Тёмный

【歴史解説】ゆっくり大江戸109忠臣蔵と日本人「法より情」の時代【江戸時代】 

tera sen ゆっくり大江戸
Подписаться 90 тыс.
Просмотров 64 тыс.
50% 1

サブチャンネルはこちら / @zerosen1868
Twitterやってます httpd:// tera_sen
※この動画は東方Projectの二次創作であるゆっくりキャラを用いた解説動画です。またキャラ素材【ゆっくり魔理沙改】の改変素材を個人的に作成、使用していますのでご了承下さい

Опубликовано:

 

29 май 2022

Поделиться:

Ссылка:

Скачать:

Готовим ссылку...

Добавить в:

Мой плейлист
Посмотреть позже
Комментарии : 150   
@terasen
@terasen 2 года назад
冒頭で魔理沙が時代が100年下ってると言う会話がありましたが、正確には100年上っているが正しい言い方です。訂正してお詫びいたします
@kenken-world
@kenken-world 2 года назад
勉強になりました。ゆっくりの守シリーズの続編もお待ちしております。
@user-xc7bh9en1k
@user-xc7bh9en1k 8 месяцев назад
忠臣蔵は客観的に見てテロリストを美化した物語にしか思えない!
@user-se8kj8xx7v
@user-se8kj8xx7v 2 года назад
普段はお上のいう事に「ははぁ~」なのにいざとなると判官びいき、ってのはもうそれこそもっと以前の時代からの国民性よな そういえば226事件のときでさえ青年将校びいきの人も多かったとかなんとか…
@user-sm4ni1lv4s
@user-sm4ni1lv4s 2 года назад
武士ってあくまで武によって成り立ってるわけなので刀を抜いた理由がどうであれ若い方が老人に後ろから切りかかってなお仕損じるとかそれだけでも十分処罰理由になるからな
@user-zj1qv1yc2u
@user-zj1qv1yc2u 2 года назад
吉良家から見た忠臣蔵とか色々と角度を変えてやれそうなのに、なぜか時代劇を削って隣国のファンタジードラマを放送するテレビ局 テレビがどんどんつまらなくなる
@yamakawa-chu-sho
@yamakawa-chu-sho 2 года назад
よりによってその隣国の社会情勢がまさに「法より情」なせいで余計嫌悪感が増すのが悲しい
@kathuyaaa-1115
@kathuyaaa-1115 2 года назад
ある意味江戸時代から変われない 生かしもせず殺しもせず 徳川はどれだけ影響与えたことか
@nazca091
@nazca091 2 года назад
赤穂事件の後日談の一つに、討ち入り後の大石内蔵助らの身柄を預けられた細川藩主綱利は義士たちをカリスマ視して大歓待しただけでなく、その切腹の現場となった遺構を保存して名所にした しかし綱利の孫の宗孝の時代に板倉勝該によって江戸城で刺殺されると、宗孝はまだ若く子供のいなかった事から細川家は無嗣断絶の窮地に これを救ったのが仙台藩主伊達宗村で、宗孝の家臣に「まだ息がある。屋敷に連れ帰って治療を」と助け船を出した事で、細川家は藩主の死を隠し弟の重賢を養子として幕府に届けて家を存続させる事が出来た 伊達宗村は浅野内匠頭と勅使饗応役を務めた伊達村豊の親族で、内匠頭の刃傷沙汰でケチを付けられてしまった被害者筋の人 そんな人に援けられた細川家は即赤穂浪士らの遺構を片付けたんだとか
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 2 года назад
祖先に当たる伊達政宗と浅野長政は仲が悪かったからですね。
@user-ug7dp5eh7p
@user-ug7dp5eh7p 2 года назад
大河ドラマ『独眼竜政宗』で伊達政宗と浅野長政が絶交したシーンがありましたね。
@user-zp5cz3hk7y
@user-zp5cz3hk7y Год назад
面白い!
@funacarassius2580
@funacarassius2580 2 года назад
なぜこのタイミングで忠臣蔵?と思いましたが、最後の幕末編への展望を聞いて合点がいきました。色々と苦心されているとお見受けいたしますが、いち視聴者として公開を楽しみに待たせて頂きます。
@ryuseijp2446
@ryuseijp2446 5 месяцев назад
法よりも情ねぇ…最近のXなんかもそんな感じの呟きで溢れてるよな
@yawaraka_dogu_9889
@yawaraka_dogu_9889 2 года назад
もちろん史実が具体的にはどうであったかという視角からの研究も面白いし そうした史実がどのように描写、伝承、理解されてきたかという史学史的な研究も面白いのよね
@user-yw1pu2ly7w
@user-yw1pu2ly7w 2 года назад
配信有り難う御座います なかなか面白かったです 最後の考察はお見事です (^-^)
@bigshot088
@bigshot088 2 года назад
幕末維新、日本近代のルーツは忠臣蔵でもなく、水戸黄門でもなく南北朝、太平記の時代。 赤穂事件でいえば演劇として扱いたい芸能界だったが、幕臣が起こした粗相のため幕府からの検閲があった。 そこで太平記を舞台設定にすればいいじゃんとなったのが、大流行する『仮名手本忠臣蔵』。 主人公・大星のモデルは大石でありかつ南朝の楠木正成で、実際に大石が討ち入りが成功した時には「楠木正成の再来だ!」と言われた。 吉良の至っては思いっきり北朝の高師武蔵守師直。(吉良は実際に北朝を立てた足利一門) しかし武蔵といえば将軍様のお膝元であるが、師直は実際に武蔵守だった。この辺に政府と芸能の攻防が見られる。 なので演義の忠臣蔵は正義の大石、正成が悪の師直、徳川将軍を討つ!というの物語で、それ見て庶民が溜飲を下げる反政府演劇。 この演劇のファンが実際に反政府運動をやる大塩平八郎と高杉晋作など他多数。 大塩の漢詩↓ 臥薪嘗膽幾辛酸  一夜劍光映雪寒 四十七碑猶護主 凛然冷殺奸臣肝 最後は思いっきり政府批判へと繋げている(笑)
