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創造社会論2021 #2「本質を捉える方法」(竹田 青嗣 × 井庭 崇):現象学「本質観取」 × 「パターン・ランゲージ」 

Takashi Iba
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慶應義塾大学SFCの授業「創造社会論」(2021)における対談映像です。
普遍的認識=本質をつかむ哲学的方法としての「本質観取」についてわかりやすく解説・対談している貴重な映像だと思います。また、僕らが取り組んできた「パターン・ランゲージ」は、デザイン・実践についての本質観取・本質記述である、という僕の最近の考えを初めて語っています。これからの学問や社会に関する、とても大切な話もあります。みなさんぜひご覧ください!
【創造社会論2021】
これからの社会は、どのような社会になるでしょうか? 本講義では、これからの社会を、一人ひとりが本来もっている創造性を十全に発揮する「創造社会」(Creative Society)になるという想定から出発します。創造社会では、誰もがさまざまな分野・領域で「つくる」ことをごく当たり前に行うようになります。そして何よりも、「つくる」ということが、生活・人生の豊かさや幸せを象徴するようになっていきます。
かつてインターネットの登場によって始まった「情報社会」では、生活が変わり、組織が変わり、社会が変わりました。同様に、「創造社会」の到来においても、生活・組織・社会のあり方が大きく変わることになるでしょう。そこで、その変化とはどのようなものなのか、そして、それらの変化は何をもたらすのかを考えることは、これからの未来に向かうための重要な準備となります。
この授業では、自然との関わりを深めた「ナチュラルな創造社会」について考えたいと思います。「自然(ナチュラル)」というとき、一方では、自然(森林や海山など)などの「外なる自然」(outer nature)の意味があり、他方では、素の自分らしさと自由度をもっていきいきと生きるという「内なる自然」(inner nature)の意味があります。これらは本来は別ものではなく、相互に関係する表裏一体のものです。しかし、この二つの「自然(ナチュラル)」が分離し、しかもそれぞれが「人工的」(自然に成り立ったものではない人為的・外的)なものに浸食されてしまっていることが、現代の諸問題の根源にあるように思われます。これら二つの意味の「自然(ナチュラル)」---「外なる自然」と「内なる自然」---がうまく重なり合うようことが可能な未来はいかにして実現できるのでしょうか?
そのような未来に向け、本講義では、自然や創造にまつわる実践・研究に取り組んでいる方々をゲストにお招きし、対話を重ね、「ナチュラルな創造社会」の未来像を描き深めていきます。それぞれの対談で知り学んだ考え方や取り組み方を、履修者一人ひとりがパターン・ランゲージの形式でまとめ、自分たちのこれからの実践につなげていくことができるようにすることが、最終的にこの授業で取り組むことです。
■2021年度第2週:「本質を捉える方法」(竹田 青嗣 × 井庭 崇)
哲学者の竹田 青嗣さんをゲストにお招きし、「本質を捉える方法」として、現象学の本質観取とパターン・ランゲージ、未来の社会、創造の原理などについて語り合います。
竹田 青嗣(Seiji Takeda)
1947年大阪生まれ。哲学者。早稲田大学政治経済学部卒業。明治学院大学国際学部教授、早稲田大学国際教養学部教授を経て現在、早稲田大学名誉教授、大学院大学至善館教授。在日韓国人二世。在日作家論から出発。文芸評論、思想評論活動をへて、実存論的な人間論を中心として哲学活動を続ける。フッサール現象学を方法的基礎とする哲学原理論としての欲望論哲学を構築(現在『欲望論』第一巻・第二巻出版、第三巻執筆中)。著書に 『現象学入門』『哲学とは何か』(NHKブックス)、『欲望論』第1巻・第2巻(講談社)、『超解読! はじめてのフッサール『現象学の理念』』 『超解読! はじめてのカント『純粋理性批判』』(講談社現代新書)、『人間的自由の条件』(講談社学術文庫)、『ニーチェ入門』(ちくま新書)、『言語的思考へ』(径書房)、『哲学は資本主義を変えられるか』(角川ソフィア文庫)など。
井庭 崇(いば たかし)
慶應義塾大学総合政策学部 教授。博士(政策・メディア)。専門は、創造実践学(パターン・ランゲージ)、創造の哲学、未来社会学。株式会社クリエイティブシフト代表、および、パターン・ランゲージの国際学術機関The Hillside Group理事。著書・編著書に『コロナの時代の暮らしのヒント』(晶文社, 2020年)『クリエイティブ・ラーニング:創造社会の学びと教育』(慶應義塾大学出版会, 2019年, 編著)、『おもてなしデザイン・パターン』(翔泳社, 2019年, 共著)、『対話のことば:オープンダイアローグに学ぶ問題解消のための対話の心得』(丸善出版, 2018年, 共著)、『プロジェクト・デザイン・パターン』(翔泳社, 2016年, 共著)、『旅のことば:認知症とともによりよく生きるためのヒント』(丸善出版, 2015年, 共編著)、『プレゼンテーション・パターン』(慶應義塾大学出版会, 2013年, 共著)、『パターン・ランゲージ』(慶應義塾大学出版会, 2013年, 編著)、『社会システム理論』(慶應義塾大学出版会, 2011年, 編著)、『複雑系入門:知のフロンティアへの冒険』(NTT出版, 1998年, 共著)ほか。

