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ハイデガーと『善の研究』/浜崎洋介先生と京都学派を語る04 

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浜崎洋介『絶望の果ての戦後論』
amzn.to/3Apblo6
J.モーガン×茂木誠
『日本人が学ぶべき西洋哲学入門』
amzn.to/4dtrzv7

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11 сен 2024

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Комментарии : 110   
@user-cg6cn7zl9w
@user-cg6cn7zl9w 20 дней назад
感覚で感じている状態を、言葉でクリアに表現される浜崎先生のお話が、そこに茂木先生のソフトで的確な説明と質問のやり取り、、あぁ楽しいと聴き入っている時間が、またやっぱり楽しいです✨配信に感謝です🙏
@kazuhikoikebe6102
@kazuhikoikebe6102 20 дней назад
品があって学のある方の言葉は、聴いていて心地よいですね。 それに引き換え今の政治家は酷いのが多い。元銀行員とか元官僚とか... まあ元職は関係ないけれど、政治家はせめて哲学と国家観は必須ですね。
@kakochan8622
@kakochan8622 20 дней назад
「茂木先生とトマト」がぐるっと線で囲まれたとき、理解できた!と思いました。難解なことを図で分かりやすく表して解説してくださるのは、さすが茂木先生!と感動致しました✨
@user-jy8lf1yv5h
@user-jy8lf1yv5h 20 дней назад
浜崎先生の熱弁のあとのボソっと話し始める茂木先生との間が美しい。 私が優れた数学者なら数式で表したくなるような、音楽家なら曲を作りたくなるような、むせるような感覚に襲われました。 こういう経験を西田幾多郎の言う「実在」というのだろうか・・・と。
@user-mx4kv2le6y
@user-mx4kv2le6y 20 дней назад
一つ一つ切り離して考えているからメガソーラーなんて発想が出てくる。「善の研究」読んでみたくなりました。日本人の琴線に触れるお話---ありがとうございました🙏毎回楽しみです(^^)/
@okomeomochi3819
@okomeomochi3819 20 дней назад
どこでも使える人材。若い時にはよく言いたがりますよね。ただもう少し長く生きてみると、有機体を軽視し個人主義ばかりを強化した人材のその先には強烈な孤独だけが待っています。最近自分のアイデンティティーを探すみたいなことを仰る方も多いですが、自分を突き詰めたところで最後はやはり孤独に陥り、精神を病んでしまうのだと感じます。
@nasidoori
@nasidoori 20 дней назад
御意。今の「日本の学校」のスローガンは、どこでも使える、。どこでも使われると、コインの裏おもて。
@claudeachille3308
@claudeachille3308 20 дней назад
どこでも使える存在。よくもそんな思い上がった発言ができるものです。 少なくとも私はキリスト教信者ではないですが、最低限の宗教的な教養を持っていれば神の如き絶対な存在と、それに対峙する自己というもの卑小さのような考えは自然と理解でき、それゆえに自らを絶対的なる有用な存在(を目指し研鑽はするのですが…)に準えるなどということは決してしないと思います。
@shapo43764915
@shapo43764915 20 дней назад
とても分かりやすい説明でした。唯物史観や、実験的な分析の考え方に浸かり過ぎて、日本の風土から自然に湧き上がる考え方を見失っていました。もう一度、善の研究を最初から最後まで読んで見ようと思います。
@瑞穂-d8p
@瑞穂-d8p 20 дней назад
ワクワク! 早よ次に! こういうお話が聞けるという至福に酔っぱらいそうになります。
@user-nn6tu9dv4e
@user-nn6tu9dv4e 20 дней назад
はっきり言って、浜崎先生凄いです。わかりやすく説明して頂き、納得いきました。
@deardonaldjtrump2266
@deardonaldjtrump2266 20 дней назад
ありがとうございます。この内容を晩酌しながら拝見できることは本当に幸福なことです。
@o.a.g.spengler4460
@o.a.g.spengler4460 20 дней назад
自分の感じていた違和感が「あゝ、調和が乱れていることへの寒気」なんだなと感じました。 よく、上司などに「話が長い」や「結論だけ言え」と言われた時の、嫌悪感がそういうものだったと思い出した。 自分は、全体を見たい、そうでなければ調和が保てないと感じているから、一つ一つのモノが全体とどう調和しているかを話していた、もしくは務めていたのだと。 善とはそういうことなのだと。
@user-nn6tu9dv4e
@user-nn6tu9dv4e 20 дней назад
俗人の自分にも、わかりやすい説明。1回目よりも2回、3回と拝読すると、わかります。これは、大学の講義でも聞けるか?わかりません。そのくらい貴重な時間、ありがとうございます。
@kaori3372
@kaori3372 20 дней назад
面白いです😭 長年の違和感が解消していく感覚です😭 マルクスもダーウィンも何か確かに違和感があったのですが、基本原理みたいに思わされていました。正直、腑に落ちないし面白くなかった。 学生の時に辿り着きたかったです😭 今からでももっと知りたいです🥺
@OUEKIOUEKI
@OUEKIOUEKI 20 дней назад
分かった!! つべこべ言わず、森に行け!!山に行け!!自然に触れろ!!ってことですね。 鳥が鳴き、風が吹き、木々が鳴る。 それを感じている自分もまた、自然の一部に過ぎない。 そんな感覚ですね。
@daikodenden
@daikodenden 20 дней назад
