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夜噺会 第234回 「日本陽明学」 庶民教化と人間解放運動 

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論  述: 曽川和翁
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挿入曲 : 『臥竜』
作  曲: 曽川和翁
音楽編曲: 佐孝康夫
ピアノ演奏:野原舞花
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動画監修&イラスト:曽川あや
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使用音声ライブラリ VOICEVOX:九州そら
【日本陽明学/庶民教化と人間解放運動】
陽明学とは、王陽明が起こした儒教の一派であり、朱子学の批判から生まれ、「知行合一」「心即理」「致良知」の三つの説を中心とする学問である。
陽明学は多彩な側面を持つと言われている。
また陽明学は明代末、日本に渡り、独自の進化を遂げたとされており、実践を強調した行動哲学であると考えられている。
儒学では、四書五経を中心とする経書からの引用が多くみられ、それは陽明学も例外ではない。
隋唐以前の訓詁的研究を行いつつも、また一方でより率直に、聖人と解釈者との一体性を強調し、解釈者の心と、聖人の心とが普遍であるという前提を構築する事になった。
その結果、宋代以後の儒学は、孔子の思想的側面を明らかにすることにも力を費やし、結果として思弁性のあるものとなった。
つまり思想的側面とは、聖人の心と、解釈者の心を明らかにする事である。
その代表格が朱子学と陽明学である。
朱子学が最も重視したのは、古い歴史をも持ち、勝手な解釈の入る余地の少ない経書そのものではなく、「四書」と呼ばれる四つの書物であった。
「四書」とは、経書の中の『礼記』から分割編纂した「大学」と「中庸」そして準経書扱いされていた『論語』と『荀子』と並称されていた『孟子』という四つの書物である。
これらの書物は比較的短文で、また勝手な解釈を混入させるに適当な内容の書物であったため、利用されるに至ったと考えられている。
特に朱子学が、従来の儒学議論の中から、孟子の「性善説」だけを取り出し、極端に尊崇したことから、「性と善」の内容をめぐって、議論を呼ぶことになった。
そのため諸種の学派間の抗争には、直接、性善説の解釈を巡って行われる場合も、これまでには多々見られたのである。
「心即理」は、陽明学の倫理学的側面を表す言葉である。
「心即理」は陸象山が、朱子の「性即理」の反措定として唱えた概念で、王陽明はそれを継承したのである。
朱子学のテーゼである「性即理」では、心を「性と情」に分別している。
「性」とは天から賦与された純粋な善性を、他方「情」とは感情として現れる心の動きを指し、「情」の極端なものが、人欲といわれるものである。
そして朱子は、前者のみが「理」に当たるとした。
また「理」とは、人に内在する「理性」であると同時に、外在する事々物々の理でもあるとしている。
つまり理の遍在性かつ内外貫通性が、朱子学の特徴である。
しかし王陽明は「理、豈(あ)に吾が心に他ならんや」と述べるように、「性と情」を併せた心そのものが「理に他ならない」という立場をとっている。
この解釈では、心の内にある理性を完成させるために、外的な事物の理を参照する必要は無いということになる。
この考えはやがて、外的権威である経書、延いては現実政治における、権威の軽視に繋がる危険性を孕んでいた。
なお王陽明の「心即理」は基本的に、陸象山の原型を書き写したものであるが、陸象山が、心に天理と、人欲という区別を立てなかったのに対し、王陽明は朱子と同様「天理を存し、人欲を去る」という、倫理実践原理を持っていた点が異なっている。
「致良知」は陽明学の方法論的側面を表す言葉である。
致良知の「良知」とは『孟子』の、「良知良能」に由来する言葉で、「格物致知」の「知」を指すが、「致良知」はそれを元に、王陽明が晩年、独自に提唱した概念である。
まず「良知」とは、貴賤にかかわらず、万人が心の内にもつ、「先天的な道徳知」であり、
良知良能は愚夫愚婦も、聖人と同じと言う意味であり、また人間の生命力の根元でもあるとしている。
天理や理性が、天から賦与されたものであることを想起させる言葉であるのに対し、「良知は人が生来もつものというニュアンスが強い。
また陽明学においては、非常に動的なものとして扱われ、行動哲学の行動原理にもなった。
そして「致良知」とは、この良知を全面的に発揮することを意味し、良知に従う限り、その行動は善なるものとされたのである。
逆に言えば、それは良知に基づく行動は外的な規範に束縛されず、これを「無善無悪」という。
