デタラメ言うな。北原さんとは1972年2月から12月と、1976年2月から12月まで。1972年にはアラビア語習得に苦戦どころか全く勉強する様子も見せず、小池は北原さんにはカイロアメリカン大学に通学してるような事を言っていたが不審がられる。日常会話も勉強する様子もなし。北原さんは盗み見などしていない。机の上にノートを広げて置いたのが見えただけ。英語で言うとThis is a penレベルの初歩の初歩。北原さんは日本でアラビア語を2年間学んでからエジプトに来ていたから初歩クラスのアラビア語が書いてあればすぐ分かるだろう。それ一回しか見てないんだから盗み見などとか言うテメエは根性が汚い。小池は北原さんと同居解消してから3年間。苦学なんて笑わすな。しかしカイロ大のレベルでは苦学しては授業についても行けないし試験も合格しない。勉強漬けの学生生活をしなければならない。空白の3年間に小池がその様に過ごしていたのではない事は朝堂院大額氏の証言で学業はやめて空手指導や空手雑誌を岡本と言う男と組んでやっていたと分かっている。しかし、それも止めて何故か北原さんと同居を申し出て進級試験の勉強をやり始めたと言う。北原さんは日中は小池を見ないが辞書を貸してほしいと言われて驚く、今まで辞書を使わず何していたのかと当然思う。小池はどういう勉強してるのかと聞いたら、教科書の文章を図形として丸暗記してそれを試験問題の回答欄にかけば点を貰えるのではないかと言ったそうだ。試験は五月に始まり七月に不合格確定。当たり前のことである。北原さんは空白の3年間に小池が勉強していたら進級試験に合格するかもと思ったかもしれないが、辞書を借りに来たり、文章を図形として覚えるなど奇妙な事を言うから予想通り不合格。その進級試験が卒業試験でないと言う事も小池が北原さんに自ら言っている。1976年に4年生でないなら、いくらうまく行っても卒業は1977年のはずだが、1976年に学業を諦め、10月に日本でサダト大統領夫人のアテンド役をやれと父親に言われ帰国。 サンケイ新聞がカイロ大学卒業の芦屋の令嬢とか言うガセ記事を出して以来、ずっとカイロ大学卒業と嘘を言い続けている。 その後の日本での中東関係の人脈作りには別にアラビア語が喋れなくても出来ると言う事は小池自らが証明している事。 北原さんを誹謗中傷している下衆野郎だがどっちがまともな神経なのかは常識で分かるだろう。小池の承諾を得ずに私生活の一部を証言するのは小池の学歴詐称を確かなものとする事で当然のことである