話を聞いていて和歌や短歌、俳句に通じる感じがありますね。 松尾芭蕉「古池や蛙飛びこむ水の音」
@user-wk8rh7gp5p
@user-wk8rh7gp5p 19 дней назад
昨日仕事中に拝聴いたしました。今ゆっくり再生しています。 浜崎先生のお話が面白く聞き入りました。言葉とは妙に使いようによっては、面白いですね、次回が楽しみです。
@fkj1884
@fkj1884 19 дней назад
今まで難しそうだと思って避けていた西田幾多郎、ハイデッカーとはこのようなことだつたのか! 体験、調和、そして日本人。一番しっくりくる、腑に落ちるお話でした。 ありがとうございました。
@si-vl9ju
@si-vl9ju 19 дней назад
今回のご講義でなんとか理解できたように感じます。いわゆる『日本自然教』にも通じているのかな?とも感じました。引き続きご発信いただきたくお願い申し上げます。ありがとうございました。
@user-tr7ug3pn3d
@user-tr7ug3pn3d 20 дней назад
浜崎先生のアツい講義いいですね👍 茂木先生、浜崎先生の講義は、とても分かりやすくてホント勉強になります。 ○○という事象は、実は✕✕なんだ 何故ならば… こういう説明の場合あれこれ言っても相手が混乱するだけです。 必要不可欠な主題に絞って分かりやすく説明されると我々興味はあるけど素人な人間の理解力にズバズバ刺さるんですよね 京都学派 深いですね 西洋哲学、和の精神の融和 これ他のだれがが話しても小難しい話になって3分と聞いていられないのですが、両先生の講義は、最後まで聞けて感銘を受けました。 ありがとうございます
@Theology21C
@Theology21C 20 дней назад
とてもに勉強になりました。自然との調和や美しさの背景に宗教性を感じるというのは、聖書のローマ書の中で使徒パウロがこのように言っていて、それとも通じると思いました。 ローマの信徒への手紙 1:20 世界が造られたときから、目に見えない神の性質、つまり神の永遠の力と神性は被造物に現れており、これを通して神を知ることができます。
@naho_m
@naho_m 17 дней назад
“もの”と“こと”、別々の言葉を使い分ける日本人は潜在的にそこをわかっているのかも… ハイデガーがお話に出てきたあたりから難しくなって頭がポカ〜ンとしましたが茂木先生がちゃんと区切ってまとめてくださるので有り難いです。 仏教とほぼ一緒、と言及されたあたりを更に詳しく教えて頂きたいです!! 浜崎先生の情熱は不思議な作用があり難しいけれど引き込まれて自分も理解したいという強い気持ちに駆られます。何とも不思議な語り。
@user-naparm
@user-naparm 20 дней назад
まさかハイデガーが阿字観に繋がるとは!本当に分かり易い説明でした。
@user-xqe3tap7rx
@user-xqe3tap7rx 20 дней назад
私の幼かった頃を思い起こすと、まだまだ沢山の自然があり、それに包まれて生活し、自然と自分が一体だという感覚があったように思う。山や川、あらゆる場所には神様がいるという感覚があった。小川に沿って行き来するトンボは、その川の守り神で神様トンボと呼んでいました。隣家のお婆さんには、生き物を虐めてはいけない、そんなことをすれば来世では自分が生まれ変わって虐められると諭されました。今思うと夢のような善の世界でしたね。
@999sorami
@999sorami 20 дней назад
このシリーズとても面白い! 哲学的なものとは縁遠いと思って生きて来ました。なので、面白いと思っている自分に驚いています。
@kodenjiki
@kodenjiki 20 дней назад
ありがとうございます。 10:00~14:00 興味深いです。物と事は必ず"対"となります。 自然科学は、物と事の区別がありません。 物がわかり、事がわかり、物事に音韻を割り当てて、言葉で言えます。 そうして、意味づけできて、価値がわかります。最後に意識してわかります。 ただし、善は悪の如し、悪は善の如しで、立場によって意味と価値は反転します。 それは言葉が持つ本質です。 調和が善だというのはよくわかりません。
@k-ty8235
@k-ty8235 20 дней назад
聞いているうちに頭が限界に 禅の研究と思っていたら善の研究 私は風の匂いも 季節の匂い 住む町の匂い 何でも感覚で生きる人間なので先生たちの話 難しくてわからなくても仕方ないと思ってしまった。
@kentaeno8108
@kentaeno8108 14 дней назад
やばい、面白すぎる‼️‼️
@user-ti4ku2dp2l
@user-ti4ku2dp2l 20 дней назад
とても丁寧に解説頂きましてありがとうございます(*>∇<)ノ 和歌も素直に経験(こと)を詠ったものが時代を越えて人生経験を越えて共感や解釈を得て歌い継がれていると思います。 日本の文化は風土の子供なんだなと感じました(* >ω
@user-lf2xk2kv5m
@user-lf2xk2kv5m 20 дней назад
毎回楽しみに視聴しております 噛み砕いてお話しして下さって、ありがとうございます それでも私には難しいので繰り返し聞いています ある程度の年齢を過ぎてしまふと、学びの機会が少く、かういふ動画は大変有り難いです お二人のこれからの御活躍に期待しております
@choichi3443
@choichi3443 20 дней назад
宮沢先生のお話も、なるほどわかりやすくて、とても興味深く拝聴しました!ありがとうございます❤
@zarizarida
@zarizarida 20 дней назад
...純粋経験とは有機体の経験。切っても分割できないものを経験することを、全体感として一気に経験することを純粋経験という..まっすぐに、とても難しいことを論じていて、ただただ楽しいありがとうございます😊
@user-lo6nq4se9n
@user-lo6nq4se9n 20 дней назад
西田の「善」をこれほど端的に表現した浜崎さんは、やっぱりすごい!  西田の「知意未分以前」や「絶対矛盾的自己同一」なども解説していただけたら大変幸せです!