@salinas9139
@salinas9139 Год назад
こちらの回を含め、忠臣蔵シリーズ、拝聴しました。わかりやすくまとめられており、勉強になりました。特にこちらの回では、以前より気になっていた、吉良上野介の名君であったとの説について知ることができ、勉強になりました。どうも有難うございました。四十七士や天野屋利兵衛にまつわるエピソードなども伺ってみたいです🙇
@Kaito5327
@Kaito5327 2 года назад
松の廊下刃傷事件で浅野内匠頭長矩(1667~1701)を抱き止めた梶川頼照(与惣兵衛、1647~1723)は、松の廊下での取裁きを評価され500石の加増を受けた。だが、その挨拶回りをした老中諸侯の屋敷では「武士の情けを知らぬ奴」として、例外なく曽我兄弟の敵討ちの屏風で迎えられたという。 (曽我兄弟の敵討ちは、間もなく大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で放映される予定w) なお、梶川頼照は1684年(貞享元)8月28日に起きた若年寄稲葉正休による大老堀田正俊への殿中刃傷事件の際にも居合わせたといわれる。 歴史の目撃者として、もっと評価されても良い人物であろう。
@yh6146
@yh6146 2 года назад
ちなみに梶川頼照の曾祖父は斎藤道三に美濃守護の座を追われて追放された土岐頼芸。
@user-cl3ug1es5s
@user-cl3ug1es5s Год назад
可哀想……
@user-fs9nl6mo9v
@user-fs9nl6mo9v 6 месяцев назад
止めなかったらなかったで梶川も処罰されそうだが・・・。
@user-kq4sd3jh2b
@user-kq4sd3jh2b 2 года назад
本能寺の変、どうして明智は信長に謀叛を起こしたのか、というのと同じですね。
@nsj27ulsans
@nsj27ulsans 2 года назад
桜田門外の変の時、老中安藤信正等は井伊氏の彦根藩を世継ぎが居ないからと取り潰さなかったのは、取り潰して井伊氏の家臣達が忠臣蔵の様に水戸藩を攻撃させない思惑が有ったと有りました。 赤穂藩と彦根藩では規模が違いますが、彦根藩が水戸藩を攻撃すれば、応仁の乱の様な感じに成り、幕府は潰れ外国に侵略されたかも知れません。 忠臣蔵は或る意味でテロに近いかも知れないですが、世間一般的に受け入れられるテロは珍しいと思います。
@kumakumakuma11111
@kumakumakuma11111 2 года назад
さらに50年は遡って島原の乱を詳しくやってほしいです
@miconana5578
@miconana5578 2 года назад
もう、やってるよ
@user-sr8lj8ho9m
@user-sr8lj8ho9m 2 года назад
8:38 上野は親王任国なので介は実質的に長官ですね
@yh6146
@yh6146 2 года назад
だから上総と常陸も介が長官。紀州の藩祖も最初の官位が従四位下常陸介で代々の嫡男の官位となった。
@Kumi-Ousaka
@Kumi-Ousaka 2 года назад
この話は現代にも通じていますね。 同じ罪状で、被告側と弁護側が争っている裁判の場合でも、犯行に情があるなら被告人を擁護します。逆にそうではない場合は社会的に貶めるように被告人を徹底的に非難しますよね。 推定無罪や憲法での被告人の権利という法を全く無視した世論が沸き起こる事があります。昔からそれは全く変わってないんですよね。
@user-qh2dt6se4g
@user-qh2dt6se4g 2 месяца назад
いじめと言うより資金をケチる浅野内匠頭に吉良がぶちくさ言うていたら情緒不安定な浅野が被害妄想を膨らませた乱心の可能性が高いかと。
@syosyo474
@syosyo474 2 года назад
無駄な知識かも知れないけど大河ドラマの主人公で一番取り上げられているのは大石内蔵助。 2作目赤穂浪士 長谷川一夫 20作目峠の群像 緒形拳 38作目元禄繚乱 18代目中村勘三郎 また柳沢吉保から見た忠臣蔵として大河ドラマ元禄太平記があって石坂浩二さんが柳沢吉保、大石内蔵助を江守徹さんが演じています。
@user-ik3ec5xg3b
@user-ik3ec5xg3b 2 года назад
保科正之結構とどこにでも出てくる名君だな 幕府に何度も改易される程度に そばの歴史に一番関わってるイメージだけど
@user-tl3yo3nw7w
@user-tl3yo3nw7w 2 года назад
「何故浅野が吉良を刃傷に及んだのか」という点がハッキリしないからこそ、そこを想像で膨らませることが出来て忠臣蔵が後世に残る物語になったのではないでしょうか?
@user-tx5ge2nw7t
@user-tx5ge2nw7t 2 года назад
吉良上野介は徳川家綱と同い年になるんだな
@user-ie6ex8cc8d
@user-ie6ex8cc8d 2 года назад
31:25 この「情>>>>>>>>法」の国民感情が、これからの日本に特大の地雷を踏ませることになるかもしれない、と思うと不安でならん・・・😰😰😰
@mocchi2643
@mocchi2643 2 года назад
太宰春台は「浅野は吉良を傷つけただけなのに浅野を切腹に処したのは幕府の処罰が過当である。よって赤穂浪士達は吉良を恨むのではなく幕府を怨むべきであり、彼らは幕府の使者と一戦を交えた後、赤穂城に火を放って自害するべきだった」と評している。
@user-is9gx8ij5k
@user-is9gx8ij5k 2 года назад
それ以前に吉良が悪者っぽく振る舞ってたのが赤穂浪士たちの恨みを買ってたのが原因じゃなくて?
