日本代表が参加した以下の全ての主要大会のフォーメーションと所属クラブを収録しています。
主要大会一覧
- ワールドカップ 予選&本戦
- コンフェデレーションズカップ
- アジアカップ
- コパアメリカ
- オリンピック 本戦(本戦に出場しなかった場合は予選を収録)
上記主要大会以外にも以下のフォーメーションを収録しました。
- 1917年 日本代表初試合(極東選手権大会)
- 1930年 極東選手権大会
- 1940年 東亜競技大会
- 1994年 ファルカンJAPANのアジア大会
- 2002年 ジーコJAPAN初戦の黄金のカルテット
注釈 ###
1. 画面右上の勝敗数について
フル代表の累計勝敗数 => 国際A、B、Cマッチ全ての合計です。
- 国際Aマッチ:対戦相手がFIFA加盟国のフル代表
- 国際Bマッチ:対戦相手がFIFA加盟国のフル代表以外の代表(五輪のアマチュア代表やアンダー世代代表など)
- 国際Cマッチ:対戦相手がFIFAに加盟していない団体(クラブチームや地域選抜など)
五輪世代の累計勝敗数 => 年齢制限が導入された1992年バルセロナ五輪世代以降のU-21からU-24までの合計です。
- 五輪開催年のU-23
- 五輪前年のU-22
- 五輪前々年のU-21
- 東京五輪2020世代はU-21からU-24まで
*ノックアウトトーナメント戦において、120分間で同点の場合はPK戦の結果に関わらず、引き分け扱いです。
2. 情報の不足分について
以下の4件については人物の顔、クラブのエンブレムが不明なため、別の画像で代替しています。
- 直木 和(1940年に登場)
- 神戸クラブ(1940年)
- 六甲クラブ(1954年)
- 大阪クラブ(1954年)
以下の6名の出身都道府県については、確定的なソースを持っていないため、表示していません。
- 本田 長康(1930年に登場)
- 笠原 隆(1940年)
- 直木 和(1940年)
- 篠崎 三郎(1940年)
- 佐々木 康治(1959-61)
- 高林 敏夫(1976年)
3. 1997年のW杯予選フェーズについて
1997年のW杯最終予選の標準メンバーと画面右上の勝敗数は、
(最終予選8試合)+(イランとの第3代表決定戦)= 計9試合からなるものです。
画面スペースの都合上、イランとの3決の説明を省略しています。
4. 社会人・学生混成チーム「東京帝大LB(1930-1936年に登場)」、「WMW(1936-1954)」、「慶応BRB(1956年)」について
特に戦前は実業団に有力なサッカー部が無い時代でした。
そのため、大学卒業後もサッカーは大学でプレーし続けていた有力選手もおり、社会人・学生混成チームを結成して国内大会に出場していました。
5. 「東京高等師範学校(1917年に登場)」と「東京文理科大学(1936年)」は現「筑波大学」の前々身にあたる学校です。
6. 標準メンバーについて
大会毎に各選手が何分間出場したのかを、データサイトで集計しています。
この動画における標準メンバーは、その出場時間をベースとして決定したものです。
7. 大会期間内の移籍について
日本の大会最終戦までに、選手が新しいクラブへの移籍が決まった場合には、その移籍先を選手の所属クラブとして表示します。
8. オフシーズンに開催された大会におけるローン選手の所属クラブについて
日本の大会最終戦までに新しいローン先が決定した場合は、その新しいローン先を所属クラブとして表示します。
一方で、直前のシーズンにローン移籍していた選手が、書類上はローン“先“からローン“元“へと所属が戻っていた場合であっても、
ローン“元“のチームに合流して練習参加するなどの所属実態が無く、大会終了後にそのまま再ローンされた場合には、もといたローン“先“を選手の大会中の所属クラブとして表示します。
参照 ###
tokuou.s500.xrea.com/
www.atsushi-masuda.com/football/
ほか、当時の紙媒体の記事・雑誌や映像など。
MUSIC ###
Reflections by Markvard - / reflections
Age of Wonder by Scott Buckley - www.scottbuckley.com.au/libra...
2 июн 2022