histiry-key
@new.histiry-key 2 месяца назад
コメントありがとうございます♡ 出雲口伝では徐福はスサノオだとなってます。
@metabo850mm
@metabo850mm Месяц назад
道が二股に分かれていると言う時、道は何本でしょうか?
@nihontaro9
@nihontaro9 Месяц назад
徐福がスサノオだとは少し誤解されてしまいそうです。記紀に徐福の名前は出せないので、徐福の悪行を神界の高天原で狼藉を働いたスサノオの神話を創造して書いて徐福の事績を残した。と口伝には書かれています。徐福はスサノオと言う神さまではありません。
@user-sh8tc8xw7m
@user-sh8tc8xw7m 2 месяца назад
勉強になります。伊予風土記にも分かれた一部が天山になったと記載されています。それは何を意味するかの考察も期待します。工学博士お笑い芸人遼子規キンジロウ
@new.histiry-key
@new.histiry-key 2 месяца назад
コメントありがとうございます♡
@KM-hs8fu
@KM-hs8fu 2 месяца назад
天村雲命 神道五部書 第三巻 豊受皇太神御鎮座本記(国書データベース閲覧可能)にも記載在りますね。 一部抜粋 ・・・太玉命(忌部首上祖也、櫛明玉命兄也)捧太幣、 天村雲命(伊勢大神主上祖也、神皇産㚑(霊)神六世之孫也 阿波国麻殖郡に座す忌部神社 天村雲神社二柱座是也) 取太玉串奉仕天神地祇前後相従い・・・ つまり天村雲命は伊勢の大神主(渡会氏)の上祖であり、阿波国麻殖郡の忌部神社、天村雲神社に座す、、と。 いわゆる天氏(あめし あまし 天孫族)を冠する神で出自が阿波であると記載されているのは他には天日鷲(阿波忌部の祖也)もそうですよね。 出雲系に関しても事代主などは 率川神社 (正式名称 率川坐大神御子神社)(奈良県奈良市本子守町) 摂社 率川阿波神社 類社 伊賀國山田郡、伊豆國賀茂郡阿波神社、(各一座)下野國寒川郡阿房神社、 率川神社の由緒書に「奈良市最古のえびすさん」とも記される。 「HP 延喜式神社の調査より」 宝亀2年(771)冬、大納言藤原是公の夢に『吾狭井御子神也。汝の氏神建布都神と共に阿波国に住む。 今皇孫命の招集により建布都神とともに帝都に来臨す。建布都神は御笠山(春日大社か? 奈良県奈良市春日野町160)に、吾は率川の辺に住まんと思う。宜敷之を敬うべし』と。 公この夢告により、神殿を造り、阿波より勧請し、阿波神と云う」とあり、藤原南家との関係が深い。 ・・・とこのように社殿によると、宝亀2年(771年)に藤原是公(これきみ)が、夢のお告げにより阿波国より勧請したとあり、 三輪叢書(国立国会図書館デジタルコレクションより)コマ番号160p 率川若宮阿波神社(率川阿波神社)の項より一部抜粋 「同下卷曰阿波國阿波郡建布都神社一座、事代主神社一座小、」 とあるので、阿波郡建布都神社と事代主神社より勧請されたという事だと伺えます。 つまり宝亀2年 771年(8世紀後半)の段階においてさえ事代主も建布都神も阿波が本貫地(本籍地)であり阿波に住んでいた(事代主神社、建布都神社に)が、 朝廷が奈良へ遷都したことにより、いよいよ天孫族も出雲族の神々も畿内に引っ越し(勧請 御霊分け)をしようとしている段階が奈良時代なのではないのでしょうか。
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
すまん。なんでアメノムラクモ神社があるとそこが出身地という事になるのかがわからない。古後拾遺にはアメノヒワシの孫が阿波を開拓したとかいてあり、先代旧事本紀にはアメノヒワシは伊勢国造だと書いてある。普通に考えたらアメノヒワシの孫が阿波で先祖を祀ったという考えにしかならないように思うのだが。たとえば徐福、アメノホアカリやイソタケなど他の登場人物の神社とか子孫、伝承などが阿波にあるのなら納得するけど、その辺すべて丹後や出雲だからどうしようもないというか
@ernest-tachibana
@ernest-tachibana 2 месяца назад
@@malkotoisu9730 じゃあアンタは天日鷲は何処の神様だと考えてるわ訳?