@mizuho0907
@mizuho0907 2 года назад
>法律より情を優先 今の厳罰主義と同じだな、しかも赤の他人がやってる時点で非常識としか思えないね
@MR-ek7km
@MR-ek7km 2 года назад
何で浅野は斬り付けたのか全然分からん。 口で文句言うだけでも良かったのに。 やったら駄目な事分かってたと思うし。
@nukatasan
@nukatasan 2 года назад
33:17 赤穂事件が515の減刑運動に繋がったのは読めたけど、まさかその筆頭に当事者の末裔が立っているとか長編小説の設定ってレベルじゃない
@user-nb7ou7xt2e
@user-nb7ou7xt2e 2 года назад
まさか、そんなオチがあるとはw
@roo-in1er
@roo-in1er 2 года назад
松下村塾の吉田松陰も山鹿素行の山鹿流兵法を教える家柄で、山鹿素行の教えには「天皇をいただいた日本こそ世界の真の中心」という尊皇の原点があるんですよね 忠臣蔵と明治維新の不思議な思想的つながりが面白い
@user-cg3jv5np5o
@user-cg3jv5np5o 2 года назад
今でも重信房子とかのテロリストが一部で英雄扱いされているのを見るとウンザリする。
@mikelulu724
@mikelulu724 2 года назад
このチャンネルで幕末がどんな風に描かれるかが大変楽しみです。 ただの英雄譚で終わらない、商人や農民の目線の解説も入るのでは?とワクワクしています。
@user-cv1kk6vy7y
@user-cv1kk6vy7y 2 года назад
ゆっくりの守にもっと登場してほしい…
@heinyamu6992
@heinyamu6992 2 года назад
実際吉良と浅野の遺恨しか物語には出てこないことが多いけど、実際に同僚として多くの時間仕事しているのは伊達村豊なんですよね そして伊達と浅野の根本の遺恨に、赤穂藩の方が石高が上であること、年齢でも浅野の方がはるかに年長であること そして後世の創作でなぜか伊達村豊が浅野内匠頭の上司、という扱いになっている場合があること これらを考えると「伊達村豊は年少ながら出来る、それに比べて浅野は年も石高も上なのに饗応の費用すらケチる小さい奴」って噂が流れて それを吉良が流したと考え、刃傷沙汰に発展した。という推察も成り立つんですよね、まああくまで勝手な推察にしかなりませんが 一応その場合だと幕府側の公式発表の「浅野が一方的に吉良に遺恨を抱いた、赤穂浪士は仇討ちの相手を勘違いした」が形にハマるという でもそうすると、噂を流したのは吉良ではなく伊達の家臣だろうし、酷いとばっちりで切りつけられたことになるんですよね吉良・・・
@shoggori
@shoggori Год назад
太田うしいちさんの『室町の日常』などを見て想像すると、室町時代にこの事件が起きたら当事者だけでなく双方が味方する勢力を集めて大きな戦乱になったでしょう。真相究明はともかく、そのような事態を防いだという意味では江戸幕府にも進歩があったのでしょうね。 余談ながら、太田さんの動画の『元結屋戦争事件』はあまりにも些細なトラブルから戦争に発展したという意味でつい笑ってしまうような事件ですが、それを仲裁した吉良俊氏は上野介の先祖です。
@tkman4699
@tkman4699 2 года назад
ネットに触れるようになってから、忠臣蔵のあれこれを知ってガッカリしたっけ……
@user-hb8dv2hd5j
@user-hb8dv2hd5j 2 года назад
この事件の前に、敵討ちで就職した事件があったそうで 再就職先募集のパフォーマンス疑惑が発生しています。
@abbtk14
@abbtk14 2 года назад
TVドラマの里見浩太朗と 森繁久彌の忠臣蔵はいわゆる講談の忠臣蔵を忠実に再現した最高傑作で、毎回感動しました。もちろん史実からすれば盛り過ぎも良いところですが、日本人の琴線に触れるとはこういう事かと気付かされたものです。それはまさに法より情で、この時代の庶民感覚そのものだったんでしょうね。
@yos0914
@yos0914 2 года назад
俺が初めて見た忠臣蔵も、NTVの年末時代劇版(大石内蔵助・里見浩太朗、吉良上野介・森繁久彌)でした。 森繁さん演じる憎たらしい吉良は、俺の中で吉良上野介のデフォルトです。
@user-iv6mo3jz6e
@user-iv6mo3jz6e 2 года назад
そもそも時代劇で身分の高いやんごとなきお方が正義の剣を振るう行為は、まさしく”法より情”ですよね🤣 以前コメントさせて頂きましたが、幕末を語る上で欠かせない、後に明治以降になって浪花節や小説、さらには映画やテレビ時代劇の題材にもなる『渡世人』や『博徒』を詳しくゆっくり解説して頂きたくお願いしますm(_ _)m
@fuzukimaru2
@fuzukimaru2 2 года назад
あまり動画の主要内容と関係ないですが、動画の背景に使っている風景は阿賀野川頭首工ですね。撮影場所はその近くの旅館の様ですが、どおりで魔理沙と霊夢がいる和室の絵も旅館っぽい訳です。
@user-ze6sr8wv7f
@user-ze6sr8wv7f 2 года назад
二十年来の友人の御先祖が吉良の家臣で、所用を申し付けられて地方に出向していた時に討ち入りされて、そのままその地に留まったそうなのですが、友人は今でも討ち入りでは無くテロ攻撃と憤慨してますw
@user-xe3ur5yh3j
@user-xe3ur5yh3j 2 года назад
吉良爺はとんでもなく嫌味な爺だったからじゃないの?知らんけど……でもそんな書き方だよね。
@user-zp5cz3hk7y
@user-zp5cz3hk7y Год назад
その話、もう少し詳しく教えて下さい
@user-gh5ri8th5o
@user-gh5ri8th5o 2 года назад
忠義vs忠義 浅野側も吉良側も 主君の名誉をかけた戦
@user-gv1yu8nq3h
@user-gv1yu8nq3h 2 года назад
虚実多数の尾ひれの付いた逸話が残るところが忠臣蔵の面白いところかなと思います、今は知らない人興味ない人多いけど。
@m5m387
@m5m387 2 года назад
僕も忠臣蔵の話は懐疑的で吉良に同情していましたが、どうも吉良に悪役にさせられる下地のようなところがあったみたいですね。ただそれでもそもそもの発端が事の真偽をたださなかった幕府の落ち度は間違いなくそこは変わらないと思いました。
@Traffics520712
@Traffics520712 2 года назад
かつて忠臣蔵が多く映画化ドラマ化されたのには理由があって、忠臣蔵は登場人物が多く、若いキャストから年配のキャストが必要 主役級が当てはまる役も多くあり、オールスター映画を作るのにぴったりだったからだそうです。因みに個人的に一番好きな忠臣蔵は 三船敏郎が大石を演じたテレビドラマ「大忠臣蔵」です。
@youk1475
@youk1475 2 года назад
わかります。大忠臣蔵いいですよね。畳屋で若い頃の萩本欽一さんとかも出てますもんね
@user-cl3ug1es5s
@user-cl3ug1es5s Год назад
へ~そうなんだ… 勉強になります!
