EPA創立100周年記念行事の中で9月17日、京都府亀岡市天恩郷で「大本エスペラント歌祭」が開催されました。527首の献詠歌が世界5大陸24カ国から集まり、そのうち33首のエスペラント献詠歌と大本の歴代教主・教主補さまの歌が実際に朗詠されました。この歌祭には、エスペラントの創始者ザメンホフ博士の曾孫マルガレータ・ザレスキー・ザメンホフ氏やダンカン・チャーターズ世界エスペラント協会会長、ベルンハルド・ウェスターホフバハイエスペラント連盟事務局長も献詠歌を寄せました。
エスペラント歌祭が行われるのはこれで3回目。1回目は2007年「ボンベーノン・アル・オオモト」の際に綾部で、2回目は2010年にブラジルの首都ブラジリアで行われました。私たちは近い将来3つの一神教の共通の聖地エルサレムでのエスペラント歌祭の開催を願っています。
歌祭は、日本の和歌を通じて神様の御心を慰めると同時に、世界の平和と人類の幸福をお祈りする神事です。歌祭の起源はつまり、歌の道の始まりであり、日本の神話時代に由来します。
素戔嗚尊が八岐大蛇を退治した後、歌を詠みました。八岐大蛇を退治したものの、そこかしこに分厚い障壁や黒雲が立ち込めている世界の状況を見て、不安に思っていたのです。この時、彼の妻櫛稲田姫が木材の桶をひっくり返し、その上に弓を取り付けた太鼓を作り、細い枝でリズムよく叩きました。素戔嗚尊はこの弓太鼓の伴奏で、「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣つくるその八重垣を」という和歌を詠んだのです。
出口王仁三郎聖師は、この和歌について、どの国も、国々に垣をめぐらし、嫌な雲を漂わせているが、この垣、雲を取り払って、清々しい世界にしたいという意味だと解釈されています。
素戔嗚尊が詠んだこの歌は、和歌の始まりであり、弓太鼓は後に二弦琴などへ発展していきます。大本の歌祭では、その弓太鼓と二弦琴である八雲琴を使います。
この伝統的な平和の祭典は、昔は一年に一度各村で行われていましたが、鎌倉時代になると徐々に姿を消し、宮中にのみ伝わっていたといわれています。歌の道を学んでいた出口王仁三郎聖師は1935年、この歌祭を復興しました。ほどなくして第二次大本事件が起こり、1945年まで10年間、中断を余儀なくされますが、1950年に再興。それ以来毎年、出口王仁三郎聖師の生誕を祝う瑞生大祭の折に亀岡で開催しています(※毎年亀岡で行われている大本歌祭は、日本語で実施)。
10 ноя 2023