Тёмный

夜噺会 第236回 「三島由紀夫と葉隠哲学」 数うべき短所のある人物こそ第一級 

夜噺会チャンネル
Подписаться 1 тыс.
Просмотров 537
50% 1

論  述: 曽川和翁
─────────
挿入曲 : 『臥竜』
作  曲: 曽川和翁
音楽編曲: 佐孝康夫
ピアノ演奏:野原舞花
─────────
動画監修&イラスト:曽川あや
─────────
使用音声ライブラリ VOICEVOX:九州そら
【葉隠/大仕事をするには】
●三島由紀夫と葉隠哲学
「武士道といふは、死ぬことと見つけたり」の一句は、周知のように『葉隠』の総てを象徴している。究めて印象的な強烈なイメージを与えるものである。
とにかくこの一句は、間違えられ易いように、人間の死を安易に軽んじ、死に急ぎを、駆り立てているのではない。
また破壊的な思想を植え付けるものではなく、「大雨の感」という一節にあるように、濡れるときは濡れるのが良く、これが心に苦しみがないというのである。
山本常朝はまず、終局の一点を先取りして、あとは現在只今の、与えられた生の時々刻々と変化する動きに充填して、全人生を一つの完結した宇宙と見做したのである。
死に狂いを以て、天下を呑む心意気を持つ武士、また飄逸なカラクリ人形として複眼的に、冷静に事物を見つめているのである。
『葉隠』における死の捉え方は一種独特のものがあり、この書は三島文学の根幹をなす死生観を、端的に物語ったものである。
死はふつう、生きとし生けるものにとって、現代では否定的なものに考えられ、決して受け入れ難いものになっている。
ところが『葉隠』は、そうした現実を踏まえて、なにか雲間に垣間見るような青空を感じさせ、澄み切った明るさを持っている。
では武士という武門は、どういうものか。
それは生きながらにして、己一身の全人格を賭けて、それを表面に打ち出していくものにほかならない。単なる技能や才覚などの、己の一部分や断片を提供して、社会に関わる専門家であってはならないのである。
況して社会の歯車の一部であってはならない。
そもそも武士は己一心の身を以て、命を投げ出して全体に奉仕をし、そのことによって全人的な精神を代表する、至高の人間像でなければならなかった。
三島由紀夫の生き様は、何よりもまして思索の人物像であり、また観念の人であった。
『葉隠』は行動哲学であり、ここで論じている行動家の最大の不幸は、過ちのない一点を添加したあと、死ななかった場合である。
『葉隠』の死の教訓は、行為の結果よりも、ただ行動家の真の幸福を教えたのである。
行動哲学といえば、日本陽明学も同じである。
大塩平八郎はその著書『洗心洞箚記』で論じているように、「身の死するを恨まず、心の死するを恨む」ということを、常に主張した。この主張から大塩平八郎の過激な行動が、一直線で表出されたと思われた時、行動家は死を覚悟するのである。
肉体は死んでも、その精神の行動した魂は、永遠に滅びる事なく、次世代にも語り継がれるのである。
あたかも佐藤一斎が「老いてまなべば、死しても朽ちず」と論破したようにである。故に肉体の死を恐れず、心や魂が死ぬのを恐れるのである。
決心は決してゆらぐことなく、その不動のとき、深く天命を知るのである。
●日本亡国の、警鐘の調べ
日本国民に対して、警鐘は鳴り響いている。
三島由紀夫は戦後の日本人の為体を見て、警鐘を鳴らした。
敗戦国の烙印をおされ、いまだに国際連合では「敵国条項」に日本は含まれ、これについて日本の政治家はなにも言わない。
自衛隊は在っても、アメリカの傘下にいる限り、永遠にアメリカの傭兵である。未だに下に置かれ、日本に指揮権はなく、米軍の使い走りをやらされているのである。
そもそも専守防衛という定義が「不確定要素」を含んでいるのである。