@offeredia
@offeredia 2 года назад
今は人気が無いそうですね ケチな事をやって逆恨みし、殿中で刃物を振り回すなどもっての外、幕府に叛意あると取られるレベル 受講料を値切り、そこを講師に嫌味を言われて逆切れして刃物を出すってどうなんよ
@user-ey8uu5gv8p
@user-ey8uu5gv8p 2 года назад
吉良が滅茶苦茶悪者でなければ成立しない話だからね。 刃物の持ち込みは禁止だし、そもそもイジメが有ったかも分からないしね。 イジメが有った事にしないと説明が付かないから、そうなってるだけで。 イジメ説を広めたのが大石達って話も有るけど。 だが刃傷事件の時から江戸住民は「浅野良くやった!吉良、お前何故死ななかった💢」で持ち切りだったそうで。 これは小説やドラマと同じみたい。
@ooutsuke1560
@ooutsuke1560 2 года назад
100年下ってるんじゃなくて上ってるよ
@terasen
@terasen 2 года назад
そうですよね、時代が上るの誤りでした。お詫びして訂正いたします。ありがとうございました
@needDAI
@needDAI Год назад
吉良はなんて酷いやつなんだ!→いや、吉良は名君だった!→いや、そういう訳でも無かった! という移り変わりなのね。悪役として叩かれすぎるとちょっと過度な擁護が出るのは田沼意次を彷彿とさせる部分がある。 実際は仕事はかなり出来るが、人間的には物凄い悪人でも物凄い善人でも無かった(世間的な評判はあまり良くない)って感じだったのかな。 浅野内匠頭も追い詰められた清廉潔白な被害者!→いや、とんでもないバカ殿→いや、そこまでバカ殿じゃない って感じなのはちょっと面白い。
@user-gm4qi7oo9s
@user-gm4qi7oo9s 2 года назад
確かに斬りつけた浅野長矩の方が悪いのには間違いなく吉良義央に罪はない、忠臣蔵が人気があるのは人の琴線に触れるものがあるからだろう。江戸時代は浅野を塩屋判官、吉良を高師直とし、大石内蔵助を大星由良ノ介と言う伏せ名で人間浄瑠璃として劇にされて人気を得て明治以降実名を使うことを許された後も人気だったのは言うまでもない。
@OKANEYOKOSE514
@OKANEYOKOSE514 Год назад
背景の場所ってどこなのですか?なんか見覚えがあるのですが思い出せなくて…
@bakermaria3231
@bakermaria3231 2 года назад
実は、吉良は幕府嫌いだった! 浅野と伊達の関係では、吉良との対立より伝承ですね。 上杉のたかりは、問題で課題があったのですね。 歌舞伎の影響が、今の忠臣蔵になってきていますからね。
@user-ux4tg1mr8g
@user-ux4tg1mr8g 2 года назад
印象に残っている一番古い『忠臣蔵』は「錦之助大石版」だったかな…。 で…もう少し先だけど…江戸時代ももうすぐゴールしそうですが…このチャンネルがどうなるのか…ドウナルンデショウネ?
