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【復刻版】1925年(大正14)の上野駅時刻表を見てみよう!(上野駅時刻表) 

ほらいん91号
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23 окт 2024

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Комментарии : 77   
@masahatsu8920
@masahatsu8920 Год назад
上野から横川、さらに米原までの各駅停車夜行普通は修業すぎる
@TSUYOS185
@TSUYOS185 Год назад
貴重な動画をありがとうございます。私の先祖はこの頃鉄道省に入り、戦前から戦後の輸送に携わる一員でした。 100年前は今とは想像のつかない列車が多数出ていたことがよくわかります。 東北線のエース急行の停車駅のところですが、白石は「しろいし」、槻木は「つきのき」です。 小牛田は今も小牛田であり、古川駅とは別の場所です。東北新幹線が出来るまでは陸前古川という駅名でした。
@sub_HoLine
@sub_HoLine Год назад
補足説明ありがとうございます!
@takumanagai2555
@takumanagai2555 Год назад
私の母が大正14年 静岡市の生まれでして、2歳の時、父親の仕事の関係で弘前市に行って3年暮らしたんだよと生前話したのを思い出しました。 今、この動画を拝見し静岡から東海道本線で東京に出て、上野から長駆青森まで、そして弘前へと考えますと、恐らく丸2日以上を費やして蒸気機関車に引かれた客車に乗った移動の大変さを強く認識しました。 母自身、幼少の為、何をして過ごしたのか記憶は無かったでしょうが、貴重な時刻表 有難うございました。
@にしどん-b8u
@にしどん-b8u Год назад
小牛田は、今も昔も小牛田では?
@abejuku
@abejuku Год назад
素敵な調査ですね。小牛田駅と古川駅は違う駅です🙂
@たかさん-o5x
@たかさん-o5x Год назад
奥羽本線の赤岩・板谷・峠・大沢は難所の板谷峠を登って行く為、4連続スイッチバッグがあり、その都度停車していました。今でも遺構が残っていて、山形新幹線がその側を走っています。峠駅では峠の力餅が有名で昔の駅弁売りのようなスタイルで販売しています。  庭坂駅にはかつて庭坂機関区があり、急な板谷峠を補助の機関車をつけて登っていました。
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Год назад
この当時の板谷峠区間は単線非電化でスルー構造でなかったために、優等列車でもスイッチバック構造の赤岩・板谷・峠・大沢に停車していました。 ちなみに板谷峠区間の電化は1949年(ほぼ同時にスルー構造となり優等列車の通過が可能になる)、複線化は1971年に完成します。
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Год назад
この当時に青春18きっぷのような乗車券があれば、利用客はウハウハでしょうね。ただ車両に冷房がないのと、蒸気機関車牽引の客車なので下車する際には全身煤まみれになりますが。
@ガクガク-o5u
@ガクガク-o5u Год назад
ホームの洗面所で顔洗って、駅そば食って、今より乗り鉄に集中できますね。
@suzuki-yuu
@suzuki-yuu Год назад
白石を「しらいし」と読んでいましたが正しくは「しろいし」です。
@すかいらーく-q2u
@すかいらーく-q2u Год назад
横川から終点米原までの各駅です。 なんというパワーワード!! 現在、横川からは無理だけど、軽井沢から米原まで直通したら、18キッパー悶絶でしょうね!!!