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
@@ernest-tachibana アメノホアカリが丹後でその子のアメノカゴヤマ(高倉下、イソタケ)が熊野で、その子のアメノムラクモが?でその子孫のアメノヒワシは伊勢国造となると出身は結局紀伊半島あたりが有力に見えるけどなあ
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
@@ernest-tachibana もちろん阿波も近いから可能性あるとは思うが、文献からはどうしても孫が開拓したとしか読めないから
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
@@ernest-tachibana 大粟神社の宮司もオオゲツヒメは伊勢か来たっていってるんですよね。だから矛盾なくないですか?
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
神武天皇像は熊野の大台ケ原に立ってるけどね。話だけ聞いてると丹後の方が元じゃないかという気がしてくるけど、徐福が元なら
@new.histiry-key
@new.histiry-key 2 месяца назад
コメントありがとうございます♡
@user-ze6gh3iy7z
@user-ze6gh3iy7z 2 месяца назад
徐福が2度目に渡来してきた時に高照姫との間にできた子が五十猛君、徐福はその後自分が倭のトップになりたくてとんでもない事をしてくれたんよ、その事件後奴は中国に逃げ帰った。残された高照姫は越の国に激怒帰り高照姫の妹さんが五十猛君の面倒を見るようになって、そこでサイノ神信仰にハマって正月の神みたいなオオトシに憧れて五十猛君はオオトシ彦を名乗るようになった、多分長い名前のニギハヤヒさんは天津神に名前を変えられているかもです…分からんけど😂で、性懲りもなく、3度目に渡来してきた奴徐福は宗像家のお姫様を2度目のときと同じ様に誑かして孕ませ生まれた子がイツセだったかなぁ😅その姉ちゃんか妹がホヤ姫で、奴徐福はホヤ姫と五十猛君をくっつけて生まれた子が村雲君って伝承には書かれてるよ。村雲君の奥さんはタタライスズ姫様、出雲は母系家族性何で村雲君は今で言う婿殿って事だね。何で奴徐福はあっちいけポイかなぁ😂因みにイツセは記紀だと神武の兄って事だけど嘘だね、イツセの弟はウマシマジって書かれてる。阿波の村雲神社は多分物部系が作ったんじゃないかなぁ、何でか???村雲君は出雲海部物部のトップ即ち倭の初代大王になったから物部系が村雲君を神としても問題ないってことだね~あァ〜そうだ五十猛君の奥さん出雲神門の臣家のクシヒカタ君(多分アジツキタカヒコネ?アジスキタカヒコネ? だったかなぁ)の妹さんが奥さんだね。出雲は母系家族性って言う割に女性側の話が殆ど出てこないんだけど、多分祭祀即ち倭のヒメミコ様🎉
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
阿波に物部がいるのか?忌部の間違いじゃ?
@user-ze6gh3iy7z
@user-ze6gh3iy7z 2 месяца назад
@@malkotoisu9730 忌部は出雲の富家の分家なので。物部系は3度目に渡来してきた徐福とその子孫が九州を乗っ取りハヤテ族を飲み込んで、四国太平洋側(瀬戸内は簡単に攻撃される?)を通って倭に入ってきたイツセを倭系が阻止したって感じで伝承には出てますね。
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
@@user-ze6gh3iy7z よくわからんが、ムラクモは富家の子孫じゃないの?物部の子孫なのか?
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
@@user-ze6gh3iy7z アメノムラクモの母親が物部か。そうするとアメノヒワシは物部でもあり忌部でもあるということか?ややこしいな。普通忌部としか思わんけど。
@user-ze6gh3iy7z
@user-ze6gh3iy7z 2 месяца назад
​@@malkotoisu9730お疲れ3です。富家の子孫でもあるってのが正解だと思いますよ。まぁ〰奴徐福は嫁さん子供を捨てて中国に逃げ帰ったから。出雲は母系家族性ってのもあるし、五十猛君は出雲東王家の富家の子孫で良いと思いますよ。その五十猛君(オオトシ)の子供なんで、いくらホヤ姫との間に出来た子供っつっても出雲系だと思う。徐福系は父系家族性らしいし、なんで〜村雲君も五十猛君の影響が強く出てる所を見ると出雲系となるんじないかなぁ~
@malkotoisu9730
@malkotoisu9730 2 месяца назад
先代旧事本紀を信用するんなら、アメノヒワシの孫が阿波を開拓したあと、その地に先祖のアメノムラクモを祀っただけの話になってしまいそうだが
@new.histiry-key
@new.histiry-key 2 месяца назад
コメントありがとうございます♡