@juttoku8888
@juttoku8888 20 дней назад
すごく、興味深いお話で分かりやすくて次回も楽しみにしてます。
@user-hf1cm7in2g
@user-hf1cm7in2g 18 дней назад
凄いお話だと思いましたが、めちゃくちゃピンときました。イデオロギーと、直接経験の違いを、具体的に書きたいのですが、難しくて、仲々ですが、参考になりました。
@goroggoto4944
@goroggoto4944 20 дней назад
ハイデガーと善の話を何度も聞くことで、私なりにわかった気になっています。その中で疑問が出ました。政治においての調和=善は既存政治家による調和=善を基準にすすめてしまうのでは?ということです。5を見れば分かるかもなので、楽しみにしてます。
@toden3322
@toden3322 20 дней назад
浜崎先生、茂木先生 は、正統派ですね。日本人として嬉しいです。
@UnknownUnknown-nx7ov
@UnknownUnknown-nx7ov 20 дней назад
表現者クライテリオン、なるほど。😮 まずは 経験→個人 であって、 個人→経験 は後なんだな。
@musashino_103hi
@musashino_103hi 20 дней назад
茂木先生がこれ仏教ですよねって言われて、自分もハッとなりました。 ハイデガーが京都学派に高評価された理由って、こういうことなんだろうなと思いました。
@akinorita_san
@akinorita_san 20 дней назад
とても楽しく動画を視聴させていただきました。知の共有を大変ありがたく思います。 今回、ハイデガーのExistentialism についてとても興味を持ちました。差し支えなければ、初心者向けでこのことについて書かれた洋書に心当たりがございましたらご教示いただければ幸いです。 欧州に住す日々の中で、ある存在や価値観が違和感のない状態にあることを表す「自然さ」を言語化して説明することに苦慮することがたまにあります。そのような場合、Existentialism は異文化の方々への説得材料となりえないだろうかと推量しております。
@ことり-o4h
@ことり-o4h 19 дней назад
楽しい!!
@jm-ms2ri
@jm-ms2ri 20 дней назад
ハイデガーて東洋人だったんだ。 名前は如何にも西洋人て感じなのにね 人類は「左脳」「男性性」「地の時代」をこねくり回しながら いつしか真理から別の所に行ってしまって 気がついて今から「右脳」「自然」の元に戻る 時期に入って来ている。 風の時代、女性性の時代の復活 縄文の復活って感じだね。
@obserber3917
@obserber3917 18 дней назад
やっと水島さんが言っていることがわかった氣がします、悟れました😅
@user-of8fq3lq2k
@user-of8fq3lq2k 20 дней назад
全て同じとは言えないが ハイデガー=西田幾多郎=仏教=量子力学、ウイルス学、農業、法学、組織論、文化人類学 など様々な考えに応用されていて、応用することができそうです
@sirius0925
@sirius0925 18 дней назад
馬淵さんは、世界の構造を示すための要素としてユダヤ人を使っているだけであり、最近の伊藤貫さんもそうであります。馬淵さんは差別主義者なんて言われる筋合いはないと思います。ユダヤ人と中国人の自民族中心主義と他民族虐殺は目に余るものがあります。
@seriseri2978
@seriseri2978 20 дней назад
浜崎さんのファンなんだけど、立て板に水のごとくやや饒舌すぎて逆に内容が時々入りにくく感じてしまうのは私だけ?
