この界隈は、高校時代に友達が住んでいて、何となく馴染みがありました。そのせいか、心の奥底に何とも言えぬ軽い共鳴を覚えました。超ミニ葉山? みたいな一画だったのかしらと妄想します。動画2:50辺りで「ここもお墓だったのでしょうか」と推察されていますが、山径の繋がり具合とかから護国寺のお墓があったのではないかとこれまた妄想されます(笑)。市立中央図書館なんかで調べてみたい気持ちになりますね。ここから海岸に降りて行った一帯は、源氏物語の須磨の巻で光源氏の配流地と目される所で(ほかに何か所かありますが)、「かの須磨は、昔こそ人の住み処などもありけれ、今はいと里ばなれ心すごくて、海人の家だにまれになど聞きたまへど、人しげく、ひたたけたらむお住まひは、いと本意なかるべし、さりとて、都を遠ざからんも、古里おぼつかなるべきを、人わるくぞ思し乱るる」などと書かれているので、昔から庵や山寺など多く、土地の盛衰もあったでしょう。坂上の土地の地主の伊藤さんという方は、動画冒頭の斜面への坂道と護国寺に向かう道の分岐点の右側直ぐの石垣のある一画に風変わりお家を構えてお住まいの伊藤さんだったような気がするのですが、かすかな記憶を確認するためにGoogle Street View などを見たのでバイアスがかかってしまって勘違いかも知れません。これも同じ須磨区の妙法寺「光雲寺跡」界隈のご投稿とはひと味ちがう意味で「あやしうこそものぐるほしけれ」といった気持ちにさせてくれる一編でした。くれぐれもお気をつけて人生の旅路をお続け下さいますよう。