Japanese train running sound and view in the car.(NAGANO/JR-East/Series E127-100/TOYODENKI-VVVF)
JR東日本E127系100代の中央本線辰野支線・辰野→塩尻間の走行シーンです。VVVFは機器更新により東洋電機製IGBTのSC102A形を使用しています。
・栄枯盛衰、大八回りが残したもの
中央本線建設が進む明治後期、1894年には名古屋を目指すルート計画は木曽谷経由で決まっており、1905年に岡谷まで開業すると以西の塩尻へ至るルート採択は大きく政治に振り回されることになりました。地図を見て分かる通り、政府側は最短直線距離で塩嶺トンネルを通る現・みどり湖ルートを推したのに対し、地元伊那出身の伊藤大八衆議院議員が独断で「辰野経由」の議案書を議会に通してしまい、1906年に辰野を迂回するルートで塩尻まで開通することになります。俗に「大八回り」と呼ばれるこの政策は、のちに飯田線となる地元私鉄の伊那電軌が1909年に辰野で中央本線に接続し、伊那谷地区の発展に寄与したことは確かだったようです。しかし特急あずさをはじめ松本方面への速達化にネックとなり、岡谷から約6kmの塩嶺トンネルを掘って1983年に現みどり湖ルートを開業、特急あずさは23分もの所要時間短縮を実現しました。これにより岡谷〜辰野〜塩尻の旧ルートは本線の役目を終え、辰野駅周辺は昭和から時間が止まったままのような雰囲気が残っています。辰野は飯田線の終点でJR東日本とJR東海の境界駅であるものの、みどり湖経由で流動を失った塩尻方面より伊那〜岡谷方面の方が圧倒的に旅客流動が多いことから運転系統は辰野で分けられ、岡谷〜辰野は実質飯田線の一部のようになっています。残る辰野〜塩尻間は普通列車のシャトル運転で、かつて「ミニエコー」と呼ばれたクモハ123-1の持ち場でしたが現在はE127系のワンマン運転です。今では線内で列車交換はありませんが、途中の小野駅にはかつて9両編成の特急あずさが対向した広い構内ホームが残っていました。
10 окт 2021