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15 сен 2024

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Комментарии : 21   
@user-si4hq4jp1g
@user-si4hq4jp1g 5 месяцев назад
素晴しい動画、心から感動しました。 本当にありがとうございました。 私は興味の範囲でしか哲学に触れていないので、難しい言葉は理解しきれないことはありました。 ですが、90分すぎからは最後まで楽しく理解しながら拝見することができました。 最後の井庭教授のコメントで  …哲学が届くのか…  …哲学の凄み、強度… まさにこの点を理解、活用することによって、人はより強くたくましく、そして健やかに生きられそうと思えました。 ありがとうございました。
@user-bp9lq2sc8d
@user-bp9lq2sc8d 2 года назад
動画とても勉強になりました。ありがとうございます。 私は高齢者です。 日本が好きで、日の丸が好きで、もっと言うと旭日旗が好きです。 そして、竹田青嗣さんの大ファンです。尊敬しております。
@nat33777
@nat33777 2 года назад
竹田さんは天皇制反対の立場ですよ
@user-bp9lq2sc8d
@user-bp9lq2sc8d 2 года назад
@@nat33777 そうなのですか?ていだん
@user-bp9lq2sc8d
@user-bp9lq2sc8d 2 года назад
そうなのですか?鼎談本で、日本について、かなり韓国人離れした発言をしていたのでてっきり。感情は韓国寄り。論理は事実を見て、という姿勢でしたので。
@nat33777
@nat33777 2 года назад
@@user-bp9lq2sc8d 「天皇の戦争責任」(径書房)
@user-bp9lq2sc8d
@user-bp9lq2sc8d 2 года назад
@@nat33777 それです。韓国人をかなり諌めてた。
@user-zg5qe3js1c
@user-zg5qe3js1c 2 года назад
めちゃめちゃ面白いです! 「《他者(達)》との間主観性が如何にして可能か」という西洋哲学の認識問題がパターンランゲージと深く共鳴していることが、よく分かりました。 行為のパターン(センター)とは《本質》であり、間主観性によって伝達可能になるのだ、という風に理解しました。
@user-lq6qs5sg8e
@user-lq6qs5sg8e 2 года назад
@nakag-eo9cw
@nakag-eo9cw 2 года назад
哲学は話し合いを本質とするわけではなく、様々な意見を検討して結論を出すということだな。
@sakanouekara_
@sakanouekara_ 2 года назад
独学により様々な分野に関心があるのでとても楽しく見させて頂きました。自分も他の方の論文の中から現象学の観念に出逢い腑に落ちました
@shiroumatanuskaoldtown5208
@shiroumatanuskaoldtown5208 2 года назад
デリダをdigっていたらここに来ました。 フッサール❣️
@masumi1045
@masumi1045 5 месяцев назад
最初から躓いてしまいます。「主観」と「客観」と、「認識」と「存在」は同じことを表していると仰っていますが、「主観」と「客観」はどちらも「認識」であって、「認識」と「存在」と同じではないはず。「主観」、「客観」という言葉を使うなら、(主観的認識と客観的認識)と(存在)になるはずです。つまり、「存在」を溶かして論じているのだなと思って聞いていると、いきなり「りんご」が出てきます。「りんご」は「存在」であって「認識」ではないはず。目の前の(存在)を(主観的に認識)し――例えば、この赤いものは何かな? などと――、それを(客観的に認識)する――ああ、りんごだ――。 「認識」の一部である「感覚」――ここでは「りんご」を見ていることを扱っていますので――や、りんごという言葉を教えられてりんごという概念を知っていること――目の前の赤い「存在」をりんごだと判断していますので――や、多くのことを端折っていますが、こんなふうに考えるのが自然ではないでしょうか。素人の粗さはお許しください。  とともに、これは最初のりんごのイラストのところまでをちらと見ただけで躓き、述べたものにすぎません。その非礼もお許しください。
@smh-Know-the-truth-of-desire
@smh-Know-the-truth-of-desire 2 года назад
人の気持ちや、何かを完全に適切に数値化できたら変わるのかも フッサールはコンピューターに可視光か非可視光で、コップを読み込ませたらどう思うの
@nat33777
@nat33777 2 года назад
内省した結果取り出せる、確信成立の条件だよね。仮説にすぎないよね。
@kotodamako9098
@kotodamako9098 Год назад
本質や意味は実証できないから 仮説ではないよ ずっと更新される可能性を持つので
@bankeisan9951
@bankeisan9951 2 года назад
哲学とは本質観取である、なんて難しい言葉を使うからみんな哲学が嫌になるのだよ。哲学とは本質を考える、または探究することである、でいいのだよ。
@あおねこ2号
@あおねこ2号 11 месяцев назад
違います!難しいことが言葉を切り拓くのです!幼稚語では出来無い、幼児語とは全く違うコトバの縮減に顕わる質の重厚さ!躾!
@user-ch1md1lw7b
@user-ch1md1lw7b 2 года назад
間違えました!すいません
@nice_iina_sub
@nice_iina_sub 2 года назад
サムネとタイトルからしてクソおもんなさそうで草
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