@権三郎平衛
@権三郎平衛 Год назад
戦後の昭和20年代くらいの東北方面の時刻表を昔見たことがありますが、基本的な列車の経路、行先は、けっこうこの時代のものが引き継がれているのがわかりました。上越線が全通するのが1931年(昭和6年)だから、まだこの時代はこの部分がないですね。
@鵺屋敷の管理人鵺太郎
Wikipediaで調べましたら、上越線全通は1936(昭和6)年。信越本線は横軽旧線経由ですね。電化はされていても、アプト式で輸送力は低かったみたいです。 長距離の普通か、快速列車が主体で、急行列車は数える程ですね。それに、一等寝台車を利用出来る階層は、所謂支配階層と呼べる人ばかり。
@takana4381
@takana4381 Год назад
中卒上京組で年月が経って帰郷する際、急行の二等(のちの一等)乗車が成功の証だった様ですね。今なら新幹線のグランクラスで帰郷する様なものでしょうか。
@マイテ-x8o
@マイテ-x8o Год назад
13時発の急行が何故に1等や洋食堂車なんて豪華編成だったかというと、青森行の重要要素である北海道連絡ではなく更にその先の樺太連絡を視野に入れておりその関係でこんな豪華編成になった。戦前最盛期のダイヤになるころには1等・洋食堂車連結は東海道・山陽筋のみになり、和食堂車と2等が主流の編成にはなるがそれでも和食堂車ではこの列車のみ洋食堂車のメニューも提供されたり、1等並の設備が着いた2等が連結されたり、表定速度も60km越えをしていた(表定速度に関しては戦後のはつかり誕生まで破られなかった程) 実際問題連絡船を挟んでの函館側での連絡列車も稚内行となっており、その列車も頭がおかしく当時の主流である山線経由ではなく室蘭本線を経由し、更には沼ノ端から岩見沢まで札幌を無視しショートカットをしてたレベル。(一応長万部で山線経由の札幌行編成を切り離してた )
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew 6 месяцев назад
小樽経由だと所要時間が1時間ほど余計にかかり、上野~豊原のダイヤがうまく組めないので、まあ苦肉の策ですね。 でも、上野~札幌や、小樽・札幌~豊原の需要もあるので、 長万部で分かれた小樽経由の札幌行きが小樽に着く1時間前に、小樽発の列車を設定し岩見沢で稚内行に接続させたりしていました。 1等車廃止以前は、上野~旭川の高級需要(旭川師団長など)を満たすため 函館~釧路の急行に連結された1等車を滝川で解結しており 小樽~稚内の別の列車に「滝川旭川間一等車あり」というとんでもない表記がなされていました。 限られた列車資源をやりくりするのは大変です。
@moto1269
@moto1269 Год назад
戦前時刻表は持っていないため、動画大変興味深く拝見しました。例えば機織(1943年6月東能代に改称)は知りませんでした。 常磐線経由の東北方面列車も合わせて知りたいところですね。 気が付いたところで1974年頃も東北線の始発は日光行5:13で宇都宮で黒磯行に乗換でした。 白石はしろいし。槻木はつきのき。小牛田は陸羽東線旧陸前古川駅とは違い、東北本線と陸羽東線、石巻線の分岐駅です。 信越本線柏原はかしわばら。下野豊原は(たぶん)しもつけとよはら。
@sub_HoLine
@sub_HoLine Год назад
補足説明ありがとうございます!
@鈴木元-b7n
@鈴木元-b7n Год назад
この頃はまだ清水トンネルが開通する少し前で、新潟へ向かうのに信越線や磐越西線を大回りせざるを得ず、そのところが御殿場経由時代の東海道ルートと比べて奇妙に感じてしまう。。。
@hokutoseiexpress372
@hokutoseiexpress372 Год назад
昔は「快速」の種別はなくて、急行の下に「準急(準急行)」がありました。 それでも、普通列車扱いだったのかも?ですが。。。
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew 6 месяцев назад
戦前の準急は、速達料金不要です 愛称もついていません (現地では勝手に「黒潮」みたいにつけていたりしましたが、現地が勝手にやっているだけ) 戦後は準急料金が必要です
@alooga555
@alooga555 Год назад
臨時列車として快速青森行を復活して、中川家の二人に乗車・レポしてもらいたい。
@こちたんぱぱ
@こちたんぱぱ Год назад
宇都宮行きを除く、遠距離便の「快速」のバラエティに富んだ停車駅設定が面白いですね。今だったら種別や列車名ごとに揃えられてしまうのでしょうが、個人的には18時発の青森行きが地縁があって度々訪れている栃木県北部から福島県内にかけて都合がいい駅を網羅しているので、いま走っていたらありがたいなあと思う列車です。
@横本圭吾
@横本圭吾 Год назад
下野豊原駅とは、当時樺太に豊原駅があったからですか!時代ですね
@5151ama
@5151ama Год назад
この当時に夜行急行で長距離移動してた人ってどんな人なんだろう。 国の機関の偉い人とかかな。
@はごいた
@はごいた Год назад
1:56 小牛田は昔も小牛田なのでは…?(現古川ではないのでは) ・古川駅は開業当初から陸羽東線の駅で、また、そもそも陸羽東線は東北本線の約20年後にできた比較的歴史の浅い路線です。 その背景を踏まえると、古川市街近くに駅ができたから、それまでの古川→小牛田と改称するなら納得できますが、小牛田→古川の改称は考えづらいです。 ・歴史上、古川町(現大崎市の一部)と小牛田村(現美里町)はずっと隣町同士で、駅名が改称されるのは考えづらいです。 古川に住んでいた人間として気になりましたので、レスします。認識違いありましたら申し訳ないです。
@yuzz7862
@yuzz7862 Год назад
2:27 この当時はまだ丸森線も無いのに 何で槻木に停車したんだろう 岩沼は常磐線があるからまだしも 昔は5線あったから待ち合わせも兼ねた停車なのか
@moritatsu5574
@moritatsu5574 Год назад
宮城の白石はしらいしではなく しろいしです。
@tfmsol316
@tfmsol316 Год назад
声と喋りが良い 今後も投稿オネシャス!
