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【筑豊電鉄】今も人々の生活を支える、炭鉱の町と鉄鋼の町をつなぐローカル私線(黒崎駅前−感田) 

Shiro
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【乗車記】筑豊電気鉄道 黒崎駅前−感田
工業が盛んな「鉄都」北九州市八幡西区の黒崎から、筑豊地区を通って博多までをつなぐ計画で作られた筑豊電気鉄道。
しかし実際は直方の先にある、八木山峠にトンネルを掘る財力がなかったため、現在の直方止まりとなりました。
かつて北九州の物流・人流を支えた西鉄北九州線は廃線となりましたが、筑豊電鉄は今なお人々の生活に近い場所を走り抜けています。
人々が駅のことを「電停」と呼ぶのも、一部路面電車の軌道区間があった西鉄北九州線の名残かもしれません。
黒崎駅前から二駅の熊西で分岐し、折尾まで向かう路線が最後まで残っていましたが、それも2000年に廃線となっています。
始発駅の黒崎駅は北九州市では小倉に次ぐ第二の都市となっていて、今は閉業してしまいましたがそごうデパートもあり、多くの人が訪れる街でした。
JRの黒崎駅もあるのに筑豊電鉄の需要はどこにあるのか、と思われるかもしれません。
しかしJRの駅というのは住宅地から少し離れた、各自治体の町の中心に位置していることが多く、そこまで向かうのにバスや車に乗らなければいけません。
一方筑豊電鉄の電停は、バス停と同じように生活の中を走り抜け、また短い間隔で設置されており、黒崎駅まで向かうのに非常に利便性が高いです。
また、途中の停車駅、例えば小屋瀬や中間など商業施設があり、ちょっとした買い物、もしくは通院などにも使われています。
そんな筑豊電鉄の、沿線の風景をお楽しみいただければと思います。

Опубликовано:

 

15 сен 2024

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Комментарии : 13   
@user-vu4nu1od2u
@user-vu4nu1od2u 4 месяца назад
昔の能勢電や京成千葉線もこんな走りでした。みな路面電車アガリだから似てくるんでしょうね😊
@Shiro__travel
@Shiro__travel 4 месяца назад
そうなんですね、昔の京成千葉線がもともと路面電車の列車だったとは知りませんでした😮!
@西義隆-t1b
@西義隆-t1b 4 месяца назад
ちくてつの電車も大きく様変わりを成し遂げました 西鉄から乗り入れていた(又は購入した)電車時代はちくてつらしいイメージが強い存在でした 時代の流れと共に電車の近代化が進み今やLRTの一つに数えられておりますが基本的な路面電車スタイルを継承しているのもちくてつの特徴であります
@Shiro__travel
@Shiro__travel 4 месяца назад
終点近くに住んでおりましたので、路面を走っている区間はなく、小さい頃この通称チンチン電車が路面電車という認識はあまりなかったのですが、思い返せば駅には改札や券売機などなく乗降の方法など路面電車スタイルだなと気付かされました🧐
@西義隆-t1b
@西義隆-t1b 4 месяца назад
北九州はなぜだか古いタイプの団地(昭和30年前後に竣工)が多いので正しく昭和レトロを感じさせます
@Shiro__travel
@Shiro__travel 4 месяца назад
コメントありがとうございます!昭和レトロ「風」ではなく、正しく昭和レトロということですね😊
@user-vu4nu1od2u
@user-vu4nu1od2u 4 месяца назад
筑豊電鉄の建設断念には篠栗線開通や高速道路開通も付帯要因としてあった次第😮
@Shiro__travel
@Shiro__travel 4 месяца назад
なるほど〜。篠栗線があれば博多方面への需要ないですもんね!車で行くか、よっぽど田舎でなければ西鉄バスでJR駅までアクセスできますし😂
@西義隆-t1b
@西義隆-t1b 3 месяца назад
ちくてつの飯塚·博多方面延伸計画断念の理由の一つとして折からの石炭産業の斜陽化とそれらに伴う相次ぐ炭鉱の閉山も背景にございます
@AtsushiMizobe
@AtsushiMizobe 9 дней назад
ちなみにウィキペディア「筑豊電気鉄道」の項によると、黒崎駅前~貞元(現熊西)間にちくてつ専用の線路を敷設する計画もあったそうですが、これも1974年に免許が失効しています。また直方市~飯塚市への延伸計画もあったそうですが、結局それも白紙になっています。ただ現在、直方市は筑豊直方駅からJR&平成筑豊鉄道直方駅まで延伸して欲しいと要望しています。
@出水宏美
@出水宏美 6 месяцев назад
萩原団地ボロ団地古いねぇ🏚️
@Shiro__travel
@Shiro__travel 4 месяца назад
北九州の団地も少なくなりましたし、歴史を感じますね🧐
@西義隆-t1b
@西義隆-t1b 4 месяца назад
おそらく筑豊電鉄開通後に宅地開発の一環として建てられたと思われます 昭和30年代前半頃ではないでしょうか 線路とは反対側に独特な形の給水塔がそびえておりますので団地本体と共に昭和の象徴とも言えます
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