@user-ye2yc9mf5u
@user-ye2yc9mf5u 20 дней назад
やはり、聞いてるだけで面白い^^こういう先生方だったらさぞ学問好きで、探求好きのの生徒が増えそうだ^^浜崎氏は落語好きなだけある^^近現代をつなぎ、民族をつなぎ、生命論と神智学まで語り、進化論までこうも楽しそうに語る人達が出てくるのが日本という風土であり、芸術論まで語り、日本語の特性なのかと、思ってしまう^^学歴偏重じゃあこういう人達は出て来ない^^
@user-nt2vj1jl2f
@user-nt2vj1jl2f 20 дней назад
いっつもおもろい
@c8g-z3e
@c8g-z3e 20 дней назад
自分を超えた存在とは支配者ではない。それを教わらないと個人主義者になると思いました。
@user-oj8tz1uk7w
@user-oj8tz1uk7w 17 дней назад
「雰囲気」とか「その地の空気」といった感覚を言語化することと、それをどう(気持ちの上で)捉えるか。 「ありのまま」を「ありのままに捉える“こと”」の中にある共通の感性が「善」ってことか? うーむ、私には難しい……
@ishusei
@ishusei 20 дней назад
調和のお話は分かる気がします。 ただ、ダーウィン的進化論を違うというのは、違うと思う。 地球に生物がいて、月には生物がいない。 というのは、調和のなせる技だと思うが、 地球という閉じた系の中で、生物が進化というか変化してきたのは、 調和が脅かされる頻度が高く、その度に個としての生物が生き残り 進化してきたと思う。 ある意味、月は調和が取れ過ぎていて、変化しようがない。
@UnknownUnknown-nx7ov
@UnknownUnknown-nx7ov 20 дней назад
自然科学の還元主義を批判するMore is different という有名な論文がありますが、これを拡張すると大宇宙を統べる神の存在まで肯定的に考えることができますね。😊
@takahashikazuhiro5946
@takahashikazuhiro5946 20 дней назад
有機体、共同体、システム、生命体、東洋だよね、調和を目指すなら
@ysbuchanan
@ysbuchanan 20 дней назад
東洋?とは、日本でしょうね。 東南アジアは、多くの点で日本とは異なる考え方です。中国も然り! 全く異なる考え方です。が,近来、日本人の考え方を真似て、あたかも、自分達のものだったかのように話す人もいます。 日本人が法的な日本人が多くなると内実も変化するように、他の諸国も法的なその国の人となり、表層の人種的な判断が間違いを起こす事になると思います。
@user-eo8ih9mp4v
@user-eo8ih9mp4v 19 дней назад
講義の主題からは外れてしまいますがf^_^; 随分以前に人から薦められて購入し読みかけのままになっている書籍にジョーゼフ・キャンベルとビル・モイヤーズの対話を本にした『神話の力』がありまして、 うろ覚えで恐縮ですがこのご講義の肝の部分と重なる記憶があります。 RU-vidにその対話の日本語吹き替え版ビデオがアップされていましたので、URLをご紹介させてくださいませ🙇‍♀️ キャンベル先生も、茂木誠先生や浜崎洋介先生と同じ種族であるように感じます。 学問をたのしんでいらっしゃるように見える点と、自然の一部分である人間に対するあたたかい眼差しがある点で。 多くの視聴者が追っかけをしたくなるのはそういう理由と感じております☺️
@user-eo8ih9mp4v
@user-eo8ih9mp4v 19 дней назад
ru-vid.com/video/%D0%B2%D0%B8%D0%B4%D0%B5%D0%BE-iga_x14SAG0.htmlsi=DSptnuOwuMdAxtpf このビデオ中に鈴木大拙の名も出てきます。 vol.1 は無く、順序としてはvol.3 から始まる気もします。
@user-eo8ih9mp4v
@user-eo8ih9mp4v 19 дней назад
ru-vid.com/video/%D0%B2%D0%B8%D0%B4%D0%B5%D0%BE-hzrPwUtmvao.htmlsi=0117biwP_6nL_VhR こちら↑はまた別の方のアップロードです。 音声がやや聴き取りにくいですが、書籍は英雄伝説の話からだったように思うので。
@user-sw8mh3yw9s
@user-sw8mh3yw9s 19 дней назад
話が難しくなってきましたね。おそらく2割も理解できてないと思います。感覚的になるほどと思うところはありますが、まだまだ修行が足りないようです。
@user-ye2yc9mf5u