統合抑止能力を維持したと言っても、それは戦争職人の戦争屋のレベルであり、この根本には日本人自身が日本人として、日本国民という意識がなければならない。国民一人一人が、日本人であるという意識がなければ、それだけで国家の維持は殆うくなる。
戦後まで生き残ってしまった、かつての帝國陸海軍の戦争屋どもは、おめおめと生き残りながら、生き残った者たちは、老いて己の命を投げ出すことを出し惜しみする。
高額な軍人恩給取りの帝國陸海軍の将官や左官級の老兵どもは、今の安穏とした甘い生活の汁が忘れられないのである。その元凶は帝國陸海軍の戦争屋どもが、大正や昭和期にかけて軍隊官僚化した事である。併せて大戦時は夜郎自大となり、高慢で威張り腐ったことである。
それが尊大な縄張り意識となり、日本の中の陸軍、日本の中の海軍でなく、陸軍の中の日本になり、海軍の中の日本となり、陸海軍とも最後まで足並みが揃わなかった。
その元凶には「軍隊官僚主義」の縄張り意識が強く働き、陸海軍とも敗戦時まで、互いに足並みが揃わなかった。
斯くして統合抑止能力のない帝國陸海軍は官僚主義で、最後まで互いに協力する意識がなく、遂に日本列島を焦土と化してしまったのである。
軍隊官僚の背景には、日本人が尊敬する容易には突破できない最難関試験を合格したという、エリート意識の尊大が際立ったのである。それとは逆に、蔑視するのは選挙に当選したものである。
両者を対照的に処遇する態度は、実に明確であり、これをわけ隔てて日本では恐ろしいほど徹底している。これは一見すれば、大いなる矛盾である。
日本人は選ばれて、ある地位についた者に対しては恍惚に酔い、身も心も蕩けるような思いに浸るものが圧倒的多数なのである。
だが学閥の中の上席を占めている者の根性は冷酷無情である。
彼らは学閥の外にいる者を徹底的に蔑み、見下して卑しめ、しかも貶め、内心では嘲笑しているのである。
これは社会で、一流企業のエリートが手にする高級取りの選ばれた地位にいる者も同じである。
人間社会では常に派閥という、縄張り意識が働いているのである。
そして『葉隠』は言う。
「名利を思うは武士にあらず、名利を思わざるも武士にあらず」とあり、名利とは地位や名声、あるいは階級のことであり、名利を思うとは武士の本分に反することであり、しかし全く立身出世を求めないのも、武士としては嘆かわしい限りであると言わしめている。
地位が上がれば、それだけ手中にした権限によって大きな仕事ができる。
順って、それに相応しい地位を求めるのは当然である。
だがその地位は、人間を酔わせる陥穽がある。
【SNS、ウェブサイト一覧】
・夜噺会:www.daitouryu....
・西郷派大東流合気武術公式:www.daitouryu....
・尚道館刀剣部:www.daitouryu....
・尚道館・女子部:daitouryu.com/...
#三島由紀夫 #葉隠 #日本陽明学 #山本常朝 #行動哲学 #軍隊官僚主義 #佐藤一斎 #大塩平八郎 #洗心洞箚記 #全人格 #日本精神 #武士道 #大雨の感 #天命を知る #縄張り意識 #統合抑止能力 #名利 #からくり人形 #己一身 #高文 #高等文官試験 #国家公務員第I種採用試験 #学閥 #恭順の意 #司馬遼太郎 #峠 #権力の毒 #帝国主義 #人間の欲望 #資本財 #ドラッカー #荀子 #出藍 #性悪説 #小野老 #菜根譚 #春日潜庵 #ねむり #数ふべき短所 #日々新たに

Опубликовано:

 

26 июл 2024

Поделиться:

Ссылка:

Скачать:

Готовим ссылку...

Добавить в:

Мой плейлист
Посмотреть позже
Комментарии    
Далее
It was hard 😂
00:15
Просмотров 1,4 млн