@ravilsan1987
@ravilsan1987 2 года назад
ネットリンチが横行しているネット社会を見れば法より情、というのは現代でも生きている感覚だと思う。
@user-dn4sf9du2c
@user-dn4sf9du2c 2 года назад
なんといっても将軍自ら浪士を減刑しようとしているわけでから😀
@user-ov4ew1ti2y
@user-ov4ew1ti2y 2 года назад
キラさん『なんで切りつけられたのかわからん…お役目を果たせられないと私もマズイわけで…まじで乱心なんだと思う』
@user-dd7hy2fb6m
@user-dd7hy2fb6m Год назад
SEEDを覚醒させていれば避けれたかも
@ayhht1768
@ayhht1768 2 года назад
単なる仇討ち、というよりは、乱心でお家取り潰しになった藩の家臣など士官先がないから、せめて喧嘩両成敗に持っていかなきゃ、という思惑もあったでしょう
@colocalo100
@colocalo100 2 года назад
当時は戦国の気風と官僚主義のはざまで、「武士道の誉」がもてはやされた時期でもありました。 討ち入りした四十七士の子弟は請われて士官が叶い、子弟がいない場合も遺族っは安堵して食らえたり、養子に家を継がせて士官。という話も 身分が低い志士の中には、自分が切腹になると思っていなかった人もいたそうです(妻子への書状で、そんなことが書いてある) ただ、討ち入りに参加すれば「武士の誉」が得られて士官探しが捗る。という目算だったようで
@user-sb6xu6xn7g
@user-sb6xu6xn7g 2 года назад
阿賀野川かー
@hammer99kg
@hammer99kg 2 года назад
忠臣蔵も新しく作られなくなって、だいぶ下火だから 史実をできるだけ忠実にした「真・忠臣蔵」作るか 創作も込みでドラマチックに「シン・忠臣蔵」創るか
@yos0914
@yos0914 2 года назад
昔、TVドラマ(NHKだったかな?)で可能な限り史実を再現して制作した忠臣蔵があった記憶が。 視聴者からは「地味すぎる」「·〇〇のエピソードが無いと盛り上がらない」等、評判はイマイチだったらしい。
@user-jx6kl1jh7t
@user-jx6kl1jh7t 2 года назад
四半世紀後に起きた水野忠恒事件では吉宗は加害者を処刑せず、改易はしたが直ぐに再興させて(もちろん被害者もおとがめなしで)見事にスルーしている。吉宗が徹底的に赤穂事件を研究していて綱吉と同じ轍を踏まなかったとも言えるが、本当は大した判例ではないと見たのかもしれない。 幕府の最高判例として扱われる様になったのは、討ち入りと処刑と両家改易と言う一連の喧嘩両成敗よりも、その後五十年で不忠臣や浅野・浪士側に不利な仕打ちをした大名・役人(預かり浪士を冷遇した長府藩はもちろん、取り押さえただけの梶川まで)が貶められ、逆に浪士たちは民間において芝居で賞賛されたことが大きいのだろう。 そして、幕末に至ると役人たちは「自分が長府藩や梶川になってしまうのではないか」と言う事なかれ主義に陥り倒幕運動すら見て見ぬ振りを決め込むことになる。
@yyouzo
@yyouzo 2 года назад
仮名手本忠臣蔵につながる、庶民感覚と幕府の取り締まりについても、 何か記事にして欲しい。
@user-rf1dp3in7g
@user-rf1dp3in7g 2 года назад
陽明学(過激な朱子学)では酷評されてます😅主君が切腹した瞬間に刀を抜き❗️突っ込まんかい❗️相手は年寄り❗️先に死んだらどうする❗️結果を気にすんな‼️、、、と
@user-qf2jm9lt2r
@user-qf2jm9lt2r 2 года назад
『忠臣蔵』が『2・26事件』になって、今は『安全より安心を』 時代が変わって、銃刀がスマホに変わっても、本質はなにも変わっちゃいない。 ヒトが歴史を紡ぐかぎりは、それでいいのかな? …なんてな?(笑)
@user-lo3zo2mh4v
@user-lo3zo2mh4v 2 года назад
忠臣蔵(忠臣ではあるが同時にならず者)
@KY-bw3zm
@KY-bw3zm 2 года назад
不勉強ですみません。伊達家と浅野家の因縁についてどなたか教えてください。
@colocalo100
@colocalo100 2 года назад
伊達政宗の豊臣秀吉恭順の折に、取り次ぎ役をしたのが浅野長政。(取り次ぎ役は、後見人の役目も負う) 長政は、政宗の性格(かなりの気性難)や失態(小田原攻めとか)について行けなかったようで、政宗の思うとおりにはしてくれなかった。 豊臣秀次に謀反疑獄で、浅野も伊達も関与を疑われる事に。浅野は失脚。政宗は10項目からなる『絶縁状』を叩きつけます。 以降、両家は犬猿の仲に。1712年に徳川幕府が両家に和解を勧告しますが、伊達家は断りました。 両家の和解は1994年(平成6年)です。この時はNHKのニュースでも取り上げられました。
@KY-bw3zm
@KY-bw3zm 2 года назад
@@colocalo100 丁寧な説明ありがとうございます!
@obunowagaseha
@obunowagaseha 2 года назад
日本の場合「法より情」と言い切るには難しいところかと思います 忠臣蔵の例で言えば「喧嘩両成敗」や「仇討ち」は慣習法的に合法であり 幕府の対応こそが非合法不条理(として下級武士や民衆から見える)ものだった訳なので
@user-jq2yo9tc1c
@user-jq2yo9tc1c 2 года назад
現代であっても法の裁きが当事者にとって(あるいは社会通念に照らしても)納得のいかないものとなる事は多々ありますが、だからといって自力救済に訴える事は決して容認される事のないものです。言うまでもなく、個々人がお上こそ間違っていると言いだして実力に訴え始めたら収集がつかないからです。しかし忠臣蔵に対してはそれが批判されるどころか賞賛されていた。その社会の雰囲気を評して「法より情を優先した」という言葉以外が当てはまるようには自分には思われません。
@obunowagaseha
@obunowagaseha 2 года назад
@@user-jq2yo9tc1c 「自力救済に訴える事は決して容認される事のないもの」というのは法自体ではなく法の執行(運用や秩序)の問題で現代(近代国家)的な視点なんだと思います 中央集権的な律令制崩壊以降の日本では法律は自力救済による執行が基本でそれこそが武家社会でした(武士が武装するのは法の執行者である側面も強いからだと思います) ただ当然それだと秩序を保つ事が難しいため時代が下るにつれ自力救済を制限(集権化)していった訳ですが「仇討ち」というのは江戸時代に残された自力救済(即ち武士らしさ)の名残りなんだと思います