@user-ye2yc9mf5u 20 дней назад
ハイデガーはナチズムに嵌ったので、あんまり評判は良くないかという気もする。それにしても、評論家でありながら、浜崎氏は文学的な表現を好む方だとも、しみじみと思う。ざっと拝聴してると、ハイデガーは善悪二元論から出ていないような気はする。それにしても、ドイツ哲学はなんだって、こうも理屈ぽくてややこしく、面倒臭いんだろうか?と思ってしまうのは、日本人だからだろうか?正直、観念論は禅に言う、戯論の類に入るのだろうか?確かに仏教哲学てきな気がする。食糧危機や、食料自給率を語るより、畑を耕して野菜を作ったほうがいい、とでもいった感じだろうか。 以下の方がしっくり来てしまう。 菜根譚ー前集56項 書を読みて聖賢(せいけん)を見ざれば、鉛槧(えんざん)の傭(よう)たり。 官に居(お)りて子民(しみん)を愛せざれば、衣冠(いかん)の盗(とう)たり。 学を講じて、躬行(きゅうこう)を尚(くわ)へざれば、口頭(こうとう)の禅たり。 業を立てて種徳(しゅとく)を思わざれば、眼前の花たり。 和訳 本を読んでも内容の素晴らしさを理解できなければ、ただの読書中毒の筆耕屋だ。 役人であっても国民を愛さなければ、ただの制服を着た給料泥棒だ。 禅学を教えても、実行していなければ、ただの口先だけの知識に過ぎない。 起業して利益を上げても社会貢献しなければ、ただの目の前の花に過ぎない。 つまり、上辺を調えることより、全ては本質を理解し実行しなさいということ。 言い換えれば、活人は正に「中身」なのだ。 ・「戯論(けろん)」 無益な言論や無意味な論、言葉の上だけの空論、正しくない言論や分別、非論理的な話などを意味します。たとえば、空海(弘法)は『十住心論』『弁顕密二教論』で、真言の教えに対し他宗の教えを「戯論」と下しており、日蓮大聖人は「撰時抄」(277,278㌻)、「報恩抄」(305,321㌻)などで、法華経を誹謗するものとして追及しています。 ・白隠禅師坐禅和讃 〔和讃全文〕[2] 衆生本来仏なり  水と氷のごとくにて 水を離れて氷なく  衆生の外に仏なし 衆生近きを不知(しらず)して  遠く求むるはかなさよ 譬(たとへ)ば水の中に居て  渇を叫ぶがごとくなり 長者の家の子となりて  貧里に迷うに異ならず 六趣輪廻の因縁は  己が愚痴の闇路なり 闇路にやみぢを踏そへて  いつか生死をはなるべき 夫れ摩訶衍の禅定は  称歎するに余りあり 布施や持戒の諸波羅蜜  念仏懺悔修行等 其品多き諸善行  皆この中に帰するなり 一座の功をなす人も  積し無量の罪ほろぶ 悪趣いづくにありぬべき  浄土即ち遠からず 辱(かたじけな)くも此の法(のり)を  一たび耳にふるゝ時 さんたん随喜する人は  福を得る事限りなし いはんや自ら回向して  直に自性を証すれば 自性即ち無性にて  すでに戯論(げろん)を離れたり 因果一如の門ひらけ  無二無三の道直し 無相の相を相として  行くも帰るも余所ならず 無念の念を念として  謡うも舞ふも法の声 三昧無碍の空ひろく  四智円明の月さえん 此時何をか求むべき  寂滅現前するゆゑに 当所(とうじょ)即ち蓮華国  此身即ち仏なり ・四威儀(しいぎ) 仏教用語[1]で、行ぎょう(行くこと)、住じゅう(とどまること)、坐ざ(すわること)、臥が(横になること)の4つの行動をいう[2]。4つの行動は、行住坐臥ぎょうじゅうざがともいう[3]。行住坐臥は、すべての動作の基本であるところから、仏教では特に規律が定められている[3]。「菩薩善戒経」に説かれている[4]。また、行住坐臥がすべての動作の基本であることから、日常の立ち居ふるまい、平生、普段、という意味にも用いられる[3]。 また、それらに関して、出家修行者の守るべき戒律として定められたものを指す[4]。さらに、これらの行動を戒律に従って正しく整え、具備することをも意味する(威儀即仏法) ・典座(てんぞ)は禅宗寺院の役職の一つ。禅宗寺院で修行僧の食事、仏や祖師への供膳を司る。六知事(ろくちじ)の第五位。典座の模範とされる中国の禅僧雪峰義存(自ら典座の役を志願し、いつも飯杓子を持って歩いていた)から名前を取って雪峯寮(せっぽうりょう)ともいう[1]。 概要 炊事係は一般に「飯炊き」「権助」などと呼ばれ、新米の役回りとされたり、低く見られがちな職務である。しかし調理や食事も重要な修行とする禅宗では重要な役職とされ、日本曹洞宗の開祖道元は著作「典座教訓」の冒頭で、典座には古来より修行経験が深く信任のある僧が任命されてきたことを述べる。道元が典座教訓で記述した、求法のため宋で修行した際に二人の老典座との出会いから禅修行の本質に覚醒した故事に鑑み、日本の現在の禅宗寺院においても、重要視される職務である。 故事 道元 道元が『典座教訓』に記した体験は、以下のようなものである。 