@shigeomatsuo
@shigeomatsuo Год назад
当時は王子経由なのですね、尾久駅(尾久車両センター・当時は尾久客車区?)はいつ頃できたのでしょうか
@スイス鉄道のように
モータリゼーションが起こる前、鉄道最盛期の昭和30年代における福島駅の下り時刻表を見たいです。特に奥羽本線❗ 現在、普通列車は6往復で、「往時と比べて見る影もない」とよく言われるけど、ホントにそうなのか... 確かめたいです😄
@太田拓也-z9y
@太田拓也-z9y 9 месяцев назад
「上野行き列車の始発駅」に話を転換しますと、後年明石や(川西)池田から北陸新幹線ルートで上野行きというのがありました。しかし一番のゲテモノはなんといっても南風崎発上野東京ライン経由上野行きの引き揚げ列車でしょう。
@cup77jp
@cup77jp Год назад
新潟港から半島へ行く連絡船に接続する「弾丸列車」があったと思うのですが、上越線廻りでなかったのでしょうか?
@Mrbrokenrobot
@Mrbrokenrobot Год назад
この頃だと常磐線経由の東北方面列車もあり、実際は仙台以北への列車がもう少し多いのかなと思います。
@ゆういチャンネル-r3i
米原と言ったら東海道線なのに何故か別の経由で行っているとは思わなかった。
@nekomimipanda1062
@nekomimipanda1062 Год назад
上野から青森まで17時間30分 まさか現代でもカシオペアがそれくらいではしっているとは時間だけみたら大正にタイムスリップしてますな
@kojis2461
@kojis2461 6 месяцев назад
白石はしろいしです
@kojis2461
@kojis2461 6 месяцев назад
つきのきです
@Michi6618
@Michi6618 Год назад
白石(しろいし)です しらいしではありません
@perman103
@perman103 Год назад
北陸新幹線できてぼろぼろになったけど、直江津、糸魚川、泊、高岡は昔から発展してたんだなぁ。
@EuroBitamin
@EuroBitamin Год назад
普通列車は各停やないっていう名残はこっから既にはじまっとたという恐ろしさ
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew 6 месяцев назад
言語的に考えても「普通」とは単に「特別ではない」という意味に過ぎず、「全ての駅に停車する」という意味はないですからね
@マイテ-x8o
@マイテ-x8o Год назад
上越線全通までの東京対新潟間は横軽の制約がある信越本線経由ではなくなんら制約のない磐越西線が基本だった 実際信越本線経由の夜行急行よりも磐越西線経由の夜行普通の方が所要時間的には速かった位
@SAKUSAKU226
@SAKUSAKU226 Год назад
昭和5年10月号だと磐越西線経由普通新潟行403列車は上野0720発新潟着1910の11時間50分(上野から磐越西線経由の新潟行はコレ1本)、 信越線経由の急行金沢行を直江津で乗り換えるパターンだと上野1925ー0323直江津0330ー0618新潟着だったので10時間53分 逆の新潟1922発磐越西線経由上野行902の上野着は0720で11時間58分、信越線急行302は新潟発2130で上野0900で11時間30分 書いてることが合わない・・・・  無論昭和5年なので上越線は水上~越後湯沢間は開通してないのだが・・・・ 磐越西線経由の夜行普通があるのは新潟発しかないのでコレが比較だと思うんだけどなあ
@gingaexpress6539
@gingaexpress6539 Год назад
横川から米原まで各駅停車…強烈すぎる…。
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew 6 месяцев назад
横川には一駅足りませんが、1968年まで、軽井沢~米原の普通列車ありましたよ
@gingaexpress6539
@gingaexpress6539 6 месяцев назад
@@user-nak7etahew さん これも強烈な普通列車ですね! それにしても信越本線経由で東海道へ向かう列車って、当時どのくらい需要があったのか興味深いです。
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew 6 месяцев назад
@@gingaexpress6539 座席車のほうは、複数の短距離区間需要を一本の長距離列車でまとめただけでしょうね。 軽井沢~長野とか、富山~金沢とか。 郵便車・荷物車のほうは、もう少し長距離を輸送していると思います。 なので、細切れに系統分離しないでまとめて長距離を走るほうが、全体としては効率的だったのだと思います。 短距離運転に系統分離され始めたのは、郵便車や荷物車の需要が減り始めたからでしょうね。
@shigeomatsuo
@shigeomatsuo Год назад
東海道線が御殿場線経由の時代の熱海線国府津ー熱海間の時刻表が知りたいです、年月はいつでもいいです。
