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【小山城】日本唯一の三重の三日月堀を持つ武田の城 

moka studio2020
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moka studio2020です。この動画は、小山城について説明した動画です。
小山城は、駿河国と遠江の国境となる、大井川の右岸、河口近くの丘陵上に築かれた城で、遠江国の東端に位置しています。この丘陵は、牧ノ原台地の支脈である南原台地で、小山城はこの丘陵の東南端に築かれています。南原台地は、低地との比高差が30~35mと大きく、さらに丘陵の北と東は川で隔てられており、自然地形を上手く利用して築かれています。
小山城の前身は、今川氏によって築かれた山崎の砦です。1560年の桶狭間の戦いで今川義元が討死すると、氏真が今川の家督を継ぎますが、駿河・遠江の国は、徳川家康と武田信玄の草刈り場と化していきます。信玄と家康は、大井川を境界として駿河を信玄が、遠江を家康が領有すること取り決めます。しかし1568年、信玄はこの約束を反故にして遠江に侵攻し、山崎の砦を攻略します。1570年、家康は松平真乗を派遣して山崎の砦を落とすことに成功します。翌1571年に信玄は再び山崎の砦を攻撃し、再奪取することに成功します。信玄はこの城を小山城と名付け、馬場信春に命じて大改修を施し、現在残る小山城を築いたとされています。小山城は、信玄による遠江侵攻の最初の橋頭堡としての役割を果たし、高天神城攻略のための拠点となったのです。
小山城の特徴は、何といっても三重の三日月堀をはじめとした、何重もの堀と土塁で防御を固めた、武田らしい縄張ではないでしょうか。後年家康の軍が攻め込んだ時も落とすことは出来ませんでした。最終的には1582年の信長と家康による甲州征伐が開始されると、戦況の不利を悟った兵たちにより放棄され、自落します。
【関連サイト】
吉田町ホームページ
www.town.yoshid...
らんまる小山城
ranmaru99.blog...
城旅
sirotabi.com/7...
ニッポン城めぐり
cmeg.jp/w/cast...
武田家の史跡探訪
www.zephyr.dti....
#小山城 #武田信玄 #戦国時代 #山城

Опубликовано:

 

5 сен 2024

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