@KOME1990
@KOME1990 2 года назад
@@obunowagaseha あなたの言うことは全く間違いですね。 動画主も述べているように殿中での刃傷は謀反扱いなんです。あってはならないことなんですよ。 仮に怨恨などがあって報復するとしても殿中でしかも重要な儀式の最中に行う必要があったでしょうか? このような状況で幕府の儀式を台無しにしかなねい行為を乱心という措置は極めて妥当だと思います。 しかも温情はむしろ幕府もあると思います。動画主も言うように浅野家を徹底的につぶしてはいないからです。
@obunowagaseha
@obunowagaseha 2 года назад
@@KOME1990 「殿中での刃傷は謀反扱い」は徳川による比較的新しい法ですが一般に認知されていたかは甚だ疑問です 対して「喧嘩両成敗」は鎌倉以来の一般に認知された法なので俯瞰してみると民衆の声の方が法に則っている事になります しかも幕府側の対応はどちらの法の原則にも従ってないので寧ろこちらの方こそ「法より情(面倒臭いという実も大きかったでしょうが)を優先した」と言えると思います
@user-zu8mr2wh4i
@user-zu8mr2wh4i Год назад
本来武士というのは律令制度という法治国家が崩壊した時代に自己の権益を守るために武装したのが始まりだから、武士の世界の論理は「取られたものは取り返す」「やられたらやり返す」が基調になってるんですね。 しかし全国的な紛争状態が解消されて太平の世になったら法治社会にしていかなければならない。 でも江戸幕府は武士の政権である以上武士の論理を否定するのは自己否定になってしまう。 自力救済の論理と法治社会の論理の両立を強いられてたのが江戸時代の武士の矛盾なんですよね。
@user-iq4bc6qe3e
@user-iq4bc6qe3e 2 года назад
後ろから斬りつけるのは喧嘩とは言わんと私は思います 『おうボケ!こないだはようもやってくれたのう!かかってこいやハナクソがあ!!』 「はぁん?お前 どこ中よ?やるっちゅうならやったるわ!!」 ってお互いやる気を見せてから斬り合うなら喧嘩
@user-mo3wy7in6g
@user-mo3wy7in6g 2 года назад
①元禄十四年の勅使は、綱吉の生母桂昌院に従一位叙位を伝える、いつになく重要な使者で、綱吉にすれば親孝行の面目を立てた晴れがましいものとして終わる筈だった。そんななかで江戸城中で、他でもない勅使饗応役が傷害事件を起こしたのだから綱吉からすれば面目丸潰れ。 ②近世の礼典作法はやたら複雑かつ細かく、ちょっとした間違いも下手をすれば処罰を免れないものだった。これは朝廷、柳営に限らず諸藩内でもそう。その一方で幾ら先例主義の時代とはいえ、前回と全く同じに事が進む訳でもなく、多少の変則は生じる。そこで各関係者が水面下で調整して無難に終えなくてはならなかったから、このような儀式を勤めた時は詳細な記録を残しておいて次に担当する時に備えておいた。将軍の生母に叙位はこれまでに先例がなかったから、吉良も相当ピリピリしていたとしてもおかしくない。 ③同時代の記録『御当代記』によれば、元禄当時、綱吉は気に入ればすぐさま昇進加増するが、気に入らなければすぐ出仕禁止、処罰を繰り返す恐怖政治状態だった。 よりにもよって①のような背景のなかで面目を潰された綱吉が、最高にブチ切れても仕方がなかった。 ④武家諸法度(天和令)第七条 一、喧嘩口論可加謹慎、私之争論制禁之、若無拠子細有之、達奉行所可受其旨 喧嘩、私闘は禁止。いわゆる世間が「当時は喧嘩両成敗が定法」というのは、これに基づくのだろうが、浅野の刃傷事件は背景はどうあれ、一方的に一方を斬りつけたものだから喧嘩私闘にならない。 ⑤『御当代記』によれば、事件直後、浅野、吉良ともに同情の声は世間になかった。 ⑥近世には、敵討ちは成功すると基本的に評判が良かった。討ち入りをしていなければ、浅野が善、吉良が悪という評価にはならなかった。
@user-ud1hh5kt3w
@user-ud1hh5kt3w 3 месяца назад
桂昌院の叙位は元禄15年。だから(1)は虚偽。よってこの駄文も虚偽。もっともらしいウソ駄文。
@cbkato
@cbkato 2 года назад
例のマナー講師に吉良上野介をキャスティングして忠臣蔵作って欲しいの
@user-ry5xt1fq5b
@user-ry5xt1fq5b 2 года назад
忠臣蔵って、昔は年末時代劇の定番でしたが、最近は見かけません。実際、吉良の殿様は何も悪いことしてないのに一方的に浅野に切りつけられるわ、浅野の家来に討ち入られるは、踏んだり蹴ったりだったことが広まってきたからでしょうか?😅
@daisuke5755
@daisuke5755 2 года назад
ノンフィクション風のフィクションが受けなくなったんですよね。
@baatarismbaatarism9209
@baatarismbaatarism9209 2 года назад
喧嘩両成敗は自力救済だった室町時代に生まれた慣習らしいけど、司法制度が定着した現代ではさすがに受け入れられなくなってきたのでしょう。 忠臣蔵から幕末を経て戦前まで続いたテロリズム賛美も、左翼テロが相次いだ1970年代には世論の支持を得られなくなっていました。もっとも今でも出所した元テロリストを擁護する老人はいるようですが。
@colocalo100
@colocalo100 2 года назад
単に、予算とスタッフ、俳優が足りないから。 忠臣蔵は、映画・テレビでは会社の総力を挙げて制作する題材。として扱われてきた過去がある。 なので、それに相応しい予算を組み、スタッフ・俳優を揃えるのが不文律。 近年ではそれだけの予算を組めないし、耐えうるスタッフも俳優も数が足りない。だから作れない。と言うのが正しい
@yos0914
@yos0914 2 года назад
忠臣蔵のロケはセットの使いまわしがやりづらい場面が多いから他の時代劇より設備・設営費用がかかる、って聞いた事がある。 たしかに、吉良が斬りつけられた松の廊下が赤穂の城の廊下と同じだったら興ざめだよね。
@user-nc7iu2kb8o
@user-nc7iu2kb8o 2 года назад
誰だったかは忘れたのですが 「忠臣蔵の話で一番の戦犯は浅野内匠頭。アイツが吉良仕留めそこなったからああなった。」 という解釈してる人がいて、わりとおもしろいと思いました。 言われてみれば確かにそうだな、と。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 2 года назад
