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夜噺会 第230回 「老健術について語る」 現代人に必要な我慢力 

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論  述: 曽川和翁
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挿入曲 : 『臥竜』
作  曲: 曽川和翁
音楽編曲: 佐孝康夫
ピアノ演奏:野原舞花
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動画監修&イラスト:曽川あや
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使用音声ライブラリ VOICEVOX:青山龍星
【老健術/我慢力】
現代人は我慢する力がなくなったように思う。
老も若きも、男女を含めてである。
論者は「全共闘の団塊の世代」であり、既に七十五歳の後期高齢者の年齢を過ぎたが、子供の頃、
痛みに対して、父から懇懇と諭されたことがある。
よく父から、痛みに対して「痛さを感じるからこそ生きている証だ」と謂れたことがある。
父は明治43年生まれで、軍隊時代は、幹部候補生出身の下級将校であったが、「自分は、部下を一人も失うことなく、また捕虜にもならず、激戦のしたの砲弾をかいくぐり、北支から、みな無事に内地に帰還させたという。
これが父の、ただ一つの自慢であった。
そのため、終戦後は部下やその家族からは怨まれなかったという。
こんな話がある。
北支を転戦していた頃の話である。
戦線を転々として、陸軍省の地図にも載っていない、ある山の中に迷い込んだ時、こんな逸話がある。
当初、日本政府は北支事変とよび、不拡大方針をとったが、軍部は戦線を拡大して主要都市や鉄道沿線を占領し、宣戦布告のないまま全面戦争へと発展した。
蒋介石の国民党の南京政府軍は、画策によって1937年9月の第二次国共合作による、抗日民族統一戦線を掲げ、各地で共産党軍と共に抗日戦を企てた。
この画策の裏には英米だけでなく、何と日本と軍事同盟国である、ナチスドイツまでもが絡んでいた。
大半の武器なども、ナチス・ドイツからの供与である。
ヒトラーの日本に対する黄色人種への憎悪や蔑視も、こうした所にあった。
肚の中は、黄色人種の撲滅であり、それは『我が闘争の中にも述べられている。
支那大陸で、黄色人種同志を戦わせ、漁夫の利を得るという策戦である。
蒋介石もこの罠にまんまとかかり、癌である赤軍と共闘戦線を結び、盲腸炎程度の抗日戦を戦ったのである。
ところがこの裏側を、詳細に知る日本人は、当時、わが国にはいなかった。
帝國陸海軍の首脳部は、前文だけの部分で三国同盟に共感し、躍り上がったのである。
この当時、日本軍を最も苦しめたのはトーチカであり、この発想もナチス・ドイツから、国民党政府軍の軍事顧問団の提案によるものだった。
ちなみにトーチカとは、鉄筋コンクリートで円形や方形や六角形などに作り、機関銃や火砲などを備えた、堅固な防御陣地であり、戦略上この地点を「特火点」と呼称した。
また1941年12月、太平洋戦争の開始後、第二次大戦の一環となったのが、この日中戦争が元凶である。
この戦争は、盧溝橋で起こった事変であり、昭和12年7月7日に、日中戦争の発端となった、たった一発の銃声から始まる、日本を泥沼に引き摺り込んだ事件である。
この当時に、父が激戦地で得た貴重な体験譚である。
論者がこの話を、父から聞いたのは小学5年生の頃で、毎晩寝る時、この話をよく聞かされたものである。
水の欠乏による喉の渇きと、食糧ブソクからくる、空腹での体験譚である。
食糧も殆ど欠乏し、水筒の水も、一滴も残っていなかったという。
何日間も飲まず食わずで、山中を彷徨い歩き、やっとの思いで岩壁から岩清水が滲み出ていたのを発見した。
方々手分けして、やっと探し当てた岩清水である。
岩壁にしたたる水を見て、ここからが、人間の本性があからさまになる。
われ先にで、これに飛びつけば、その人間の人間性と人格が失われる。
階級が上であればあるほど、それは顕著となる。
個人の利益から全体の利益へと、考えを脱皮できぬ者はいつまでも幼児思想のままである。
私腹を肥やすだけの人間は、いかに才幹に恵まれようと、指揮官の椅子に坐って固執するのは、精神的雑兵の域を出ない。
終戦後のシベリヤ抑留時、こういう話があった。
食事にありつく配給時のことである。
「パンは大きい方から、階級順に配れ」と、臆面もなく言ってのけた高級将校の某大佐がいた。
よほど腹が空いていたに違いない。
しかし、空腹なのはその大佐だけではない。
全員が空腹に苛まされているのである。
しかも万国捕虜規定によって、将校は労役を免除されている。
シベリア開発の重労働に服しているのは、下士官と兵だけなのである。
将校も人間であり、空腹であるのは下士官も兵も同じである。
しかし大佐の言を、咎める者は一人もおらず、配給当番の任に当たった兵は、この発言をどう思ったのであろうか。
大佐といえば連隊長であり、四千人の部下の命を預かるオサである。
陸軍士官学校を優秀な成績で卒業し、更に陸軍大学校を出ているのだから、並みの人間とは異なり、平素の指揮能力は抜群であるはずだ。
しかし状況が最悪の時に、困難を身を以て部下を救うのは、指揮官としての本来の任務ではないのか。
底辺の部下を犠牲にして、己一人が助かりたいという気持ちは、指揮官たる者が口にする言葉ではあるまい。
この時確かに、咎める者は一人もいなかったが「あんな奴の為に死なずによかった」と誰もがそう思い、その大佐は自分の人間性と、人格までもを失墜させてしまったのである。
こういう輩は、あの当時だけではなく、令和の世の中になっても、政治家や高級官僚や、特権階級の中には多くいるのである。下々を見下し、底辺の庶民を顕微鏡下の微生物と看做す輩である。
顕微鏡下の微生物は一匹や二匹が、死のうと生きようと、どうでもいいことなのである。
下士官や兵は、まさに微生物視された、その種の生き物であった。
ところが同じ人間であり、ひとたび裸にされれば、みな同じなのである。
捕虜は、収容所に送られたのち、やがて階級章や参謀肩章などを剥ぎ取られ、ただの一捕虜になり、戦後はその大佐を顧みる者はいなかったという。
この話は、人間の偉さは肩書きだけでは計れないという、好適例である。
話を戻す。
炎天下、総員36名の部隊は、ある任務を遂行するために、何日間も露営と進軍を繰り返し、長い山路を歩いてきたのである。
そして見つけたのは岩清水であり、路面から一尺ほどの高さの岩の裂け目から、ホソボソとしたたり落ちていたのである。
全員がそれに口をつけて、飲めるような状態ではなかった。
岩幅10センチほどを湿らせている、細々とした貧しい水だったのである。
部隊の下士官や兵たちで、われ先に飛びついて、これを舐める者は一人もいなかった。
先の大戦の前半までは、帝国陸軍は健在であり、『軍人勅諭』が生きていた時代である。
『軍人勅諭』とは、明治15年、天皇が軍人に与えた訓戒の勅語で、忠節・礼儀・武勇・信義・質素を説き、軍人の精神教育の基礎とされ、一兵卒までこれを暗記させた。
この時代も、父が指揮した部隊は、訓戒の言葉が生きていたのである。
心の中には「われ先に」で、下士官や兵の階級において、自分を優先するような願望はあったかもしれないが、これを抑制しているのは、人間としての品性である。
武人であるならば、惻隠の情から、一番弱っている兵を優先させるのは当然であろう。
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22 окт 2024

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