日本に伝わった朱子学は、その普遍的な秩序への志向により、体制側には都合がよく、民百姓を教導し、社会の仕来りを形作るには、治世者に好まれた学問となったのである。
これが「由らしむべし、知らしむ可らず」となり、為政者の定めた方針に従わせるだけでよく、民百姓に、この理由を一々知らせる必要は無しとなった。
一方、陽明学右派の体制側の意図に反して、陽明学左派は反体制的な理論が生まれた為、反体制の側が好む場合もあり、
現実に民百姓の難儀を見て体制側を批判し、人間改革運動に身を呈する者も陽明学徒からは現れてきた。
日本では寛政年間にこの反体性側の学問として、庶民教化と人間解放運動を目指した日本陽明学というものが擡頭してくるのである。
ここでいう陽明学左派というのは、今日でいう左寄りのリベラルという意味ではない。
しかし江戸幕府にとっては、都合の悪い学問であり、これが世に拡散されることを懸念して潰しにかかった。
そこで幕府は寛政二年、寛政の改革の一環として江戸幕府が昌平坂学問所に対し、朱子学以外を異学とし、その教授を禁止したのである。
これが「寛政異学の禁」である。
幕府側の言い分は、本来学問としての陽明学は、鏡面のような心を以て、心即理に迫るのが前提であるにもかかわらず、己の私欲や執着を、良知と勘違いすることを懸念し、また妄念を、心の本体と称して、行動に移してしまうと、地に足の着かない革新志向になり易いという批判論が、朱子学者から起こったのである。
これは陽明学が危険な革命を示唆する「毒薬的な学問」と見做されたからである。
山田方谷も陽明学を誤って理解すると、重大な間違いを犯す危険があると考えて、朱子学を十分に理解したうえで、
朱子学と、陽明学を相対化して、理解が出来る門人のみにしか、陽明学を教授しなかったと言われる。
江戸初期の代表的な陽明学者は、中江藤樹と弟子の熊沢蕃山である。
日本の陽明学者からは中江藤樹、熊沢蕃山、大塩平八郎を選び、中江藤樹の著である『翁問答』、熊沢蕃山の著である『集義和書』、大塩平八郎の著である『洗心洞劄記』などが挙げられる。
そして幕末の倒幕運動は、陽明学の影響を受けた感が強い。
高名な偉人では吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛、河井継之助、佐久間象山らが影響を受け、大塩平八郎の乱に代表されるように、倒幕運動に身を挺した者も多い。
一方、陽明学の造詣の深さで佐久間象山と対比される備中松山藩の山田方谷は、陽明学の持つ危険性を十分に承知した上で、弟子には、先に朱子学を学ばせ、有望な弟子のみに陽明学を教えたとある。
山田方谷と佐久間象山は、佐藤一斎が塾頭をしていた昌平黌で学んでいる。
佐藤一斎は朱子学を奉ずる昌平黌の儒官であり、公然と陽明学の理を主張し得なかったが、
著書の『大学一家私言』は、陽明学の視点で書かれたものであり、また幕末の志士に大きな影響をあたえた『言志四録』には、陽明学の思想が散見される。
佐藤一斎が中江藤樹を尊崇していた事や、彼の門から陽明学の影響を受けた者が多数輩出していることから、
一斎が陽明学を奉じていたことは明白な事実である。
そのため「半朱半陽」の誹りを受けたが、その種とする所は陽明学に存すると言える。
日本陽明学派の祖と謂われる中江藤樹は、元々は朱子学を信奉する儒学者であったが、晩年、陽明学左派の王竜渓の思想に触れて、その後、考え方が一変した。
左派とは、今日でいうリベラルという意味ではない。
もし中江藤樹が、陽明学右派の、羅念庵や聶雙江の右派の思想に触れていたら、果たして朱子学を捨てて、王学の陽明学に転向していたであろうか。
明代に起こった朱子学や陽明学を新儒学というが、この時代は支那全土が騒乱で乱れ、天下は混沌としていた。
王陽明も最初朱子学を学び、当時国教であった朱子学を学んで、科挙に及第した経歴があり、元々は文官であった。
しかし世の乱れを治める為に、王陽明は将兵を率いて、文官でありながら武将の先頭に立ち、戦っても百戦百勝の大将軍並みの才覚を見せた。
この頃戦陣で、王陽明は新儒学を教授したのである。
そして、朱子学に対して疑いを抱き始めていた。
心が理であるという「心即理」を唱え、これが陽明学となるのである。
この陽明学の中でも、特異な肌合いを見せたのが、王竜渓や王心斎の庶民教化の人間解放運動であった。
これは陽明学左派の特徴であり、右派とは一線を画したのである。
もし中江藤樹が、右派の朱子学に近い陽明学ならば、態々これまでの朱子学を捨てて、陽明学に転向はしなかったはずである。
中江藤樹の掲げた陽明学は、王竜渓や王心斎の流れを汲む、陽明学左派の庶民教化を目的とした人間解放運動であった。
后にこれは「日本陽明学派」という日本独自の陽明学を確立していくのである。
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11 июл 2024

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