夏目漱石『こころ』を読み続けます。今回はご覧くださった大学時代の恩師が「夏目漱石はなぜこの小説のタイトルを『こころ』としたのだろうか」「語り手はどうして『先生』に強い関心を持ったのだろうか」という疑問を口にされたのですが、その疑問への私なりの答えが得られたように思ったので、関連する箇所の朗読と共にお話しさせていただきました。
結論を述べると、私は「こころ」という小説のタイトルが、遺書を通じて語られる「先生」の「精神」を表すと同時に、「先生」の「心臓」を表しているのではないか、その心臓が象徴する「命」とのダブルミーニングなのではないかと考えました。その根拠が「下 先生と遺書」の冒頭で、ここで「先生」は、自らの過去を説明することで若い語り手に何らかの知識を与える行為を、心臓を破って生き血を飲ませる、と喩えています。
これがまた、「語り手」が「先生」に強い興味を持った理由でもあろうと思います。「語り手」は大学の教員などよりも「先生」の方が重要なことを教えてくれていると感じており、それは「先生」が語ることが「先生の過去が生み出した思想だから」重視するのだ、と述べています。ごく早い段階(きっと鎌倉の海辺で出会って数日のうち)から、語り手は「先生」が、何か他の人間とは違う命を生きる人で、その命に根ざした知性を持った人だと直感したのだと思うのです。
知識や知性とはどうあるべきなのか、そして倫理とはどういうものなのか、といった事も言及しました。これについては、また別途、論じたいなと思います。
また、最後10分ほどは中高生さん向けの、学習への姿勢を論じています。
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8 окт 2024