@ボラセン小泉
@ボラセン小泉 Год назад
朝の新潟行きの普通は、かなり後ろの時代迄有った様な… 朝の高崎行きの客レが高崎からは長野、長野から新潟行きとなって、それが折りかえして来る
@太田拓也-z9y
@太田拓也-z9y 9 месяцев назад
上越新幹線開業時の廃止なので信越線経由の必要が無くなってから50年以上残っていたことに。
@夕陽に照り映えて
@夕陽に照り映えて 10 месяцев назад
横川から先は、終点「米原」まで… 各駅に… 止まります😱
@くまさん-j4b
@くまさん-j4b Год назад
白石はしろいし、槻木はつきのきと読みます
@shigeomatsuo
@shigeomatsuo Год назад
現在は廃止された日光行き直通列車の存在
@にしどん-b8u
@にしどん-b8u Год назад
あと、福島~米沢の間の停車駅は、スイッチバックが要因ではないかと
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Год назад
そうだと思います。 当時の板谷峠区間は単線でスルー構造でないために、優等列車も赤岩・板谷・峠・大沢の4駅に連続して停車していたのでしょうね。 仮にスルー構造に変えられたとしても、最大勾配38‰が20数キロ続くあの峠を連続走行はできないと思われるから、スイッチバックの4駅連続停車は「必要悪」だったのでしょう。
@真喜志宏美
@真喜志宏美 Год назад
奥羽本線経由青森行急行の福島~米沢間の小駅への停車は連続スイッチバックが理由です。それよりも陣場なんて今じゃ何もないところに・・(これも補機連結のため)
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Год назад
その通りですね。 当時の板谷峠区間は単線でスルー構造でない(現在だと肥薩線の大畑駅や真幸駅等が該当する)ために、優等列車も赤岩・板谷・峠・大沢の4駅に連続して停車せざるを得ないダイヤとなっておりました。これら4駅の通過が可能になったのは1949年の直流電化の時です。裏を返せば、蒸気機関車では力不足でスルー運転などとてもできなかったのでしょう。
@太田拓也-z9y
@太田拓也-z9y 9 месяцев назад
昔は運転停車の概念が無く、あの特別急行富士でさえ深夜の瀬野駅に停車してました。白鳥の「能生騒動」も業務用時刻表を見た人がドアを開けないなんて想像できなかったから起きました。
@真喜志宏美
@真喜志宏美 9 месяцев назад
@@太田拓也-z9y 運転停車自体は鉄道創設期からあったような・・・ 運転停車の場合はダイヤ混乱時は停車せずに通過となることも有るわけで、走行しながらの通票交換を行うようになってからは優等列車(特に高速貨物)でよくやったようです 一方。瀬野駅など補機連結を行うところは停車省略ができないので、概念が異なるとかって昔の資料で読んだ記憶が
@shigeomatsuo
@shigeomatsuo Год назад
塩釜行きも興味あり
@vfuvxra5966
@vfuvxra5966 Год назад
槻木は、つきのき な
@厚太朗伴
@厚太朗伴 7 месяцев назад
関西線の名古屋駅の大正時代の時刻表を知りたいです
@kema_channel
@kema_channel Год назад
下野豊原(しもづけとよはら)ですね
@toyo-rex4899
@toyo-rex4899 Год назад
当時樺太と台湾にそれぞれ「豊原」という駅があったから、それと区別するために1925年4月に本土(栃木県)の「豊原」に旧国名「下野」をつけて「下野豊原」に改称、戦後の1948年に元の「豊原」に戻されて現在に至ります。
@kojis2461
@kojis2461 6 месяцев назад
槻木はつきのきです
@1lupus279
@1lupus279 Год назад
宇都宮線じゃなくて両毛線使って上野から小山行くのかよ…。
@shigeomatsuo
@shigeomatsuo Год назад
信越本線経由の新潟方面行きの存在
@user-nak7etahew
@user-nak7etahew 6 месяцев назад
そもそもそういう目的で建設されたことが線路名称に表れていますね
@英昌田中-x3g
@英昌田中-x3g Год назад
昭和の始めごろ の時刻お願い致します。
@キャンディーぺろぺろ-p3m
栗橋を(くりばし)ではなく (くりはし)です
@tomymasu
@tomymasu Год назад
下野 = しもつけ
@青春を謳歌するメダカ
@青春を謳歌するメダカ Месяц назад
奥羽本線経由急行青森行きの停車駅、動画でも触れられてるけど、現代人からすると意味不明だよ笑 庭坂から大沢までの連続停車・他の駅を差し置いて陣場と大釈迦に停車 わけわからん笑笑笑
@いちかわさとる-b8w
@いちかわさとる-b8w Год назад
常磐線の、時刻表
Далее
1925年の東京駅時刻表を見てみよう!
6:22
Меня знают уже все соседи😅
00:34