「宋の天童寺に留学中だった私(道元)はある夏の日、中庭で寺の老典座が海草[2]を干しているのを見た。老人は眉は白く腰は曲がっていたが、炎天下に竹の杖をつき、汗だくになり、苦しそうに働いていた。私は気の毒に思って近づき、年齢を聞くと老人は『68歳だ』と答えた。 『なぜ、下働きの者にやらせないのですか』 老人は答えた。『他の者とやらは、私自身ではない』 『ごもっともですが、なぜ今のような炎天の日中にされるのです』 老人は答えた。『今のほか、いつを待てと言うのか』 私はその場を離れた。そして廊下を歩きながら、典座職の重要さを考えたのであった」[3] 「また私が上陸許可を待って港の船の中にいた時、一人の老僧が食材の買入れに、港にやってきた。船室に招いて茶を勧め、話を聞くと『私は、阿育王寺の典座である。故郷の蜀を出て四十年、歳も六十を越えたが、これからまた三十五里(20キロ)ほど歩いて、食事の用意に寺まで帰らねばならぬ』 『飯の用意など、ご同役の誰かがやるでしょう。何か差し上げますので、ゆっくりしていかれては』 『それは駄目だ。外泊許可を貰っていないし、典座は老人にもできる修行、他人には譲れぬ』  私は聞いた。『あなたほどのお年なのに、なぜ忙しく働いてばかりいて、坐禅したり先人の教えを学ばないのですか。それでいったい何のいいことがありましょう』 老僧は笑って言った。『外国からきたあなたは、どうやら何もわかっていないようだ』私はこれを聞き、大いに驚き、また恥じた。 そして老人は「もう日も暮れた。行かねばならぬ」と立ち上がり、寺へと帰っていった。 私が多少とも修行のことを知るようになったのは、実にこの老典座の恩によるのである」[4] 道元は日本に帰国してより建仁寺に留まったが、建仁寺の典座が食事の用意を軽く考え、職務を適当に行っていることを見、宋との落差を非常に遺憾とした。そして『典座教訓』を執筆し、典座職の重要性と、その職務要領を詳細に書き残したのである。 ・三心(料理の極意) 「三心(さんしん)」とは、「喜心(きしん)」「老心(ろうしん)」「大心(だいしん)」『典座教訓』という書物に道元禅師が食事を作る心構えが示されています。 喜心とは、喜びの心です。 人間に生まれた喜びや感謝。今、目の前にある生命(食材)の恵みに対しての喜び。料理が出来る喜び。 老心とは、孫や子供を愛するような慈しみの心。 母が我が子を思うように、無償の愛情をもって調理すること。 料理を召しあがる人のことを思う「おもてなし」の心です。 大心とは、山の如く高く海の如く広い寛大な心です。 どんな方へも偏見や固定観念を捨て、召し上げる人のことを思うことです。 親切丁寧な心掛けと作法です。 つまり、喜心=つくる喜び     老心=もてなす喜び     大心=相手の立場を思う喜び、親切心です。 この三つの心を大切に実践したいものです。
@harybaian
@harybaian 11 дней назад
廣松渉氏の哲学とはどういう関係になってくるのでしょうか
@zofume1346
@zofume1346 20 дней назад
スピリチュアル保守の人がよく宗教性が大事という話をしてもピンと来なかったが今回の話で少しは分かった気がする
@user-nn6tu9dv4e
@user-nn6tu9dv4e 14 дней назад
西田幾多郎が言いたかった事は、目の前に広がる風景に同化する事を善としてることと読み取りましたが、その全体から目の前に広がる風景から一つ一つを切り離して、物として認識することは、思惟的であり、悪と言う事なのでしょうか?。このような認識で良いのか?。
@maomao96363
@maomao96363 14 дней назад
それは「西洋的」ということです。
@岡田健-f6o
@岡田健-f6o 19 дней назад
真面目過ぎる。もっと簡単に大戦略で考えればいいと思います。
@昌和森田
@昌和森田 18 дней назад
社会契約論は一般意志(共同体意志)を代表する法が個人をつくりだし、個々人が法をなす、という読み方をすべきものだと確信します。 だからフロイトのトーテムとタブーや吉本隆明の禁制論にも近いのです。 ルソーの社会契約論は法というタブーが個人と共同体をつくる、と考えない限りまったく意味が解らないのです。 つまりルソーの一般意志の論理は、存在論的差異が個人を可能とする、と考えないとまったく訳が解りません。 その証拠に一般意志に従えという話を自然科学的に読むと、全体主義者の文章になってしまいルソーの個人主義性と矛盾してしまう。 社会契約論はもっとも誤読されています。本当は京都学派だって認めざるえない素晴らしい理論なんです。 社会契約論は、正しくは、言語(禁止、法)によって人は存在論的差異(主体、欲望)を開く、と理解すべきです。主体の弁証法構造の次元で個人と共同体との分節を論じているのが社会契約論のはず。 