確かに。 そもそも浅野が斬り付けなかったら赤穂藩も吉良家も安泰でした。
@user-nc7iu2kb8o
@user-nc7iu2kb8o 2 года назад
@@user-eb6os3li4u そう言うことではなく、斬るならちゃんと斬れって意味だったと思います。 まぁ、殿中で抜刀した時点で もう終わりだよ でしたが。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 2 года назад
言わんとしていることは分かってます。浅野が仕留めていたらそれはそれで両家改易でした。ただ、四十七士の討ち入りがないので無駄な血は流れなかったですね。
@user-nc7iu2kb8o
@user-nc7iu2kb8o 2 года назад
@@user-eb6os3li4u そうなんですよね。 あと、江戸でテロが起きたなんて事実も無かったですし。浅野にはもうちょい斬りつける場所を考えてほしかったです。
@ctakabe
@ctakabe Год назад
斬り付けるのではなく、刺していれば仕留められたはず。
@cbkato
@cbkato 2 года назад
吉良と米沢のとばっちりで米沢の北、屋代郷が米沢から不当な徴税をされていた。 それがばれて米沢はさらに知行を減らされた。
@user-eb6os3li4u
@user-eb6os3li4u 2 года назад
誰か吉良側の視点での忠臣蔵作ってよ!300年経っても一方的な悪役では気の毒すぎる。
@Pink_Liquid
@Pink_Liquid 2 года назад
15:55 吉良「ここの文脈の意味だと分別は『ふんべつ』と訓むのじゃぞ」ネチネチー
@asakazefuji
@asakazefuji 2 года назад
法よりも情の時代は、日本では大津事件の頃まで続いていたんだろうかな… 韓国ではいまだ国民情緒法と揶揄されることがあるが、国民世論で法制度を捻じ曲げないというのは重要だと思われる…最近でも池袋の轢逃げなど怪しくなりそうな事件があったが
@宴は終わったが
@宴は終わったが 2 года назад
動画拝見しました。 赤穂藩士が忠義の人とうp主さんは好意的に解釈されていますが、赤穂藩の武士の大半は討ち入りには現実的な判断から参加をしませんでした。別の藩に士官に成功をするとなど現実問題において討ち入りのリスクが大きいと判断をした藩士のほうが多かったと考えると、参加をしない者が多かったという事実は重いと考えます。 また、忠臣蔵は当時の感覚ではケンカを楽しむという感覚だったものが、ご指摘通り新渡戸稲造辺りの「武士道」という形で日本人のエトスとしての神話にされたということの問題点を考慮すると、問題点を多く残したとも言えるでしょう。
@kirin4126
@kirin4126 2 года назад
え!忠義を果たすなら相手は公方さまでしょうが!と幼少のころ突っ込んだ思い出 なんで刃傷へ・・・・坊やだからさ
@IZUMOMAN
@IZUMOMAN 2 года назад
まあ、松の廊下事件後の幕府の対応を見ると、どうも幕府は吉良家を切り捨てたかったんじゃないかと言う気がプンプンするんだが。 まず、吉良家江戸屋敷を当時としては郊外だった浅草方面に飛ばしたことが解せないし、何より上野介を殺された吉良家をお取り潰しにしてるのが何とも納得いかない。 私が吉良家の家臣だったら、赤穂浪士どころかその親類縁者、果ては赤穂藩の人間上から下まで皆殺しにしなけりゃ気が収まらないほど怨み憎むんじゃないだろうか……。
@KazunariKawashima
@KazunariKawashima 2 года назад
幕末+忠臣蔵=新選組
@maiko1968
@maiko1968 2 года назад
物語の忠臣蔵を史実だと勘違いして赤穂を美化して、それ以外を下げる貶す人嫌い
@yos0914
@yos0914 2 года назад
忠臣蔵が日本人にウケたのは、主君の無念を晴らして最後は浪士たちが切腹したって形で終わってるからじゃないかな。 主君の仇討ちを果たした浪士達は各藩からまさに“武士の誉れ“ともてはやされ、全員が各地で無事に仕官出来ました。めでたしめでたし……なんて話だったら、何度も映画化・ドラマ化される話にはなってなかったと思う。
@syntakonno9136
@syntakonno9136 Год назад
結局、浅野の動機はイジメ復讐説なんですね…… もっと面白い推測で切るのかな? と期待したんですが。 まぁそうなると、根本的に資料がないので、作家的創作になるのは致し方ないとしても。
@user-bi8xu8be7i
@user-bi8xu8be7i 2 года назад
忠臣蔵は日本人の心ですね〜
@lookglacial6325
@lookglacial6325 2 года назад
対等な人間としての約束を守る事は大切だし、かと言って中身が空では意味がない。
@user-sv7fd5ur5u
@user-sv7fd5ur5u 2 года назад
2回も斬り付けといて仕損じるなよw
@reito-udon
@reito-udon 2 года назад
阿衡事件あこう違い
@nykoike
@nykoike 2 года назад
吉良さんはいろんなところから嫌われてたようですね😅 ただ、吉良さんが名君というのは本当かもしれないです。 吉良さんの領地は今の矢作古川にあったので、矢作川の西遷事業を行うまでは矢作川の本流だったので、大規模な土木工事しなくても、洪水を利用した干拓で塩田や新田をつくれたそうです。 そのため、矢作川西遷事業をしようとしていた幕府と揉めていたという説があるようです。
@tsuyoshiyanagi7919
@tsuyoshiyanagi7919 Год назад
忠臣蔵からさらに幕末の尊皇攘夷、さらに昭和戦前の226事件をめぐる世間の心情と政治犯、反乱者への同情・・日本人の特性てき心情ですね。感心しました。他方、「忠臣蔵」が急速に、日本の若い人々が知らないドラマになりつつある現状に危惧を感じます。大河ドラマも「元禄繚乱」を最後に20年以上取り上げてないですね。近年の忠臣蔵の歴史的虚実論議で忠臣蔵が陳腐になってしまったせいでしょうか?歴女・・などといって歴史をリアルに見ていくことへの感心の高まりが逆に忠臣蔵ドラマ離れに繋がってしまったようです。
@HI-qp9zc
@HI-qp9zc 2 года назад
本当にさついが有ったのなら、刺しているはずだ。と、武道家や乃木将軍がおっしゃってます。
@oxcastletony3629
@oxcastletony3629 2 года назад
7:58 奈良時代の知識だと四位と四品って違うけど、江戸時代って一緒なの?