ともかくラカンが分かると一般意志の意味は明白。 また存在論的差異ではその差異自身が存在(こと)である、と理解すると深層心理学全般および現象学的精神病理学をすっきり理解可能になります。この概念は言語と心理学を理解する上でもっとも重要。 そしてもっとも大事なのはこの差異が差異を保ちつつ存在者に同一しているということなんです。 表音文字水準の近代言語空間において優しいとか美味しいとかの関係性を言葉(存在者)として表現することは差異を同一することなのです。 ここが分かると今の日本人は差異が埋められてしまって、猿になってしまっているということが理論的にはっきりします。 そもそもネオリベの最大の問題は社会のインセンティブ構造がこの存在論的差異を消去してしまうことにあります。 また統合失調症はこの差異の同一が破綻することでカントでいう統覚(ノエシス的自己の同一性)が壊れてしまい、エポケーしっぱなしになる現象。 あと存在(こと)が存在者(もの)に先行しているというのが、西洋客観主義に対するハイデガーのコペルニクス的転回。 後期ハイデガーはケーレによって、形而上学に陥り否定神学構造にはまり、ナチズム的パラノイアに至りました。ヘルダーリンの詩が後期ハイデガーの否定神学構造のモデルになってます。 ハイデガーのナチ化は否定神学構造におけるパラノイアとして記述可能で、松本卓也とか東浩紀、國分功一郎なんかのポストモダン連中はこの解釈をしてます。 またハイデガーの要点は相関主義にあります。存在者は気遣い相関においてあり、物自体としての存在者(客観)など存在しないというのが重要です。 なので存在者を存在者と呼ぶのは物とは現存在の相関者なのだというニュアンスがあるのでしょう。 西田とハイデガーはお二人なら知ってると思いますが、微妙に違うのです。 ハイデガーでは自己触発としての今は情状性(気分)の了解に基づく目的意識などの実存的な意義連関を構成します。 西田の場合、今が実存的に分節される前の永続性(種としての今)、つまり実存的な意義連関の分節以前の永遠の今に力点をおきます。 対するハイデガーでは自己触発、超越論的自我としての今の分節作用、ないしは分節後に力点があります。 面白い動画なので、さらに理論的密度をあげて欲しいです。
@よねちゃん-y2e
@よねちゃん-y2e 20 дней назад
「'もの'と'こと'」の考察が江戸時代の国学にもあったような。'こと'を取り戻すのは仏教でいうと禅か。只管打坐、ただ座り、座ることで全てを感じている自分。考え事じゃない自分かな。一度言葉を放り投げて、忘れ、言葉にとらわれなくなった状態で、また言葉を自在に使うような。😅
@kiyoshitakahashi9487
@kiyoshitakahashi9487 20 дней назад
単なる連想だが、西田の「純粋体験」という言葉はカントの「純粋理性批判」という言葉を思い起こさせるが、もし、西田がカントのこの言葉を念頭に「純粋体験」という言葉を用いたとすれば、禅でいう「理入」ではなく「行入」が重要だと言いたいのかもしれない。 西田哲学は、凡人のわれわれから見ると哲学ではなく、哲学的表現あるいは哲学的用語を用いた宗教書であるかに見える。 浜崎先生には、西田哲学の何が哲学として重要なのか、あるいは哲学の歴史の中でどう位置づけられると考えられるのか説明がほしいところだ。 「善の研究」は、禅をベースに構築されたかに見える彼の文章であるのに、神の記述が見られるのは面白い。 西洋の哲学からは、神という絶対的価値観を背景にしなければ結局のところ相対主義に陥ってしまうことを痛感していたのかもしれない。
@nasidoori
@nasidoori 20 дней назад
「哲学」という単語、フィロソフィーでもいいですが、とりわけ日本語になった哲学の、意味するところ、範囲や内実をどう考えていたのか? 哲学に固定的解釈はあるのか、生き物のように変転常なるモノと捉えるのか!
@kiyoshitakahashi9487
@kiyoshitakahashi9487 20 дней назад
@@nasidoori 哲学という言葉を使うなら、日本語の人生哲学に近いかもしれない。西田ファンには叱られそうだが・・・
@nasidoori
@nasidoori 20 дней назад
@@kiyoshitakahashi9487 さま。哲と云う字を見ると何か賢いとか、真面目一方で正邪是非を絶えず峻別する硬い感じ。それがもし、 愛知なら、遊び心を忘れない何か好きで楽しいからやってる感じ!? また、 インド哲学と聞けば、バラモン教を超越して行った先の仏教が浮かびます。でも仏教は、果たして西欧で言うところの宗教と同列に並べられるのか、それとも仏教だけは、哲学に近い体系をしていると理解していいのか。真剣な遊び、治療? 人→トマト🍅?
@lltiam8133
@lltiam8133 18 дней назад
純粋経験、全体の調和、ハイデガーの認識論、創世記のアダムとイブがエデンの園から追放された話も神という全体から外れたことを象徴しているように思えました。全部同じこと言っているんですかね
@user-nn6tu9dv4e
@user-nn6tu9dv4e 14 дней назад
また、現代に置きかえると、全体像を見ずに一つの現象だけを捉える見方を言葉として悪と言って良いのかは正しくないかもしれませんが、全体から出来事の一つを切り抜いて見る見方を悪と言っている。という捉え方で、間違っていますか?。
@user-cc1lb3bb4k
@user-cc1lb3bb4k 20 дней назад
直感的にわかることは、個人主義か、集団主義か、じゃないんです。個人と集団とのバランスです。和を重じる社会は、いくつもの種類があって、日本人が目標とすべき社会は、アメリカの大リーグで優勝するチームです。なぜ優勝できるのか。個人の持てる力を最大限に引き出しているから優勝する。かつて日本軍が負けたのは、個人の力を最大限に引き出すことができなかったからです。ハイデッガーの言うところの総駆り立て体制は、個人の持てる力を、ひとつの側面でしか計ることができない。ハマスが悪なのは、総駆り立て体制だからです。個人の持てる力を、戦闘員としての才能でしか計ることができない。国家のヴィジョンを、イスラエルに軍事的に勝つ国という理想でしか思い描けない。そうしたヴィジョンでは、イスラエルと競争することすらできません。大学にも行かずにインドを放浪していた若者が作ったアップルに、エリート集団であるはずの日本企業が全滅したのは、製品を作ってお客さまに満足してもらう、その過程全体を、有機的に、生々と思い描くことができなかったからです。日本人の欠点は、些細なことにこだわりすぎて、俯瞰的に眺めることができなくなる。象さんの手や足は、細部まで観察するのに、なぜか象さんから離れて、姿全体を観察する人がいない。砂漠の民は、まわりになにもないから、姿全体を見るのが得意です。日本人は森の中で暮らしてきたから、自然を客観的に見ることができません。AV女優のヌード写真集もそうですね。いったいこの人の肉体は、どうなってんの?と思っても、写真集を見ただけでは、わからないんだよ。ミケランジェロではなく、歌麿の大首絵なんだ。すごいよね。アップルに負けた原因を突き詰めると、歌麿の大首絵になるんだ。
@usergoogle1755
@usergoogle1755 6 дней назад
善=潜在意識=カミ意識・・・
@user-zh3qy1jb4o
@user-zh3qy1jb4o 20 дней назад
共存共栄進化存在の存在直感透明感なのか?現象学から?鈴木先生か。
@theendgodtheendgodjenga1101
@theendgodtheendgodjenga1101 20 дней назад
また別の視点 ヒトの気持ちが見える世界を今も作っていってるというのは? 自然という言の葉がな気に食わねぁな
@theendgodtheendgodjenga1101
@theendgodtheendgodjenga1101 20 дней назад
また別の視点 ヒトの気持ちが見える世界を今も作っていってるってのはどう? 自然ということばが俺たちを別れさせていないか もうちょっとことばを丁寧に使ってほしい ヌーソロジーをのぞいてみて
@taburu02
@taburu02 20 дней назад
「和辻哲郎 1989-1960」⇒「… 1889-…」
@user-xp5kc4tk2f
@user-xp5kc4tk2f 17 дней назад
根本的に染みついた習慣を 変える事はできないという事でしょうか。 日本人がキリスト教に入っても やはり土台は仏教っぽい。 開国に意味がないという結論に 至ります。
@mmyy3834
@mmyy3834 20 дней назад
浜崎先生の京大教員になれて浮かれて人を見下しながら話すのが鼻につく
@nasidoori
@nasidoori 20 дней назад
そうかなあ? 学問を楽しいモノとして自らを楽しみ、それをみんなに壁を作らず誰もでも交流しようとしている感じがしますが。
@kaori3372
@kaori3372 20 дней назад
私はわくわくが伝わります✨
@MU-ce4rw
@MU-ce4rw 20 дней назад
もともとこういう話し方じゃね?最初は無理だったけど慣れてきた、それよりも茂木さんの話聞きたいから動画見てるんだけどさ
@user-dt4dd3zg3t
@user-dt4dd3zg3t 20 дней назад
ハイデガーも「善の研究」も背伸びして読んではみたもののチンプンカンプンだった私のような者にも、もったいぶる事無く、分け隔てする事めなく、「学問」の入り口を教えてくださる浜崎先生、茂木先生には、感謝しかありません。ありがとうございます。
@Love_STEAM
@Love_STEAM 20 дней назад
話し方はもともとこんな感じなので、好き嫌いは分かれる。 以前と比較すると、むしろ丸くなってる。 京大と結びつけるコメ主の無神経さが鼻につく。
@矢野正文-e6q
@矢野正文-e6q 20 дней назад
和辻さんのボードの暦 1889〜1960 = 正 1989〜1960=誤 ですね。
@theendgodtheendgodjenga1101
@theendgodtheendgodjenga1101 20 дней назад
また別の視点 ヒトの気持ちが見える世界を今も作っていってるというのは? 自然という言の葉がな気に食わねぁな
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