@headank3179
@headank3179 Год назад
時代は少し外れますけど、延暦寺焼き討ちなんて現代でもそんなに問題視されませんよね。キリシタン迫害なんかも日本ではむしろ肯定的です。これは情緒的にはどうなんでしょう?見た目以上に宗教が嫌いな人が多いのかなと思うんですよね、それも日本人の独特な感覚だと思います
@uesugiyouzankou
@uesugiyouzankou 2 года назад
幕府や高家による朝廷の軽視が根底にあると思う。 山鹿素行に薫陶を受けた赤穂藩は尊王の家柄。吉良家は高家筆頭で表向きは幕府と朝廷の橋渡しだが、実は皇室・皇族(朝廷)を監視すること、幕府が皇室を思いのままに支配することが目的。御所の火災では吉良の火付けという噂があったそうな。それを建て替えしたのが赤穂家。禁裏御所御定八箇条の吉良の発案だそうで。 松の廊下の事件を知ったとき東山天皇は(御喜悦の旨仰せ下し了んぬ」(『基熈公記』))大変喜ばれる。 明治天皇は東京行幸の際、泉岳寺に勅使を派遣され(朕深ク嘉賞ス)赤穂浪士を褒めたたえている。 当時の人々は幕府と朝廷の関係性を知っていて、大石内蔵助は楠木正成の再来と言ったのではないだろうか。また芝居の中の山鹿流陣太鼓も山鹿素行を表現するためのものでは。 松の廊下の事件は尊王の浅野内匠頭の朝敵吉良への怒りが根本にあると思います。 (参考にしたのは「皇道忠臣蔵」です。)
@ayrtonbaggio4293
@ayrtonbaggio4293 2 года назад
伊達と浅野の因縁を分かる人いるのかな?🤔前に動画あるのかな
@yhara6284
@yhara6284 2 года назад
サムネのタイトルから感じていたが,隣国の反日無罪と同感覚。
@user-xp2qb8vf3h
@user-xp2qb8vf3h Год назад
赤穂藩は尊王藩で吉良家は佐幕の高官。儀式の折りに朝廷勅使を軽んじる儀式を行う事に赤穂藩の皆は憤慨していた話しを少し聞いています。 家臣の下から突き上げに浅野内匠頭も意を決してわざと大ごとにして儀式見直しをしたかったのが、真相と伺っています。 浅野内匠頭は剣術の達人の為、吉良を峰打ちにも寸止めも出来る人だったみたいです。 しかし綱吉は別の意味でキャラの濃い人だったので意見も聞かずにず切腹申し渡し。 家臣が殿の無念を晴らす辻褄が合うと思います。 吉良には特に恨みはなかったみたいです。 殿様が殿中で根拠なく刀を抜くような人に家臣が仇を討つはずがないです。 根拠の無い仇討ちは武将といえどヤクザの行いで恥の上塗りになるはずです。 江戸の庶民の支持を赤穂浪士が受けるはずがないです。 今回の話しは聞いた説です。当時はスジの通った根拠は庶民にまで残っていたのだと思います。 そうでなければ、荻生徂徠が名誉を与えて切腹にする措置を浪士ふぜいに与えないと思いますよ。
@tiger4245
@tiger4245 Год назад
なんで、刀を振り下ろしたのだろう。小刀で突けば良いのに
@snd00261jp
@snd00261jp 2 года назад
殿中刀傷事件の時に吉良が負傷した報を聞いた東山天皇が喜んだと言う話が記録に残ってる時点で生前の評判はお察し。吉良家は旧足利一門の格式の高い高家といっても実態は田舎の小領主でしかないので収入が少なく、その割に格式に見合った豪奢な生活をしてたので相当な財政難。別の家で殿様に吉良の虐めを打ち明けられた家老が吉良にこっそり高価な付け届けの上主君の非礼を詫びたら翌日から途端に吉良の態度が良くなったという話もある程、吉良自身も傲慢で豪奢を好み高額な付け届けをするかどうかであからさまに態度を変える人物として知られていた。上杉家にとっても末期様子の恩を傘に着て多額の出費を肩代わりさせた吉良は甚だ迷惑でしかなかったので赤穂浪士討入りの際に助けなかった。
@user-ye7sd9pd6n
@user-ye7sd9pd6n 2 года назад
あの時代の人の心根は今の隣国の気持ちに似てるな
@Yanbo35
@Yanbo35 Год назад
最近単に浅野内匠頭が乱心して吉良上野介に斬りかかっただけという説が有力だからな。だから最近ドラマもやらないんだろうな。年末にテレ東が12時間やるのが恒例だったんだけど。
@asgardstrand4317
@asgardstrand4317 2 года назад
無能な上司によって悲惨な結末の憂き目にあった哀れな47士の物語だっけ 中学校の同級生に直系の子孫が居たわ 吉良様最高
Далее
Этот Пёс Кое-Что Наделал 😳
00:31
もっとわかるナポレオンの人生
37:07
Просмотров 457 тыс.
外様でも優遇されていた大名
11:47
Просмотров 252 тыс.
Этот Пёс Кое-Что Наделал 😳
00:31